舞台編のクライマックスと思って期待してたが、鳴嶋メルトの辺りがピークだったみたい。
原作者の葛藤のエピソードは自分の畑のネタだからか大変面白く、順調に盛り上がっていたのに残念。
有黒対決もアクアのトラウマ部分もイマイチ吹け上がらず、尖った舞台になるとか天才姫川とかのフリも活かし切れてるとは言えない。観客や雷田、アビ子の反応とかをもっと丁寧に入れて状況説明をすれば、もうちょっと気持ちが乗ったかも知らんが、有馬の覚醒演技もただ星キラキラさせただけで「凄い」とか言われてもね。何かネリ不足って感じ、アカ先生が忙し過ぎて時間無かったのかな。アニメ化する時はこの部分を丁寧に作って欲しい。詰めが甘いの勿体ない。
ミステリー部分がこのまま終わるとは思えないので、今後に期待
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【推しの子】 7 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) Kindle版
「俺にとって演じる事は復讐だ」 大人気漫画『東京ブレイド』の2.5次元舞台、本番が開幕!! 幼少時の因縁を元に対立する、かつての天才子役・有馬かなと現『劇団ララライ』エース・黒川あかねは舞台上で自身の演技をぶつけ合う!! そして、“感情演技”の為、自身のトラウマと向き合う星野アクアが辿り着く役者としての生き様とは!? 第五章 2.5次元舞台編、クライマックス!! “赤坂アカ×横槍メンゴ”の豪華タッグが全く新しい切り口で“芸能界”を描く衝撃作…第7巻!!
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2022/2/18
- ファイルサイズ70319 KB
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カスタマーレビュー
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年2月18日に日本でレビュー済み
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15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2022年2月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本来ならここは本の内容について記載するところで大変お門違いで申し訳ありませんが、最近のAmazonの本の配送状態がかなり酷いです。そのことをAmazon本社に訴えましたが内々に済まされ、ちっとも反省の色が伺えませんのでここで記載します。帯がバラバラに破れていました。次に注文した本も傷んでおりました。本の痛みなど気にしない、読めれば構わない方もいらっしゃる方も勿論いらっしゃるでしょうが、当方はオブも含め本の状態をとても気にする質なので、皆さんの目の届く所で書こうと思いました。配達の速さより本の状態を気にする人間もいることを知って欲しいです。
本の内容は、話が役者の方にずれてしまって、面白くなくなってしまった感を受けました。2.5芝居の話は丸っきり削ってもお話に支障はなかったと思います。犯人探しが疎かになっている感が残念です。絵はとても好きなので、話の脱線がとても残念に思いました(これから変わるかもかもしれませんが、妹の話が丸っきり出ないのが気になります)。
本の内容は、話が役者の方にずれてしまって、面白くなくなってしまった感を受けました。2.5芝居の話は丸っきり削ってもお話に支障はなかったと思います。犯人探しが疎かになっている感が残念です。絵はとても好きなので、話の脱線がとても残念に思いました(これから変わるかもかもしれませんが、妹の話が丸っきり出ないのが気になります)。
2022年2月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
すきなまんがは単行本でかうことにしており本作は7巻まで読んでそっちだと確信したので単行本で買い揃えた。8巻以降は単行本だけでかう。ついでにAmazonで買ってないまんがには感想を書かないようにしてるので本作に感想をかくのもこれで最後ということでこの7巻の内容のネタばれも含めてじぶんなりの感想を長々とかくことにする。ただの個人的なみたてなので考えがただしいかどーかはしらないし、じぶんのみたてはしょっちゅう間違ってるのであるが、こうやってウダウダ考えながらまんがをよむのがすきなだけなので。
