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ただ坐る~生きる自信が湧く 一日15分座禅~ (光文社新書) Kindle版
多くの悩みやストレスを抱える現代人は、常に思考を巡らせていて“頭でっかち”。正解を追い求めることをやめ、坐禅という「考えない時間」をつくることで、一日の内容は確実に違い、そして人生そのものも変わる。日本とは異なる文化圏出身の禅僧だからこそ見える仏教の意義を改めて確認し、今日から坐禅の旅へいざ出発!
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2012/8/17
- ファイルサイズ2731 KB
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
多くの悩みやストレスを抱える現代人は、常に思考を巡らせていて“頭でっかち”になっています。正解を追い求めることをやめ、坐禅という「考えない時間」をつくることで、一日の内容は確実に違い、そして人生そのものも変わってきます。異なる文化圏出身の禅僧だからこそ見える、仏教の真の意義を改めて確認し、今日から坐禅の旅へいざ出発。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ネルケ無方
1968年ドイツ・ベルリン生まれ。16歳で出会った坐禅に衝撃を受け、逆境に陥りながらもひたすら仏教の道を進む。’93年、兵庫県の日本海側の山中にある安泰寺で出家。京都や福井の禅寺での修行や、大阪城公園ではホームレスをしながら一般人向けに“辻説法”を行うなど苦行の日々を送る。2002年、師匠の突然の訃報を受け、急遽、安泰寺住職になり現在に至る。安泰寺は檀家を持たず、自給自足の生活を行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
1968年ドイツ・ベルリン生まれ。16歳で出会った坐禅に衝撃を受け、逆境に陥りながらもひたすら仏教の道を進む。’93年、兵庫県の日本海側の山中にある安泰寺で出家。京都や福井の禅寺での修行や、大阪城公園ではホームレスをしながら一般人向けに“辻説法”を行うなど苦行の日々を送る。2002年、師匠の突然の訃報を受け、急遽、安泰寺住職になり現在に至る。安泰寺は檀家を持たず、自給自足の生活を行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B009KZ45Z2
- 出版社 : 光文社 (2012/8/17)
- 発売日 : 2012/8/17
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2731 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 282ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 135,365位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 585位宗教入門 (Kindleストア)
- - 978位光文社新書
- - 1,034位宗教入門 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1968年3月1日、旧西ドイツ・ベルリン生まれ。7才の時、母と死別してから人生に悩む。16才で坐禅と出合う。高校時代から禅僧になる夢を抱いて、坐禅道場に通い続ける。1990年、春は京都大学の留学生として来日、秋から兵庫県の但馬地方にある曹洞宗・安泰寺に上山。半年間の禅修行。大学のドクターコースを中退、1993年から安泰寺で出家得度。8年間の雲水生活を経て嗣法。2001年から大阪城公園で「ホームレス雲水」として毎朝の坐禅会を開く。2002年に師匠の訃報を聞き安泰寺に戻り、檀家ゼロ、自給自足の寺の堂頭(住職)となる。国内外からの参禅者・雲水の指導にあたって坐禅三昧の生活を送っている。
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カスタマーレビュー
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ベスト1000レビュアー
Amazonで購入
もう少し、簡単な方法かと思いましたが、説かれているのは、当然ながら仏教でした。禅宗です。ただ座って瞑想するのかと思いましたが、もっと高い山でした。覚悟が必要です。どこまでも、本物だと思います。著者の禅宗にかける意気込みが感じられ、「これは本腰を入れて取り組まねば。」と思える著作だと言えます。よって、「ただ座る」と言えど、それには、禅問答の様に、深い意味があります。安易な気持ちでは、一刀両断されますよ。巷にあふれる、「禅入門」とは一線を画すと思いますし、著者もそう言っておられます。入門書としては、少し高度すぎるかも知れませんが、それには、以上の理由があります。禅宗を正しく知りたいという人にはいいかも知れません。私も、本書を正しく理解しているかは、怪しいですが、座るという事を中心に、仏教それも禅宗について、ガイダンスの様に、禅問答の様に、書いてあるので、そうかと思いました。とにかく、所謂スピリチュア的な、安易な、瞑想の勧めではないですが、無用の用の様に、座ることで、大事な事がやはり得られるというのが、本書の言わんとしていることではないかと思います。その為には、座る事に意味を求める事が邪魔?ってことかも知れません。何せ、大事な人生の時間が、何も得られないでは、拙いですし。結局、何かを得る事が出来ると思います。大事なのは、その何かではないでしょうか。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2020年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
