独特の本です。筆者は社会運動の研究で有名な富永京子先生です。
「わがまま」を個人の態度や行動に矮小化せず、
歴史的経緯と学術的調査に基づいて、どのように「わがまま」を実行するか考えます。
筆者が読者に答えを与えるアプローチでなく、社会運動を絶賛するわけでもなく、
筆者自身も迷いながら問いを深め、肯定否定の二択でない、その間のグラデーションで代替案を探すアプローチを取ります。
本の内容紹介によると「中高生向け」だそうですが、大人にもお勧めします。
より具体的には、次のどれかに当てはまる方にお薦めします。
(1)学校や職場で規則や人間関係に違和感を抱いているが、どうしたらいいか分からない方
(2)社会問題に関心はあるが、デモや署名活動をすることに恐怖心や嫌悪感がある方
(3)既に社会運動をしていて、自分の社会運動を他者に伝えるためにどうすればいいかを知りたい方
本書では社会運動に対しての恐怖心・嫌悪感・冷笑的な態度が生まれる背景を調査し、
社会運動の意義を他者に伝えるために必要な工夫を考えます。
しかし本書はマニュアル本ではありません。
(4)社会運動について教える学校教員や大学教員
(5)社会運動についてのレポートや卒論を書く大学生
しかし本書は学術書でなく一般向けの本であるため、卒論やレポートの着想を得ることはできますが、
さらに学術書や論文を読んで引用すべきです。本書の最後には参考文献が挙げられています。
また、富永京子先生は社会運動についての学術書と論文を多数書かれています。
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みんなの「わがまま」入門 単行本 – 2019/4/30
購入を強化する
“権利を主張する"は自己中?
言っても何も変わらない?
デモや政治への違和感から、校則や仕事へのモヤモヤまで、
意見を言い、行動することへの「抵抗感」を、
社会学の研究をもとにひもといていく、中高生に向けた5つの講義。
身近な「わがまま」と社会をゆるやかにつなげ、
意見の異なる人々と、社会をつくるための入門書。
================================
・デモってなんか怖い
・結局「自己責任」じゃない?
・炎上したくない
・「いい子」みたいで恥ずかしい
……
「わがまま」言いたい人も、引いちゃう人も。
学校や家庭、職場で、こっそりゆっくり、
「わがまま」をやってみる方法を考える。
◎学校の授業や、ワークショップでもつかえるエクササイズ付き
◎もっと学びたい人のための「『わがまま』入門ブックリスト」付き
================================
どうすれば私たちは日々感じているモヤモヤやイライラを超えて、
自分を解放し、だれかを助けられるような「わがまま」に優しくなることができ、
「わがまま」を言えるようになるのでしょうか。
この本では、その手がかりをお伝えできたら、と思います。(「はじめに」より)
================================
●目次
はじめに
◎1時間目 私たちが「わがまま」言えない理由
わがまま=自己中?
日本が30人の教室だったら/「ふつう幻想」が「ずるい」をつくる/わがままは自己中ではない
意見を言うと浮いてしまう?
ふつうと平等はどこへ消えた?/グローバル化で「ばらばら」に/私のわがままはみんなの「それな! 」/今のわがまま・昔のわがまま/違いからはじめて同じ根っこを探す/私、別に「かわいそう」じゃないし…
エクササイズ1 その人になってみる
エクササイズ2 あだ名ワークショップ
◎2時間目 「わがまま」は社会の処方箋
「わがまま」批判はどこからくるの?
わがまま下手な日本人/「批判するからには、別の案があるんだよね?」/「社会のためとか、意識高いよね(笑)」/「社会運動って、迷惑じゃないですか?」/「価値観の押し付けでしょ?」/「自己責任じゃないですか?」
それで、結局意味あるの?
わがままはきっかけづくり/自己満足でもいい/「わがまま」はアイドルの出待ち?/長い目で見てみる
エクササイズ3 20年前と今を比べてみる
エクササイズ4 変化を説明してみる
◎3時間目 「わがまま」準備運動
どこまで「わがまま」言ってもいいの?
