丁々発止の問答もあり、興味を惹かれる本でした。
矢作先生の別の本をさらに読み続けました。
こっちの世界、あっちの世界 (元東大病院医師と元裁判官が語る「生」と「死」) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2016/4/22
矢作 直樹
(著)
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本の長さ224ページ
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言語日本語
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出版社マキノ出版
-
発売日2016/4/22
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ISBN-104837672345
-
ISBN-13978-4837672340
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
神様がつくった安全装置とは?魂、肉体、神、医療、日本…異能の2人が論じ尽くした!異色対談。
著者について
矢作直樹(やはぎ・なおき)
1956年、神奈川県生まれ。
81年、金沢大学医学部卒業。
82年、富山医科薬科大学助手。
83年、国立循環器病センターレジデント。
同センター外科系集中治療科医師、医長をへて、
99年、東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻教授兼工学部精密機械工学科教授。
2001年より東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部附属病院救急部・集中治療部部長。
16年3月、同大学を任期満了退官。
主な著書に『人は死なない』(バジリコ)、『天皇』(扶桑社)、
『人は死なない。では、どうする?』『ありのままで生きる』(ともに共著、マキノ出版)など多数。
稲葉耶季(いなば・やすえ)
1942年、東京都生まれ。
67年、東京大学経済学部経済学科卒業。
69年、同大学同学部経営学部を卒業し、東京都庁に就職。
77年、司法研修所をへて静岡地方裁判所判事補となり、
以後、名古屋、群馬などに勤務。
93年、那覇地方裁判所判事。
97年、横浜地方裁判所判事。
同年、インド北部に「ヒマラヤ稲葉学校」を設立。
99年、琉球大学法文学部教授。2006年、那覇簡易裁判所判事。
09年、名護簡易裁判所判事。12年、定年退官。
13年11月、臨済宗の僧侶となる。14年1月、弁護士登録。
同年9月、インド・ラジギールで修行。
15年1月よりインド・ナグプール仏教大学設立アドバイザーとして活動中。
著書に『食べない、死なない、争わない』(マキノ出版)。
1956年、神奈川県生まれ。
81年、金沢大学医学部卒業。
82年、富山医科薬科大学助手。
83年、国立循環器病センターレジデント。
同センター外科系集中治療科医師、医長をへて、
99年、東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻教授兼工学部精密機械工学科教授。
2001年より東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部附属病院救急部・集中治療部部長。
16年3月、同大学を任期満了退官。
主な著書に『人は死なない』(バジリコ)、『天皇』(扶桑社)、
『人は死なない。では、どうする?』『ありのままで生きる』(ともに共著、マキノ出版)など多数。
稲葉耶季(いなば・やすえ)
1942年、東京都生まれ。
67年、東京大学経済学部経済学科卒業。
69年、同大学同学部経営学部を卒業し、東京都庁に就職。
77年、司法研修所をへて静岡地方裁判所判事補となり、
以後、名古屋、群馬などに勤務。
93年、那覇地方裁判所判事。
97年、横浜地方裁判所判事。
同年、インド北部に「ヒマラヤ稲葉学校」を設立。
99年、琉球大学法文学部教授。2006年、那覇簡易裁判所判事。
09年、名護簡易裁判所判事。12年、定年退官。
13年11月、臨済宗の僧侶となる。14年1月、弁護士登録。
同年9月、インド・ラジギールで修行。
15年1月よりインド・ナグプール仏教大学設立アドバイザーとして活動中。
