論証や根拠がしっかりしていて、納得できる。なぜこの説が採用されないのか不思議。
また、学者だからと言って、正確な判断ができるわけでなく、嫉妬や偏見がある学者がたくさんいるのだというところがわかりました。日本の日本語起源研究の学者の偏狭性がよくわかった。
大野晋曰く「この説が受け入れらるのは100年かかる」と言われたが、あと10年以内に、大野晋の説が認められることを祈る。
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ささがねの蜘蛛―意味不明の枕詞・神話を解いてわかる古代人の思考法 (古事記・日本書紀・万葉集と古代タミル語の饗宴) 単行本 – 2008/12/1
日本語学者、大野晋博士の日本語クレオールタミル語説は多くの比較言語学から批判を受けてきた。この批判は、大野博士が、日本語の源がクレオール語としてのタミル語であって、比較言語学の、所謂系統論から論じることは不当との説を出してからも、なお系統論の立場から大野説を抹殺しようとする動きがやまない。
本書はこれら比較言語学者の批判とその反論をも載せると同時に、古事記、日本書紀、万葉集の未詳語、あるいは意味不明の神話・説話をタミル語で解釈すると、いかに合理的な解釈ができるかをオールカラー488頁、カラー写真20数葉を用いて、わかりやすく解説したものである。
- 本の長さ487ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2008/12/1
- ISBN-104344016076
- ISBN-13978-4344016071
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「ささがね」という蜘蛛に掛かる枕詞がある。この枕詞は語義不詳とされ、時代が降るにしたがって、蜘蛛の異称と考えられるようになった。しかし、タミル語でこれを解釈すると、実に適切な意味があぶり出される。本書は古典に残るこれらの未詳語を中心に、タミル語でこれを解釈すると、いかに合理的に理解できるかを指摘したものである。
著者について
1945年、東京生まれ。國學院大學卒業。「オックスフォード・ドラヴィダ語語源辞典」監修、「口語タミル語入門」(いずれもきこ書房刊)などの翻訳多数。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
田中/孝顕
1945年國學院大学卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1945年國學院大学卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 幻冬舎 (2008/12/1)
- 発売日 : 2008/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 487ページ
- ISBN-10 : 4344016076
- ISBN-13 : 978-4344016071
- Amazon 売れ筋ランキング: - 582,103位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 13,558位日本史一般の本
- カスタマーレビュー:
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論証や根拠がしっかりしていて、納得できる。なぜこの説が採用されないのか不思議。また、学者だからと言って、正確な判断ができるわけでなく、嫉妬や偏見がある学者がたくさんいるのだというところがわかりました。日本の日本語起源研究の学者の偏狭性がよくわかった。大野晋曰く「この説が受け入れらるのは100年かかる」と言われたが、あと10年以内に、大野晋の説が認められることを祈る。
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2019年8月19日に日本でレビュー済み
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論証や根拠がしっかりしていて、納得できる。なぜこの説が採用されないのか不思議。
また、学者だからと言って、正確な判断ができるわけでなく、嫉妬や偏見がある学者がたくさんいるのだというところがわかりました。日本の日本語起源研究の学者の偏狭性がよくわかった。
大野晋曰く「この説が受け入れらるのは100年かかる」と言われたが、あと10年以内に、大野晋の説が認められることを祈る。
また、学者だからと言って、正確な判断ができるわけでなく、嫉妬や偏見がある学者がたくさんいるのだというところがわかりました。日本の日本語起源研究の学者の偏狭性がよくわかった。
