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こちらあみ子 (ちくま文庫) Kindle版
| 価格 | 新品 | 中古品 |
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2014/6/10
- ファイルサイズ3643 KB
商品の説明
出版社からのコメント
「こちらあみ子」
あみ子は、少し風変わりな女の子。純粋なあみ子の行動は、周囲の人々を否応なしに変えていく。太宰治賞・三島由紀夫賞受賞のデビュー作。映画化決定、2022年公開予定。
「ピクニック」
ルミたちが働く店に、年長の新人・七瀬さんが加わった。お笑いタレントとの恋を語る彼女の生活は、思いもよらない方へ転がって……。
「チズさん」
近所に住むおばあさんのチズさん。まっすぐに歩けない。傘もさせない。唯一話せることばは、孫の名前だけ。
いつか、たった一人の読者の手によって、ボロボロになるまで繰り返し読んでもらえるような物語を生み出すことができたら、どんなにか幸せだろうと思っています。そういう物語は、書く側が命懸けで臨まない限り決して生まれてこないのだと、今更ながら思い知った次第です。
――今村夏子 (太宰治賞受賞の言葉より) --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1980(昭和55)年生まれ。「あたらしい娘」(「こちらあみ子」に改題)で第26回太宰治賞を受賞。単行本『こちらあみ子』で第24回三島由紀夫賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
著者について
内容(「BOOK」データベースより)
出版社より
収録作品
「こちらあみ子」あみ子は、少し風変わりな女の子。純粋なあみ子の行動は、周囲の人々を否応なしに変えていく。太宰治賞・三島由紀夫賞受賞のデビュー作。映画化決定、2022年公開予定。
「ピクニック」ルミたちが働く店に、年長の新人・七瀬さんが加わった。お笑いタレントとの恋を語る彼女の生活は、思いもよらない方へ転がって……。
「チズさん」近所に住むおばあさんのチズさん。まっすぐに歩けない。傘もさせない。唯一話せることばは、孫の名前だけ。
芥川賞受賞作家の原点 第26回太宰治賞・第24回三島由紀夫賞W受賞の衝撃デビュー作
こんな小説は他に絶対ない!
- なぜ、わたしたちはあみ子にひかれるのか。誰もが自分のなかに小さな『あみ子』の世界があるからだ。(ジュンク堂書店・小海裕美さん)
- 子供の凶暴なまでの純真さ。それを描ききる無垢な筆。賞賛というより畏怖の領域。(紀伊國屋書店・竹田勇生さん)
- 自分も、小学校の授業開始までに、教室にたどりつけない子供だったことを思い出しました。あみ子の気持ち、まわりの人間の思い、どちらもはいり込んでしまい、ぐるぐるしました。(丸善・脊戸真由美さん)
(2014年6月時点で寄せられたコメントです)
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『こちらあみ子』誕生秘話アルバイト先の事務所で「明日休んで下さい」と言われた日の帰り道、突然、小説を書いてみようかと思いつきました。小説というものは、アルバイトをしながらでも、短いものなら多分一週間もあれば書けるだろうと、そう思っていました。 なんの覚悟も決意もなく、ただ思いつくままにノートに手書きで書いていき、夏にパソコンを購入し、しばらくしてからプリンタを購入しました。 出来上がった時には、書き始めてから半年経っていました。(太宰治賞受賞の言葉より) |
今村夏子応援フリーペーパー「こちらあみ子放送局」(2011年8月8日発行)
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今村夏子応援フリーペーパー「こちらあみ子放送局」(2011年8月8日発行)(裏面)「純粋さが内包している、残虐性や滑稽味というものが遠慮なく滲み出し、独特の雰囲気を作りだしている。それなのに、どことなく幸せな気分になってしまうのはどうかしてる?いや、むしろ彼女と同化している。あみ子という存在も、この作品を生み出した著者についても今後をぜひ、見守り続けたいという気持ちになった。」(紀伊國屋書店富山店 朝加さん) 穂村弘さんは、朝日新聞の書評で「そんなあみ子に憧れ始めている自分に気づく」(2011/3/20付)なんておっしゃってましたし、気づけば自分もあみ子になりきって...なんて読まれ方も『こちらあみ子』ならではかも。 |
登録情報
- ASIN : B073J24TDK
- 出版社 : 筑摩書房 (2014/6/10)
- 発売日 : 2014/6/10
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 3643 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 169ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 11,252位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- カスタマーレビュー:
著者について

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カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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現在家族は崩壊し、親族から絶縁され、今はそれぞれが離散し孤独に生きています。