著書に『食べない、死なない、争わない』(マキノ出版)。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
矢作/直樹
1956年、神奈川県生まれ。81年、金沢大学医学部卒業。82年、富山医科薬科大学助手。83年、国立循環器病センターレジデント。同センター外科系集中治療科医師、医長をへて、99年、東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻教授兼工学部精密機械工学科教授。2001年より東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部附属病院救急部・集中治療部部長。16年3月、同大学を任期満了退官
稲葉/耶季
1942年、東京都生まれ。67年、東京大学経済学部経済学科卒業。69年、同大学同学部経営学部を卒業し、東京都庁に就職。77年、司法研修所をへて静岡地方裁判所判事補となり、以後、名古屋、群馬などに勤務。93年、那覇地方裁判所判事。97年、横浜地方裁判所判事。同年、インド北部に「ヒマラヤ稲葉学校」を設立。99年、琉球大学法文学部教授。2006年、那覇簡易裁判所判事。09年、名護簡易裁判所判事。12年、定年退官。13年11月、臨済宗の僧侶となる。14年1月、弁護士登録。15年1月よりインド・ナグプール仏教大学設立アドバイザーとして活動中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1956年、神奈川県生まれ。81年、金沢大学医学部卒業。82年、富山医科薬科大学助手。83年、国立循環器病センターレジデント。同センター外科系集中治療科医師、医長をへて、99年、東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻教授兼工学部精密機械工学科教授。2001年より東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部附属病院救急部・集中治療部部長。16年3月、同大学を任期満了退官
稲葉/耶季
1942年、東京都生まれ。67年、東京大学経済学部経済学科卒業。69年、同大学同学部経営学部を卒業し、東京都庁に就職。77年、司法研修所をへて静岡地方裁判所判事補となり、以後、名古屋、群馬などに勤務。93年、那覇地方裁判所判事。97年、横浜地方裁判所判事。同年、インド北部に「ヒマラヤ稲葉学校」を設立。99年、琉球大学法文学部教授。2006年、那覇簡易裁判所判事。09年、名護簡易裁判所判事。12年、定年退官。13年11月、臨済宗の僧侶となる。14年1月、弁護士登録。15年1月よりインド・ナグプール仏教大学設立アドバイザーとして活動中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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元東大病院医師の矢作氏と、元裁判所判事、臨済宗僧侶の稲葉氏との異色対談本です。
対談本にしては、かなり読み応えがあり、珍しく読み返してみた次第です。
お二方に共通している認識は、人の“本質”は魂であり、魂は生き通しであるということではないでしょうか。
こうした認識があるか否かは、医療や教育に対する向き合い方や職業への取り組み方は勿論、自らの生き方、そして、逝き方に多大な影響を与えてくる筈です。
個人的には、矢作氏が、「人の気持ちがわからない」ということを以前より周囲から指摘されてきたということ、ごく最近になって、そのことを自覚し始めた、と言われてあったことが印象的でした。
それは、決して傲慢とかいう意味ではなく、単純に、自分にとっての当たり前が必ずしも他人にとってはそうでないということがよく理解できなかったということのようです。
そして、人の気持ちをちゃんと汲み取れるようになることこそが、今生の自分にとっての課題なのではないか、と彼が言ってあったことが、心に残りました。
私なりに最近感じていること、それは、一人一人が主人公のドラマを各々で懸命に演じているということであり、そのテーマは、人それぞれである、ということに他なりません。
一つとして無駄なことはなく、あらゆることが経験となり、深く感じることに通じては、“本質”にとっての豊かな滋養になるということです。
また、その一人一人の“本質”も、〈全ては一つ〉、大海に通じているということです。
