”この世をば・・・”から始まる詩はとても有名な詩であり、道長が当時の政界を席巻した故に詠んだ、傲岸不遜な人物という印象を拭えない。
が、この小説が与える道長の印象は、平凡児そのもの、当時自分より上位の役職にあった上役が流行病により次々に他界し、残ったのは道長と伊周(道長の長兄の子、後に自滅)のみであった。姉の栓子の後押しを背景に、(上役が一掃されるという)転がってきた幸運により、政界トップに上り詰める。
”この世をば・・・”が詠まれたのは、道長の娘、威子が入内した折に催された立后式の際、感極まった道長により詠まれたものである。これまでのトップとは異なり、その物腰は柔らかで、この詩が詠まれた際もはにかむように恥ずかしながら詠まれ、口うるさい実資(小右記の著者)でさえも、そこに道長の傲慢さを感じ取っていなかった。むしろ、実資は詩の見事さに心を打たれ、その昔李白が友人の詩の立派さに返歌が出来なかった故事を引用して、返歌をすることを固辞し、さあおのおのがた、みんなで一緒にこの詩を口ずさみましょう、といって、合唱を始める始末。。。
小説の最後に締めくくられているように、もし道長が現代の人々の彼に対する印象を知れば、”何たること、何たること”、と平凡児らしい口癖をつぶやかずにはいられないであろう。
長兄の色男、道隆とは異なり、道長は生涯2人の妻、現実世界にはほとんど感心のない”風の精”、明子と現実派、倫子しか持たなかった。しかも、一方が懐妊すればもう一方が懐妊する。道長は2人の妻を公平に扱っている、律義者よ、という世評を受けていた。
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