小澤に関してはいろんな本や音楽雑誌が書いているが、
やはり本人の手になるものを読みたくて購入した。
小澤が26歳のときに書いた『ボクの音楽武者修行』と
年代的に内容が重複する部分が本書の半分くらいあるが、
日経新聞の「私の履歴書」の連載の都合上、仕方ない
のであろう。その続きから書き始めてもらっても良かった
のだが。この点で、星1つ減らさせてもらった。
N響事件やウィーン国立歌劇音楽監督の就を決意する際の
エピソードなど、初めて知るものであり、興味深く読んだ。
もっと詳しく(上記の武者修行の本のように)書いてあったら、
もっとよかったのに。
いろんなチャンスや指導、応援してくれる多くの人たちに
恵まれていたことは羨ましく思えた。
小澤の生の演奏に触れたのはまだ一度しかないが、是非また
聴きに行きたいと思った。書名のように、小澤の音楽がおわら
ないで欲しい。
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おわらない音楽 私の履歴書 単行本 – 2014/7/26
小澤 征爾
(著)
第58回グラミー賞 最優秀オペラ録音部門受賞! !
世界のオザワが、未完の指揮者人生を爽やかに振り返る、待望の自伝的エッセイ!
――中国に生まれ、日本に育った僕が、どこまで西洋音楽を理解できるか。一生かけて実験を続けるつもりだ。
年頭の日本経済新聞の紙面を飾り、読者の大きな反響を呼んだ、小澤征爾氏の「私の履歴書」が加筆のうえ早くも単行本になりました。
今年はサイトウ・キネン・オーケストラ30周年の記念すべき年。世界の音楽ファンを惹きつける毎夏恒例のサイトウ・キネン・フェスティバル松本も、来年からは「セイジ・オザワ松本フェスティバル」と改称されることが発表されたばかりです。この機会にひとりでも多くの、これまでクラシック音楽には縁遠かったという方々にも、ぜひとも読んでいただきたい好著です。
まもなく79歳を迎える現在も世界を飛び回る小澤氏ですが、自伝的エッセイとしては時代を越えて読み継がれる青春冒険物語とも言える『ボクの音楽武者修行』以来、実に半世紀ぶり。斎藤秀雄、バーンスタイン、カラヤンなど生涯の師をはじめ転機に出会った様々な人たちとの思い出を縦糸に、かけがえのない家族への想いを横糸に紡がれる物語ですが、通奏低音として流れているのは音楽に対する飽くなき探究心。世界のオザワの個人的な体験は、普遍的な物語として、必ずや読者に勇気を与えてくれるはずです。
目次より
満州生まれ/敗戦の日/リヤカーで運んだピアノ/ラグビー少年/桐朋学園音楽科/外国で勉強したい/パリへ/ブザンソン国際指揮者コンクール/ミュンシュと出会う/タングルウッド/井上靖さんの言葉/レニーとニューヨーク・フィル/N響のボイコット/ラヴィニア音楽祭/トロント響/『ノヴェンバー・ステップス』世界初演/妻・ヴェラ/日フィル分裂/斎藤先生逝く/サイトウ・キネン・オーケストラ/コンサート・キャラバン/スラヴァの説得/ボストン響/ウィーン国立歌劇場……など
世界のオザワが、未完の指揮者人生を爽やかに振り返る、待望の自伝的エッセイ!
