なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2011/7/15
想田 和弘
(著)
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本の長さ256ページ
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言語日本語
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出版社講談社
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発売日2011/7/15
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寸法10.5 x 1.1 x 17.5 cm
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ISBN-104062881136
-
ISBN-13978-4062881135
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
なぜ/どうやって、ナレーションや音楽なしでドキュメンタリーを作るのか?なぜリサーチや打ち合わせなどをしないのか?インディー映画作家の制作費や著作権について。“タブーとされるもの”を撮って考えることは?客観的真実とドキュメンタリーの関係とは?映画『Peace』のメイキングを通して、このような問いへの答えを率直に語る、ドキュメンタリー論の快著。
著者について
想田 和弘
(そうだ かずひろ)
映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業後渡米、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ(SVA)映画学科卒業。そのまま現在までニューヨーク在住。台本や事前のリサーチ、ナレーションや音楽などを使わないドキュメンタリーの方法論・スタイルである「観察映画」を提唱・実践。その第1弾『選挙』(2007年)は世界200ヵ国近くでテレビ放映され、アメリカでは優秀なテレビ番組に与えられるピーボディ賞を受賞。第2弾『精神』(2008年)は釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を獲得するなど、受賞多数。最新作は観察映画番外編『Peace』(2010年)。現在、平田オリザ氏と彼が主宰する劇団・青年団を描く観察映画第3弾『演劇(仮題)』を製作中。著書に『精神病とモザイク――タブーの世界にカメラを向ける』(中央法規出版)がある。
(そうだ かずひろ)
映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業後渡米、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ(SVA)映画学科卒業。そのまま現在までニューヨーク在住。台本や事前のリサーチ、ナレーションや音楽などを使わないドキュメンタリーの方法論・スタイルである「観察映画」を提唱・実践。その第1弾『選挙』(2007年)は世界200ヵ国近くでテレビ放映され、アメリカでは優秀なテレビ番組に与えられるピーボディ賞を受賞。第2弾『精神』(2008年)は釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を獲得するなど、受賞多数。最新作は観察映画番外編『Peace』(2010年)。現在、平田オリザ氏と彼が主宰する劇団・青年団を描く観察映画第3弾『演劇(仮題)』を製作中。著書に『精神病とモザイク――タブーの世界にカメラを向ける』(中央法規出版)がある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
想田/和弘
映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業後渡米、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ(SVA)映画学科卒業。在学中から現在までニューヨーク在住。台本や事前のリサーチ、ナレーションや音楽などを使わないドキュメンタリーの方法論・スタイルである「観察映画」を提唱・実践。その第1弾『選挙』(2007年)は世界200ヵ国近くでテレビ放映され、アメリカでは優秀なテレビ番組に与えられるピーボディ賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業後渡米、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ(SVA)映画学科卒業。在学中から現在までニューヨーク在住。台本や事前のリサーチ、ナレーションや音楽などを使わないドキュメンタリーの方法論・スタイルである「観察映画」を提唱・実践。その第1弾『選挙』(2007年)は世界200ヵ国近くでテレビ放映され、アメリカでは優秀なテレビ番組に与えられるピーボディ賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年9月18日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