アクアの中身はオッサン(ゴロー)だ、という話を有馬かなとの関係をメインにかく。1巻の子役時代のアクアは異世界なろうの主人公っぽく、実際転生してチートな演技をしてみせるが「なんかやっちゃいました?」と違ってなにをやったかは自覚してるのであり本人がかたるように中身とワガの年齢差がギャップとして機能しただけで別に天才でもなんでもない…わけだが実際の天才子役たるかなの自尊を打ちのめすくらいには天才にみえたわけであり、なにをやったかは自覚しててもそれが後にどこまで影響を及ぼすかまでは頭がまわってなかったっぽい。このときのできごとが再会までのかなの芸能人生に無関係だったとはおもえないし。
アクアのほうは忘れていても向こうはすれ違いざまに名前をきいただけで一気にくいついてくるくらいには鮮烈な印象に残っており、自分がでてるドラマに誘ったのもかつてみた天才ぶりをまたみたかったに違いないが、肉体と精神の年齢差が縮まったのでギャップも薄まり、その演技は凡庸にみえたわけである。
…が、天才から凡庸になってもなお芸能の世界にいるアクアをかつては天才子役、いまはまだ10代なのに過去の人扱いされながらも芸能を続ける自分と重ねて戦友をえた気持ちになったには違いなく。ただ中にいるオッサンは復讐を考えているだけだが。母親であり自分の推しの子の命を奪った相手への復讐心だけで芸能界にいる元ドルオタのオッサン。
ただ、オッサンは性格に問題あるわけでもないというかむしろ善人なので生前に医師として自分が担当してた患者の少女にも献身につくすようなオッサンなのである。その少女が恋をしてしまうくらいの献身。となりに居る妹の中の人がその少女だとは気づいてないけども。
よって、善良なオッサンは復讐のために関係者のDNAを採取するために出演しただけのドラマでもまだ夢に向かっていこうとする少女を嘲笑する大人への軽蔑をあからさまにして「せっかくだから滅茶苦茶やって帰るか」と言うがこのあと文字通りに滅茶苦茶にしていく。わるいいみで。
凡庸にみえた演技は本番になると一気に冴えをみせるがこれは小道具や照明などを活用して凡庸な演技を冴えた演技にみえるように演出しているとゆーことだが、のちのリアリティ番組のなかで「写真の一部を切り取って全く違う意味をもたせられる」と語るがこっちは逆で凡庸の周囲を色んなもので装飾することで本来の価値よりも上等にみせる、という手法であり、アクアにそれができるのは中身がオッサンのオタクだからである。
完結済みで伸びが期待できないと作者がかたる過去の、オッサンはあまり読まなそうな少女漫画を「読んでないのはモグリ」というくらいにはカルチャーに通じてるのは中身がオッサンのオタクだからであり、ついでに頭も相当いいので、カントクの元で演出を学んだだけでなく、エンタメに関する文化資本が年齢にくらべて相当高いからこそ自分を演出するだけのそれを持ってるのである。年齢の体と精神の差がなくなってもその文化資本の高さからくる自己演出力は高校生のそれを遥かに上回ってるので、これがギャップとなってかなからすると過去の天才っぷりと同じかそれ以上の輝きにみえたに違いないが、彼女は彼の中身がオッサンのオタクとは知らない。知ってるのは彼がかつて「天才」で今は凡庸に収まり、カントクのもとで演出の手伝いをやってることだけなので、その自己演出力を努力を積み重ねて手に入れたとおもったんだろう。そして子役時代との違いはその輝きを自分を照らすためにつかってくれてるのである。オッサンの善意はかなをアクアに惚れさせるにはじゅうぶんだといえる。
アイドルのライブでヲタ芸を必死でやってくれるがあそこまでうまくできるのはドルオタのオッサンだったからである。
オッサンとかいてるが、3巻のキャッチボールのやりとりをみると都度、肉体年齢相応な心理的不安定になったりしてるらしく、「僕(オッサン)とアクアの境目がなくなってきてる」とかたるがそれをきいたかなは「中二病」という。高校生がそんなことを言ってたら誰でもそういうだろうが中身がオッサンだと知ってればそうは言わないだろう。知ってるのは妹のルビーだけだが彼はじぶんのそんな悩みを妹には言わない。彼は妹を母親と同じ目にあわせないようにする保護者なので。
中の人が同一人物だと解ってないとは言え、同じ少女に献身につくすかれは第1話では「ロリコン」と呼ばれ、以降は「シスコン」と呼ばれる。その違いはガワがオッサンか兄の高校生か、の違いであるが、オッサンはそのガワや内面の変化にともない「ロリコン」「シスコン」「中二病」と色んな表現で呼ばれる。呼ぶのは全員、女性である。
