『超幾何関数』や『複素領域における線形微分方程式』などの著者である原岡先生がブルーバックスに解析学の啓蒙書を著された。どんな内容の書なのか興味があり一読してみた。高校卒業程度の微積分の知識があり、大学初年級の微分積分学を学んでいる(或いは、学んだことがある)方々が想定読者であろうか。微分積分学を母胎とする解析学とはどのような学問なのか興味を持つ社会人の方々も勿論そこに含まれる。本書の叙述で印象に残ったこと、共感を覚えたこと、などを述べてみたい。
解析学とは変化そのものを調べる学問であり、時間や空間で変化する自然界の多くの法則は微分方程式で記述され、変数分離法でその方程式の解を求める過程で微分作用素の固有値問題が自ずと立ち現れる、という観点(♯)が鮮明に打ち出されている。解析学の教育は(波動、熱、ラプラス、などの)数理物理の典型的な偏微分方程式とその研究から誕生したフーリエ解析を中心とすべき、という「卓見」ともいえる見解・主張と通底するものを感じるのは評者だけではないだろう。
フーリエによる熱方程式の研究から打ち出された魅力的な視点(「任意の実関数はフーリエ展開できる」)に応えようとしたコーシーという大数学者の業績の素晴らしさを本書で認識できる所がとても良いと思う。「実数とは有理数の完備化である」(即ち、実数とは有理数からなるコーシー列のことである)、「実数の連続性はその完備性からの帰結である」と。数列でも関数列でも、極限が予め分かっている場合は稀である。「コーシー列と言う性質を持てば収束する」と断言するコーシーの洞察力の凄さは、本書で述べられているようにバナッハ空間やヒルベルト空間など完備性を有する空間が解析学において果たす重要な役割を思えば、一層際立つだろう。
積分という演算・操作の重要性を明記しているのも本書の特徴的な所である。例えば、「解析学では、「難しい」微分を「易しい」積分で置き換えて研究するのがスタンダードな手法となっています」(86頁、(*1))と述べられ、積分は関数を滑らかにする働きがあるからと説明されている。また、積分を通して関数を認識するという考え方として、(必ずしも微分可能でない)関数fが表す汎関数f(φ) = ∫f・φのn階微分f^(n)をC∞であるテスト関数φの微分に押し付けてf^(n)(φ) = (-1) ^(n)∫f・φ^(n)とし、無限回微分可能とするシュワルツの超関数が紹介され、さらに極めて強力な収束定理(積分と関数列の極限との順序交換を保証する定理)が使えるルベーグ積分の有用性が解説されているのも本書の良い所だろう。
複素解析では、考察の対象となる基本的な関数は複素微分可能な正則関数であり、正則性はコーシー-リーマン方程式と同等であり、コーシーの積分定理という大定理が核心をなすことが解説されている。ここでもコーシーやリーマン(リーマンの写像定理も解説されている)などの偉大さを認識できる。
最終章「量子力学」では、「シュレディンガー方程式を変数分離して導かれた微分方程式の特異点にこそ有益な情報が集約しているというのがプロの見方です」や「ヒルベルト空間のエルミート作用素Aと波動関数uから内積(Au,u)として得られる実数を対応する物理量とする見方です」などを範例として、上述した(♯)の観点が明確に打ち出されており印象的である。
個人的に本書で最も感銘を受けたのは、解析学における「完備性」(例えば、「バナッハ空間における縮小写像の原理」)と「ルベーグ積分」の重要性・有用性が鮮明に打ち出されていることである。解析学への入門段階、例えば微分積分学の学習段階でも、「出来るだけ早くこれらの概念と手法に親しむことが有益だ」と認識できるテキストを学習されるのが良いと思う。評者が読んだことがある邦書では、笠原晧司『微分積分学』、山﨑圭次郎『現代微積分』などがその代表的な書として薦められる(*2)。
ダンハム『微積分名作ギャラリー』のレビューで「微分積分学は、今日の科学の基盤である解析学の母胎をなし、人類の叡智の結晶である」と述べたことがある者として、解析学の「どの部分にも人々の叡智の結晶が詰まっています」(344頁)という著者の言葉に接し、とても嬉しい気持ちに浸ることができた。
【追記: 2019.3.6、(*2)追記: 2019.3.23】
(*1) 微分を積分で置き換えて研究することの威力は、微分方程式の解法におけるフーリエ変換の活用に端的に現れている。簡単に述べると、関数f(x)のフーリエ変換: g(ξ) = ∫(-∞~∞)exp(-2πiξ・x)f(x)dxにおいて、fの導関数のフーリエ変換は(2πiξ)g(ξ)となり、微分という作用が変数(の多項式)を掛けるという作用に置き換わり、考察が遥かに容易になるわけである。解析学、特に偏微分方程式の理論、において、フーリエ解析(超関数のフーリエ変換を含む)が果たす役割の大きさを知ることはとても重要だと思う。
(*2) 一数学愛好家の見解として、21世紀の今日では、大学初年級の微分積分学においても、リーマン積分だけでなくルベーグ積分を教えるべきだと思う。数学を専攻しない理工系の方々も、この理論を学習してその収束定理の有用性をぜひ認識して頂きたいと思う。ルベーグ積分論の入門書は数多くあるが、測度論から始めるのではなく積分を直接構成する方式のテキストを最初に学ぶほうが良い【大多数の方々の関心は、集合の測度ではなく、関数の積分のほうにあるからである】。その意味で上述した二冊の教科書は、微分積分学の中にルベーグ積分を取り入れるテキストとして非常に優れており強く薦められる【山﨑先生の書は多変数の微積分のテキストとして、理工系の普通の学生の方々には、少し難しいかもしれない】。
ご参考まで: 本書に続いて解析学の諸分野を勉強してみようと思われる方にお薦めしたい「面白い読み物」(副読本やその分野に誘う入門書)をいくつか挙げてみたい。
微分積分学: 笠原晧司『対話・微分積分学』、森毅『現代の古典解析』
偏微分方程式: 井川満『偏微分方程式への誘い』
フーリエ解析: スタイン・シャカルチ『フーリエ解析入門』
複素解析: 笠原乾吉『複素解析』、大沢健夫『現代複素解析への道標』
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