ラグビーワールドカップで流行語大賞をえたコトバ、One Teamも、新コロナウィルス騒動で大混乱に陥っている政治も経済に対するわれわれのイメージも言説もー真実ではなくー、現に頻発している上場企業のガバナンスの無機能化をめぐる問題も、さらには経済界に向けて経産省から発せられる、さまざまなガイドラインースチュワードシップコードをみよーも、さらにはこのところ大学でやけに厳格となった雇止めのための非常勤講師のマネジメントも、さらにもっとも重要なひとつ、ジェンダーとくに女性活躍社会と真逆になる家族こそ中心とみて、女性のを介護、育児に囲い込むこと、みーんな、本書でいう「新自由主義理性」の産物であるという。
本書のもう一つの面白さー学んだことーは、それを検討する視点を、そもそも個に共存するーしたがって、共同体の維持の前提となるーホモ・エコノミクスとホモ・ポリティクスという2つの側面がともに不可欠な「理性」としてアリストテレスからスミスにいたる検討から導いている点だ。いまホモ・エコノミクスが支配して、国の政治の形はもちろん、我々と政治のかかわりを断絶させている。本書でたびたび扱われているフーコーの考え方への著者の批判もホモ・ポリティクスについての狭さ、限界に向けている。この過程で著者が詳細に検討しているフーコー理論の分析も大変に面白い。
最後に:原文の難しさによるのであろうが、もう少し訳文が平易にできなかったろうか。著者の壮大な知の体系がストンと落ちないのは、訳文だけではないであろうが、工夫が欲しかったというのは、門外漢のないものねだりの域をでないのであろうか??
この商品をお持ちですか?
マーケットプレイスに出品する
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません 。詳細はこちら
Kindle Cloud Readerを使い、ブラウザですぐに読むことができます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
いかにして民主主義は失われていくのか――新自由主義の見えざる攻撃 単行本 – 2017/5/26
| ウェンディ・ブラウン (著) 著者の作品一覧、著者略歴や口コミなどをご覧いただけます この著者の 検索結果 を表示 |
購入を強化する
いまや新自由主義は、民主主義を内側から破壊している。新自由主義は
政治と市場の区別を取り払っただけでなく、すべての人間活動を経済の
言葉に置き換えた。主体は人的資本に、平等は競争に、公共は格付けに。
だが、そこで目指されているのは経済合理性ではない。新自由主義は、
経済の見かけをもちながら、統治理性として機能しているのだ。その矛
盾がもっとも顕著に現れるのが大学教育である。学生という人的資本の
開発機関とされたとき、大学は階級流動の場であることをやめるだろう。
新自由主義が民主主義の言葉をつくりかえることによって、民主主義そ
のものを解体していく過程を明らかにする。
政治と市場の区別を取り払っただけでなく、すべての人間活動を経済の
言葉に置き換えた。主体は人的資本に、平等は競争に、公共は格付けに。
だが、そこで目指されているのは経済合理性ではない。新自由主義は、
経済の見かけをもちながら、統治理性として機能しているのだ。その矛
盾がもっとも顕著に現れるのが大学教育である。学生という人的資本の
開発機関とされたとき、大学は階級流動の場であることをやめるだろう。
新自由主義が民主主義の言葉をつくりかえることによって、民主主義そ
のものを解体していく過程を明らかにする。
- 本の長さ344ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2017/5/26
- 寸法13.5 x 2.7 x 19.8 cm
- ISBN-104622085690
- ISBN-13978-4622085690
よく一緒に購入されている商品
この商品を見た後に買っているのは?
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
いまや新自由主義は、民主主義を内側から破壊している。新自由主義は政治と市場の区別を取り払っただけでなく、あらゆる人間活動を経済の言葉に置き換えた。主体は人的資本に、交換は競争に、公共は格付けに、だが、そこで目指されているのは経済合理性ではない。新自由主義は、経済の見かけをもちながら、統治理性として機能しているのだ。その矛盾がもっとも顕著に現れるのが大学教育である。学生を人的資本とし、知識を市場価値で評価し、格付けに駆り立てられるとき、大学は階級流動の場であることをやめるだろう。民主主義は黙っていても維持できるものではない。民主主義を支える理念、民主主義を保障する制度、民主主義を育む文化はいかにして失われていくのか。新自由主義が民主主義の言葉をつくりかえることによって、民主主義そのものを解体していく過程を明らかにする。
著者について
ウェンディ・ブラウン(Wendy Brown)
アメリカの政治哲学者。現在、カリフォルニア大学バークレー校政治学教授。
邦訳された著書に『寛容の帝国』(向山恭一訳、法政大学出版局、2010年)がある。
中井亜佐子(なかい・あさこ)
一橋大学教授。専攻は英文学、批評理論。著書に『他者の自伝』。共訳書にG・C・
スピヴァク『スピヴァク、日本で語る』、ニコラス・ロイル『デリダと文学』、ポー
ル・ビュール『革命の芸術家』。
アメリカの政治哲学者。現在、カリフォルニア大学バークレー校政治学教授。
邦訳された著書に『寛容の帝国』(向山恭一訳、法政大学出版局、2010年)がある。
中井亜佐子(なかい・あさこ)
一橋大学教授。専攻は英文学、批評理論。著書に『他者の自伝』。共訳書にG・C・
スピヴァク『スピヴァク、日本で語る』、ニコラス・ロイル『デリダと文学』、ポー
ル・ビュール『革命の芸術家』。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ブラウン,ウェンディ
アメリカの政治哲学者。現在、カリフォルニア大学バークレー校政治学教授