大野晋曰く「この説が受け入れらるのは100年かかる」と言われたが、あと10年以内に、大野晋の説が認められることを祈る。
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故大野先生の「(クレオール)タミル語=日本語起源」説を実証するために、著者が前作「日本語の真実」に続いて、記紀・万葉集での検証結果を纏めた労作。全編カラー・ページと言う力の入れ様である。図示方式と相まって、読み易さに貢献している。
私は昔から大野説のファンなのだが、本書は以下の点で意義があると思う。
(a) 比較言語学において系統論万能を実質的に否定している。
(b) 著者の言う「相関的関係妥当性(神話等で意味不明な語彙をタミル語で解釈して"文脈的"に辻褄が合えば対応すると判断する手法)」で、タミル語起源説を強力に推進している。これは、従来の「タミル語と日本語の類似は単語レベルで偶々だろう」と言う批判への強烈な反証である。豊富な事例と綿密な考証で読む者のイメージを膨らませる。
例えば、古事記中の大和武の歌のへ御火焚の翁の返歌
「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」
の解釈は、数詞と意味不明な枕詞とを中心とした歌だけではなく、大和武の立場、国情をタミル語で見事に解明して清新である。その他、有名な「箸で陰を突く」の逸話、宗像三女神とオリオン座の関係、飛鳥と言う綴りの謎等、枚挙に暇がない。特に五章の「見事な技巧を駆使した歌」の論考は秀逸で唸らされる。
(c) 大野先生の作成した「対照表」を用いずに検証した(事後の確認には用いた由)。つまり、複数視点で解釈しても、タミル語起源説が有力である事を示した。
(d) 上記の結果、古代語中の不明瞭部分を平明化し、記紀・万葉集等の古代文献及び我々の古代観に新たな光を与えた。
「記紀・万葉集とタミル語の饗宴」と言う副題が相応しい知的好奇心に満ちた学究本。
私は昔から大野説のファンなのだが、本書は以下の点で意義があると思う。
(a) 比較言語学において系統論万能を実質的に否定している。
(b) 著者の言う「相関的関係妥当性(神話等で意味不明な語彙をタミル語で解釈して"文脈的"に辻褄が合えば対応すると判断する手法)」で、タミル語起源説を強力に推進している。これは、従来の「タミル語と日本語の類似は単語レベルで偶々だろう」と言う批判への強烈な反証である。豊富な事例と綿密な考証で読む者のイメージを膨らませる。
例えば、古事記中の大和武の歌のへ御火焚の翁の返歌
「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」
の解釈は、数詞と意味不明な枕詞とを中心とした歌だけではなく、大和武の立場、国情をタミル語で見事に解明して清新である。その他、有名な「箸で陰を突く」の逸話、宗像三女神とオリオン座の関係、飛鳥と言う綴りの謎等、枚挙に暇がない。特に五章の「見事な技巧を駆使した歌」の論考は秀逸で唸らされる。
(c) 大野先生の作成した「対照表」を用いずに検証した(事後の確認には用いた由)。つまり、複数視点で解釈しても、タミル語起源説が有力である事を示した。
(d) 上記の結果、古代語中の不明瞭部分を平明化し、記紀・万葉集等の古代文献及び我々の古代観に新たな光を与えた。
「記紀・万葉集とタミル語の饗宴」と言う副題が相応しい知的好奇心に満ちた学究本。
2009年2月3日に日本でレビュー済み
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クレオールタミル語説を日本語ヘブライ語説と同列に見るヘブライ信奉者の方がいらっしゃるようですが、これはユダヤ人のヨセフ・アイデルバーグが書いた通俗本の説で、「ヘブライ語と類似した日本語が3000語超えて存在している」というシロモノ。ところが、これがなぜトンデモ本かというと、彼はその3000語を提示出来ないのです。つまり、「適当に想像でそう書いた」だけのもの。したがって、これを日本語クレオールタミル語説と一緒にしては拙いでしょうね。
日本語クレオールタミル語説を比較言語学者は誰一人として認めていませんが、これは当初、提唱者の大野晋が、系統論で論じたため。系統論となると、これは厳密な音韻対応が必要ですが、大野の音韻対応は、例えばタミル語/p/に対して、日本語/f/および/w/が対応するといったような、インド・ヨーロッパ語族での比較言語学では、こういうのは到底認められない。だから比較言語学者は大野の説をろくに読むことなく、大反対したわけ。しかし、その後大野は日本語はクレオールタミル語だと気づいたわけです。つまり、系統論ではなかった。タミル語と日本語との関係は、あくまでもタミル語のカタコト言葉から始まったわけで、だからタミル語にある性も日本語にはない。しかし同じ膠着語であるばかりか、係り結びまである。母音や子音のタミル語内部での交替も多いので、日本語と対応させると、どうしても複合対応になってしまう。でもそれはタミル語が本来持つ性質です。しかもどういう音がタミル語内部で交替するかは、予めわかっている。こういう事実から、さらにこれを日本の古典の意味不明語に適応したらどうなるか、ということを研究したのがこの「ささがねの蜘蛛」なのだと思います。内容は実に論理的で、そこここにある凡百の語源説とは明らかに違うと思います。しかも、大変おもしろい。ゆえに★5つ。
