オウム真理教が起こした一連の事件の記憶は今でも生々しく、極悪非道な反社会的狂信者の集団で理解不能だと思っていた。つまりオウム=絶対悪と言う認識で、思考停止していたと、本書を読んで痛感した。そしてその認識が、実はテレビを初めとするマスコミによって刷り込まれていたと言う事実も。作者がこのドキュメンタリー映画の作成を構想するも受け入れられず、結局フリーの立場で自主制作するしかなかったのも、オウム=絶対悪と言うマスコミの認識にそぐわなかったからであろう。
マスコミが世論の形成に与える影響力の大きさは、コロナ禍の現在にも見られる普遍的な問題のようだ。当時の圧倒的世論に逆らい、あえてオウム信者の立場からのドキュメンタリーに挑んだ作者は貴重な存在だ。
思考停止したマスコミに反旗を翻し、極力中立の立場でドキュメンタリーを制作しようとした作者の労作として髙く評価する。が、オウム信者、特に荒木氏との親交が深まったあまり、やはりオウム信者側にやや肩入れしてしまった感があるのは、作者の限界か。人間的には好感を覚えるが、ドキュメンタリー制作者としては情に流されてしまうのは頂けない。
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「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫) Kindle版
――オウムの中から見ると、外の世界はどう映るのだろう?1995年。熱狂的なオウム報道に感じる欠落感の由来を求めて、森達也はオウム真理教のドキュメンタリーを撮り始める。オウムと世間という2つの乖離した社会の狭間であがく広報担当の荒木浩。彼をピンホールとして照射した世界は、かつて見たことのない、生々しい敵意と偏見を剥き出しにしていく――!メディアが流す現実感のない2次情報、正義感の麻痺、蔓延する世論(ルサンチマン)を鋭く批判した問題作!ベルリン映画祭を始め、各国映画祭で絶賛された「A」の全てを描く。
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2013/2/25
- ファイルサイズ3584 KB
商品の説明
出版社からのコメント
僕らはあの事件からまだ何も学べていない。
――オウム真理教の中から見たとき、外の世界はどう見えるのだろう? 一九九六年。熱狂的なオウム(現アーレフ)報道に感じる欠落感の由来を求めて、森達也はオウム真理教のドキュメンタリーを撮り始める。
オウムと世間という二つの乖離した社会の狭間であがく広報担当の荒木浩。彼をピンホールとして照射した世界は、かつて見たことのない、生々しい敵意と偏見を剥き出しにしていた――!
メディアが流す現実感のない二次情報、正義感の麻痺、蔓延するルサンチマン世論を鋭く批判した問題作!
ベルリン映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、釜山、香港、バンクーバーと各国映画祭で絶賛された「A」のすべてを描く。
--このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
――オウム真理教の中から見たとき、外の世界はどう見えるのだろう? 一九九六年。熱狂的なオウム(現アーレフ)報道に感じる欠落感の由来を求めて、森達也はオウム真理教のドキュメンタリーを撮り始める。
オウムと世間という二つの乖離した社会の狭間であがく広報担当の荒木浩。彼をピンホールとして照射した世界は、かつて見たことのない、生々しい敵意と偏見を剥き出しにしていた――!
メディアが流す現実感のない二次情報、正義感の麻痺、蔓延するルサンチマン世論を鋭く批判した問題作!
ベルリン映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、釜山、香港、バンクーバーと各国映画祭で絶賛された「A」のすべてを描く。
--このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
―オウムの中から見ると、外の世界はどう映るのだろう?一九九五年。熱狂的なオウム報道に感じる欠落感の由来を求めて、森達也はオウム真理教のドキュメンタリーを撮り始める。オウムと世間という二つの乖離した社会の狭間であがく広報担当の荒木浩。彼をピンホールとして照射した世界は、かつて見たことのない、生々しい敵意と偏見を剥き出しにしていた―!メディアが流す現実感のない二次情報、正義感の麻痺、蔓延する世論を鋭く批判した問題作!ベルリン映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、香港、カナダと各国映画祭で絶賛された「A」のすべてを描く。 --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
著者について
森達也●98年オウム真理教の荒木浩を主人公とする映画「A」を公開、ベルリン映画祭など海外映画祭で高い評価を受ける。2001年「A2」を公開し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞する。著書に『「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(ともに角川文庫)、『放送禁止歌』(知恵の森文庫)、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(晶文社)など多数。映像・活字双方で最も注目を集める作家。
--このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
--このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
森/達也
1956年生まれ。ディレクターとして、テレビ・ドキュメンタリー作品を多く制作。98年オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、ベルリン映画祭などに出品し、海外でも高い評価を受ける。2002年「A2」を公開予定(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
1956年生まれ。ディレクターとして、テレビ・ドキュメンタリー作品を多く制作。98年オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、ベルリン映画祭などに出品し、海外でも高い評価を受ける。2002年「A2」を公開予定(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B00GUBVS54