その各人のテーマだって、ハタからすれば、如何に些細なこと、或いは、如何に理不尽なことに思えようとも、生まれてくる前に、本人が決めてきた、本人にとっては極めて大切なことなのかもしれない、ということなのです。
おそらく、今回こそは乗り越えようと決意して、設定してきた試練だってあることでしょう。
或いは、その試練を経ることで、こういう境涯に是非ともなりたい、たっぷり味わいたい、と願って、私たちはこの世に生まれてきたのかもしれません。
要は、正解は何なのか?と問われたならば、その人自身が選択したことのみが正解である、ということになるのです。
ゆえに、病を得た際にも、最終的にはその方が如何に処するかを決めるべきでしょうし、どういう治療法を選ぼうと、或いは、無治療を選ぼうとも、本人が選択した道ならば何ら誤りはないということになるのかもしれません。
更に、自分と見た目が異なる人は勿論ですが、誰もが、大海の一滴なのですから、自分と異なる考え、思想、宗教の人たちも認めようではないか、ということを改めて感じました。
最近は、どうも異なる考えの人を全否定したり、排斥する傾向が強くなっている感じを抱いています。
このことに関連して、お二方は、インディゴチルドレン、クリスタルチルドレンの次に現れた「レインボーチルドレン」と呼ばれる子供たちのことにも触れてありました。
「レインボーチルドレン」とは、地球に生まれてくるのが初めてであり、私たち人間にある神性を見事に具現化して生まれてきた存在ということで、日本にも多く見られるそうです。
「レインボーチルドレン」は、地球の波動が大きく変わろうとしている、まさにこの時期を選んで、惜しみなく与えるためだけに地球へやって来た存在だと言われています。
彼らは物質欲に乏しく、意識が広く、すでに、悟りを開いている存在、即ち、霊的に最高の状態に達している存在なのだそうです。
いわゆるアスペルガー症候群やADHD(注意欠陥・多動性障がい)などの発達障がいと呼ばれている子供たちの中に多く見られるという話です。
問題なのは、そうした枠にはまらない彼らに対して、異常=病気というレッテルを貼り付け、とことん追い詰めたり、無理やり薬物を投与して「治療」を施そうとするのが、現在の世の傾向と言えるのではないでしょうか。
「みんなちがって、みんないい。」
彼らは、宇宙の常識を伝え、私たちの世界をより良い方向へと変えていくために、私たちの地球に生まれてきてくれた存在ですから、できる限りその個性を守りつつ、生まれながらに持ち得たその能力を自由自在に発揮させて伸ばしていくべき“宝”に等しいと言えるのではないでしょうか。
また、私たちも、素直な気持ちで彼らに学ぶべきではないでしょうか。
私たちの誰もが、まだ、進化の途中にあります。
しかし、私たちが今現在、どこにいたとしても、そこは、必ず通った道であり、必ず行き着くステージであり、最終的に辿り着く場所、大海は、生きとし生けるものに共通している筈なのです。
そう、こっちの世界も、あっちの世界も、“本質”が生き通しである私たちの大切な舞台なのです。
あなたは私であり、私はあなたであり、私は全てである、そのことをただ感じるためだけに、私たちは“今ここ”を生きている、そう言えるのかもしれません。
対談本にしては、かなり読み応えがあり、珍しく読み返してみた次第です。
お二方に共通している認識は、人の“本質”は魂であり、魂は生き通しであるということではないでしょうか。
こうした認識があるか否かは、医療や教育に対する向き合い方や職業への取り組み方は勿論、自らの生き方、そして、逝き方に多大な影響を与えてくる筈です。
個人的には、矢作氏が、「人の気持ちがわからない」ということを以前より周囲から指摘されてきたということ、ごく最近になって、そのことを自覚し始めた、と言われてあったことが印象的でした。
それは、決して傲慢とかいう意味ではなく、単純に、自分にとっての当たり前が必ずしも他人にとってはそうでないということがよく理解できなかったということのようです。
そして、人の気持ちをちゃんと汲み取れるようになることこそが、今生の自分にとっての課題なのではないか、と彼が言ってあったことが、心に残りました。
私なりに最近感じていること、それは、一人一人が主人公のドラマを各々で懸命に演じているということであり、そのテーマは、人それぞれである、ということに他なりません。
一つとして無駄なことはなく、あらゆることが経験となり、深く感じることに通じては、“本質”にとっての豊かな滋養になるということです。
また、その一人一人の“本質”も、〈全ては一つ〉、大海に通じているということです。