――中国に生まれ、日本に育った僕が、どこまで西洋音楽を理解できるか。一生かけて実験を続けるつもりだ。
年頭の日本経済新聞の紙面を飾り、読者の大きな反響を呼んだ、小澤征爾氏の「私の履歴書」が加筆のうえ早くも単行本になりました。
今年はサイトウ・キネン・オーケストラ30周年の記念すべき年。世界の音楽ファンを惹きつける毎夏恒例のサイトウ・キネン・フェスティバル松本も、来年からは「セイジ・オザワ松本フェスティバル」と改称されることが発表されたばかりです。この機会にひとりでも多くの、これまでクラシック音楽には縁遠かったという方々にも、ぜひとも読んでいただきたい好著です。
まもなく79歳を迎える現在も世界を飛び回る小澤氏ですが、自伝的エッセイとしては時代を越えて読み継がれる青春冒険物語とも言える『ボクの音楽武者修行』以来、実に半世紀ぶり。斎藤秀雄、バーンスタイン、カラヤンなど生涯の師をはじめ転機に出会った様々な人たちとの思い出を縦糸に、かけがえのない家族への想いを横糸に紡がれる物語ですが、通奏低音として流れているのは音楽に対する飽くなき探究心。世界のオザワの個人的な体験は、普遍的な物語として、必ずや読者に勇気を与えてくれるはずです。
目次より
満州生まれ/敗戦の日/リヤカーで運んだピアノ/ラグビー少年/桐朋学園音楽科/外国で勉強したい/パリへ/ブザンソン国際指揮者コンクール/ミュンシュと出会う/タングルウッド/井上靖さんの言葉/レニーとニューヨーク・フィル/N響のボイコット/ラヴィニア音楽祭/トロント響/『ノヴェンバー・ステップス』世界初演/妻・ヴェラ/日フィル分裂/斎藤先生逝く/サイトウ・キネン・オーケストラ/コンサート・キャラバン/スラヴァの説得/ボストン響/ウィーン国立歌劇場……など
- 本の長さ182ページ
- 言語日本語
- 出版社日本経済新聞出版
- 発売日2014/7/26
- ISBN-10453216933X
- ISBN-13978-4532169336
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
世界を駆け抜けた疾風怒濤の七十九年、未完の指揮者人生を爽やかに振り返る。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小澤/征爾
1935年9月1日生まれ。1951年4月、成城学園高校に入学。1952年桐朋女子高校音楽科に第一期生として入学。1955年桐朋学園短期大学に入学。1957年桐朋学園短期大学留年。1960年フランス国立放送管弦楽団を指揮し、パリ・デビュー。1961年2月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を初めて指揮。以後、国際的指揮者として活躍。2010年1月、食道全摘出手術を受ける。2014年5月、新日本フィルでバルトーク『弦楽のためのディヴェルティメント』とベートーヴェン『レオノーレ』序曲第三番、水戸室内管でベートーヴェンの交響曲第七番を指揮(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1935年9月1日生まれ。1951年4月、成城学園高校に入学。1952年桐朋女子高校音楽科に第一期生として入学。1955年桐朋学園短期大学に入学。1957年桐朋学園短期大学留年。1960年フランス国立放送管弦楽団を指揮し、パリ・デビュー。1961年2月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を初めて指揮。以後、国際的指揮者として活躍。2010年1月、食道全摘出手術を受ける。2014年5月、新日本フィルでバルトーク『弦楽のためのディヴェルティメント』とベートーヴェン『レオノーレ』序曲第三番、水戸室内管でベートーヴェンの交響曲第七番を指揮(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 日本経済新聞出版 (2014/7/26)
- 発売日 : 2014/7/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 182ページ
- ISBN-10 : 453216933X
- ISBN-13 : 978-4532169336
- Amazon 売れ筋ランキング: - 260,997位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 133位演奏家・指揮者・楽器の本
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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ベスト100レビュアー
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本書は、日経新聞の名物連載、私の履歴書(2014年1/1~1/31連載分)を単行本化したものです。
私は、この連載を切りぬいていて、本書と参照しましたが、連載の最後の部分(ウィーン国立歌劇場、これから)を除いて、
ほとんど変更は加えられていないようです。
小澤さんは、1935年9/1満州奉天生まれの、私が言うまでもありませんが、世界的名指揮者です。
桐朋時代は、斉藤秀雄先生に鍛えrられ、渡仏し、1959年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝します。
1962年のいわゆるN響事件以降は、主な活動拠点を海外に移します。本書にもそのあたりの経緯は、当然記述されています。
詳しいことは、レコ芸 2014年7月号(小澤征爾特集)に私がレヴューしていますから、そちらを参照してください。
私の履歴書は、著名人が出生から今日に至るまでを語る自叙伝ですから、本書も当然その形式をたどっています。
もっと詳しい履歴が知りたい人は、ボクの音楽武者修行、レコ芸、その他の音楽雑誌のバック・ナンバーをあたる必要がありますが、
一般的には、本書で充分だと思います。しかも、連載時にはなかった、かなり詳しい、年譜もついています。
少し残念なのは、2013年の大西順子さんとラプソディー・イン・ブルーでの共演の経緯が抜けていることです。
この話について詳しい話を知りたい方は、小澤征爾さんと、音楽について話をする(新潮文庫)をどうぞ!感動すること請け合いです!