アウトなわがまま・セーフなわがまま/わがままの背景を考える/わがままの落とし所?
伝え方が悪いと、話を聞く気になりません
過激な表現にひるまない/「おうち語」化に気をつける
「〇〇派」を超えて言葉を伝えよう
知らない人に教えてみる/イベントを大事にする/いろんな大人に会う/大学に行ってみよう/「中立」も「偏り」も、そんなにこだわることじゃない/「うちの地元に大学はねえよ」/人をカテゴライズしない
エクササイズ5 「おうち語」を翻訳する
◎4時間目 さて、「わがまま」言ってみよう!
社会的「わがまま」のススメ
モヤモヤで「わがまま」キックオフ/わがままは、直接相手に言わない/伝えるための工夫/趣味の雑誌を読もう
もっと気軽にできる方法はありませんか?(やっぱり恥ずかしいし)
ちょっと文化系なわがままが好きな人に/代わりのものをつくってみる/買う・選ぶもわがままのうち/こっそりやってみる
気が向かないときはやめてみる
遠くに行ってやってみる/うまく行かなくても気にしない/自分をカテゴライズしない
エクササイズ6 モヤモヤするものを探す
エクササイズ7 署名を呼びかけてみる!
◎5時間目 「わがまま」を「おせっかい」につなげよう
他人のことでも「わがまま」言っていい
「うち」と「よそ」はつながっている?/よそ者だからできることがある/よそ者がいると「その人」が目立たなくなる/よそ者資源が役に立つ/だれだっていつかはよそ者になる。でも、それでいい/わがままで遊ぼう!
おわりに
本書に出てくる読みもの一覧
「わがまま」入門ブックリスト
言っても何も変わらない?
デモや政治への違和感から、校則や仕事へのモヤモヤまで、
意見を言い、行動することへの「抵抗感」を、
社会学の研究をもとにひもといていく、中高生に向けた5つの講義。
身近な「わがまま」と社会をゆるやかにつなげ、
意見の異なる人々と、社会をつくるための入門書。
================================
・デモってなんか怖い
・結局「自己責任」じゃない?
・炎上したくない
・「いい子」みたいで恥ずかしい
……
「わがまま」言いたい人も、引いちゃう人も。
学校や家庭、職場で、こっそりゆっくり、
「わがまま」をやってみる方法を考える。
◎学校の授業や、ワークショップでもつかえるエクササイズ付き
◎もっと学びたい人のための「『わがまま』入門ブックリスト」付き
================================
どうすれば私たちは日々感じているモヤモヤやイライラを超えて、
自分を解放し、だれかを助けられるような「わがまま」に優しくなることができ、
「わがまま」を言えるようになるのでしょうか。
この本では、その手がかりをお伝えできたら、と思います。(「はじめに」より)
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●目次
はじめに
◎1時間目 私たちが「わがまま」言えない理由
わがまま=自己中?
日本が30人の教室だったら/「ふつう幻想」が「ずるい」をつくる/わがままは自己中ではない
意見を言うと浮いてしまう?
ふつうと平等はどこへ消えた?/グローバル化で「ばらばら」に/私のわがままはみんなの「それな! 」/今のわがまま・昔のわがまま/違いからはじめて同じ根っこを探す/私、別に「かわいそう」じゃないし…
エクササイズ1 その人になってみる
エクササイズ2 あだ名ワークショップ
◎2時間目 「わがまま」は社会の処方箋
「わがまま」批判はどこからくるの?
わがまま下手な日本人/「批判するからには、別の案があるんだよね?」/「社会のためとか、意識高いよね(笑)」/「社会運動って、迷惑じゃないですか?」/「価値観の押し付けでしょ?」/「自己責任じゃないですか?」
それで、結局意味あるの?