- 出版社 : KADOKAWA (2013/2/25)
- 発売日 : 2013/2/25
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 3584 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 230ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 121,264位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 2,041位エッセー・随筆 (Kindleストア)
- - 3,073位近現代日本のエッセー・随筆
- - 4,376位角川文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
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広島県生まれ。映画監督、作家。1998年にドキュメンタリー映画『A』を発表。2001年、続編の『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『極私的メディア論』(ISBN-10:4904795075)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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森達也は判断しない。そこを解説の宮台が体験加工の保留とうまく説明している。ただ見て聞いて、撮る。自分の感情を伝える。それをどう考えるのかは私たちである。それを森達也は求めている。それこそが思考停止に対する問いかけである。森達也が判断して結論を書けば、それにただ乗っかる人、反発して一刀両断にバカ扱いする人が出るだろう。それが思考停止である。なので私が聞きたいことも森達也はインタビューしてくれない(笑)世俗の愛着を「執着」と言うが、信者仲間が不当逮捕されれば必死に助けようとし、麻原に愛着を示し、仲間を守ろうとするそれは、愛では無いのか?執着ではないのか?修行をしていない、オウム的には「凡夫」を殺した時、産まれる憎しみや悲しみを「執着」と言うなら、宗教そのものに捕らわれ「真理」をひたすら求めるその心も「真理への執着」ではないのか?沢山の矛盾を孕んだままの「信心」。罪悪感や疑惑を近づけないための「迷い無い宗教的解釈」。それは「自分だけが苦しまないための信心」。信じるほどに、すべての苦しみが無くなっていくのは当然の事だ。他人の痛みを感じることを執着と呼び、己の生きにくさを凡夫の無知のせいと切り捨て、他人のために悩んだり胸を痛めたりしなくなれば、世の中はずいぶん楽だからだ。
それはまたそのまま社会にも適応する。いじめを平気でする人間。悪口を広め他人をたたき落とす人間。そこには宗教では無い「信心」がある。「あいつが調子に乗っているからだ」「あいつは悪人だから」「社会のために」と言うような、それをなんとかしてたたき落とさねばならないという、迷いなき「信心」がある。同じ理論で人は人を殺す。
人をたたき落とし、殺す真理は宗教があっても無くても同じ理論だ。
これを読む前から、オウムの事件には大事なことがあると感じ、
信者は自分の頭で悩み苦しみ一歩ずつ答を探すことを停止して、既存の「真理」に手っ取り早く乗ることを選んだ。と感じていた。そうしてその人生最大の選択が間違っていない事を証明しようと教義からそれらしいことを探し符合させ続けているのだと。そうしてきっと世間の意地の悪さに比べて、教団内部の人間の方が善良なのだろう。(善良=正しさ。ではない。)世間に戻ることは恐ろしいことなのだろうと。思っていた。森達也の「思考停止」言に深くうなずいた。
昔、祖母の法事で坊さんが、「人に沢山分け与えていたおばあさんが、たったひとつ子供のためにまんじゅうを残した。それで餓鬼道に落ちた。それほど執着は悪いことだ。」と説教をしていて、私は法事であるのに手を挙げて反論したくなった。「子供を餓死させて他人に全部与えちゃうやつを一般にろくでなしと言うのでは無いのか?!」と強く言いたかった。仏教がそう言うことを言う。断捨離だと言って、年老いた両親のもったいないと言う痛みを無視して全部捨ててしまい、姑を怯えさせ悲しませる嫁は一般に鬼嫁と言うのでは無いのか?清潔は健康にも良いと、それが高じれば他人をすべてばい菌扱いするようになる。自分の尻は拭くだろうに。世間にはそういった「良いことから昂じる異常」や「執着は悪」と言う思想が底に横たわっている。そこを究極に伸ばしていけばオウムにもなるのだと思う。
オウムの「異常」から学ぶべき事は沢山あるのだ。
それはまたそのまま社会にも適応する。いじめを平気でする人間。悪口を広め他人をたたき落とす人間。そこには宗教では無い「信心」がある。「あいつが調子に乗っているからだ」「あいつは悪人だから」「社会のために」と言うような、それをなんとかしてたたき落とさねばならないという、迷いなき「信心」がある。同じ理論で人は人を殺す。
人をたたき落とし、殺す真理は宗教があっても無くても同じ理論だ。
これを読む前から、オウムの事件には大事なことがあると感じ、
信者は自分の頭で悩み苦しみ一歩ずつ答を探すことを停止して、既存の「真理」に手っ取り早く乗ることを選んだ。と感じていた。そうしてその人生最大の選択が間違っていない事を証明しようと教義からそれらしいことを探し符合させ続けているのだと。そうしてきっと世間の意地の悪さに比べて、教団内部の人間の方が善良なのだろう。(善良=正しさ。ではない。)世間に戻ることは恐ろしいことなのだろうと。思っていた。森達也の「思考停止」言に深くうなずいた。
昔、祖母の法事で坊さんが、「人に沢山分け与えていたおばあさんが、たったひとつ子供のためにまんじゅうを残した。それで餓鬼道に落ちた。それほど執着は悪いことだ。」と説教をしていて、私は法事であるのに手を挙げて反論したくなった。「子供を餓死させて他人に全部与えちゃうやつを一般にろくでなしと言うのでは無いのか?!」と強く言いたかった。仏教がそう言うことを言う。断捨離だと言って、年老いた両親のもったいないと言う痛みを無視して全部捨ててしまい、姑を怯えさせ悲しませる嫁は一般に鬼嫁と言うのでは無いのか?清潔は健康にも良いと、それが高じれば他人をすべてばい菌扱いするようになる。自分の尻は拭くだろうに。世間にはそういった「良いことから昂じる異常」や「執着は悪」と言う思想が底に横たわっている。そこを究極に伸ばしていけばオウムにもなるのだと思う。
オウムの「異常」から学ぶべき事は沢山あるのだ。