日本語クレオールタミル語説を比較言語学者は誰一人として認めていませんが、これは当初、提唱者の大野晋が、系統論で論じたため。系統論となると、これは厳密な音韻対応が必要ですが、大野の音韻対応は、例えばタミル語/p/に対して、日本語/f/および/w/が対応するといったような、インド・ヨーロッパ語族での比較言語学では、こういうのは到底認められない。だから比較言語学者は大野の説をろくに読むことなく、大反対したわけ。しかし、その後大野は日本語はクレオールタミル語だと気づいたわけです。つまり、系統論ではなかった。タミル語と日本語との関係は、あくまでもタミル語のカタコト言葉から始まったわけで、だからタミル語にある性も日本語にはない。しかし同じ膠着語であるばかりか、係り結びまである。母音や子音のタミル語内部での交替も多いので、日本語と対応させると、どうしても複合対応になってしまう。でもそれはタミル語が本来持つ性質です。しかもどういう音がタミル語内部で交替するかは、予めわかっている。こういう事実から、さらにこれを日本の古典の意味不明語に適応したらどうなるか、ということを研究したのがこの「ささがねの蜘蛛」なのだと思います。内容は実に論理的で、そこここにある凡百の語源説とは明らかに違うと思います。しかも、大変おもしろい。ゆえに★5つ。
2009年2月15日に日本でレビュー済み
枕詞や神の名などが明らかにされていくのは、
学生時代に学んだよくわからない解説よりも
よほど納得がいきました。
しかし、なぜにこの語源説がいまだに受け入れられないのか、
不思議でなりません。
日本語の語源としてはいろいろな言語があるでしょう。
その中の一つとしてタミル語は十分に考えられると思うし、
本書のような丁寧な研究書を読めば、
それは明らかではないでしょうか。
著者は、日本語研究者として権威者ではありません。
だからこそ、非常に自由な立場で、真実を探求することができるのでしょう。
今後は、著者のような派閥などとは無関係の外野の研究者が
いろいろな分野で活躍していくのではないかと思います。
学生時代に学んだよくわからない解説よりも
よほど納得がいきました。
しかし、なぜにこの語源説がいまだに受け入れられないのか、
不思議でなりません。
日本語の語源としてはいろいろな言語があるでしょう。
その中の一つとしてタミル語は十分に考えられると思うし、
本書のような丁寧な研究書を読めば、
それは明らかではないでしょうか。
著者は、日本語研究者として権威者ではありません。
だからこそ、非常に自由な立場で、真実を探求することができるのでしょう。
今後は、著者のような派閥などとは無関係の外野の研究者が
いろいろな分野で活躍していくのではないかと思います。
2009年1月21日に日本でレビュー済み
ちょうど今日、読売新聞の広告にも載っていましたね。
出版社の本書にかける意気込みがひしひしと伝わってきます。
さて、私は本書を年末年始にかけて読みました。
そもそも日本の神話に関心があったわけではありませんが、年末年始になると少なからず神事を意識すること(代表的なところでは初詣など)があるな〜という軽い気持ちから本書を手にとったのがきっかけでした。
内容はとにかく新しい発見と驚きの連続でした!
こういう研究分野があったことも初めて知りましたし、こういう分野で古くから議論が行われていたこと、そしてそれに一石を投じようとする著者の主張やその正当性を紹介しながら、私たちの生活様式の変遷が「言葉」を主軸に古代史からわかりやすく紹介される点など、さながら壮大な歴史アドベンチャー小説を読んでいるようでした。
軸がぶれず、一環した主張をする著者の論理的な語り口や、詳細な図解や写真などをふんだんに使った解説など、まったくこの分野に無関心だった私の好奇心を刺激し、正月休みのすべてを、関連書籍の読破に没頭させるほどの力があったことは間違いありません。
まずは読んでみることをおすすめします。
出版社の本書にかける意気込みがひしひしと伝わってきます。
さて、私は本書を年末年始にかけて読みました。
そもそも日本の神話に関心があったわけではありませんが、年末年始になると少なからず神事を意識すること(代表的なところでは初詣など)があるな〜という軽い気持ちから本書を手にとったのがきっかけでした。
内容はとにかく新しい発見と驚きの連続でした!
