映画に関しては並の映画評論家、アニメ評論家を超えたと思えるほどの調査を行っている点は立派。旧ソ連等諸外国のプロパガンダを分析喝破していのは痛快だが、「『楽しいプロパガンダ』はこれからが本番」と本書の終わりで述べている。既に時遅く戦後の我が国の次の戦争へ向けたプロパガンダは露骨に前世紀から進行しているのではないか。
それは何に起因しているのかと言えば1953年10月の池田(与党政調会長)、ロバートソン(米国務次官補)会談「教育と広報により日本に自発的な愛国心と自衛のための自発的な精神が成長する」である。
此処で言われる「教育」と「広報」はアメリカの目下の同盟者として日本を再び戦争をする国に引き戻すためのプロパガンダである。この点の認識が本書では完璧に欠落している。
戦後のアニメに関してして言えば、以降、「0戦はやと」~「機動戦士ガンダム」~「超時空要塞マクロス」~「風立ちぬ」と好戦的タカ派アニメが既に数十年間にわたり、作り続けられてきたのである。
著者は「風立ちぬ」を例に挙げて宮崎監督を「右傾化」」云々では無いと主張している様に見えるが、この監督の初期のテレビアニメ「未来少年コナン」さえ、結果として最終戦争を容認、肯定し、核兵器と原子力を免罪する内容であり、結果として助かってはいるが、恋人同士のダイスとモンスリーがダイスの死を覚悟しての悲しい別れをし、「天空の城ラピュタ」では此方でも結果としては助かっているが、幼い男女二人に自爆を決意させている。これは若者や子供達への自己犠牲の精神(=神風特攻の精神)の刷り込みで無くて何だろう。
著者すら自衛隊のプロパガンダを「リクルートやイメージアップが目的ならそれほど目くじらを立てる必要が無い」云々と書いている。こうした動きに粘り強く抵抗している高校生の父母や教員の運動が存在するのだ。
この人もまんまと戦争をしたい人々のプロパガンダに丸め込まれているのではないのか?
著者の言う「構造を利用している」云々と言うなら「戦争は女の顔をしていない」(原作)の弱点を利用して戦争の被害者の赤裸々な証言すらいとも簡単に好戦的な洗脳に利用しようとしている人々の存在を私は感じている。
更に深い研究を望む。
参考文献:山田和夫著「偽りの映像 戦争を描く眼」(1984年)、古書で入手可能、映画とアニメに特化した内容だが、近未来の戦争に協力する現代の映画への態度が毅然としている。
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