善良なオッサンはリアリティ番組でも大人たちが話題集めのために少女を生贄にするかたちになった番組への怒りをあらわに「大人がガキまもらなくてどうするんだ」と言うが、その少女がじぶんの復讐に使えると知るとそのリアリティ番組のシステムを活用して仮のカップルになってしまうので先の台詞と齟齬が生じてしまったよーにもみえ、そんなひずみがこの巻で終わる2.5次元編であらわとなる。
アクアのなかにオッサンと本来の年齢通りなアクアというふたつの精神が不安定にゆらいでいるとして、肉体と精神のズレがなくなったときにそれはオッサンが中にいるひとではなくなる。実際、妹のルビーは兄と違って内面とガワのギャップで驚かれることはほぼ無く、赤ちゃんの頃に母親のアイから違和感もたれたくらいである。中の人が少女なのでガワとのギャップが少なく、オタクとしてのエンタメ文化資本もオッサンに比べればずっと低いので高校生くらいになればほぼガワと中身が一緒になるのであり、いずれはアクアもそうなるに違いない、はずなのだがメソッド演技で内面を掘り下げると過去のトラウマと共に、次第に薄まっていったはずの中のオッサンがはっきりとでてきて「幸せそうにしてないで復讐ちゃんとやれ」とアクアにそのどすぐろい感情をむける。献身につくして子どもたちを助けていたはずの中のオッサンはアクアという子どもにだけは己の復讐を背負わせようとしてかれの幸せを否定するんである。
ということで、本作もまた昨今のエンタメに凄く多い「子どもに責任背負わせてええの問題」に向き合った漫画だとわかる。「メンタル不安定な中学生にその不安定なメンタルとシンクロしないと動かない兵器に乗せて人類の明暗背負わすのってどうなの」とか「大いなる力には大いなる責任がともなうって子どもに大いなる力を与えることそれ自体間違ってませんかね、責任は大人が取れよ」みたいな問題意識もった作品すごくおおい。中身のオッサンはもはやそんな感じでアクアにとっては復讐を背負わせるだけの存在になっている。
子どもに責任を追求することはリアリティ番組におけるSNSの攻撃の餌食だけでなく、メルトにむけられる漫画家の目線も同じである。「なんで下手な人使うんだろう」はドラマのスタッフの大人に言うことばなのだが彼女の目はメルトに向いてしまってるので、ドラマのあとにあったときも何度も冷たい目線をむけている。大人である著名な漫画家が自作品に出演した子どもの役者にそんな振る舞いをしていると知ったら原作ファンがかれを炎上させるかもしれないのに。
「子どもなので過ちはおかす」な台詞は作中にでてくるし、メルトはその過ちを改めて必死で努力していたのであるからして大人はそういう子どもの姿をみてあげるべきでしょう、自分の終わった作品が汚されたことよりも…とは言え、この漫画にでてくる漫画家がふたりとも女性なのは偶然ではないだろう。アイドル、子役タレント、女優、漫画家、芸能界で下に扱われるのがみんな女性なのはシナリオ上で意図的であると考えるべきである。そんなミソジニーな芸能の世界で、かつてじぶんの作品をだいなしにした若い男子役者の姿を自分の隣でみる年下の女性漫画家が「自分の作品がそのまま再現されてる」と喜ぶ姿と、彼女の漫画のキャラに感情移入して演じるメルトをみつつ、自戒とともに「なぜこれが自分の作品には間に合わなかったのか」な想いもあったにちがいなく。
…この漫画は岩明均の寄生獣にすごく影響された漫画だと思う。「本人にとってすごく大きな存在である母親をころされて復讐する」というのが一緒。上でちらっと実在の作品に触れたように子どもに責任とらせてええの問題は子どもに責任をとらせていた先達カルチャーの功罪に向き合うのとおなじなので必然的に先達作品のオマージュがはいってくる。パクリだとかそーゆうくだらん話ではない。
この2.5次元編のクライマックスである「死別した母親と疑似的に再会を果たして救済される」というのは寄生獣をなぞったものである。ドルオタのオッサンにとっては推しの子を殺された復讐の物語でも、子どものアクアからすれば母親が目の前で死んだトラウマだけであり。