その各人のテーマだって、ハタからすれば、如何に些細なこと、或いは、如何に理不尽なことに思えようとも、生まれてくる前に、本人が決めてきた、本人にとっては極めて大切なことなのかもしれない、ということなのです。
おそらく、今回こそは乗り越えようと決意して、設定してきた試練だってあることでしょう。
或いは、その試練を経ることで、こういう境涯に是非ともなりたい、たっぷり味わいたい、と願って、私たちはこの世に生まれてきたのかもしれません。
要は、正解は何なのか?と問われたならば、その人自身が選択したことのみが正解である、ということになるのです。
ゆえに、病を得た際にも、最終的にはその方が如何に処するかを決めるべきでしょうし、どういう治療法を選ぼうと、或いは、無治療を選ぼうとも、本人が選択した道ならば何ら誤りはないということになるのかもしれません。
更に、自分と見た目が異なる人は勿論ですが、誰もが、大海の一滴なのですから、自分と異なる考え、思想、宗教の人たちも認めようではないか、ということを改めて感じました。
最近は、どうも異なる考えの人を全否定したり、排斥する傾向が強くなっている感じを抱いています。
このことに関連して、お二方は、インディゴチルドレン、クリスタルチルドレンの次に現れた「レインボーチルドレン」と呼ばれる子供たちのことにも触れてありました。
「レインボーチルドレン」とは、地球に生まれてくるのが初めてであり、私たち人間にある神性を見事に具現化して生まれてきた存在ということで、日本にも多く見られるそうです。
「レインボーチルドレン」は、地球の波動が大きく変わろうとしている、まさにこの時期を選んで、惜しみなく与えるためだけに地球へやって来た存在だと言われています。
彼らは物質欲に乏しく、意識が広く、すでに、悟りを開いている存在、即ち、霊的に最高の状態に達している存在なのだそうです。
いわゆるアスペルガー症候群やADHD(注意欠陥・多動性障がい)などの発達障がいと呼ばれている子供たちの中に多く見られるという話です。
問題なのは、そうした枠にはまらない彼らに対して、異常=病気というレッテルを貼り付け、とことん追い詰めたり、無理やり薬物を投与して「治療」を施そうとするのが、現在の世の傾向と言えるのではないでしょうか。
「みんなちがって、みんないい。」
彼らは、宇宙の常識を伝え、私たちの世界をより良い方向へと変えていくために、私たちの地球に生まれてきてくれた存在ですから、できる限りその個性を守りつつ、生まれながらに持ち得たその能力を自由自在に発揮させて伸ばしていくべき“宝”に等しいと言えるのではないでしょうか。
また、私たちも、素直な気持ちで彼らに学ぶべきではないでしょうか。
私たちの誰もが、まだ、進化の途中にあります。
しかし、私たちが今現在、どこにいたとしても、そこは、必ず通った道であり、必ず行き着くステージであり、最終的に辿り着く場所、大海は、生きとし生けるものに共通している筈なのです。
そう、こっちの世界も、あっちの世界も、“本質”が生き通しである私たちの大切な舞台なのです。
あなたは私であり、私はあなたであり、私は全てである、そのことをただ感じるためだけに、私たちは“今ここ”を生きている、そう言えるのかもしれません。
ベスト500レビュアーVINEメンバー
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星はニュートラルという意味で、この本は私が評価どうの、というのは出来ない本です。
お二人共、愛をもって人類に滅私奉公されるご立派な方々です。それだけで、本来無制限の星です。
稲葉先生が(97ページ)語られるように、人の人生は坂を上るようなもので、坂の下にいる人は自分に意識が向き、上の方にいる人は神や他者に向く。お二人はその坂の上の方におられる方々。神に向かい、神に近くなり、だから他者に尽くせるのですね。少なくとも稲葉先生はご自身をそうとらえておられ(下にいる人を馬鹿にしない、とも書かれておられる)、矢作先生はご謙遜なさり(「そんなに高くない」と)、この話に居心地が悪いのか、収束しようと話をかえられた。ここも面白かった。