想田監督の作品に出会い、こちらにも興味を持ち、読みました。本書から映画へ、という方は少ないかも。しかし、映画から本書へ、の場合、満足できる内容だと思います。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2012年10月23日に日本でレビュー済み
監督の作品である
「選挙」も「精神」も「演劇1・2」も見ました。
「peace」だけ現時点で見てないんですけど。
そもそも三度の飯を一度にしても
ドキュメンタリーが見たいというような人間なので、
それらの作品はとても面白く拝見しました。
「観察映画」。
事前の先入観や台本的なものを排除し、
その場に当たりながら作品を作り上げていく手法です。
どういうものができるのかわからないのに
金などかけられないし、企画も通せない。
あるいは、「客に受ける」と信じられる形で作品を撮りたい。
内部の人間ではないのでよくわかりませんが、
テレビやら映画やらの仕事をする方々が、
そういった欲望にとらわれるであろうことは容易に想像されます。
著者が体験したニューヨークの911のテロの話で、
「涙」、「助け合い」などを撮りに行ったところ、
観光客が噴煙の前で記念写真を撮ってると。
で、「実際はそんなもんだよなあ」と撮って帰ったら、
すべてボツになったと。
まあそうなるのでしょうね。
「大きな流れ」に沿わない話は、
物事の理解の妨げになるから使えない。
でもそうした考え方では失われる豊かさもあるだろうと。
まったくそのとおりだと思います。
だから著者の映画は一つの手法として必要なのです。
ただ、おっしゃることはもっともながら、
観客として著者の映画作品をみていると
「この素材で映画を撮るならもっと面白くなりそうなものなのに」
というような切れの悪い印象を抱くのも事実です。
立ち位置を最後まで明らかにせず、
「状況に巻き込まれた人」みたいな視点で見ているのは
やっぱり「何かがはっきりとわかった」みたいな体験をしづらく、
スカッとした印象を持ちづらいのだと思います。
結局は、古くて新しい問題が立ち上がってくるわけですね。
「自分のポジションをどれだけはっきりさせるか」とか、
「ノンフィクションとフィクションの境界」とか。
森達也さんなんかもよくそういう話をされていますが。
どちらが正解というわけでもないと思うので、
自分としてはとにかくドキュメンタリーが
世の中的に盛り上がって、
たくさん見られるようになってくれればよいのですが。
「選挙」も「精神」も「演劇1・2」も見ました。
「peace」だけ現時点で見てないんですけど。
そもそも三度の飯を一度にしても
ドキュメンタリーが見たいというような人間なので、
それらの作品はとても面白く拝見しました。
「観察映画」。
事前の先入観や台本的なものを排除し、
その場に当たりながら作品を作り上げていく手法です。
どういうものができるのかわからないのに
金などかけられないし、企画も通せない。
あるいは、「客に受ける」と信じられる形で作品を撮りたい。
内部の人間ではないのでよくわかりませんが、
テレビやら映画やらの仕事をする方々が、
そういった欲望にとらわれるであろうことは容易に想像されます。
著者が体験したニューヨークの911のテロの話で、
「涙」、「助け合い」などを撮りに行ったところ、
観光客が噴煙の前で記念写真を撮ってると。
で、「実際はそんなもんだよなあ」と撮って帰ったら、
すべてボツになったと。
まあそうなるのでしょうね。
「大きな流れ」に沿わない話は、
物事の理解の妨げになるから使えない。
でもそうした考え方では失われる豊かさもあるだろうと。
まったくそのとおりだと思います。
だから著者の映画は一つの手法として必要なのです。
ただ、おっしゃることはもっともながら、
観客として著者の映画作品をみていると
「この素材で映画を撮るならもっと面白くなりそうなものなのに」
というような切れの悪い印象を抱くのも事実です。
立ち位置を最後まで明らかにせず、
「状況に巻き込まれた人」みたいな視点で見ているのは
やっぱり「何かがはっきりとわかった」みたいな体験をしづらく、
スカッとした印象を持ちづらいのだと思います。
結局は、古くて新しい問題が立ち上がってくるわけですね。
「自分のポジションをどれだけはっきりさせるか」とか、