寄生獣にて主人公、シンイチの擬似的な母親をになうのパラサイトの田村玲子である。人間の子どもを産んだことで「人の母親」となってパラサイトとしてのアイデンティティがゆらぐ彼女はミギーを体内にだいぶ取り込んで人とパラサイトの境目が曖昧になったシンイチとその母親の関係を理解することがアイデンティティの確立に繋がり、いっぽうで自分の母親をころしたパラサイトの仲間であり、同時に母親でもある田村にしかその役割がつとまらない、とかそんな話なのだが、本作にて田村玲子の役割に位置するあかねはアクアに惹かれ始めたころにかれの好きなタイプが母親であるアイだということでその内面を掘り下げていくうちに「復讐に使える」とおもわれるほどに完全なコピーを演じるにまでいたるのは要は彼女が天才だからである…のだが行動原理は「アクアが好きだから」というそんだけの話である。なんで好きになったかっつーとかなのときと一緒である。
芸能界という虚構の世界にて復讐のために様々な立ち位置を自己演出して立ち回ってるうちにオッサンはふたりの少女をだいぶガチにアクアに惚れされてしまった。仕事であってそんなに付き合いのない異母兄弟から「女好きは遺伝する」「有馬と黒川たぶらかしてるお前をみてると絶望しかない」なんて言われるくらいの振る舞いをしてたんである。それは復讐のための過程であったわけだが、んじゃその復讐をする必要なくなったら。寄生獣だと復讐相手のパラサイトを戦友の同じくパラサイトのまじったオッサンが代わりにやってくれて子どものシンイチに「きみはやっちゃいけない気がする」なんて言ってくれたからまるくおさまったけども。
復讐する必要がないなら自由に生きて普通に暮らしていいんじゃないか、だってアクアはまだ子どもだし。シンイチだって高校生には分不相応なことをたくさん体験してきたけど最後は分相応の場所に戻ったわけで。しかし、本作では中のオッサンがアクアとは関係ない復讐の過程でガチ惚れさせたふたりの少女との泥沼まったなしにしかみえない三角関係を残していった。ついでに自分が初恋の相手な少女が生まれ変わりの妹であるという発火したらただじゃすまない爆弾製造にも関与してたり。
異世界ものにおおい転生とは転生先のからだに本来宿るはずのいのち…本作でいうとアクアの事を考えない身勝手なご都合主義でしかなく、寄生獣の「この世界をまもらなければ」という地球上の誰かのふとした思いと違って「今死ぬと結婚したアイドルの産んだ子に転生できるぞ」な実にくだらんドルオタの欲望が実現した結果、子どもの体に転生してきたオッサンは己の復讐のために子どもに分不相応な三角関係を拵えて残していっただけである。そんな振る舞いとアイドルを己の欲望のわくにはめようとしてアイをころした犯人はどう違うというのか。嘘の世界で生き続けた彼女がようやく口にした子どもたちへの本音たる「愛してる」も中身がただのドルオタだと嘘になっちゃうのである。
このような虚構たる芸能界にてアクアの中に転生してきたオッサンは切れ者のようにたちまわったところで結局は子どもや女性にろくなものを残していなく、アクアに復讐だけでなくもっと重いもんを背負わせただけである…というところで次章が「プライベート」なのである。そのオッサンが残した問題は詰まるところ、第1話で語ったオッサンの「少女への想い」が「女性」から指摘される「ロリコンが夢にかこつけて自分の欲望を解放してるだけ」と、「オッサン自身」が語る「めちゃピュアな気持ちで推しとる」のどっちが嘘でどっちが真実なのか、に収束するわけであろう。
エンタメにおける子どもに責任背負わせてええの問題は現実への問題意識から生まれるものである。いっぽうでエンタメにはモラトリアムグルグルものもすごくおおい。「いいとしこいた大人が大人になりたくないでもならなくちゃいけないどうしよう」でグルグルする話。そうやって大人がグルグルしてるあいだにもそのツケがどんどん次世代にのしかかるし、ついでに自分たち自身が上の世代のツケを押し付けられたと実感してるからこそ先達エンタメの功罪にむきあいつつそんな問題意識をエンタメに落とし込むのであろう。たぶん。
じぶんのようなオッサンが寄生獣はスゴイと力説してもお世辞にもうまくないし時代をかんじる岩明の絵の時点でみる気起きないだろうし、読んでも「シンイチのチートがなろうみたいだな、いろんな女子にモテまくるし。ストーリーふるいもセカイ系じゃん」で終わる可能性もあるのでミギーのオタク語りと犬くらいしか話題にならない。
