イタリア系ユダヤ人のレーヴィは化学を学んだ人。アウシュヴィッツから生還したのちも、化学技師として働いた。しかし収容所から出た直後から本書の執筆を始めたという。
刻み込むように記される収容所の様相。同時に彼が見つめるのは、追い込まれて変化してゆく囚われた人々の心の姿だ。
ここには大げさな形容詞も感情の吐露もない。それゆえに読む側に食い込んでくる「これが人間」のすることか、の思いである。
ここには、人間が人間に、実際にしたことが文字として刻み込まれている。
目次の次の頁に見開きでドイツ周辺の地図がある。黒丸が主要強制収容所・抹殺収容所、灰色丸が付属収容所と労働収容所だ。
地図は、ほとんど黒と灰色の丸印で覆われている、その数を思い息を飲んだ。
生きながらえて収容所を出た人たちの中で、何人もの人が自殺している、と訳者が書いている。
レーヴィもまた、自宅4階の手すりを越えて命を絶ったのだ。
巻末に訳者の竹山博英氏の解説がある。必見の部分である。
竹山氏は、若い頃にレーヴィ氏の元へ繁く通い、その謦咳に接してこられた方だそうで、このような方により、日本にも紹介してもらえたことはありがたいことだ。
現在34か国で訳され、ル・モンドの「20世紀の100冊」、デイリー・テレグラフの「110冊の必読書」などに本書の名がある。
【改訂完全版】アウシュヴィッツは終わらない これが人間か (朝日選書) (日本語) 単行本 – 2017/10/10
プリーモ・レーヴィ
(著)
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本の長さ328ページ
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言語日本語
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出版社朝日新聞出版
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発売日2017/10/10
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寸法18.8 x 12.5 x 1.6 cm
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ISBN-104022630655
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ISBN-13978-4022630650
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
レーヴィがナチスのユダヤ人強制収容所から救出されたのは1945年1月27日。自宅に帰り着くとすぐに、彼は記憶を頼りに、本書の執筆にとりかかった。飢えと寒さ、不潔な寝床、病い、そして死にゆく人々…。過酷な強制収容所での生活が非常に緻密に、きめ細かく記されている。ものを考えることが死につながるほどの極限状態にあって、人間の魂がいかに破壊されていくのか。体験を書くという行為は、アウシュヴィッツで全面的に否定された自己の人間性を回復する作業でもあったのかもしれない。生還以来、その体験を証言してきたレーヴィの集大成的ともいえる古典的名著『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
レーヴィ,プリーモ
1919年トリーノに生まれる。44年2月アウシュヴィッツ強制収容所に抑留。45年1月ソ連軍に解放され、同年10月イタリア帰還。戦後は化学者として働きつつ自らの体験をまとめ、イタリア現代文学を代表する作家の一人となる。87年自死
竹山/博英
1948年東京に生まれる。東京外国語大学大学院ロマンス系言語専攻科修了。現在立命館大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1919年トリーノに生まれる。44年2月アウシュヴィッツ強制収容所に抑留。45年1月ソ連軍に解放され、同年10月イタリア帰還。戦後は化学者として働きつつ自らの体験をまとめ、イタリア現代文学を代表する作家の一人となる。87年自死
竹山/博英
1948年東京に生まれる。東京外国語大学大学院ロマンス系言語専攻科修了。現在立命館大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版; 改訂完全版 (2017/10/10)
- 発売日 : 2017/10/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 328ページ
- ISBN-10 : 4022630655
- ISBN-13 : 978-4022630650
- 寸法 : 18.8 x 12.5 x 1.6 cm
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 32,326位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
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プリーモ・レーヴィ(1919~1987年)は、ユダヤ系イタリア人の化学者・作家。
レーヴィは、トリノに生まれ、第二次世界大戦中、ナチスに対するレジスタンス活動を行ったが、1943年12月にイタリア・アルプスの山中で捕らえられ、アウシュヴィッツ収容所に送られた。1945年1月にアウシュヴィッツが解放され、1947年に『これが人間か』 を発表して注目される。1987年、自宅アパートの3階(日本式の4階)の階段の手すりを乗り越え、階下に飛び降りて死亡した。
本作品は、アウシュヴィッツ収容所からの生還者が、自らの壮絶な体験を描いた記録として、オーストリアの精神科医V・フランクルの『夜と霧』(1946年)と並んで有名なもので、34ヶ国で翻訳され(2017年時点)、仏高級紙ル・モンドの「20世紀の100冊」(1999年)、英高級紙デイリー・テレグラフの「110冊の必読書」(2008年)にも選ばれている。