矢作先生の対談は現在6作上梓されていますが、当然ですが、お相手によりかなり変わる。この方にして、あるがままではいられないのだな、と面白く拝見しました。稲葉先生との対談が一番、緊張されているのか、年齢の関係か、緊張感が伝わります。そのため「すべて語らせられてしまった」とありますが、そうかな?と逆にこの点、疑問です。予言師の方を事あるごとに頼られたり、前世の恋人(美しい衆議院議員)に会ってぼっ、とされるご様子の記述のある、矢作先生のソウルメイト保江邦夫著「予定調和から連鎖調和へ」に書かれている先生とは雰囲気ががらりと違います。そちらの本から受ける先生はまるで少年です。はしゃぐピュアな少年。こちらの本は年上の尊敬できるお姉さまを前に襟を正した青年。
お二人とも、手かざしで食べ物を浄化したり、スプーン曲げを簡単だとおっしゃったり、書籍の帯に「異能の二人」と書かれていますが、なるほど。神様に近くなられたのですね。すばらしいな。今後、矢作先生は子供を導く仕事を模索されているようですが、どうぞ、普通でいることも忘れないで下さい。そして、確かに子どもは宝ですが、坂の下にいる一般庶民の生ごみ化が進まないように、坂を上る手伝いをして頂ければと切に願います。坂の下にかつていたからその気持ちもわかると書かれていた稲葉先生には尚更お願いしたいです。確かに矢作先生はかなり坂の途中からスタートされた人生だと思います。稲葉先生も素晴らしいご両親の存在あってののこと。そう考えると同様で、恵まれていらっしゃるな、と思います。
お二人共、愛をもって人類に滅私奉公されるご立派な方々です。それだけで、本来無制限の星です。
稲葉先生が(97ページ)語られるように、人の人生は坂を上るようなもので、坂の下にいる人は自分に意識が向き、上の方にいる人は神や他者に向く。お二人はその坂の上の方におられる方々。神に向かい、神に近くなり、だから他者に尽くせるのですね。少なくとも稲葉先生はご自身をそうとらえておられ(下にいる人を馬鹿にしない、とも書かれておられる)、矢作先生はご謙遜なさり(「そんなに高くない」と)、この話に居心地が悪いのか、収束しようと話をかえられた。ここも面白かった。
矢作先生の対談は現在6作上梓されていますが、当然ですが、お相手によりかなり変わる。この方にして、あるがままではいられないのだな、と面白く拝見しました。稲葉先生との対談が一番、緊張されているのか、年齢の関係か、緊張感が伝わります。そのため「すべて語らせられてしまった」とありますが、そうかな?と逆にこの点、疑問です。予言師の方を事あるごとに頼られたり、前世の恋人(美しい衆議院議員)に会ってぼっ、とされるご様子の記述のある、矢作先生のソウルメイト保江邦夫著「予定調和から連鎖調和へ」に書かれている先生とは雰囲気ががらりと違います。そちらの本から受ける先生はまるで少年です。はしゃぐピュアな少年。こちらの本は年上の尊敬できるお姉さまを前に襟を正した青年。
お二人とも、手かざしで食べ物を浄化したり、スプーン曲げを簡単だとおっしゃったり、書籍の帯に「異能の二人」と書かれていますが、なるほど。神様に近くなられたのですね。すばらしいな。今後、矢作先生は子供を導く仕事を模索されているようですが、どうぞ、普通でいることも忘れないで下さい。そして、確かに子どもは宝ですが、坂の下にいる一般庶民の生ごみ化が進まないように、坂を上る手伝いをして頂ければと切に願います。坂の下にかつていたからその気持ちもわかると書かれていた稲葉先生には尚更お願いしたいです。確かに矢作先生はかなり坂の途中からスタートされた人生だと思います。稲葉先生も素晴らしいご両親の存在あってののこと。そう考えると同様で、恵まれていらっしゃるな、と思います。
2016年6月26日に日本でレビュー済み
先に書かれてた3つのレビューが、どれも☆5で良い内容だったので、ネタバレにならない程度に、あえてちょっとネガティヴなことを書きます。
まず、全体で一番気になったところ。私の偏見なのかも知れませんが、稲葉先生がホメオパス的な?偏った前提で、矢作先生を現代医療(ガン治療)の代表者として追い詰め、サンドバッグ化していきます。
矢作先生もそれを簡単に否定したり、逃げたり、やり返したりしないで、じわじわとプロレスのように受けて、最後には、亡くなられた弟さんのことを話して、理解を示し、今後の終末医療のあり方について、現実的な提言と今後の自分のあり方を語ることにより、この対話のプロレスを実に上手にまとめ上げます。
おそらく、矢作先生の著作としては、これまで、ここまで噛み付かれた対談は出版されていないと思います。この展開が、とてもスリリングで面白かったです。
では、噛み付いた側の稲葉先生がおかしな人かと言えば全くそうではなく、おそらくこれまでに、直接、たくさんの人たちから聞いた、現代医療についての鬱憤を、ある意味で弱者の代表として、医師としては話の分かる矢作先生に、切々と訴えていたのだと思いました。実直で飾らないその言葉に、とても誠実な印象を受け、その人柄に好感を持てました。