こういう研究分野があったことも初めて知りましたし、こういう分野で古くから議論が行われていたこと、そしてそれに一石を投じようとする著者の主張やその正当性を紹介しながら、私たちの生活様式の変遷が「言葉」を主軸に古代史からわかりやすく紹介される点など、さながら壮大な歴史アドベンチャー小説を読んでいるようでした。
軸がぶれず、一環した主張をする著者の論理的な語り口や、詳細な図解や写真などをふんだんに使った解説など、まったくこの分野に無関心だった私の好奇心を刺激し、正月休みのすべてを、関連書籍の読破に没頭させるほどの力があったことは間違いありません。
まずは読んでみることをおすすめします。
2014年5月19日に日本でレビュー済み
この本結構、評価がわかれるところがあるんですよね。私こと、四海千は、2009年3月に購入しているんです。で、真っ先にみたペイジが蜘蛛の枕詞「ささがね」p271~
のところなんです。第一印象としては、好印象じゃあない。さりとて悪印象でもない。中立ですよね。この箇所読んだ印象が、記述が粗いです。学術論文として読もうとすると、狐につままれたような~となってしまう。村山七郎の書いた著作(例えば、『国語学の限界ー日本語学におけるー』(昭和50.12 弘文堂)では、IKJ 岩波古語辞典、JK 時代別国語大辞典 上代編、等略号と記号を使って先行研究を紹介している。非常にオオソドックス感が出てくる。いい悪いじゃあないんです。そこで、JKでは、ささがね(名)笹。【考】では、枕詞であるべき必然性はなく、とまでいっているわです。だから、JKに反論しようとしているわけですから、もう少し強力に主張しなければならないんです。さらりと、済ませる箇所じゃあないんですよ。 文章全体ににムラがある。
でも、面白いことは面白い。他人に勧められるか、どうか?という点なら、お勧めなんです。それから、著者に注文、やっぱり全編横書きにしてもらいたい、ですよね。5年の沈黙を破って、というほどのレビューではありませが。
のところなんです。第一印象としては、好印象じゃあない。さりとて悪印象でもない。中立ですよね。この箇所読んだ印象が、記述が粗いです。学術論文として読もうとすると、狐につままれたような~となってしまう。村山七郎の書いた著作(例えば、『国語学の限界ー日本語学におけるー』(昭和50.12 弘文堂)では、IKJ 岩波古語辞典、JK 時代別国語大辞典 上代編、等略号と記号を使って先行研究を紹介している。非常にオオソドックス感が出てくる。いい悪いじゃあないんです。そこで、JKでは、ささがね(名)笹。【考】では、枕詞であるべき必然性はなく、とまでいっているわです。だから、JKに反論しようとしているわけですから、もう少し強力に主張しなければならないんです。さらりと、済ませる箇所じゃあないんですよ。 文章全体ににムラがある。
でも、面白いことは面白い。他人に勧められるか、どうか?という点なら、お勧めなんです。それから、著者に注文、やっぱり全編横書きにしてもらいたい、ですよね。5年の沈黙を破って、というほどのレビューではありませが。
2009年1月23日に日本でレビュー済み
本書を読んで感心させられたのは、枕詞で「新月」や「満月」に掛かる「うばたま」がタミル語の「新月・満月」を意味する「ウバタム」から来ていることが、写真入りで詳しく説明されている事だ。
まさに目から鱗といったところ。
より興味深いのは、万葉集にある「我妹子がヌカに生ひたる双六のコトヒの牛の鞍の上の傘」と、その返歌であるツブレシの吉野の山にヒヲぞ下がれる」のタミル語による見事な解釈だ。
普通、たとえば朝鮮語で万葉集がわかる、と言ったたぐいのトンデモ本では、朝鮮語で解釈すると、歌としては成り立たないおかしな意味となってしまううえに、そもそもこれまでの万葉集学者の解釈もみな奇妙なもので、「オデコに出来たサイコロの頑強な牛の鞍の上に傘が立っていることよ」などと解釈している。一体これら解釈者は、ご自分の解釈の意味がわかっているのかと言いたくなるものが多い。
ところがこのタミル語による解釈では、実に合理的で納得のいく意味となり、素朴な卑猥さを含み、それゆえ詠い手が褒美として聞き手全員から金を貰ったという謎も解ける。
普通、おかしな歌を作ってみろという提唱者が褒美を与えるものだが、こういう卑猥な歌は聞き手全員が楽しめるのだから、全員が褒美を出すのは合理的なこと…などといった著者の意見に思わず膝を打つ。
それにしても「ツブレシ」と対応するタミル語を、著者はよく探し出したものだと思う。
タミル語では「ピンク色の布」という意味となっており、たしかに歌とぴったり辻褄が合う。