「価値観をアップデートしよう」な物言いはおおいが上の世代たる老人にはあまりいいことがないのでかれらはアップデートなどしたがらずにグルグルし続けたがるし、更新ボタンクリックしてできるわけでもないし、そもそも「価値を更新しろ」だの「子どもに責任背負わせていいんか」などと説教されるために漫画を読むわけじゃないので、エンタメにおいて先達を引き継ぎつつ、表現が更新されたもっと面白い漫画をあとの世代がつくり、それをあとの世代が読んで楽しむ、とゆー流れができあがると、延々書いたこういう御託をウダウダと述べなくても読者は自然にそういうテーマを物語の中からかんじとることはできるようになっていくので、寄生獣は傑作だデビルマンのがすごいだ今の漫画はダメだとグルグルしてるひとはほっといて、表現者のひとたちがそんな感じで物語を未来にむけて繋いでいるわけであって本作もそのひとつなんだと思うなというのをかきました。だからこのまんがは男性の原作者でなくて女性の漫画家がかくいみがあるのです。たぶん。8巻以降は単行本を買って読みつつこんな感想を書かずに心の中で思うだけでおわりにいたします。
アクアの中身はオッサン(ゴロー)だ、という話を有馬かなとの関係をメインにかく。1巻の子役時代のアクアは異世界なろうの主人公っぽく、実際転生してチートな演技をしてみせるが「なんかやっちゃいました?」と違ってなにをやったかは自覚してるのであり本人がかたるように中身とワガの年齢差がギャップとして機能しただけで別に天才でもなんでもない…わけだが実際の天才子役たるかなの自尊を打ちのめすくらいには天才にみえたわけであり、なにをやったかは自覚しててもそれが後にどこまで影響を及ぼすかまでは頭がまわってなかったっぽい。このときのできごとが再会までのかなの芸能人生に無関係だったとはおもえないし。
アクアのほうは忘れていても向こうはすれ違いざまに名前をきいただけで一気にくいついてくるくらいには鮮烈な印象に残っており、自分がでてるドラマに誘ったのもかつてみた天才ぶりをまたみたかったに違いないが、肉体と精神の年齢差が縮まったのでギャップも薄まり、その演技は凡庸にみえたわけである。
…が、天才から凡庸になってもなお芸能の世界にいるアクアをかつては天才子役、いまはまだ10代なのに過去の人扱いされながらも芸能を続ける自分と重ねて戦友をえた気持ちになったには違いなく。ただ中にいるオッサンは復讐を考えているだけだが。母親であり自分の推しの子の命を奪った相手への復讐心だけで芸能界にいる元ドルオタのオッサン。
ただ、オッサンは性格に問題あるわけでもないというかむしろ善人なので生前に医師として自分が担当してた患者の少女にも献身につくすようなオッサンなのである。その少女が恋をしてしまうくらいの献身。となりに居る妹の中の人がその少女だとは気づいてないけども。
よって、善良なオッサンは復讐のために関係者のDNAを採取するために出演しただけのドラマでもまだ夢に向かっていこうとする少女を嘲笑する大人への軽蔑をあからさまにして「せっかくだから滅茶苦茶やって帰るか」と言うがこのあと文字通りに滅茶苦茶にしていく。わるいいみで。
凡庸にみえた演技は本番になると一気に冴えをみせるがこれは小道具や照明などを活用して凡庸な演技を冴えた演技にみえるように演出しているとゆーことだが、のちのリアリティ番組のなかで「写真の一部を切り取って全く違う意味をもたせられる」と語るがこっちは逆で凡庸の周囲を色んなもので装飾することで本来の価値よりも上等にみせる、という手法であり、アクアにそれができるのは中身がオッサンのオタクだからである。
完結済みで伸びが期待できないと作者がかたる過去の、オッサンはあまり読まなそうな少女漫画を「読んでないのはモグリ」というくらいにはカルチャーに通じてるのは中身がオッサンのオタクだからであり、ついでに頭も相当いいので、カントクの元で演出を学んだだけでなく、エンタメに関する文化資本が年齢にくらべて相当高いからこそ自分を演出するだけのそれを持ってるのである。年齢の体と精神の差がなくなってもその文化資本の高さからくる自己演出力は高校生のそれを遥かに上回ってるので、これがギャップとなってかなからすると過去の天才っぷりと同じかそれ以上の輝きにみえたに違いないが、彼女は彼の中身がオッサンのオタクとは知らない。知ってるのは彼がかつて「天才」で今は凡庸に収まり、カントクのもとで演出の手伝いをやってることだけなので、その自己演出力を努力を積み重ねて手に入れたとおもったんだろう。そして子役時代との違いはその輝きを自分を照らすためにつかってくれてるのである。オッサンの善意はかなをアクアに惚れさせるにはじゅうぶんだといえる。
アイドルのライブでヲタ芸を必死でやってくれるがあそこまでうまくできるのはドルオタのオッサンだったからである。