あと、矢作先生が「友人から、あなたは人の気持ちが分からない、と言われる」ということを書かれていたのですが、対談中に出ている、「だいたい国家試験に通るだけなら、ほどほど勉強すれば間に合うんですから(P46)」などから伺える、「松岡修造感」がそれを言わせているのだと思いました。
「自分が出来たんだから誰でも出来る!」的に、他者の可能性を信じることが出来る明るさが、そもそもの浄化の力の前提であるとも感じました。
まとめとして、読み手によってはいろいろな読み方が出来る本書ですが、ある程度、世に名前の知れた人たちの、リアルな対談のスリルと楽しさも合わせて、本書の魅力と言えると思います。
現代医療に対して、ある種の憎しみを持つ方が読んだら、いろいろ複雑な葛藤の末に、少し気持ちが楽になると思います。
かなり一面的なレビューになりましたが、正直な印象を書かせていただきました。
今後のお二人の活躍が気になります。ありがとうございました。
まず、全体で一番気になったところ。私の偏見なのかも知れませんが、稲葉先生がホメオパス的な?偏った前提で、矢作先生を現代医療(ガン治療)の代表者として追い詰め、サンドバッグ化していきます。
矢作先生もそれを簡単に否定したり、逃げたり、やり返したりしないで、じわじわとプロレスのように受けて、最後には、亡くなられた弟さんのことを話して、理解を示し、今後の終末医療のあり方について、現実的な提言と今後の自分のあり方を語ることにより、この対話のプロレスを実に上手にまとめ上げます。
おそらく、矢作先生の著作としては、これまで、ここまで噛み付かれた対談は出版されていないと思います。この展開が、とてもスリリングで面白かったです。
では、噛み付いた側の稲葉先生がおかしな人かと言えば全くそうではなく、おそらくこれまでに、直接、たくさんの人たちから聞いた、現代医療についての鬱憤を、ある意味で弱者の代表として、医師としては話の分かる矢作先生に、切々と訴えていたのだと思いました。実直で飾らないその言葉に、とても誠実な印象を受け、その人柄に好感を持てました。
あと、矢作先生が「友人から、あなたは人の気持ちが分からない、と言われる」ということを書かれていたのですが、対談中に出ている、「だいたい国家試験に通るだけなら、ほどほど勉強すれば間に合うんですから(P46)」などから伺える、「松岡修造感」がそれを言わせているのだと思いました。
「自分が出来たんだから誰でも出来る!」的に、他者の可能性を信じることが出来る明るさが、そもそもの浄化の力の前提であるとも感じました。
まとめとして、読み手によってはいろいろな読み方が出来る本書ですが、ある程度、世に名前の知れた人たちの、リアルな対談のスリルと楽しさも合わせて、本書の魅力と言えると思います。
現代医療に対して、ある種の憎しみを持つ方が読んだら、いろいろ複雑な葛藤の末に、少し気持ちが楽になると思います。
かなり一面的なレビューになりましたが、正直な印象を書かせていただきました。
今後のお二人の活躍が気になります。ありがとうございました。
2016年5月30日に日本でレビュー済み
されていて、定年退官された。
沖縄に異動を申し出された理由を読み、魂が震えました。
沖縄の地は、先の大戦でたいへんな犠牲となった地。
その地に残る魂を光に返したいとの想いもあって
異動を希望され、沖縄に転勤後、慰霊の日々を送られたと。
又、共著者の矢作直樹先生は、
以前、ホテルオークラで開催された
「ダライ・ラマと科学者との対話」にて登壇されて
いたので、お話を伺ったことがありますが
元東大病院の救急部・集中治療部部長を
されていた方であり、
生死の現場の最前線にいらしただけに
目に見える肉体を超えた世界についての
見解は説得力があります。
どう生きるかということが、
あっちの世界とこっちの世界を
恐れではなく光でつなぐ鍵なのかもしれません。
なお、断食であったり菜食であったり、
人間はそういうステージには「自然に」移行
されるとのこと、なので「自然にしていればいい」
というメッセージは、とてもすばらしいと思いました。
こっちの世界とあっちの世界。自分と他人。
人生という旅を通じて自他との境目を越えるほど
利他的に生きることができたら、
こっちの世界とあっちの世界も境目を感じなく
なるのかもしれません。
この本は、すべての世代に読んでいただきたい
力強い書です。何より、このご本との出会いを
