無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ひとを嫌うということ 単行本 – 2000/7/1
- 本の長さ205ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2000/7/1
- ISBN-104048836056
- ISBN-13978-4048836050
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
商品の説明
商品説明
著者は、東大人文科学大学院、ウィーン大学哲学科を修了した哲学博士であり、ドイツ哲学、時間論、自我論が専攻の電気通信大学教授である。本書の土台となっているのは、著者自身が「これまでの長い人生において、むやみやたらに他人を嫌うことがあり」、妻と息子からは「ある日を境に激しく嫌われるハメに陥った」という切実な現実である。
本書では、「嫌い」を引き起こす原因として、相手が自分の期待にこたえてくれないこと、嫉妬、軽蔑、無関心、生理的な拒絶など、8つを挙げて解説している。著者自身も書きながら「私が嫌っている膨大な人々の顔が眼の前にブンブン蝿のように登場し、その迫力に押しつぶされそう」だったと「あとがき」で述べているが、読む方も、自分が今までに嫌ってきた人、嫌われてしまった体験などを次々と思い出し、その原因に改めて納得したり、せっかく忘れていたのに今さらまた思い出してしまったことへの不快感にさいなまれるかもしれない。しかし、「嫌い、嫌われる」という苦しい関係は、一面では「自分を反省させてくれ、警告を与えてくれ、まことに有益」と指摘されると、確かにそうだと溜飲が下がる。自分が誰をも嫌わず、誰からも嫌われずには生きてはいないという事実に、少なからず罪悪感を抱いている人は、一読してみてはどうだろう。(加藤亜沙)
内容(「MARC」データベースより)
著者について

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
内容は、タイトル通りに「人を嫌うということ」を原因別に分析したり、その自然さを問う哲学的な理由がたくさん。
著者同様、私も人があまりにも嫌いだなということに長年コンプレックスを抱いていたので、とても参考になりました。嫌うことと同じく、嫌われることの自然さにも言及してくれているので、人間関係に悩んでいる性格の悪い方は救いになるかもしれません。
タイトルはかなり衝撃的ですよね、これはネガティブイメージを逆手に取った販売戦略かな?
とも思いましたが、
内容はとても素晴らしく、今までの自分の考えとは反対の要素が満載で、刺激されまくりです。
本のタイトルに違和感を持つ人ほど、この本から得られる考え方は有用なものとなるでしょう。
ネタバレになるので、内容は書きませんが、お奨めいたします。
「嫌い」についてどれだけ考察を重ねてきたか
という「嫌い」と向き合ってきた濃度は人それぞれに
違うと思います。
この本は「嫌い」と
向き合ってきた濃度高めの方向けかと思います。
向き合って試行錯誤したうえでまた出口を失うような
そういった経験をした方には、理解できる表現が
多い、有意義な本になると思います。
一方
「嫌い」について深く考えたことはなかったが
ちょっと気になるので読んでみよう。程度の方には
あまり実のある読書にならないかなと思います。
いくらやっても身体に馴染まず、どうも上手くいかない。先生に会いたくない。
同期は辞め、新しい人が入る。しかし僕はここでやり続ける。
苦しくてもがんばろう、上達しようと理性で励ましていた。
やがて中学になり、学校の部活が必修ということで、空手は空手でやりながら、
一対一で相手とも己とも向き合い、防具により極端な怪我はないがバシバシドカドカとぶつかり合う安全が保証され、
何より一本を取った時の快感から、剣道部に入部した。
同期で入った友達も、癖のある先輩方も、厳しい先生も、皆温かく楽しかった。
・
・
・
ある時、いつものように空手の練習をしていて、初歩的な空手形を忘れて仮病で場を離れたとき、
ふと、唐突に頭に稲妻が走った。
空手、嫌いだ。
心の底からやりたくないんだ。嫌だったんだ。辞めたいんだ。何にも楽しくなかったんだ。
だから親には、辞める際は「空手が嫌いだった」とはっきりとこの口で伝えた。
親は「子どもの頃から何か稽古事をしてほしかった。厳しさと強さを身につけてほしかった」
「そんなに『やりたくなかった』なんて言わないでよ」
「でも初段取れたでしょう?」と今でも嘆いている。
親の言うこともよくわかる。
継続する力や努力する力、些細なことに負けない力は育むべきだという考え方は僕も同意していた。
ただ「嫌だ」と言うことに関しては、それで親が気分を概してでも言う。
何でかと言うと、自分の「『嫌だ』と言える気持ち」に気付けたことが、心底嬉しかったからだ。
それだけ長年抑圧してきたことにも気付けたし、自分に嘘を付かずに正直に生きていけることに喜びを感じたからだし、これを守りたかったからだ。
また、好きなものにどっぷり浸かる経験が、安心して「嫌い」と言える安心感と、そういうことを言う自分を肯定できたのかもしれない。
ほかにも、与えられたものを全うするだけでなく、選べるときに自分で選ぶことの大切さにも気が付けた。
それからは剣道に打ち込むだけでなく、勉強や遊び、そしてただへらへらする時間にすら全心全力で打ち込めた。
そうやって、空手という大嫌いなものと、剣道という大好きなものが
自分に正直になることの大事さを教えてくれた。
・
・
・
本書が売れるのもわかる気がする。
「嫌い」を受け止める場が、どんどんなくなっているからだ。
僕の場合は、好き嫌いの対象がスポーツだった。
けれど多くの悩める人は、好きも嫌いも絡み合い、生殺与奪に関与し合う「人」だ。
僕は、好き嫌いがあることと表明することを分けることは前提にして、
その人の好きな部分は思いっきり好きでいいし、嫌いな部分は思いっきり嫌いでいいし、それを自覚していればいいと考える。
それを認めていけば、相手の「嫌い」も受容できてくるし、
人には「嫌い」も「好き」もあるという現実を正しく、そして静かに受容できると考える。
。
また、私はひとを嫌ってはいけないという誰かから教えられた価値観を自分にも無理やりあてはめていたことが分かった。自分で自分の価値観を選んでいきたいと思う。
読んで良かったです。
具体的には、修飾語の位置が不適切な点や口語なら鉤括弧を使うなどして分かりやすくする工夫がほしい点などです。
小説ではないので、凝った書き方はしなくて良いと思いますが、最低限の推敲ができているともっと多くの人に読んでもらえるでしょう。





