上の子が生まれた時、分娩室から泣き声が聞こえてきて、「おお、生まれた!」とは思ったが、それがすなわち「自分が父になった」という自覚にはつながらなかった。もちろん子はかけがえなく可愛いし、子を持つ責任は一瞬にして生まれた。だが、「自分が父になった」と実感したのは、上の子が生まれてから1年くらい経った後なのだった。すくなくとも私は。
と、「父になる」ということは客観的にはわかりやすいが、主観的には千差万別なように思う。
きくちちきさんの『とらのことらこ』(2018年/小学館)を職場で手に取った時、「新刊なのに懐かしいなあ」という印象を持った。そして、「この人の好きな画家は誰なんだろう?」とも思った。というのもあり、『ぼくと仕事、ぼくと子ども』(影山大祐/2018年/トランスビュー)を手に取った次第。トランスビューの久々の新刊というのも理由のひとつ。
本書表1にこうある。「この本に登場する十名は、直接的、間接的に、子どもに関係する仕事をしている。年齢は三十代から四十代前半で、全員父親だ」。その十名のトップバッターがきくちちきさんだった。が、作品についてはほぼ語られず、目的は果たせず。まあ、趣旨が違うのでしょうがない。
で、全編を通し、著者が何を伝えたかったのかもぼんやりしていた。ちょっと自己啓発も入っている。それは狙ってのことかと。著者は表1で「百人の父親がいたら、百通りの考え方があり、生き方がある」と記している。まったくその通り。むしろ、「子どもを持った父はこうあるべき」みたいなものはたくさんあるし、無いといえば無く、ぼんやりしたものだ。
が、読み進めるうち、「子ども」という言葉の使い方が気になるのだった。「子ども」という言葉には二つの意味がある。
・「親」と対になる言葉としての「子ども」(人間の関係性を表す)
・「大人」と対になる言葉としての「子ども」(人間のある時期の状態を表す)
前者を「子」と表現だけですっきりする。でもそうするとハッキリとすることがある。「子」と「子ども」は違うということだ。
敢えて言えば、「子ども」を理解するためには「子」の有無は関係ない。ただ、「子」を理解するには、「子」を持たなければ本当のところはわからない。同様に、子を持たないこともそう。これは、いい・わるいという話とはまったく関係がない。そういうのが、ずっと小さな段差につま先がひっかかってるみたいな感じでつづく。
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
無料アプリを入手するには、Eメールアドレスを入力してください。

Kindle化リクエスト
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。