くださった友人に深く感謝申し上げます。
著者の稲葉耶季先生は、沖縄で地方裁判所判事を
されていて、定年退官された。
沖縄に異動を申し出された理由を読み、魂が震えました。
沖縄の地は、先の大戦でたいへんな犠牲となった地。
その地に残る魂を光に返したいとの想いもあって
異動を希望され、沖縄に転勤後、慰霊の日々を送られたと。
又、共著者の矢作直樹先生は、
以前、ホテルオークラで開催された
「ダライ・ラマと科学者との対話」にて登壇されて
いたので、お話を伺ったことがありますが
元東大病院の救急部・集中治療部部長を
されていた方であり、
生死の現場の最前線にいらしただけに
目に見える肉体を超えた世界についての
見解は説得力があります。
どう生きるかということが、
あっちの世界とこっちの世界を
恐れではなく光でつなぐ鍵なのかもしれません。
なお、断食であったり菜食であったり、
人間はそういうステージには「自然に」移行
されるとのこと、なので「自然にしていればいい」
というメッセージは、とてもすばらしいと思いました。
こっちの世界とあっちの世界。自分と他人。
人生という旅を通じて自他との境目を越えるほど
利他的に生きることができたら、
こっちの世界とあっちの世界も境目を感じなく
なるのかもしれません。
この本は、すべての世代に読んでいただきたい
力強い書です。何より、このご本との出会いを
くださった友人に深く感謝申し上げます。
されていて、定年退官された。
沖縄に異動を申し出された理由を読み、魂が震えました。
沖縄の地は、先の大戦でたいへんな犠牲となった地。
その地に残る魂を光に返したいとの想いもあって
異動を希望され、沖縄に転勤後、慰霊の日々を送られたと。
又、共著者の矢作直樹先生は、
以前、ホテルオークラで開催された
「ダライ・ラマと科学者との対話」にて登壇されて
いたので、お話を伺ったことがありますが
元東大病院の救急部・集中治療部部長を
されていた方であり、
生死の現場の最前線にいらしただけに
目に見える肉体を超えた世界についての
見解は説得力があります。
どう生きるかということが、
あっちの世界とこっちの世界を
恐れではなく光でつなぐ鍵なのかもしれません。
なお、断食であったり菜食であったり、
人間はそういうステージには「自然に」移行
されるとのこと、なので「自然にしていればいい」
というメッセージは、とてもすばらしいと思いました。
こっちの世界とあっちの世界。自分と他人。
人生という旅を通じて自他との境目を越えるほど
利他的に生きることができたら、
こっちの世界とあっちの世界も境目を感じなく
なるのかもしれません。
この本は、すべての世代に読んでいただきたい
力強い書です。何より、このご本との出会いを
くださった友人に深く感謝申し上げます。

5つ星のうち5.0
魂に響く珠玉の書
ユーザー名: dearangel、日付: 2016年5月30日
著者の稲葉耶季先生は、沖縄で地方裁判所判事をユーザー名: dearangel、日付: 2016年5月30日
されていて、定年退官された。
沖縄に異動を申し出された理由を読み、魂が震えました。
沖縄の地は、先の大戦でたいへんな犠牲となった地。
その地に残る魂を光に返したいとの想いもあって
異動を希望され、沖縄に転勤後、慰霊の日々を送られたと。
又、共著者の矢作直樹先生は、
以前、ホテルオークラで開催された
「ダライ・ラマと科学者との対話」にて登壇されて
いたので、お話を伺ったことがありますが
元東大病院の救急部・集中治療部部長を
されていた方であり、
生死の現場の最前線にいらしただけに
目に見える肉体を超えた世界についての
見解は説得力があります。
どう生きるかということが、
あっちの世界とこっちの世界を
恐れではなく光でつなぐ鍵なのかもしれません。
なお、断食であったり菜食であったり、
人間はそういうステージには「自然に」移行
されるとのこと、なので「自然にしていればいい」
というメッセージは、とてもすばらしいと思いました。
こっちの世界とあっちの世界。自分と他人。
人生という旅を通じて自他との境目を越えるほど
利他的に生きることができたら、
こっちの世界とあっちの世界も境目を感じなく
なるのかもしれません。
この本は、すべての世代に読んでいただきたい
力強い書です。何より、このご本との出会いを
くださった友人に深く感謝申し上げます。
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