「(吃音の)経験を分析することは『自分のものでありながら自分のものでない体』をたずさえて生きるという、
誰にとっても切実な問いに向き合うこと」(p.16)
本書は目的の1つにこう掲げるように、吃音という1つの"事例"を通して、「しゃべる」ことの音声学的身体性、
ひいては広く人間が行う動作の意識性・社会性・時間的志向性や、それらに伴うジレンマに迫る。
発現を避けるために編み出した肉体的"工夫"が、相手にとっては不自然に感じられる社会的"症状"ともなりえ、
ときには「ありたい自分」の外へはみ出してしまうことへの自己嫌悪ともなるという吃音当事者の宿命は、
他人を理解するという"慈愛"がいかに複雑で多面的かということを改めて提示する絶好の鏡に思えてくる。
1点、マイナスというわけではないが注意が必要なのは、
当事者のインタビューで登場する8名は、選択バイアスのかかった特別に聡明な方たちであろうということ。
彼女・彼らは自身の吃音を、そして吃音当事者である自分を、的確な比喩を交えながら分析している。
8というサンプル設定の絶妙さもあり、ある程度の意見相反を持ちながら、1人1人の言葉がしっかりと記録されている。
吃音当事者はこの素晴らしく明哲な自己レビュー集から、共感できる要素を見つけることが出来るだろう。
ただ、吃音当事者がみなここまで自己を理論化・言語化しているわけではないだろうし、
一介の市民として吃音と添い遂げるうえではここまで考える必要もない、どころかリスクにさえなるのではないか。
「吃音者ってどんな人たちなの?どんなこと考えてるの?周りにどうして欲しいの?」のような探究心から読む人は、
吃音当事者への"期待"は本書の内容から4割引きくらいで掛けるほうがいいかもしれない。
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