小澤さんに関しては、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー 等のドイツ系のものがダメ、オペラがダメ・・・いろんな批判があります。
また、演奏会で聴くと凄い演奏ですが、CDで聴くともう一つ(録音が悪いのかな?)ということもしばしばあります。
しかし、日本人として、世界のクラシック音楽界に与えた影響を考えると、もっともっと素直に評価していいのではないかなと思います!!
私は、この連載を切りぬいていて、本書と参照しましたが、連載の最後の部分(ウィーン国立歌劇場、これから)を除いて、
ほとんど変更は加えられていないようです。
小澤さんは、1935年9/1満州奉天生まれの、私が言うまでもありませんが、世界的名指揮者です。
桐朋時代は、斉藤秀雄先生に鍛えrられ、渡仏し、1959年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝します。
1962年のいわゆるN響事件以降は、主な活動拠点を海外に移します。本書にもそのあたりの経緯は、当然記述されています。
詳しいことは、レコ芸 2014年7月号(小澤征爾特集)に私がレヴューしていますから、そちらを参照してください。
私の履歴書は、著名人が出生から今日に至るまでを語る自叙伝ですから、本書も当然その形式をたどっています。
もっと詳しい履歴が知りたい人は、ボクの音楽武者修行、レコ芸、その他の音楽雑誌のバック・ナンバーをあたる必要がありますが、
一般的には、本書で充分だと思います。しかも、連載時にはなかった、かなり詳しい、年譜もついています。
少し残念なのは、2013年の大西順子さんとラプソディー・イン・ブルーでの共演の経緯が抜けていることです。
この話について詳しい話を知りたい方は、小澤征爾さんと、音楽について話をする(新潮文庫)をどうぞ!感動すること請け合いです!
小澤さんに関しては、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー 等のドイツ系のものがダメ、オペラがダメ・・・いろんな批判があります。
また、演奏会で聴くと凄い演奏ですが、CDで聴くともう一つ(録音が悪いのかな?)ということもしばしばあります。
しかし、日本人として、世界のクラシック音楽界に与えた影響を考えると、もっともっと素直に評価していいのではないかなと思います!!
ベスト500レビュアー
小澤征爾(1935年~)氏は、満州国・奉天市生まれ、桐朋学園短期大学卒、2002~2010年にウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた世界的な指揮者。文化勲章受章。主な称号は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、セイジ・オザワ松本フェスティバル総監督、新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者等。
本書は、日本経済新聞の「私の履歴書」に2014年1月に連載された半生記で、小沢征爾が世界のオザワとなっていった疾風怒涛の79年の、数々のエピソードが写真と共に綴られている。
私が小沢征爾の名前を知ったのは、既にボストン交響楽団の音楽監督を務めていたときであり、ブザンソン国際指揮者コンクールでの優勝や、その後のカラヤンとの関係、ニューヨーク・フィルでのバーンスタインとの出会いと活躍等は、本連載(本書)で初めて知ったが、小沢氏が、若い時期から、その節目節目でとても大きな出会いがあり、その機会を活かして成長し、世界のオザワとなったことがよくわかる。
現在86歳。日本、いや、世界の音楽界のために長生きしていただきたい。
(2014年9月了)
本書は、日本経済新聞の「私の履歴書」に2014年1月に連載された半生記で、小沢征爾が世界のオザワとなっていった疾風怒涛の79年の、数々のエピソードが写真と共に綴られている。
私が小沢征爾の名前を知ったのは、既にボストン交響楽団の音楽監督を務めていたときであり、ブザンソン国際指揮者コンクールでの優勝や、その後のカラヤンとの関係、ニューヨーク・フィルでのバーンスタインとの出会いと活躍等は、本連載(本書)で初めて知ったが、小沢氏が、若い時期から、その節目節目でとても大きな出会いがあり、その機会を活かして成長し、世界のオザワとなったことがよくわかる。