こういった、意味不明の歌や神話を、日本語クレオールタミル語説の提唱者である大野晋博士の音韻対応法則を拡張させた法則(たとえば、両唇音のp・v・mは、タミル語内部で既に相互に交替しているため、日本語でもそれらは、f・w・b・mのいずれとも対応するという法則)でもって、次々に解いていくのだが、一部、試論もあるが、専門家の解釈よりも秀逸な内容に驚かされた。
なお一章を設けて、大野説を葬り去った比較言語学者に対する批判が実名入りで、かなり強くなされている。これらの批判は正しいように思われる。
なぜなら、大野説は、当初は系統論で論じられていたので比較言語学的視点から批判されてもやむを得ない部分もあったが、その後、大野博士は一歩進めてクレオール語説を採った。ところが、本書を読んでわかったことだが、言語学者というのは、改説してもなお、あくまでも自分のシマである比較言語学から批判しようとするのだそうだ。
これはフェアではない。
さらにフェアでがないのは、ある著名な学者は、以前田中さんが同じ出版社から出した本に対し、出版の中止を執拗に求めてきたとある。
同じ幻冬舎の本でそう書いてあるのだから事実なのだろう。
なにやら怖ろしい話である。
著者はしかし、これらの学者の批判を述べた後、あとがきで「これ(批判)は賢しらなことかもしれない」と述べる。そのあとが面白い。
サカシラとはタミル語で「猿まね」という意味だという解説がついていて、万葉集/大友旅人の「あなみにく サカシラをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば猿にかも似る」の歌を引用する。
なんと洒脱な人かと思った。
本書を万人にお勧めする。
まさに目から鱗といったところ。
より興味深いのは、万葉集にある「我妹子がヌカに生ひたる双六のコトヒの牛の鞍の上の傘」と、その返歌であるツブレシの吉野の山にヒヲぞ下がれる」のタミル語による見事な解釈だ。
普通、たとえば朝鮮語で万葉集がわかる、と言ったたぐいのトンデモ本では、朝鮮語で解釈すると、歌としては成り立たないおかしな意味となってしまううえに、そもそもこれまでの万葉集学者の解釈もみな奇妙なもので、「オデコに出来たサイコロの頑強な牛の鞍の上に傘が立っていることよ」などと解釈している。一体これら解釈者は、ご自分の解釈の意味がわかっているのかと言いたくなるものが多い。
ところがこのタミル語による解釈では、実に合理的で納得のいく意味となり、素朴な卑猥さを含み、それゆえ詠い手が褒美として聞き手全員から金を貰ったという謎も解ける。
普通、おかしな歌を作ってみろという提唱者が褒美を与えるものだが、こういう卑猥な歌は聞き手全員が楽しめるのだから、全員が褒美を出すのは合理的なこと…などといった著者の意見に思わず膝を打つ。
それにしても「ツブレシ」と対応するタミル語を、著者はよく探し出したものだと思う。
タミル語では「ピンク色の布」という意味となっており、たしかに歌とぴったり辻褄が合う。
こういった、意味不明の歌や神話を、日本語クレオールタミル語説の提唱者である大野晋博士の音韻対応法則を拡張させた法則(たとえば、両唇音のp・v・mは、タミル語内部で既に相互に交替しているため、日本語でもそれらは、f・w・b・mのいずれとも対応するという法則)でもって、次々に解いていくのだが、一部、試論もあるが、専門家の解釈よりも秀逸な内容に驚かされた。
なお一章を設けて、大野説を葬り去った比較言語学者に対する批判が実名入りで、かなり強くなされている。これらの批判は正しいように思われる。
なぜなら、大野説は、当初は系統論で論じられていたので比較言語学的視点から批判されてもやむを得ない部分もあったが、その後、大野博士は一歩進めてクレオール語説を採った。ところが、本書を読んでわかったことだが、言語学者というのは、改説してもなお、あくまでも自分のシマである比較言語学から批判しようとするのだそうだ。
これはフェアではない。
さらにフェアでがないのは、ある著名な学者は、以前田中さんが同じ出版社から出した本に対し、出版の中止を執拗に求めてきたとある。
同じ幻冬舎の本でそう書いてあるのだから事実なのだろう。
なにやら怖ろしい話である。
著者はしかし、これらの学者の批判を述べた後、あとがきで「これ(批判)は賢しらなことかもしれない」と述べる。そのあとが面白い。
サカシラとはタミル語で「猿まね」という意味だという解説がついていて、万葉集/大友旅人の「あなみにく サカシラをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば猿にかも似る」の歌を引用する。
なんと洒脱な人かと思った。
本書を万人にお勧めする。