オッサンとかいてるが、3巻のキャッチボールのやりとりをみると都度、肉体年齢相応な心理的不安定になったりしてるらしく、「僕(オッサン)とアクアの境目がなくなってきてる」とかたるがそれをきいたかなは「中二病」という。高校生がそんなことを言ってたら誰でもそういうだろうが中身がオッサンだと知ってればそうは言わないだろう。知ってるのは妹のルビーだけだが彼はじぶんのそんな悩みを妹には言わない。彼は妹を母親と同じ目にあわせないようにする保護者なので。
中の人が同一人物だと解ってないとは言え、同じ少女に献身につくすかれは第1話では「ロリコン」と呼ばれ、以降は「シスコン」と呼ばれる。その違いはガワがオッサンか兄の高校生か、の違いであるが、オッサンはそのガワや内面の変化にともない「ロリコン」「シスコン」「中二病」と色んな表現で呼ばれる。呼ぶのは全員、女性である。
善良なオッサンはリアリティ番組でも大人たちが話題集めのために少女を生贄にするかたちになった番組への怒りをあらわに「大人がガキまもらなくてどうするんだ」と言うが、その少女がじぶんの復讐に使えると知るとそのリアリティ番組のシステムを活用して仮のカップルになってしまうので先の台詞と齟齬が生じてしまったよーにもみえ、そんなひずみがこの巻で終わる2.5次元編であらわとなる。
アクアのなかにオッサンと本来の年齢通りなアクアというふたつの精神が不安定にゆらいでいるとして、肉体と精神のズレがなくなったときにそれはオッサンが中にいるひとではなくなる。実際、妹のルビーは兄と違って内面とガワのギャップで驚かれることはほぼ無く、赤ちゃんの頃に母親のアイから違和感もたれたくらいである。中の人が少女なのでガワとのギャップが少なく、オタクとしてのエンタメ文化資本もオッサンに比べればずっと低いので高校生くらいになればほぼガワと中身が一緒になるのであり、いずれはアクアもそうなるに違いない、はずなのだがメソッド演技で内面を掘り下げると過去のトラウマと共に、次第に薄まっていったはずの中のオッサンがはっきりとでてきて「幸せそうにしてないで復讐ちゃんとやれ」とアクアにそのどすぐろい感情をむける。献身につくして子どもたちを助けていたはずの中のオッサンはアクアという子どもにだけは己の復讐を背負わせようとしてかれの幸せを否定するんである。
ということで、本作もまた昨今のエンタメに凄く多い「子どもに責任背負わせてええの問題」に向き合った漫画だとわかる。「メンタル不安定な中学生にその不安定なメンタルとシンクロしないと動かない兵器に乗せて人類の明暗背負わすのってどうなの」とか「大いなる力には大いなる責任がともなうって子どもに大いなる力を与えることそれ自体間違ってませんかね、責任は大人が取れよ」みたいな問題意識もった作品すごくおおい。中身のオッサンはもはやそんな感じでアクアにとっては復讐を背負わせるだけの存在になっている。
子どもに責任を追求することはリアリティ番組におけるSNSの攻撃の餌食だけでなく、メルトにむけられる漫画家の目線も同じである。「なんで下手な人使うんだろう」はドラマのスタッフの大人に言うことばなのだが彼女の目はメルトに向いてしまってるので、ドラマのあとにあったときも何度も冷たい目線をむけている。大人である著名な漫画家が自作品に出演した子どもの役者にそんな振る舞いをしていると知ったら原作ファンがかれを炎上させるかもしれないのに。
「子どもなので過ちはおかす」な台詞は作中にでてくるし、メルトはその過ちを改めて必死で努力していたのであるからして大人はそういう子どもの姿をみてあげるべきでしょう、自分の終わった作品が汚されたことよりも…とは言え、この漫画にでてくる漫画家がふたりとも女性なのは偶然ではないだろう。アイドル、子役タレント、女優、漫画家、芸能界で下に扱われるのがみんな女性なのはシナリオ上で意図的であると考えるべきである。そんなミソジニーな芸能の世界で、かつてじぶんの作品をだいなしにした若い男子役者の姿を自分の隣でみる年下の女性漫画家が「自分の作品がそのまま再現されてる」と喜ぶ姿と、彼女の漫画のキャラに感情移入して演じるメルトをみつつ、自戒とともに「なぜこれが自分の作品には間に合わなかったのか」な想いもあったにちがいなく。
…この漫画は岩明均の寄生獣にすごく影響された漫画だと思う。「本人にとってすごく大きな存在である母親をころされて復讐する」というのが一緒。上でちらっと実在の作品に触れたように子どもに責任とらせてええの問題は子どもに責任をとらせていた先達カルチャーの功罪に向き合うのとおなじなので必然的に先達作品のオマージュがはいってくる。パクリだとかそーゆうくだらん話ではない。