現在86歳。日本、いや、世界の音楽界のために長生きしていただきたい。
(2014年9月了)
2014年11月30日に日本でレビュー済み
世界中の音楽ファンから愛されているマエストロ、大病を乗り切
って健在だ。小澤征爾にまつわる数多くのドキュメンタリー番組を
見てきたが、自叙伝を読むのはこれが始めてだ。満州生まれで、関
東軍参謀の板垣征四郎と石原莞爾の名前から二文字を取って命名さ
れたことも有名だが、本書ではそこでの生活がありのままに描かれ
、プライベート・ピクチャーも添付されている。戦中、戦後あまり
恵まれない経済状況の中で、苦労して小学校のピアノを借りながら
練習した子供時代。ラグビーの怪我でピアニストの道を諦め、指揮
者への道へ転向、しかしその才能を見込んで指導に当たった斎藤秀
雄先生。桐朋学園高校は留年するは、同級生はどんどん海外で活躍
するはで、このヤンチャ坊主は焦りまくる。
どうしても海外で修行しなくてはの思いで、スポンサーの協力を
得て資金とスクーターを調達し、貨物船でフランスに渡ったのは23
歳の年だった。ブザンソンの指揮者国際コンクールで優勝したもの
の、指揮者で生活して行くだけの仕事もない。やっと指揮者として
定職を得たのは25歳でニューヨーク・フィルでのレナード・バーン
スタインの副指揮者、週給100ドルだった。27歳で一時帰国して半年
間の契約でN協を指揮することになる。自分でも未熟者だと自覚はし
ていたが、あの有名な小澤ボイコット騒動、会場に駆けつけた小澤
を待っていたのは報道陣のみで、楽団員も観客もゼロ。これには小
澤も頭に来てアメリカにトンボ帰りだ。紆余曲折の末、30歳の年に
カナダのトロント交響楽団の音楽監督として招聘される。オーケス
トラとしては少し格落ちだが、この歳で楽団の総合マネジメントを
任されたのだから、業界ではそれなりの評価を得ていたのだろう。
実績を見込まれて35歳でサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就
任したが、任期を3年残した38歳の時に、ボストン交響楽団から引き
抜きのオファーがかかる。このオーケストラの育成を目指していた
小澤は、3年間の掛け持ちを条件に二つの交響楽団の音楽監督に就任
する。そして41歳から実に26年間にわたって、ボストンの監督に専
念する。この間カラヤン先生に師事し、オペラの重要性とその指揮
法について指導を受ける。
N協事件以来、日本に足を向けなかった小澤も以前お世話になった
日本フィルの解体の危機にあたって、山本直純らと共に新日本フィル
の立ち上げに協力した。そして日本テレビマンユニオンの企画で11
年間続いた番組「オーケストラがやってくる」の成功に貢献した。
また52歳の時に日本のオーケストラを世界に、という目的で「サイ
トウキネンオーケストラ」を結成し、3年間にわたりヨーロッパ公演
を行った。これが後に57歳の時に設立する「サイトウキネンフェステ
ィバル松本」の礎となる。
ボストンの任期を終えた67歳で今度はウィーン国立歌劇場の音楽監
督の就任依頼が飛び込む。自分のキャリアからして場違いだと、固辞
するが周囲の薦めも強く就任してしまう。結局74歳で喉頭がんが発見
され、治療の末完治はするが77歳からは音楽活動を中止し、後進の教
育・指導にあたっている。小澤は天性の音楽的素質もさることながら、
リーダーとしての資質「自分は何を期待されているのかを素早く理解
し」そして「それを粘り強く実現する」ことができたから、かくも長
い間、音楽監督という仕事を全うできたのだろう。まさにこの本のタ
イトル「おわらない音楽」だ。いつか家内が小田急成城学園駅の階段
でバッタリ会って気さくに挨拶を交わしたオジイサンだが。世界のマ
エストロいつまでもお元気で。
最後にこの本で感心するのは、たった150ページほどの中身ながら実
に章立てがうまく出来ていて、各章ごとwho,when,whatが簡潔に記述
され、あたかも小澤征爾一代交響曲を演奏するような感じに出来あが
っているので、ぜひご一読を。
って健在だ。小澤征爾にまつわる数多くのドキュメンタリー番組を