わがままはきっかけづくり/自己満足でもいい/「わがまま」はアイドルの出待ち?/長い目で見てみる
エクササイズ3 20年前と今を比べてみる
エクササイズ4 変化を説明してみる
◎3時間目 「わがまま」準備運動
どこまで「わがまま」言ってもいいの?
アウトなわがまま・セーフなわがまま/わがままの背景を考える/わがままの落とし所?
伝え方が悪いと、話を聞く気になりません
過激な表現にひるまない/「おうち語」化に気をつける
「〇〇派」を超えて言葉を伝えよう
知らない人に教えてみる/イベントを大事にする/いろんな大人に会う/大学に行ってみよう/「中立」も「偏り」も、そんなにこだわることじゃない/「うちの地元に大学はねえよ」/人をカテゴライズしない
エクササイズ5 「おうち語」を翻訳する
◎4時間目 さて、「わがまま」言ってみよう!
社会的「わがまま」のススメ
モヤモヤで「わがまま」キックオフ/わがままは、直接相手に言わない/伝えるための工夫/趣味の雑誌を読もう
もっと気軽にできる方法はありませんか?(やっぱり恥ずかしいし)
ちょっと文化系なわがままが好きな人に/代わりのものをつくってみる/買う・選ぶもわがままのうち/こっそりやってみる
気が向かないときはやめてみる
遠くに行ってやってみる/うまく行かなくても気にしない/自分をカテゴライズしない
エクササイズ6 モヤモヤするものを探す
エクササイズ7 署名を呼びかけてみる!
◎5時間目 「わがまま」を「おせっかい」につなげよう
他人のことでも「わがまま」言っていい
「うち」と「よそ」はつながっている?/よそ者だからできることがある/よそ者がいると「その人」が目立たなくなる/よそ者資源が役に立つ/だれだっていつかはよそ者になる。でも、それでいい/わがままで遊ぼう!
おわりに
本書に出てくる読みもの一覧
「わがまま」入門ブックリスト
- 本の長さ276ページ
- 言語日本語
- 出版社左右社
- 発売日2019/4/30
- 寸法12.9 x 2 x 18.8 cm
- ISBN-104865282300
- ISBN-13978-4865282306
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
意見を言うことへの「抵抗感」をときほぐし、みんなで社会をつくるための5つの講義。
著者について
富永 京子 とみなが・きょうこ
1986年生まれ。
立命館大学産業社会学部准教授、シノドス国際社会動向研究所理事。
専攻は社会運動論・国際社会学。
東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、
日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。
著書に『社会運動と若者』『社会運動のサブカルチャー化』がある。
1986年生まれ。
立命館大学産業社会学部准教授、シノドス国際社会動向研究所理事。
専攻は社会運動論・国際社会学。
東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、
日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。
著書に『社会運動と若者』『社会運動のサブカルチャー化』がある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
富永/京子
1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授、シノドス国際社会動向研究所理事。専攻は社会運動論・国際社会学。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授、シノドス国際社会動向研究所理事。専攻は社会運動論・国際社会学。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 左右社 (2019/4/30)
- 発売日 : 2019/4/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 276ページ
- ISBN-10 : 4865282300
- ISBN-13 : 978-4865282306
- 寸法 : 12.9 x 2 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 27,863位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

