先に読んだ半藤一利氏と佐藤優氏の対談本『21世紀の戦争論』で「昭和史を武器に変える14冊」のなかで半藤一利氏が挙げていた山本七平著『「空気」の研究』を読むことにした。
本書が刊行されたのは1977年であり、ロッキード事件やカドミウム裁判など取りあげているが、ロッキード事件やカドミウム裁判などは40年以上も昔に起きた事件だから、リアルタイムで体験している読者は相当年配のはずである。
著者の本書に於ける「空気」研究の成果は、「空気」など曖昧模糊としたもので欧米世界には存在せず、日本古来のアニミズム(汎神論)や儒教などが包摂している日本独自のものだと著者が考察していると、評者は理解したのです。
キリスト教などの一神教では、神と人がダイレクトに繋がり、それぞれ個々人が「独立」した社会を構成しているから、「空気」の存在自体が成り立ち難いと語っている。
戦争末期に、戦艦大和が、無謀な出撃するまでに至ったのも「空気」であったし、アメリカの生産力や石油など資源の潤沢さを日本と比較してみれば、小学生でも、あの戦争に突入する無謀さを指摘できたろうに、当時の政府や軍部などに、恐ろしい「空気」が充満し、そのような決断を強いてしまったようである。
ただ著者が多く例えを挙げなながらの説明には、その「例え」が面白いし、興味を惹くから読み続けることができたのだが、胸におちるところまで「空気」を説明されたようには思えず、隔靴掻痒感を覚えてしまったのです。
著者が「聖書絶対主義」を取り上げながら、ルターが「アルシュテットの悪魔」と呼んだミュンツアーの影響を受けたロートマンの指導による「ミュンスター市における蜂起」だが、やがて孤立して何万人も処刑されたことを記述していたが、エーコの『薔薇の名前』のなかにも描かれていたので興味深く読むことが出来た。(P197)
なぜ日本に「空気」が存在し始めたのか?著者の論理展開がますます難解複雑になってきて、著者の説明が回りくどく、もっと明快簡潔に結論に至ってほしいよ!と、思ってしまいました。
昭和のはじめから日本全土に漂ってきた恐ろしい「空気」は、様々に様相を変え、今の日本にも漂ってきているようです。
政官財の不祥事にも「不干渉・不感症」になり「あきらめムード」になって他人事のように日々過ごす、これって 恐ろしい「空気」ではないかと危惧してしまいます。
魔物とさえ断言できる「空気=忖度」が、森友学園問題や加計学園問題にも存在した事実を、国民の多くが厭と言うほど思い知らされたのだから、本書『「空気」の研究』は、今後多くの日本人に読んでほしい書だと思いながら読み終えたのです。
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