ヨーロッパ及び日米の特許の歴史を紹介し、アメリカ企業の特許戦略と日本企業の特許戦略について解説した本。知的財産権に関する社会制度の違いにも言及してる。
1474年に誕生したベネチアの特許制度。1623年に制定され、約140年後にジョン・ロックの財産権思想と結びついて産業革命を後押しすることになったイギリスの専売条例。アメリカでは植民地時代に英国専売条例に類似のものがあったことが確認されているが、本格的な特許法が合衆国独立後の1790年にジェファーソンを中心にして作成されて施行された。
アメリカの第1期プロパテント時代は、弁護士であり特許法に精通していたリンカーンのプロパテント政策提唱によって始まる。南北戦争終結の1865年以降、特許出願数が激増する。そして、エジソン、ベル、テスラ、フォード、イーストマンらが次々登場し、特許を活用して事業を拡大してゆく。第2期プロパテント時代といわれるのは、1980年代のレーガン大統領時代で、産業競争力委員会が提出したヤングレポートによって知的財産強化策が次々打ち出され、バイオ製品、ソフトウェア、ビジネスモデルも特許の対象となり、ハードからソフトへの転換が図られる。ここから多くの特許戦略が編み出され、この流れは現在に続いている。
日本では、1871年の専売略規則を経て、高橋是清の活躍によって1885年に専売特許条例が制定される。いわゆる不平等条約の解消交渉においては、外国人による特許権取得を認めることが交換条件として利用された。是清は小型特許用として使える日本式の実用新案制度も導入し、これは1980年まで特許出願数を上回るという形で好評を博した。そして、1915年に日本の特許・実用新案出願数は世界3位に躍進する。
1980年代以降、多数の関連特許を束にして活用するPPF(Patent Portfolio)が登場する。これによって特許は企業戦略の重要な位置を占めるようになり、特許をめぐる取引も大型化する。パテント・トロールやパテント・アグリゲーターという特許の買取とその活用で巨額の利益を上げる集団が登場する。日本企業もこれらの標的になっている。防衛型のものもあるが、攻撃型アグリゲータのように訴訟で巨額の利益を追求するものもある。様々な形態の知的財産ビジネスが存在するようになった。そして、1980年以降は多くの日本企業が訴訟に巻き込まれて巨額の賠償金を払うことを余儀なくされた。その一方で、これらは多くの日本企業が国際的な知財対策を進めるきっかけになった。
1995年には日本の特許出願数は世界一だったが、現在は米国だけでなく、急増している中国にも抜かれて3位に転落している。しかし著者は、日本の特許は良質なものが多く含まれており、長年蓄積された量も大きいので、活用の余地が大きいとみている。価格だけでは新興国に勝つのが難しくなった現在、知的財産の活用は日本の産業の浮沈を握っている。その上で、知財司法のあり方を変えること、防御型だけでなく攻撃型の利用も行うこと、官と学と民と士の間での人材交流といった点が課題として挙げられている。また、TPPでも知財分野が課題になっていることや、いくつかの米国企業の成功事例の紹介、オープンとクローズの使い分けといったことも取り上げている。
予想よりいい本だった。とても参考になった。ただ、タイトルの付け方はちょっとおかしいように思う。
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