読み終わったあと、これ以上ないくらいの不快感が自分の心に残りました。
じゃあ、何でこんなにこの作品に心をかき乱されるのだろう?と自分なりに考えてみたことを書いてみます。
この作品自体が、読む人それぞれ違う解釈が出来るものだと思うので、的外れな意見でもお許しください。
ここまで不快感を持たされる理由
1、主人公が実は千恵ではなく、ナツであり、それが明確にされていないこと
タイトルに「ちーちゃん」とあるので、ちーちゃんが主役の話なのだろう、と思わせていますが
どう考えてもこの作品の主人公はナツであり、ナツ視点で物語が進んでいきます。
最初、「ちーちゃんはちょっと足りない」というタイトルから、第三者視点のタイトルに思ってしまいます。
例えば、「もぐささんは食欲と闘う」というような。
読者視点であり、いわゆる神様視点と呼ばれるものですね。
でも、作品を読み進めていくと、実はこの作品が”ナツ視点の話”だということが分かります。
作中で千恵のことを「ちーちゃん」と呼ぶのはナツだけですし。
後半はそれが顕著で、ナツのみが登場して、心の中で葛藤する、というシーンが増えます。
前半は和やか日常系のような雰囲気で、セリフ回しが面白いちーちゃんにどうしても注目してしまいますが、
よく見るとやっぱりナツ視点です。
その根拠として、ナツ以外の登場人物は心の声が描かれません。
他の登場人物は全て、言葉や表情、そして漫画的な演出だけで感情があらわされ、心の声が一切描かれていないんです。
それはちーちゃんも同様で、心の声はまったく書かれていません。
ナツの心の声しか描かれないので、”強制的に”ナツに共感、感情移入させられてしまいます。
しかも、そのナツは読者視点から見るとあまりにリアルでネガティブで、正直あまり見たくないキャラなんです。
もしタイトルが、「私の親友がちょっと足りない」だったとしたら最初からナツ視点だと分かるので、
こんなにも気持ち悪い感じがなかっただろうと思います。
前半でちーちゃんに注目させ主人公だと誤解させられて、読者は後半でナツの心の声を無防備なところに浴びせられるからたまったものじゃありません。
2、登場人物が、ナツ以外は嘘も言わない、いい人であること
作中で、嘘をつくのはナツだけです。
ちーちゃんは実は嘘はまったく言っていません。
あえて言わない、というのはしていますが、聞かれたらそのまましゃべってしまいます。
ただ純粋なだけなんですね。
周囲の人たちも、
友達のために泣きながら頭を下げてくれる旭ちゃん。
盗みをしたことを聞いたときは引いていたが、ちーちゃんが罪に気づいたのを確認したら許容してくれる奥島くんと如月さん。
ちーちゃんに悪いことをしたと教え、しかも寛容な対処をしてくれた藤岡さん。
「本当にお前ら中学生かよ!?」と思うくらいいい人たちなんです。
ちょっと”現実離れしてるくらい”いい人達なんです。
このいい人達の中なので、ナツの感情がリアルに浮彫りになってしまいます。
読者は読みながら、どちらかというと、自分はナツみたいな行動をするだろうなぁと思ってしまいますよね。
ナツのする行為は最低、と言われてもしょうがないんですが、そこに(嫌だけど)共感してしまいます。
登場人物に嫌なやつが混ざっていたら、ナツの嫌な部分もそこまで目立たないでしょう。
でも周囲が明るいからこそ暗い部分が目立ってしまうんですね。
この、自分の中の嫌な部分を白日の下に晒されてしまう感じがとてもキツイです。
普通に考えたら、ナツはいい人たちに囲まれていてとても恵まれている環境なのですが、
ナツはそのことに気づけません。
気づいたとしても、周囲の人たちのすばらしさと自分の醜さを比べて、ネガティブな感情を起こしてしまうでしょう。
そしてちーちゃんはナツにどうしても引きずられてしまいます。
3、ちーちゃんはナツが大事なのに、ナツはちーちゃんをそこまで大事に思っていない
そんなことないだろ!と思うかもしれませんが、私はこう感じました。
というのも、二人のお互いへの認識にズレがあると思うのです。
・ちーちゃん→ナツ
とても大事なかけがえのない友達。
自分をいつも気にかけてくれるとてもいい人
いつかちゃんと恩返しをしたいと思っている
・ナツ→ちーちゃん
色々なものが足りていない自分には、ちーちゃんしか友達になってくれない
ちーちゃんがいないと1人ぼっちになるから大事
と、こんな感じのズレを感じてしまうのです。