この2.5次元編のクライマックスである「死別した母親と疑似的に再会を果たして救済される」というのは寄生獣をなぞったものである。ドルオタのオッサンにとっては推しの子を殺された復讐の物語でも、子どものアクアからすれば母親が目の前で死んだトラウマだけであり。
寄生獣にて主人公、シンイチの擬似的な母親をになうのパラサイトの田村玲子である。人間の子どもを産んだことで「人の母親」となってパラサイトとしてのアイデンティティがゆらぐ彼女はミギーを体内にだいぶ取り込んで人とパラサイトの境目が曖昧になったシンイチとその母親の関係を理解することがアイデンティティの確立に繋がり、いっぽうで自分の母親をころしたパラサイトの仲間であり、同時に母親でもある田村にしかその役割がつとまらない、とかそんな話なのだが、本作にて田村玲子の役割に位置するあかねはアクアに惹かれ始めたころにかれの好きなタイプが母親であるアイだということでその内面を掘り下げていくうちに「復讐に使える」とおもわれるほどに完全なコピーを演じるにまでいたるのは要は彼女が天才だからである…のだが行動原理は「アクアが好きだから」というそんだけの話である。なんで好きになったかっつーとかなのときと一緒である。
芸能界という虚構の世界にて復讐のために様々な立ち位置を自己演出して立ち回ってるうちにオッサンはふたりの少女をだいぶガチにアクアに惚れされてしまった。仕事であってそんなに付き合いのない異母兄弟から「女好きは遺伝する」「有馬と黒川たぶらかしてるお前をみてると絶望しかない」なんて言われるくらいの振る舞いをしてたんである。それは復讐のための過程であったわけだが、んじゃその復讐をする必要なくなったら。寄生獣だと復讐相手のパラサイトを戦友の同じくパラサイトのまじったオッサンが代わりにやってくれて子どものシンイチに「きみはやっちゃいけない気がする」なんて言ってくれたからまるくおさまったけども。
復讐する必要がないなら自由に生きて普通に暮らしていいんじゃないか、だってアクアはまだ子どもだし。シンイチだって高校生には分不相応なことをたくさん体験してきたけど最後は分相応の場所に戻ったわけで。しかし、本作では中のオッサンがアクアとは関係ない復讐の過程でガチ惚れさせたふたりの少女との泥沼まったなしにしかみえない三角関係を残していった。ついでに自分が初恋の相手な少女が生まれ変わりの妹であるという発火したらただじゃすまない爆弾製造にも関与してたり。
異世界ものにおおい転生とは転生先のからだに本来宿るはずのいのち…本作でいうとアクアの事を考えない身勝手なご都合主義でしかなく、寄生獣の「この世界をまもらなければ」という地球上の誰かのふとした思いと違って「今死ぬと結婚したアイドルの産んだ子に転生できるぞ」な実にくだらんドルオタの欲望が実現した結果、子どもの体に転生してきたオッサンは己の復讐のために子どもに分不相応な三角関係を拵えて残していっただけである。そんな振る舞いとアイドルを己の欲望のわくにはめようとしてアイをころした犯人はどう違うというのか。嘘の世界で生き続けた彼女がようやく口にした子どもたちへの本音たる「愛してる」も中身がただのドルオタだと嘘になっちゃうのである。
このような虚構たる芸能界にてアクアの中に転生してきたオッサンは切れ者のようにたちまわったところで結局は子どもや女性にろくなものを残していなく、アクアに復讐だけでなくもっと重いもんを背負わせただけである…というところで次章が「プライベート」なのである。そのオッサンが残した問題は詰まるところ、第1話で語ったオッサンの「少女への想い」が「女性」から指摘される「ロリコンが夢にかこつけて自分の欲望を解放してるだけ」と、「オッサン自身」が語る「めちゃピュアな気持ちで推しとる」のどっちが嘘でどっちが真実なのか、に収束するわけであろう。
エンタメにおける子どもに責任背負わせてええの問題は現実への問題意識から生まれるものである。いっぽうでエンタメにはモラトリアムグルグルものもすごくおおい。「いいとしこいた大人が大人になりたくないでもならなくちゃいけないどうしよう」でグルグルする話。そうやって大人がグルグルしてるあいだにもそのツケがどんどん次世代にのしかかるし、ついでに自分たち自身が上の世代のツケを押し付けられたと実感してるからこそ先達エンタメの功罪にむきあいつつそんな問題意識をエンタメに落とし込むのであろう。たぶん。