中井/亜佐子
一橋大学教授。専攻は英文学、批評理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
アメリカの政治哲学者。現在、カリフォルニア大学バークレー校政治学教授
中井/亜佐子
一橋大学教授。専攻は英文学、批評理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1分以内にKindleで いかにして民主主義は失われていくのか――新自由主義の見えざる攻撃 をお読みいただけます。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
5つ星のうち3.6
星5つ中の3.6
11 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年3月7日に日本でレビュー済み
違反を報告する
Amazonで購入
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2020年4月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新自由主義はあらゆる人間活動を経済の言葉に置き換え、主体は人的資本に、交換は競争に、公共は格付けに置き換えられた。大学では性急に短期的な業績を求めた結果、大学教育から民主主義が失われ、学問はそれ自身の価値をなくし、経済的目的達成の手段と化しつつある。翻訳が日本語としてこなれていないので、すんなりと読み進められないのが欠陥である。
2020年10月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現代では当たり前になった新自由主義の弊害をするどく指摘しています。
ベスト1000レビュアー
著者はカリフォルニア大学教授で、政治哲学、政治思想史の専門家。原著名(2015)はUndoing the Demos(デモスの解体)だが、本書は、「新自由主義」の本質を根源的なレベルで、それもフーコーの「統治合理性」や『生政治の誕生』に基づいて解明したところに特徴がある。「新自由主義」は通常、国有企業の民営化や規制緩和など、経済政策の一つだと思われている。思想的背景としては、ハイエクやフリードマン、政権としては、サッチャー、レーガン、中曽根、小泉などが思い浮かぶであろう。だがそれは、まったくの表層にすぎず、先進国における資本主義の変容とそれに伴う社会や政治(=統治)の根本変化こそが「新自由主義」なのである。先進国の資本主義の中心が、生産資本から金融資本に移行することによって、それまで生産と交換が中心であったのが、投資可能性の競争に変容した。たとえば、労働者が労働力を提供し、それに資本家が賃金を払うのは、かつては労働力と賃金の交換であった。だが現在では、どんな労働者も一人一人が「人材」、つまり小さな資本家である。彼は自分について「自分には<人材>としての能力があり、投資される価値がある、もし他者が自分に投資すれば、その投資以上の利益があがる」ことを示し、それを企業側が認めれば彼に投資する(=彼を雇う)。高校生が大学に進学するのも投資である。高額の学費を払っても自分の付加価値を高めれば、卒業後の高収入によって学費の投資は回収でき、さらに利益が出る。一方、大学は、自らの教育力をアピールして入学者とお金を集める側だが、教育力を高めるためには優れた教育環境と教員とカリキュラムを用意しなければならず(投資が必要)、そのための投資額と、それを上回る入学者からの投資額との差によって利益を得る。つまり、高校生も大学も、骨の髄から「ホモ・エコノミクス」なのだ。この二十年くらいの間に、企業は「外部の格付け会社」により投資対象としての魅力を判定され、競争にさらされるようになった。日本の大学も同じで、トップ大学は世界大学ランキングが重視され、中堅大学は卒業生のより良い就職先を開拓して、投資に値する自らの魅力を示さなければならない。本来は経営や政治の用語であった「ガバナンス」が国立大学でも喧伝される。成績の厳格化や、「学生ポートフォリオ」が重視されるのも、就職の競争を睨んでのことである。恋愛や結婚も、自らの「投資先としての魅力」の競争であり、こうして、現代の先進国の社会は、「ホモ・エコノミクス」の競争がその根本体制になった。残業代不払いなど労働規制がはずされようとしているのも、労働者が「小さな資本家」という「主体」として捉えられているからである(裁量労働制)。誰かの「陰謀」でこうなったのではない。著者は、新自由主義はライオンであるよりはシロアリであると言う。暴力的な支配ではなく、それ自体がフーコーのいう「統治合理性」になったことが、新自由主義の本質なのである。競争が社会の本質であるから、勝者と敗者が生まれるのは「自然なこと」とみなされ、敗者が敗れたのは、魅力ある投資先としての主体形成を怠ったこと、「自己統治の失敗」とみなされ、自己責任とされる。こうしてアメリカも日本もますます荒廃してゆく。
2018年1月15日に日本でレビュー済み
序 デモスの崩壊
〈第一部 新自由主義的理性と政治的生〉
第一章 民主主義の崩壊 新自由主義が国家と主体をつくりなおす
第二章 フーコーの『生政治の誕生』 新自由主義の政治的合理性の見取り図
第三章 フーコー再訪 ホモ・ポリティクスとホモ・エコノミクス
〈第二部 新自由主義的理性を散種する〉
第四章 政治的合理性とガバナンス
第五章 法と法的理性
第六章 人的資本を教育する
終章 剥き出しの民主主義が失われ、自由が犠牲へと反転する
〈第一部 新自由主義的理性と政治的生〉
第一章 民主主義の崩壊 新自由主義が国家と主体をつくりなおす
第二章 フーコーの『生政治の誕生』 新自由主義の政治的合理性の見取り図
第三章 フーコー再訪 ホモ・ポリティクスとホモ・エコノミクス
〈第二部 新自由主義的理性を散種する〉
第四章 政治的合理性とガバナンス
第五章 法と法的理性
第六章 人的資本を教育する
終章 剥き出しの民主主義が失われ、自由が犠牲へと反転する