「ノンフィクションとフィクションの境界」とか。
森達也さんなんかもよくそういう話をされていますが。
どちらが正解というわけでもないと思うので、
自分としてはとにかくドキュメンタリーが
世の中的に盛り上がって、
たくさん見られるようになってくれればよいのですが。
2011年12月16日に日本でレビュー済み
「僕の考えでは、テーマから入るやり方では、ドキュメンタリー本来の面白さを発揮する
ことは難しい。なぜなら、ドキュメンタリーというのは、生身の被写体がテーマという
机上の枠組みを圧倒し、不可解で奇妙で妖しい魅力を放ち出すときにこそ、最も輝くもの
だからだ。言い換えれば、ドキュメンタリーの命とは、ワケの分からない現実の放つ
複雑怪奇な魅力そのものであり、テーマに合わせてそれを解体しようとした瞬間に、
あっけなく死んでしまう類のものである」。
表題に掲げられる問い立てについて筆者は早々に「明確な答えを未だ知らない」とは
告白しつつも、実際の製作プロセスを回顧する中で、至るところにその答えらしきものは
散らされる、例えば「先を予測できない五里霧中な感じ、あるいは、目的地を知らずに
色々なところへ勝手に連れていかれる圧倒的な無力感」といった具合に。
ただし、本書の魅力は、単に筆者のドキュメンタリー論という範疇をはるかに超えて、
彼自身の生きたことばが凝縮されているところにある。
例えば「セレンディピティserendipity」、すなわち「運よく思ってもみない発見をする」
その体験ひとつにしても、世界が絶えずセカイを凌駕していく無力感とそれゆえにこそ
もたらされる奇妙な幸福感の経験、世界へ束の間接続する経験として、誰しもが味わった
ことがあるだろう興奮を想起させるところにまで鮮やかに紡ぎ出せているように思えるし、
死にゆく人間をカメラという「暴力装置」に収めることをめぐる葛藤から「タブーを冒す
ことは必ず悪なのか」との問いを立てるテリングにしてもやはり、単にドキュメンタリーと
いう文脈に限定される必要を持たない、遍く苦悩として論じられている。
とにかく書き手がクレヴァーで、抽象的な印象論に逃げ込むことなく、論理が明晰に
展開されているために、高濃度に生をめぐるジレンマを描き出すことに成功した名作。
「観察映画は『様々な解釈に開かれた映画』ではあっても、『客観的な真実を描いた映画』
ではない」との言明は、ある面では本書に通じる。
中高生の課題図書などには文句なしに薦められる一冊だし、もちろん大人が読んでも
十二分に堪能できる一冊。メディア・リテラシーを考えるにおいても有効。
ドキュメンタリー云々をはるかに超える奥行きを期せずして孕んでしまった、
講談社現代新書オールタイムベスト級のテキスト。
ことは難しい。なぜなら、ドキュメンタリーというのは、生身の被写体がテーマという
机上の枠組みを圧倒し、不可解で奇妙で妖しい魅力を放ち出すときにこそ、最も輝くもの
だからだ。言い換えれば、ドキュメンタリーの命とは、ワケの分からない現実の放つ
複雑怪奇な魅力そのものであり、テーマに合わせてそれを解体しようとした瞬間に、
あっけなく死んでしまう類のものである」。
表題に掲げられる問い立てについて筆者は早々に「明確な答えを未だ知らない」とは
告白しつつも、実際の製作プロセスを回顧する中で、至るところにその答えらしきものは
散らされる、例えば「先を予測できない五里霧中な感じ、あるいは、目的地を知らずに
色々なところへ勝手に連れていかれる圧倒的な無力感」といった具合に。
ただし、本書の魅力は、単に筆者のドキュメンタリー論という範疇をはるかに超えて、
彼自身の生きたことばが凝縮されているところにある。
例えば「セレンディピティserendipity」、すなわち「運よく思ってもみない発見をする」
その体験ひとつにしても、世界が絶えずセカイを凌駕していく無力感とそれゆえにこそ
もたらされる奇妙な幸福感の経験、世界へ束の間接続する経験として、誰しもが味わった
ことがあるだろう興奮を想起させるところにまで鮮やかに紡ぎ出せているように思えるし、
死にゆく人間をカメラという「暴力装置」に収めることをめぐる葛藤から「タブーを冒す
ことは必ず悪なのか」との問いを立てるテリングにしてもやはり、単にドキュメンタリーと
いう文脈に限定される必要を持たない、遍く苦悩として論じられている。
とにかく書き手がクレヴァーで、抽象的な印象論に逃げ込むことなく、論理が明晰に
展開されているために、高濃度に生をめぐるジレンマを描き出すことに成功した名作。
「観察映画は『様々な解釈に開かれた映画』ではあっても、『客観的な真実を描いた映画』
ではない」との言明は、ある面では本書に通じる。
中高生の課題図書などには文句なしに薦められる一冊だし、もちろん大人が読んでも
十二分に堪能できる一冊。メディア・リテラシーを考えるにおいても有効。
ドキュメンタリー云々をはるかに超える奥行きを期せずして孕んでしまった、
講談社現代新書オールタイムベスト級のテキスト。