座禅してもなにもならない それでも続ける
ただ生きることが重要
なるほど 普段どれだけ「意味」を求めてるか?に気づきました
何するにも意味を求め、意味を感じないと反発して疲弊する
小さい頃 大半のことは意味もなくやっていた ただ心の赴くまま
しかし それが一番 損得無しで、心から満足していたように思う
いつから、何するにも 意味を求めだしたのか? 周りに合わすことが正しいと思うようになったのか
ずいぶん頭だけ膨らんでしまったなという感想が湧いてくる
「何にもならなくても ただやる」
そういう何か、を生活の中に少しずつ増やしていきたいなと感じました
まずは 意味を求めすぎている瞬間に気づいていくことですかね
ただ生きることが重要
なるほど 普段どれだけ「意味」を求めてるか?に気づきました
何するにも意味を求め、意味を感じないと反発して疲弊する
小さい頃 大半のことは意味もなくやっていた ただ心の赴くまま
しかし それが一番 損得無しで、心から満足していたように思う
いつから、何するにも 意味を求めだしたのか? 周りに合わすことが正しいと思うようになったのか
ずいぶん頭だけ膨らんでしまったなという感想が湧いてくる
「何にもならなくても ただやる」
そういう何か、を生活の中に少しずつ増やしていきたいなと感じました
まずは 意味を求めすぎている瞬間に気づいていくことですかね
2021年6月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は、座禅に関する様々な決まり事(例えば足を組むときにどちらの足を上にするべきかとか)を「理にかなっているのか?」という視点で検証することが多く、読み物としてはそういう検証は個人的にはとても面白かったのだけれど、一方で、「理にかなっているのか?」という疑問さえ停止することが本来求められているのではないかと(座禅もやったことのない私が意見するのは大変恐縮だけど)という気もしないでもない。
「自己」「自分」が持つ判断基準をすべて停止することが理想なのか、自分なりに仏教の教えを理解しようと努力必要があるのか、どうなのだろうか?
その辺の疑問に対して著者は常に葛藤を抱いているのだろうし、外国で生まれ育った仏教の修行者がこんな感じで迷っていますという意味では興味深かったけれど、さて、仏教の本質とは何ぞやという疑問に対しては「とにかく坐ってみなければ分からない」という当然の答えしか書いていなかったので、まあ、物足りないと言えば物足りなかった。
でも、その答えを書物に求めても無理ってものだというのは、分かっている。(書評自体も迷走してますねww
「自己」「自分」が持つ判断基準をすべて停止することが理想なのか、自分なりに仏教の教えを理解しようと努力必要があるのか、どうなのだろうか?
その辺の疑問に対して著者は常に葛藤を抱いているのだろうし、外国で生まれ育った仏教の修行者がこんな感じで迷っていますという意味では興味深かったけれど、さて、仏教の本質とは何ぞやという疑問に対しては「とにかく坐ってみなければ分からない」という当然の答えしか書いていなかったので、まあ、物足りないと言えば物足りなかった。
でも、その答えを書物に求めても無理ってものだというのは、分かっている。(書評自体も迷走してますねww
2020年5月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ネルケ老師は坐禅を実践することについて、ゲームの世界(俗世)から一旦離れること、と説かれています。損得勘定の現実を離れ、自己を放つ時間を一日15分持つことは、意義のあることです。ただ俗世を生きることと、俗世が仮想の世界であることを認識した上でそこに生きていくことは、大きな差があります。また、本書には、坐禅の思想だけでなく、その所作についても、詳細に書かれています。
本書に「謂はゆる大心とは、其の心を大山にし、其の心を大海にし、偏することなく党することなきの心なり。…四運を一景に競い、銖両を一目に見る」という道元禅師の言葉がありましたが、「天の父は、その日を悪しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり」というキリスト教の言葉が思い浮かびました。老師はキリスト教への造詣が深く、本書でも時折キリスト教に言及されており、上の言葉が浮かびました。
本書は、坐禅を通じ、人生について深く示唆を与えてくれる好著です
本書に「謂はゆる大心とは、其の心を大山にし、其の心を大海にし、偏することなく党することなきの心なり。…四運を一景に競い、銖両を一目に見る」という道元禅師の言葉がありましたが、「天の父は、その日を悪しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり」というキリスト教の言葉が思い浮かびました。老師はキリスト教への造詣が深く、本書でも時折キリスト教に言及されており、上の言葉が浮かびました。
本書は、坐禅を通じ、人生について深く示唆を与えてくれる好著です