それだけが原因ではないけれど、それが原因ではないとは言えない。
私は物心ついた時から、世間話もできない父を明確な言葉にはできないが、自分や周りとは違う存在だと認識していました。
大人になるにつれそれは悲しみをたたえ膨張し、今は全ての思い出や感情を投げ出したいほど苦痛で不愉快で悲しいものだと思っています。
『こちらあみ子』を読む中で、その全てがパンドラの箱を開けたように吹き出して、首を絞められているかのように苦しかった。
何度も泣いた。
墓のこと、前歯のこと、兄のこと。
それはある視点では、純粋で無邪気な愛の表現とも言えるでしょう。
けれど、父は、兄は、そして母は。
わたしはあみ子より、この3人の気持ちがわかってしまうから、苦しくて張り裂けそうでたまらなかった。
のり君もそう。誰だってそう。
あみ子に言えない。言ってはいけない。言ってもあみ子はわからない。残るのは、虚無と悲しさだから。
あみ子の真っ直ぐな瞳を覗き込んで罵倒し感情を爆発させた後でいつも苦虫を噛んで情けないようなまるで自分が人非人かのような気になってしまうのはいつもこちら側にいる私たちなのだから。
しかしこれを駄作だなんて思いません。
むしろなぜ、この話を「あみ子側の目線」で書くことができたのか?驚きを隠せません。これは素晴らしい才能だと思います。
差別ではありません。
ただ、悲しい。強く非情で悲しい。
一生忘れない、恐ろしく悲しくて大切な小説です。
夜、寝る前に一気に読んだのですが…
読み終わって直ぐに布団に入ったのですが何かこう、心がざわつくような少し苦しいような複雑な心境で…
色々と考えさせられるような…
正直、心が揺さぶられました
そして本の内容や「あみ子」のことが頭の中でグルグルして色々と考えるなり寝付けなくなってしまいました。
布団の中で仰向けになってぼーっと薄暗い天井を眺めながら、口からは自然と「いやぁ、まいったな」と両手で顔をくしくし撫でながら呟いている自分がいました。
私にとっての「あみ子」はそんな作品でした。
純粋無垢な心がときに破壊力を持つことを描くのであれば、普通の少女を主人公にしたらいいのにと思いました。
レビューを読んで見ると、多くのレビュアーがあみ子を「発達障害」「知的障害」とし、自分とは切り離している時点で、この物語は普遍性を失っていると思います。
そして「愛おしい」「抱きしめたい」という感想も、通りすがりに「かわいそうな人」に同情し、あとは忘れてしまえばいい。
わたしには、あみ子は不愉快な少女としか映りませんでした。そしてまさかこれは近親憎悪?と一瞬思ったときには嫌悪感が頂点に達し、ますます気分が悪くなりました。作者にとってあみ子とは誰でしょうか。
作者は太宰治の『燈籠』が好きということです。私も『燈籠』は傑作だと思います。
ある女性が、好きな男のために小さな罪を犯す。男性は去って行き、彼女は世間の非難と嘲笑を浴びることになる。
この女性の一途さと思い込みが、あみ子に通ずるといえば言い過ぎなのかもしれません。作中において太宰は女性の側に寄り添っています。
僭越ながら、『こちらあみ子』の作者が「あみ子はわたしです。」と言うのあれば、この物語は文学作品として説得力を持つかもしれません。
そうでなければ、こんなにも悲惨な主人公を創造した意味がまったくわからないのです。
それからこれはついでですが、書評に
「愚直であることは人の美点だと思う。」というのがありましたが、失笑を禁じ得ませんでした。
『むらさきのスカートの女』では、主人公は妄想癖があるだけで、特に精神的な病気という設定ではなかったと思いますが、それでもそれに近い描写があり、少し戸惑いました。
『こちらあみ子』ではあみ子は障害に近いレベルであり、作者がこのような人物を描く理由が知りたいと思いました。
『むらさきのスカートの女』は信頼できない語り手の語りにほとんど破綻がないので、『こちらあみ子』より完成度が高いと言えます。
『あみ子』は、三人称語りで話者が時々あみ子の内面に踏み込むのですが、二人の間に距離があるためか、虚しく感じます。
あみ子は作者であるとして、あみ子の完全一人称語りにしたら、凄い作品になったかもしれないと思いました。
この小説は、同列の、同じ方向を向いた人間が、人間間の、ちょっとした違いをあれこれ悩んだり、いじめたり、喜んで感激したり、そんなレベルの動機ではないのであって、外に棲息しつつ人間世界を見て描く筆に、真っ直ぐで、太くて、強い真実があると思った。あと、保健室でのり君から昔と今、二つの大罪のため、ぶん殴られるシーン、暴走族の兄が家に帰って来て、ベランダの巣を外に放り出すシーンなど、難しい単語など一切ないのに、抜群の突き詰め方になっていると感じられた。天然の、天才による作品だという気がした。
私…真っ当に子供時代を生きられなかったせいか?嫉妬のような腹立たしい気持ちと、どこか懐かしさと物哀しさの入り混じった、奇妙な思いが最後まで続いた。
この時代に、都市部でこういう子は大体が特殊学級行きになるだろう。
あみ子は知性はちゃんとある子供。が、いわゆる「普通の人生」を歩む事を、自らの感覚で拒否しているように見える。
あみ子のような人生を選択しても、ちゃんと受け入れてくれる場所が、今の日本から消えないで欲しいと思う。
文章は絵画のように明確だが、この子に何かいいところはないのだろうかと、いぶかりながら。
途中からは幻覚ともつかない音まで現われて、作者は何を言っているのかとまで思う。
しかし、一番最後になって、そういう話だったのかと不思議に腑に落ちて、この少女を抱きしめたくなる。
オチは物語に不可欠なものでしょうが、こういう種類の人間の心を描いたものはこれまでにないのでしょうか。
作者の文学に対する誠実さと、才能を見せられました。