見てきたが、自叙伝を読むのはこれが始めてだ。満州生まれで、関
東軍参謀の板垣征四郎と石原莞爾の名前から二文字を取って命名さ
れたことも有名だが、本書ではそこでの生活がありのままに描かれ
、プライベート・ピクチャーも添付されている。戦中、戦後あまり
恵まれない経済状況の中で、苦労して小学校のピアノを借りながら
練習した子供時代。ラグビーの怪我でピアニストの道を諦め、指揮
者への道へ転向、しかしその才能を見込んで指導に当たった斎藤秀
雄先生。桐朋学園高校は留年するは、同級生はどんどん海外で活躍
するはで、このヤンチャ坊主は焦りまくる。
どうしても海外で修行しなくてはの思いで、スポンサーの協力を
得て資金とスクーターを調達し、貨物船でフランスに渡ったのは23
歳の年だった。ブザンソンの指揮者国際コンクールで優勝したもの
の、指揮者で生活して行くだけの仕事もない。やっと指揮者として
定職を得たのは25歳でニューヨーク・フィルでのレナード・バーン
スタインの副指揮者、週給100ドルだった。27歳で一時帰国して半年
間の契約でN協を指揮することになる。自分でも未熟者だと自覚はし
ていたが、あの有名な小澤ボイコット騒動、会場に駆けつけた小澤
を待っていたのは報道陣のみで、楽団員も観客もゼロ。これには小
澤も頭に来てアメリカにトンボ帰りだ。紆余曲折の末、30歳の年に
カナダのトロント交響楽団の音楽監督として招聘される。オーケス
トラとしては少し格落ちだが、この歳で楽団の総合マネジメントを
任されたのだから、業界ではそれなりの評価を得ていたのだろう。
実績を見込まれて35歳でサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就
任したが、任期を3年残した38歳の時に、ボストン交響楽団から引き
抜きのオファーがかかる。このオーケストラの育成を目指していた
小澤は、3年間の掛け持ちを条件に二つの交響楽団の音楽監督に就任
する。そして41歳から実に26年間にわたって、ボストンの監督に専
念する。この間カラヤン先生に師事し、オペラの重要性とその指揮
法について指導を受ける。
N協事件以来、日本に足を向けなかった小澤も以前お世話になった
日本フィルの解体の危機にあたって、山本直純らと共に新日本フィル
の立ち上げに協力した。そして日本テレビマンユニオンの企画で11
年間続いた番組「オーケストラがやってくる」の成功に貢献した。
また52歳の時に日本のオーケストラを世界に、という目的で「サイ
トウキネンオーケストラ」を結成し、3年間にわたりヨーロッパ公演
を行った。これが後に57歳の時に設立する「サイトウキネンフェステ
ィバル松本」の礎となる。
ボストンの任期を終えた67歳で今度はウィーン国立歌劇場の音楽監
督の就任依頼が飛び込む。自分のキャリアからして場違いだと、固辞
するが周囲の薦めも強く就任してしまう。結局74歳で喉頭がんが発見
され、治療の末完治はするが77歳からは音楽活動を中止し、後進の教
育・指導にあたっている。小澤は天性の音楽的素質もさることながら、
リーダーとしての資質「自分は何を期待されているのかを素早く理解
し」そして「それを粘り強く実現する」ことができたから、かくも長
い間、音楽監督という仕事を全うできたのだろう。まさにこの本のタ
イトル「おわらない音楽」だ。いつか家内が小田急成城学園駅の階段
でバッタリ会って気さくに挨拶を交わしたオジイサンだが。世界のマ
エストロいつまでもお元気で。
最後にこの本で感心するのは、たった150ページほどの中身ながら実
に章立てがうまく出来ていて、各章ごとwho,when,whatが簡潔に記述
され、あたかも小澤征爾一代交響曲を演奏するような感じに出来あが
っているので、ぜひご一読を。
2015年4月18日に日本でレビュー済み
小澤氏が誕生した1935年の満州から、2014年の近況までが語られている。
有名な指揮者と聞くと孤高の天才というイメージを思い浮かべてしまうが、とにかく小澤氏は周りの人々に支えられて大成したという感じだ。
学時時代の仲間や恩師、各界の著名人や芸術家、スポンサー企業そして家族の皆さん、多くの人たちの支援がなければ、世界で活躍する指揮者にはなれなかっただろうし、お世話になった方々のことを事細かく覚えている小澤氏もすごいと思った。