2011年7月24日に日本でレビュー済み
商品の内容説明欄が詳細かつ丁寧なので、ここには感想だけ。
基本的には自身の新作映画『Peace』の制作過程をつまびらかに解説する構成をとっているが、
そのなかでフレデリック・ワイズマン、マイケル・ムーア、佐藤真、原一男など
幾人かの著名なドキュメンタリー作家やその作品にたびたび言及するため、
「ドキュメンタリー映画」の概要を知ることのできる入門書としての役割も果たしているように感じた。
しかも、驚くくらいきれいな文章で、かつ平易な表現だけで書かれているので、
ドキュメンタリー映画に詳しくない読者でもスラスラと面白く読めてしまう。
特に普段、映画よりテレビを観る機会のほうが多い、
ドキュメンタリー映画というとなんとなく小難しく退屈なイメージをもっている人にとっては、
その世界がいかに刺激的で豊かな価値観に満ちているかを知る、いいきっかけになる良書だと思う。
ただ、タイトルにわざわざ一人称を用いていることからも明らかなように、
この本で著者が語ろうとしているのはあくまで著者自身の価値観である。
「観察映画」という、どこまでも自意識を排すことを心がけるドキュメンタリーの手法においてですら、
どれだけ作家の主観に満ち溢れているか、それが本書のテーマになっているように感じた。
私の場合はこの本を読んで著者に興味を抱き、すぐに『Peace』を劇場で鑑賞したが
(映画のレビューは書きませんが、傑作でした)、
本書には『Peace』の核となるシーンの撮影背景や台詞が紹介されているため、
おそらく最も理想的なのは、映画→本書→再び映画、という流れだと思います。
とにかく『Peace』の公開が終わらないうちに、すぐにでも劇場に向かうことをお勧めします。
基本的には自身の新作映画『Peace』の制作過程をつまびらかに解説する構成をとっているが、
そのなかでフレデリック・ワイズマン、マイケル・ムーア、佐藤真、原一男など
幾人かの著名なドキュメンタリー作家やその作品にたびたび言及するため、
「ドキュメンタリー映画」の概要を知ることのできる入門書としての役割も果たしているように感じた。
しかも、驚くくらいきれいな文章で、かつ平易な表現だけで書かれているので、
ドキュメンタリー映画に詳しくない読者でもスラスラと面白く読めてしまう。
特に普段、映画よりテレビを観る機会のほうが多い、
ドキュメンタリー映画というとなんとなく小難しく退屈なイメージをもっている人にとっては、
その世界がいかに刺激的で豊かな価値観に満ちているかを知る、いいきっかけになる良書だと思う。
ただ、タイトルにわざわざ一人称を用いていることからも明らかなように、
この本で著者が語ろうとしているのはあくまで著者自身の価値観である。
「観察映画」という、どこまでも自意識を排すことを心がけるドキュメンタリーの手法においてですら、
どれだけ作家の主観に満ち溢れているか、それが本書のテーマになっているように感じた。
私の場合はこの本を読んで著者に興味を抱き、すぐに『Peace』を劇場で鑑賞したが
(映画のレビューは書きませんが、傑作でした)、
本書には『Peace』の核となるシーンの撮影背景や台詞が紹介されているため、
おそらく最も理想的なのは、映画→本書→再び映画、という流れだと思います。
とにかく『Peace』の公開が終わらないうちに、すぐにでも劇場に向かうことをお勧めします。
ベスト1000レビュアー
「精神」や「選挙シリーズ」のドキュメンタリー映画監督の想田和弘が「PEACE」の撮影の裏側交え、ドキュメンタリー映画とは何かを語る。
ナレーションもBGMもない観察映画を手法とする想田監督。テーマを持たず撮影をし、撮り終えてからテーマが見えてくるのだと言う。だからこそ、映画を見る方は多彩な感じ方をすることができるのだと思う。
ドキュメンタリー撮影のカメラを向けることの怖さについても触れられている。その危険性は常にあるが、ドキュメンタリーの必要性は決して揺るがないと思う。
この本を読めば、想田監督の作品に限らずドキュメンタリー映画をもっと楽しむことができるはず。
ナレーションもBGMもない観察映画を手法とする想田監督。テーマを持たず撮影をし、撮り終えてからテーマが見えてくるのだと言う。だからこそ、映画を見る方は多彩な感じ方をすることができるのだと思う。
ドキュメンタリー撮影のカメラを向けることの怖さについても触れられている。その危険性は常にあるが、ドキュメンタリーの必要性は決して揺るがないと思う。
この本を読めば、想田監督の作品に限らずドキュメンタリー映画をもっと楽しむことができるはず。
ベスト100レビュアーVINEメンバー
僕がドキュメンタリーに起きる「偶然」を信頼できるのは...その「自らの限界を打ち破る」という
効用を魅せつけれらているからだと言ってよい。 (P102)
「観察」という行為は、一般に思われているように、決して冷たく冷徹なものではない。...