また、本作品は、1947年に初版、1958年に第二版、1973年に学生版が発表されたが、現在世界中で広く読まれているのは第二版である。本書は、1980年に学生版を底本に刊行された日本語訳『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版であるが、学生版のみにある「若い読者に答える」と地図をそのまま収録し、かつ、今回、学生版ゆえに省かれていた部分を加えたものとなっている。
本書において中心的なテーマとして提示されているのは、「人間の内面の破壊」である。飢えと強制労働と(冬は)寒さいう極限状態の中で、人間はいかに変化するのか、特に、その内面がいかにして破壊されるのか、そしてそうされた人間はどうなるのか、という問題が提示されているのだ。ナチスの強制収容所に関してまず第一に語られるのは、膨大な数のユダヤ人をガス室で殺戮したという残虐行為である。その一方で、僅かな食糧で過酷な労働をさせられ、肉体も精神も破壊されて、(解放まで生き残った人びと以外は)消耗して死んでいった多数の人びとがいる。後者は、ある意味では、前者の瞬間的な死よりも更に惨い死ともいえるが、本書は、その過程を詳細に描いているのである。
次のような記述がある。
「カー・ベー(診療所)とはラーゲルから肉体的不自由を除いたものなのだ。それゆえ、まだ意識の核を失っていないものは、ここでまた意識を取り戻す。つまり、労働のない日々が長々と続くと、飢えや労働以外のことが話題になり、何とみじめな状態にいることか、どれだけものが奪われたか、この生活は何とひどいことか、などと考えてしまうのだ。カー・ベーで束の間の平安を味わって、私たちははっきりと学ぶことができた。人の人格は崩れやすい。特にここでは、命よりもずっとあやうい状態にさらされている、と。」
「彼らこそが溺れるもの・・・名もない、非人間のかたまりで、次々に更新されるが、中身はいつも同じで、ただ黙々と行進し、働く。心の中の聖なる閃きはもう消えていて、本当に苦しむには心がからっぽすぎる。彼らを生者と呼ぶのはためらわれる。彼らの死を死と呼ぶのもためらわれる。死を理解するにはあまりにも疲れきっていて、死を目の前にしても恐れることがないからだ。」
「私たちは古参の囚人になっていた。私たちの知恵は、「分ろうとしないこと」、未来のことを考えないこと、いつ、どのように終わりが来るか考えて、身をさいなまないこと、質問をしないこと、されないことだった。」 等
レーヴィは、本作品を通して『これが人間か』と問い続けたのだが、更に、自分は、ガス室送りになる人間が選ばれる際に、取り違えの結果生き残った、自分は他人に取って代わって生きている、と死ぬまで思い続けたのだ。。。(遺書は残っておらず、自死か否かはいまだにわからないという)
人間として絶対に忘れてはならないことが書かれた、全人類必読の書の一つと思う。
(2020年5月了)
レーヴィは、トリノに生まれ、第二次世界大戦中、ナチスに対するレジスタンス活動を行ったが、1943年12月にイタリア・アルプスの山中で捕らえられ、アウシュヴィッツ収容所に送られた。1945年1月にアウシュヴィッツが解放され、1947年に『これが人間か』 を発表して注目される。1987年、自宅アパートの3階(日本式の4階)の階段の手すりを乗り越え、階下に飛び降りて死亡した。
本作品は、アウシュヴィッツ収容所からの生還者が、自らの壮絶な体験を描いた記録として、オーストリアの精神科医V・フランクルの『夜と霧』(1946年)と並んで有名なもので、34ヶ国で翻訳され(2017年時点)、仏高級紙ル・モンドの「20世紀の100冊」(1999年)、英高級紙デイリー・テレグラフの「110冊の必読書」(2008年)にも選ばれている。
また、本作品は、1947年に初版、1958年に第二版、1973年に学生版が発表されたが、現在世界中で広く読まれているのは第二版である。本書は、1980年に学生版を底本に刊行された日本語訳『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版であるが、学生版のみにある「若い読者に答える」と地図をそのまま収録し、かつ、今回、学生版ゆえに省かれていた部分を加えたものとなっている。
本書において中心的なテーマとして提示されているのは、「人間の内面の破壊」である。飢えと強制労働と(冬は)寒さいう極限状態の中で、人間はいかに変化するのか、特に、その内面がいかにして破壊されるのか、そしてそうされた人間はどうなるのか、という問題が提示されているのだ。ナチスの強制収容所に関してまず第一に語られるのは、膨大な数のユダヤ人をガス室で殺戮したという残虐行為である。その一方で、僅かな食糧で過酷な労働をさせられ、肉体も精神も破壊されて、(解放まで生き残った人びと以外は)消耗して死んでいった多数の人びとがいる。後者は、ある意味では、前者の瞬間的な死よりも更に惨い死ともいえるが、本書は、その過程を詳細に描いているのである。
次のような記述がある。
「カー・ベー(診療所)とはラーゲルから肉体的不自由を除いたものなのだ。それゆえ、まだ意識の核を失っていないものは、ここでまた意識を取り戻す。つまり、労働のない日々が長々と続くと、飢えや労働以外のことが話題になり、何とみじめな状態にいることか、どれだけものが奪われたか、この生活は何とひどいことか、などと考えてしまうのだ。カー・ベーで束の間の平安を味わって、私たちははっきりと学ぶことができた。人の人格は崩れやすい。特にここでは、命よりもずっとあやうい状態にさらされている、と。」
「彼らこそが溺れるもの・・・名もない、非人間のかたまりで、次々に更新されるが、中身はいつも同じで、ただ黙々と行進し、働く。心の中の聖なる閃きはもう消えていて、本当に苦しむには心がからっぽすぎる。彼らを生者と呼ぶのはためらわれる。彼らの死を死と呼ぶのもためらわれる。死を理解するにはあまりにも疲れきっていて、死を目の前にしても恐れることがないからだ。」
「私たちは古参の囚人になっていた。私たちの知恵は、「分ろうとしないこと」、未来のことを考えないこと、いつ、どのように終わりが来るか考えて、身をさいなまないこと、質問をしないこと、されないことだった。」 等
レーヴィは、本作品を通して『これが人間か』と問い続けたのだが、更に、自分は、ガス室送りになる人間が選ばれる際に、取り違えの結果生き残った、自分は他人に取って代わって生きている、と死ぬまで思い続けたのだ。。。(遺書は残っておらず、自死か否かはいまだにわからないという)
人間として絶対に忘れてはならないことが書かれた、全人類必読の書の一つと思う。
(2020年5月了)