じぶんのようなオッサンが寄生獣はスゴイと力説してもお世辞にもうまくないし時代をかんじる岩明の絵の時点でみる気起きないだろうし、読んでも「シンイチのチートがなろうみたいだな、いろんな女子にモテまくるし。ストーリーふるいもセカイ系じゃん」で終わる可能性もあるのでミギーのオタク語りと犬くらいしか話題にならない。
「価値観をアップデートしよう」な物言いはおおいが上の世代たる老人にはあまりいいことがないのでかれらはアップデートなどしたがらずにグルグルし続けたがるし、更新ボタンクリックしてできるわけでもないし、そもそも「価値を更新しろ」だの「子どもに責任背負わせていいんか」などと説教されるために漫画を読むわけじゃないので、エンタメにおいて先達を引き継ぎつつ、表現が更新されたもっと面白い漫画をあとの世代がつくり、それをあとの世代が読んで楽しむ、とゆー流れができあがると、延々書いたこういう御託をウダウダと述べなくても読者は自然にそういうテーマを物語の中からかんじとることはできるようになっていくので、寄生獣は傑作だデビルマンのがすごいだ今の漫画はダメだとグルグルしてるひとはほっといて、表現者のひとたちがそんな感じで物語を未来にむけて繋いでいるわけであって本作もそのひとつなんだと思うなというのをかきました。だからこのまんがは男性の原作者でなくて女性の漫画家がかくいみがあるのです。たぶん。8巻以降は単行本を買って読みつつこんな感想を書かずに心の中で思うだけでおわりにいたします。
ベスト500レビュアー
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舞台に入ってから、なんか本筋忘れられてない?もしかして『ガラスの仮面』が出ないからその代りでも狙ってるの?と思ってましたが、やっと本筋に戻りました。
アクアがなぜ役者を改めてマジでやろうと決めたのか
そして私がずっと気になっていたのは、「アクアが真実を知って、仮に相手を死ぬよりも苦しい地獄を味わわせて、その後どうするつもりなのか?もうそれで満足して死ねるとでもいうのだろうか?」ということでしたが、この巻で一気にその辺が分かりました。
いや、これが「本当の真実」かどうかはまだ分かりませんけどね・・・
それにしてもアクアとルビーは前世の記憶がありながら、なんでお互いに誰なのか分からないんだろうな
それがまだよく分からない・・・
今回は表紙もめっちゃかわいい。トニカクカワイイ。
内容もここ数巻の停滞を吹き飛ばす話でした。満足。
アクアがなぜ役者を改めてマジでやろうと決めたのか
そして私がずっと気になっていたのは、「アクアが真実を知って、仮に相手を死ぬよりも苦しい地獄を味わわせて、その後どうするつもりなのか?もうそれで満足して死ねるとでもいうのだろうか?」ということでしたが、この巻で一気にその辺が分かりました。
いや、これが「本当の真実」かどうかはまだ分かりませんけどね・・・
それにしてもアクアとルビーは前世の記憶がありながら、なんでお互いに誰なのか分からないんだろうな
それがまだよく分からない・・・
今回は表紙もめっちゃかわいい。トニカクカワイイ。
内容もここ数巻の停滞を吹き飛ばす話でした。満足。
2022年2月19日に日本でレビュー済み
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売れる表紙に戻ったww
以下表紙満足度
1巻◎
2巻◎
3巻○アクアの左手なんなん
4巻◎
5巻x
6巻x
表紙に黒背景は全然合ってない。鬱。
なんだかなぁ〜発売日に本屋で買う気が失せる。
7巻◎
半分黒入っているけどデザイン的にアリ秀逸。
.
以下表紙満足度
1巻◎
2巻◎
3巻○アクアの左手なんなん
4巻◎
5巻x
6巻x
表紙に黒背景は全然合ってない。鬱。
なんだかなぁ〜発売日に本屋で買う気が失せる。
7巻◎
半分黒入っているけどデザイン的にアリ秀逸。
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2022年2月18日に日本でレビュー済み
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当初、復讐が一つのテーマでしたが、アクタージュ亡き後、演劇やドラマをテーマに盛り上がるコミックとして存在感が増してきました。結構初期設定の復讐が喉に刺さった小骨感がありましたが、解決の糸口がみえてきて、このまま前向きな演劇、芸能の話になってくれるといいなあ、という個人的な希望です。