富永京子(とみなが きょうこ) 1986年生。立命館大学産業社会学部准教授。博士(社会学)。北海道大学経済学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科修士・博士課程修了。日本学術振興会特別研究員を経て現職。共著として、『サミット・プロテスト』(新泉社、2016年)、『奇妙なナショナリズムの時代』(岩波書店、2015年)。
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.4
星5つ中の4.4
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2019年5月5日に日本でレビュー済み
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本書は、日本人は社会運動が苦手、政治行動への参加も消極的、自分が浮くことを恐れるなどの問題性を解明しようとした社会意識論の意欲作である。それはまた、社会運動を、人間と人間の結びつきの一形態として捉え、共感/同情という感情の視点から分析する道徳感情論の本でもある。そして、主な読者として高校生と大学生を想定し、分かりやすい言葉で説明した。著者は「わがまま」を「自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」と定義する(p13、178)。これは奇妙な定義であり、我々は普通そうした行動を「わがまま」とは言わない。にも拘わらず著者がこう定義するのは、このような行動が周囲から「わがまま」とみなされること、そして、そのことが当事者が声を上げて行動に踏み出すのを躊躇させる、という不当な現実があり、この不当な現実こそが変えなければならない真の対象だからである。高校の不当に煩瑣で抑圧的な校則に対して、高校生が抗議の声を上げ、生徒会や教師や親を巻き込んで校則を変えさせること、これが本書の社会運動の基本モデルである。しかしこれはなかなか高校生にとっては難しい。そして、ブラック企業で労働に苦しむ従業員たちやセクハラ被害の女性たちが声を上げにくいのも、同質の問題状況に直面しているからである。それらを「わがまま」とみなす人たちが存在する原因は、我々の間に根強く存在する「普通幻想」、すなわち誰もが普通に見えるので、その中の無視できない数の人達が実はネガティブな状況にある(貧困、傷つき、かわいそうな事情)ことが見えなくなる。高校生の制服がよい例で、全員が着ているので、それが自分の体型や服装センスに合わないから着るのが苦痛である生徒もたくさんいることが外見からは分からない。だから制服撤廃という要求は「普通はいやだ」という「わがままな」要求に見える。この「普通幻想」による不平等の不可視化という切り口が、本書を優れたものにしている。
そして、普通幻想の成立には、ネット等で外部の大量の情報が個人の内部まで浸透し、同じ時間・空間を生きる人たちの間に成り立つ共同体は崩壊し、「社会の個人化」が徹底したことが背景にある。昔は、地域共同体はもちろん、学校にせよ会社にせよ、自分と時間空間を共有する他者は、だいたい同じ層に属していた。しかし、今はそれは成り立たず、同じ大学の学生でも、ほとんどバイトで生活している貧困な学生から裕福な学生まで、個人個人を取って見れば千差万別である。その実体が外部から見えにくいので、共感/同情が湧きにくい。人助けやボランティアは「偽善だ」とみなす人たちさえいる。本書のもう一つ重要な指摘は、他者の「カテゴリー化」や「キャラづけ」、つまり、あの人は「ああいうタイプの人だから、こういう発言、行動をする」「ああいうキャラだから、こんなことをする」というように他者を解釈した上で、他者とコミュニケーションするという現代の対他関係の特徴がある。これも「個人化の徹底」の一形態であり、最初に細かいカテゴリー化をするから、他者との利害の共有が見えなくなり、「個人的なことは政治的なこと」であるにもかかわらず、個人的なままに置かれ、自己責任とみなされる。本書では、社会運動の困難さという切り口から、現代社会の問題点が鋭く浮かび上がる。ただ、高校生の校則撤廃運動と、原発反対運動やデモ、安保法反対のデモ、ヴェジタリズムの運動などは、同じ社会運動といってもそれぞれレベルも課題も異なるので、全部を一緒に論じるのはやや無理があるのでは。