いつかその演奏を生で聞いてみたいものだ。
有名な指揮者と聞くと孤高の天才というイメージを思い浮かべてしまうが、とにかく小澤氏は周りの人々に支えられて大成したという感じだ。
学時時代の仲間や恩師、各界の著名人や芸術家、スポンサー企業そして家族の皆さん、多くの人たちの支援がなければ、世界で活躍する指揮者にはなれなかっただろうし、お世話になった方々のことを事細かく覚えている小澤氏もすごいと思った。
いつかその演奏を生で聞いてみたいものだ。
2014年8月27日に日本でレビュー済み
日経新聞の連載を読みました。指揮者として演奏会でのようすしかみたことはありません。N響とのトラブルや病気のための活動休止など聞きかじりの情報しかありませんでした。歯科医のお父様、社会的に活躍されていたこと、中国での生活や様々な偉大な人たちとの出会いとかかわり。本当にすごい。驚くことばかりでした。国内だけでなく海外で広く活躍している色々な分野の著名な人のサポートをチャンスにして今のオザワが誕生したのでしょう!ご苦労はたくさんあったのでしょうが素晴らしい。人との繋がりをバネにどんどん世界を拡げていく過程が書かれています。小澤氏の人間性に触れた気がします。
2014年7月30日に日本でレビュー済み
小澤征爾が2014年1月日経朝刊で連載した「私の履歴書」が単行本となった。≪どんな人たちに支えられてきたか。その恩人たちを紹介するのが僕の「履歴書」かもしれない。≫という巻頭の小澤征爾の言葉通り、小澤征爾のサクセス・ストーリーの陰には、決定的な場面で重要な役割を果たした様々な人々との出会いがあった。
両親、兄弟、成城の仲間たち。ピアノを教えた豊増昇を始め、特に重要な人物は桐朋学園の創始者のひとりで小澤征爾に指揮を教えた斎藤秀雄であることは自明である。
初めて海外へ渡航したとき援助してくれた実業界の人々、ブザンソン指揮者コンクール参加を助けてくれたアメリカ大使館員。師事した偉大な指揮者ミュンシュ、バーンスタイン、そしてカラヤン。N響事件でバックアップしてくれた錚々たる文化人たち。ラヴィニア音楽祭に紹介した敏腕マネージャーのウィルフォード。小澤を音楽監督に指名したトロント響、サンフランシスコ響、ボストン響のマネージャーや役員たち。N響との和解を進言してくれたロストロポーヴィチ。サイトウ・キネン・オーケストラを支援したスポンサー会社。ウィーン国立歌劇場のホーレンダー総監督などなど。中でも食道がんの闘病生活の支えとなった家族の力は大きい。これほど周囲の人々に恵まれた音楽家がほかにいるだろうか。
今回読み直してみて、小澤征爾という音楽家の原点は人を引き寄せる魅力ある人間性であることを改めて実感した。その人間性が演奏家たちをも引き寄せることは確かだが、では小澤征爾の指揮する音楽がどこまで深く人を感動させるか、はまた別の問題だ。「おわらない音楽」というタイトルは、音楽の怖さ、難しさ、奥の深さを暗示しているように思う。
両親、兄弟、成城の仲間たち。ピアノを教えた豊増昇を始め、特に重要な人物は桐朋学園の創始者のひとりで小澤征爾に指揮を教えた斎藤秀雄であることは自明である。
初めて海外へ渡航したとき援助してくれた実業界の人々、ブザンソン指揮者コンクール参加を助けてくれたアメリカ大使館員。師事した偉大な指揮者ミュンシュ、バーンスタイン、そしてカラヤン。N響事件でバックアップしてくれた錚々たる文化人たち。ラヴィニア音楽祭に紹介した敏腕マネージャーのウィルフォード。小澤を音楽監督に指名したトロント響、サンフランシスコ響、ボストン響のマネージャーや役員たち。N響との和解を進言してくれたロストロポーヴィチ。サイトウ・キネン・オーケストラを支援したスポンサー会社。ウィーン国立歌劇場のホーレンダー総監督などなど。中でも食道がんの闘病生活の支えとなった家族の力は大きい。これほど周囲の人々に恵まれた音楽家がほかにいるだろうか。
今回読み直してみて、小澤征爾という音楽家の原点は人を引き寄せる魅力ある人間性であることを改めて実感した。その人間性が演奏家たちをも引き寄せることは確かだが、では小澤征爾の指揮する音楽がどこまで深く人を感動させるか、はまた別の問題だ。「おわらない音楽」というタイトルは、音楽の怖さ、難しさ、奥の深さを暗示しているように思う。