ナツからしてみれば、ちーちゃんは”消去法で”大事なだけで、代わりが見つかれば
大事にしなくなるように思えるのです。
もしナツに彼氏ができたら・・・多分ちーちゃんを敬遠すると思います。
もし彼氏が、
「あの子、ヘンじゃない?」
と言っただけで、ちーちゃんとの付き合いを減らしていくナツの姿が容易に想像できます。
このズレがある以上、いい展開にはならなそう、と感じてしまいますよね。
これも不快感の原因となっていると思います。
4、ナツが自分の心の醜さにちゃんと気づいてしまっていて、これからの成長のきっかけが得られなそうなこと
ナツは自分の心の醜さを理解してしまっています。
そして、その醜さを言語化できてしまっています。
自分の醜さに気づいてしまっているので、ここから良い展開になる兆しが見えないんです。
気づいていなければ、気づくことでナツが成長し、改善する未来が見えるのですが。
ちーちゃんが藤岡さんと仲良くするのを拒むところでも、自分の醜さを理解しながらなんですね。
ちーちゃんの人間関係の広がりを、ナツが邪魔する、という形が見えます。
この辺りがすごく閉塞感を感じてしまいます。
ナツはちーちゃんが新しい友達と親しくなるのを拒むでしょう。
そこに幸せな展開が起こりえないことを読者なら分かってしまいます。
どうしても、ちーちゃんの足を引っ張るナツ、という構図になってしまいます。
ここが、”ナツがいなければこの物語はハッピーエンドなのに!”と思わせてしまうところなのでしょう。
5、ちーちゃんとナツの決定的な違い
ちーちゃんとナツの違いで、決定的なところが2つあります。
まず1つめは、自分の欲求を満たすために行動するかどうかです。
ちーちゃんは行動を起こして、少しづつでも成長している。
それに反しナツは、行動を起こさない。ゆえに成長もしない。
ちーちゃんもナツも、「お金がないから欲しいものが手に入らない」という悩みを共通して持っています。
ちーちゃんの場合は、自分の行動で(窃盗という完全に誤った行動ではあるが)なんとか事態を改善しようとしています。
でもナツはお母さんに頼みこむ、くらいしか行動を起こしません。(これはちーちゃんもお姉ちゃんにやっている)
ちーちゃんはどんどん行動を起こし間違いながらも成長できるのに対して、ナツはずっとこのままでしょう。
成長の見込みがない以上、物語的にはバッドエンドのにおいしかしませんよね。
そして違いの2つ目。
それは、ちーちゃんは”自分の好きなもの”を把握し、人から何と言われても気にしない。
ナツは、”人からどう見られるか”ばかり考えて、自分の好きなものを把握していない、というところです。
ナツは他人の持っているものを羨み、自分の幸せを、他人との比較で決めてしまっています。
それに対しちーちゃんは、自分の好きなものが手に入ったら嬉しい、自分の周りの人が喜んでくれたら嬉しい、という考え方です。
どう考えてもナツの考え方だと幸せにはなれないんですね。
そして、ナツとちーちゃんの違いである、”自分の好きなものを把握している”という点で象徴的なシーンがあります。
それは、ナツ、ちーちゃんそれぞれの部屋の描写です。
ナツの部屋はとにかく物が多くて雑然としています。
何か新しいものを見つけて飛びついて、それにすぐ飽きてしまって部屋に放置する・・・というのを繰り返しているんですね。
それに対してちーちゃんの部屋はとてもスッキリとしています。(お姉ちゃんがしっかり片付けているのかもしれませんが)
ちーちゃんは、さるぼぼ?人形をすごく大事にしている描写もあり、本当に自分の好きなものを大切にするのでしょう。
行動して成長できて幸せの基準を持っている子が、行動せず成長せず幸せの基準を持っていない子に依存され邪魔される、というこの状態では100%バッドエンドになってしまうでしょう。
どうやってもナツがいる限りこの物語は幸せな物語になれないように思えてしまいます。
それなのに、そのナツに感情移入させられるのだから読んでいてキツイのでしょうね。
”ナツがいなければハッピーエンドなのにその立場に読者が置かれる”というのが一番気持ち悪くさせられる理由かもしれませんね。
以上、この作品に乱された気持ちを整理するために、いろいろ書いてみました!
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