観察する側の「物事の見方=世界観」の変容を伴うからだ。 (P125)
しかし、最初からテーマを設定しないのならまだしも、実際はあるのに、それを"なかったこと"に
するのは、案外たいへんである。最もやっかいなのは、「作品がどんどんテーマからはずれて
収拾がつかなくなるのではないか」という恐怖感だ。 (P158)
名匠は僕に「ありがとう」と言い、こう続けた。
「私は登場人物の語りを"インタビュー"というよりも、私との"会話"であると考えています」
この言葉は決定的だった。 (P174)
とはいえ、それを(編集で落とした宝物と思えるシーンを)映画に入れようとすると、文脈が乱れたり、
冗長になったり、リズムが悪くなったりと、いろいろ不具合が出てくる。出てきてから、ああ、だから
入れてなかったんだなあ、と妙に納得する。 (P222)
こうして抜き出して見ると...、
カウンセリングの場面で起こること、見立て、逐語検討に通じるところがたくさんでてきます。
目の前にいる人をそのまま受け入れて、その人と自分の「いま、ここ」をたいせつにしているところも、
カウンセリングに通じます。
『精神』以来の想田さんのファンです。
あ〜ぁ、こういうことを考えたり、感じたりしながらこの人は映画を撮っているんだ。
だから、ああいう映画を撮れるんだと、わかりました。
時に意気消沈し、時に憤り、時に喜び、時に感動し、時に覚醒し...
自分の中で起こっていることを連ねていって...って、
想田さん、この本そのものが 「観察映画」の手法 で書かれていませんか?
効用を魅せつけれらているからだと言ってよい。 (P102)
「観察」という行為は、一般に思われているように、決して冷たく冷徹なものではない。...
観察する側の「物事の見方=世界観」の変容を伴うからだ。 (P125)
しかし、最初からテーマを設定しないのならまだしも、実際はあるのに、それを"なかったこと"に
するのは、案外たいへんである。最もやっかいなのは、「作品がどんどんテーマからはずれて
収拾がつかなくなるのではないか」という恐怖感だ。 (P158)
名匠は僕に「ありがとう」と言い、こう続けた。
「私は登場人物の語りを"インタビュー"というよりも、私との"会話"であると考えています」
この言葉は決定的だった。 (P174)
とはいえ、それを(編集で落とした宝物と思えるシーンを)映画に入れようとすると、文脈が乱れたり、
冗長になったり、リズムが悪くなったりと、いろいろ不具合が出てくる。出てきてから、ああ、だから
入れてなかったんだなあ、と妙に納得する。 (P222)
こうして抜き出して見ると...、
カウンセリングの場面で起こること、見立て、逐語検討に通じるところがたくさんでてきます。
目の前にいる人をそのまま受け入れて、その人と自分の「いま、ここ」をたいせつにしているところも、
カウンセリングに通じます。
『精神』以来の想田さんのファンです。
あ〜ぁ、こういうことを考えたり、感じたりしながらこの人は映画を撮っているんだ。
だから、ああいう映画を撮れるんだと、わかりました。
時に意気消沈し、時に憤り、時に喜び、時に感動し、時に覚醒し...
自分の中で起こっていることを連ねていって...って、
想田さん、この本そのものが 「観察映画」の手法 で書かれていませんか?
2011年11月2日に日本でレビュー済み
「観察映画」なるものの存在を、この本で初めて知った。
被写体や題材の事前リサーチはしない、打ち合わせもしない。
台本はないし、ナレーションや説明テロップも原則つかない。
そんな「行き当たりばったり」の手法で筆者はカメラを回し続けている。
それはすなわち「アンチ・テレビ」の方法論だ。
いまのテレビの制作現場にはびこる「台本至上主義」「わかりやすさ至上主義」
への違和感を、筆者は書く。
なるほど言われてみれば過剰なまでのナレーション、テロップ、音楽と、
いまのテレビがどれほど予定調和でつまらないことか。
(もちろん良質な番組もあるけれど)
台本通りに進んだドキュメンタリーほど、陳腐で紋切り型でつまらないものはない。
そう言い切る筆者は本書のなかで、「アンチ・テレビ」の方法論ゆえに運よく思ってもみない
発見をする「セレンディピティ」に何度も出くわした実例を紹介している。
それらはいずれも、刺激と魅力に満ちている。
映像の世界に限らず、表現やものづくりの世界すべてに通ずる哲学に違いない。
被写体や題材の事前リサーチはしない、打ち合わせもしない。
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(もちろん良質な番組もあるけれど)
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そう言い切る筆者は本書のなかで、「アンチ・テレビ」の方法論ゆえに運よく思ってもみない
発見をする「セレンディピティ」に何度も出くわした実例を紹介している。
それらはいずれも、刺激と魅力に満ちている。
映像の世界に限らず、表現やものづくりの世界すべてに通ずる哲学に違いない。