そして、普通幻想の成立には、ネット等で外部の大量の情報が個人の内部まで浸透し、同じ時間・空間を生きる人たちの間に成り立つ共同体は崩壊し、「社会の個人化」が徹底したことが背景にある。昔は、地域共同体はもちろん、学校にせよ会社にせよ、自分と時間空間を共有する他者は、だいたい同じ層に属していた。しかし、今はそれは成り立たず、同じ大学の学生でも、ほとんどバイトで生活している貧困な学生から裕福な学生まで、個人個人を取って見れば千差万別である。その実体が外部から見えにくいので、共感/同情が湧きにくい。人助けやボランティアは「偽善だ」とみなす人たちさえいる。本書のもう一つ重要な指摘は、他者の「カテゴリー化」や「キャラづけ」、つまり、あの人は「ああいうタイプの人だから、こういう発言、行動をする」「ああいうキャラだから、こんなことをする」というように他者を解釈した上で、他者とコミュニケーションするという現代の対他関係の特徴がある。これも「個人化の徹底」の一形態であり、最初に細かいカテゴリー化をするから、他者との利害の共有が見えなくなり、「個人的なことは政治的なこと」であるにもかかわらず、個人的なままに置かれ、自己責任とみなされる。本書では、社会運動の困難さという切り口から、現代社会の問題点が鋭く浮かび上がる。ただ、高校生の校則撤廃運動と、原発反対運動やデモ、安保法反対のデモ、ヴェジタリズムの運動などは、同じ社会運動といってもそれぞれレベルも課題も異なるので、全部を一緒に論じるのはやや無理があるのでは。
2020年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私なりに簡単にまとめますと、今の社会では周囲と合わせることが要求されがちで、わがままを言いにくくなっているが、それをどのようにして人々に伝え、社会を良くすることにつなげてゆけばよいか、ということが論じられています。
わがままの伝え方には実にいろいろな方法があることや、必ずしも自分の思ったとおりの結果にはならなくても――要求の内容が大きい場合には、すぐには成功しないことの方がむしろ多いという趣旨の記述もあります――社会を良くすることには必ずつながっていくことや、そのような活動を始めたとしても無理にずっと続けていく必要はないことや、自分に直接かかわりのないことであっても不満として訴えてもよいこと、なども書かれています。
中高一貫校での講演をもとにして書かれた本ですので、文章は学生に語りかけるように書かれており、とてもわかりやすいです。
今の社会のあり方や自分の生活に不満を抱いているが、それを言い出しにくかったり、言い出そうとしてもやり方がわからなかったりして悩んでいる方々には、非常に参考になると思います。
ただ、私なりに気になった点は次の3つです。
○そのような不満を訴えることをすべて「わがまま」と言ってよいのかどうか、疑問を抱く方もおられるかもしれません。
○上記のとおり、文章はよく書けていますが、同じような内容の記述が続いてやや冗長と感じられる箇所もいくつかありました。
○大人が読んでも十分に役に立つとは思いますが、若い方々が使っているとおぼしい言葉で、老年に近い私にはなじみのないものが少なからず出ていました。一応すべての年齢層を対象としているのでしたら、こうした言葉は言い換えるか、注釈を入れるかした方がよかったかなと思いました。
ですが、これらはさほど大きな問題ではありませんし、有用性が高い本であると思いましたので、星5つとします。
わがままの伝え方には実にいろいろな方法があることや、必ずしも自分の思ったとおりの結果にはならなくても――要求の内容が大きい場合には、すぐには成功しないことの方がむしろ多いという趣旨の記述もあります――社会を良くすることには必ずつながっていくことや、そのような活動を始めたとしても無理にずっと続けていく必要はないことや、自分に直接かかわりのないことであっても不満として訴えてもよいこと、なども書かれています。
中高一貫校での講演をもとにして書かれた本ですので、文章は学生に語りかけるように書かれており、とてもわかりやすいです。
今の社会のあり方や自分の生活に不満を抱いているが、それを言い出しにくかったり、言い出そうとしてもやり方がわからなかったりして悩んでいる方々には、非常に参考になると思います。
ただ、私なりに気になった点は次の3つです。
○そのような不満を訴えることをすべて「わがまま」と言ってよいのかどうか、疑問を抱く方もおられるかもしれません。
○上記のとおり、文章はよく書けていますが、同じような内容の記述が続いてやや冗長と感じられる箇所もいくつかありました。
○大人が読んでも十分に役に立つとは思いますが、若い方々が使っているとおぼしい言葉で、老年に近い私にはなじみのないものが少なからず出ていました。一応すべての年齢層を対象としているのでしたら、こうした言葉は言い換えるか、注釈を入れるかした方がよかったかなと思いました。
ですが、これらはさほど大きな問題ではありませんし、有用性が高い本であると思いましたので、星5つとします。
2020年3月3日に日本でレビュー済み
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著者は社会運動を「わがまま」だという。私もおそらく著者と立場が似通っており、樺美智子の死に大勢の人が集まれば集団の力に心動かされるような人間であるが、実際に社会運動には参加したことがなく、普段はやや冷ややかに見ている。しかし、そんな私でも社会運動を「わがまま」だとは思ったことがなかった。実のところ、著者のいう社会運動は、私が思っていた社会運動と異なり、より広い意味で用いられており、エアコンが寒いから温度を上げるというような話も含まれている。著者の定義では、「自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」(13頁)ということである。私は共同の部屋で、エアコンの温度を勝手に変え(夏なら設定温度を上げ、冬なら設定温度を下げる)、また変えられていようものなら、また変えるので、こういう社会運動には普段から参加している。こうした行為が著者のいう「わがまま」ということだった(私は、かつて文字通りわがままの「権化」中島義道の熱心な読者だった)。著者が冒頭で「一緒にご飯を食べるとき、割り箸を使わない。恋バナをしていても、自分や身近な人の恋人に対して『彼氏』や『彼女』といった言葉を使わない。なるべく深夜にはコンビニやファーストフード店に行かない・・・・・・」(10頁)という(プチ)社会運動の例を挙げているのだが、なぜか割り箸やコンビニの話は自分でもやっても良いと思うほど好意的に感じる一方、「彼氏」「彼女」という言葉を使わないという試みには、古臭い左翼的な(連合赤軍的な)潔癖主義が瞬時に想起され、 強烈な嫌悪感が生じた。このように紹介される例が自分に引き起こす感情の差異からしてすでに興味がそそられたが(私には、それらが全然別物に感じられる)、著者によれば、社会運動=わがままの背景には、「ふつう幻想」があるという。この「ふつう幻想」があるために、そこから外れると「わがまま」や「ずる」のように思われてしまうが、「ふつう幻想」そのものに疑問を呈することで、社会運動の概念も、いわば脱構築している。そうすることで、「わがまま」を言っている人の中にも連帯可能性があり、正当な権利を主張できるという後押しをしているのである。また、こうした見方からすれば、流動化した社会においても、階層やジェンダーといった(古典的な)属性とも異なる共通意識から連帯する可能性も見出されている。私は、わりと社会学も勉強したクチだと思うが、最近勉強だ疎かになっていたため、久々に社会学的な思考を見た気がした。私自身の(狭義の)社会運動に対する認識は、著者の視点とやや異なり、日本人は過去にも運動が盛り上がったことはあるが、それが長期的に持続し、他国の社会運動が「血肉化」されている国々と異なり、熱くなった一瞬を過ぎてしまうと、一瞬で忘れ去られ、血迷った若者(あるいは「プロ市民」)の暴走のように思われてしまうという現実が最大の問題なのではないかと考えている。著者は、これに関連して結論に近い部分で、「『わがまま』を言い続けるということは、大変なことです」(214頁)とか「「自分を含めた社会の状況をよくするためなのに、あなた自身がつらかったり、疲れ果ててしまっては元も子もありません」(217頁)などと書かれており、個人の行動に焦点を当てて、一貫して気軽さを強調しているが、運動そのもののが起こらないわけではないと私は認識しているので、若干腑に落ちない部分もある。もっとも、こうした分析は、学生を主な対象にしたような本書の狙いとは思われないし、こうした気軽なミクロの積み重ねが過去にはなく、それが変わればマクロの持続性につながると暗に示唆されているのかもしれないが。ユーモアというか、ウィットというか、毒?に富んでおり、平易に読める一冊。






