著者の略歴によると、心理学がご専門のようです。
なので、まったくの門外漢というわけではないにせよ、哲学の難問「『私』とは何か」に果敢に挑み、もがき苦しんだ足跡が本書と言えそうです。 自らを思考実験の材料に当てはめ、問題意識を露わにし、読者に助けを求め、とうとう最後までわからない、、、という「ヘルプ・ミー」感が、なんとも魅力的です。 放っておけなくなるんですね。 何気なく本書を手にしてしまったフツーの読者なら、おそらく三分の一くらいで脳内飽和しきることでしょう。 小生も、もういい加減に、、、と心の中で言いながら202頁、著者と一緒に走り抜けてしまいました。 そう。 放っておけないんです。
「私」って何?というこれまでの偉人が挑んできた形而上学(っていうんでしょうか)、要は絶対に答えの定まらない問題を自らに問いかけ、それを空間的、時間的、対人的に、さすがに大学教授らしくこれまでの思想を数々引用しながら(主には永井均)、不思議がっているのはいいのですが、ご自身が理解に苦しみ、よく言えば読者に探究心を煽って、わるく言えば読者に「助けてくれー」と叫びながら右往左往してる感じが(失礼な表現を承知で言ってます)、なんども本書を閉じようとする手をひっこめ、逆にページをめくらせるのです。 読者に思考実験を投げかけ、知的創出を手伝わせようという魂胆があったとしても、妙に共感してしまいます。
p74、p80あたりにあるとおり、なぜ「私」という唯一性が存在するのか、その「私」がずっとこの肉体にくっついたままだからややこしい、というわけです。たとえば「死とは何か」への答えに窮するのと同じです。 一回死んでみないとわかりません。 「私って何」っていうのも、一回、私以外になってみない限り実感がわかりません。 じつは、この「死」というのが最後の最後でキーワードになってるのですが、また後ほど、、、。
46億年の地球とか、138億年の宇宙、ってハナシと絡むとますますヤヤコシイですね。
本書の読後感をヒトコトで表すなら「どうでもいいこ当たり前をとことん考えると意外と楽しい」、です。 「私」という(一見)当たり前のことは、どうでもいい、とほとんどの人が思ってるかもしれません。 しかし、こうも考えられます。 どうでも”よくない”ことは、立派な識者がきっと考えてくれます。 環境問題とか、外交問題とか、、、。 そして正解らしきを提供してくれます。 彼らに任せておけば、たいてい何とかなる。 でも、どうでもよいことは、ほとんどの人が本気で考えないわけですから、意外と気づくことも多い。 たとえば、「私」っていうのは、地球上のすべての「あなた」以外のたった一人のことですから、何十億人という人をすべて把握できたときに「私」っていう意味が見えてくる、、、それほど貴重な」存在なわけですし、ならば、何十億という個々の「私」も同じように貴重な存在、というしかない、、、という三段論法くずれの屁理屈ながら、「私」と「あなた」の表裏的な関係性は、なんだかスゴイと思えてきます。
著者は、本書の目的と意味をところどころで表明します。 こんな感じです。 「『私』のどういう点が謎なのかを明らかにすること」を目指したい。 「個人の精神的自由こそが最高の価値であって、そのための平和、経済、人間関係」なのではないか。 「私」という、「虚構のようなわりに絶対的一人称の、唯我論ではない実感」を説明したい。 「この私」の固有の絶対的一人称が「どうしてよりによってこの肉体でだったのか」という謎を示すのが最大の狙いだ、と。
例えば、第三章の唯一無二性」では、肉体と死の観念と絡め、思考にもがきます。 死における「私」性を考えると、すでに死は2回目かもしれないし、200年後にまた体験するかもしれない、と唯一性に疑問を投げかけます。 また、「絶対的一人称」というが、それは絶対的なのか、もしかしたら相対的なのではないか、そうだとしたらそこには肉体と魂という実体と現象が見えかくれする、と思考が揺れ動きます。
"第4章p113以降の「多層世界説」はそれなりにうなずける部分がなくはなかった。 仏教思想に照らしたとき、まったくの異次元に「同じ私(ただし別バージョンの)」が同時に存在している可能性を想起させるのです。 その対象は当然に目に見えない。 その層は、時間を無限大に分けたうちの一つひとつだが、その層も(つまり別バージョンの私も)無限大にあり得、一瞬一瞬のタラレバ(その瞬間のすべての選択肢を実践している)を条件づけている自分が何層もあって、自己同一性のない、見えない自己が異次元内に無限にある(いる)、というアイデアです。 一瞬一瞬に違う自分が立ち現われ「私」を構成しているかもしれない、という考えです.バカバカしいかもしれませんが、そう考えるとなんだか楽しい。 本当は、失敗したり、大成功したりする自分がいるかもしれないのですから、、、ただし、認識はできません。
そう考えると、本当は、人は、出自や所与に左右されないのかもしれない。 それは、p181、p190あたりで説明されるとおり、人間の持つ言語化、という能力で仮想的には認識はできる。 良くも悪くも言語化(あるいは記号化)という能力によって、人は事象をいかようにも意味づけることができる。 これは、「空」「無」といった仏教思想と通底します。 「私」そのもを、人は独りで生きているのではないという「その他すべての関係性」における厖大な数に含み入れると、自分ができないことは違う自分がやってくれているように思え、なんだか人生がいままでと違ったように思えてきます。 "
"さいごに著者は言います。 「『私』への謎の解明は、我執からの離脱を促すことに意義があるのではないか」と。 ここまできて、まだ「私」論の意味について考えている著者ですが、この思考実験の(右往左往した)旅に付き合った一読者としてp195の最終節の以下の言葉はかなりカウンターパンチでした。
「私」を、(こういった「私」論でスッタモンダしながら)「中性化」することで、「死への構え」など必要なくなると期待している。そうすれば生きていることを”無条件に”謳歌できるかもしれない。 ”無条件に”というのがこれまでのスッタモンダの裏返しのように思え、妙に響きます。"
著者がここまで執拗に「私」論にこだわるのは、死への恐怖から自由になりたかったからではないでしょうか。 このスッタモンダの202頁に結局すべて付き添ってしまったのは、こういったカウンターパンチの予感があったからなのです。
「私」を考えるコトは、人によっていろいろな意味になりそうです。 あまりに自明であることへの思い込みに問題意識を喚起する、ある意味、最も手軽な「方法」かもしれません。 なぜなら「私」とは、まずは何事にも当たり前の前提であり、最も疑う機会のない「対象」なのだから。
いあぁ~、不思議な本でした。
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「私」という最大の謎 (幻冬舎ルネッサンス新書) 新書 – 2018/4/12
鈴木 敏昭
(著)
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「私」とは一体何なのか。
正解のない永遠の謎を追求する哲学書
記憶を移植されたクローンは「私」なのか。
脳以外を機械に置き換えたなら、それは「私」たりえるのか。
ヒトが自我を手にした日から「私」という概念に対する興味は失せない。
本書は、だれもが一度は考えたことがあるであろう「私」という巨大な疑問符に対して挑む作品である。
正解のない永遠の謎を追求する哲学書
記憶を移植されたクローンは「私」なのか。
脳以外を機械に置き換えたなら、それは「私」たりえるのか。
ヒトが自我を手にした日から「私」という概念に対する興味は失せない。
本書は、だれもが一度は考えたことがあるであろう「私」という巨大な疑問符に対して挑む作品である。
- 本の長さ209ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2018/4/12
- ISBN-104344916670
- ISBN-13978-4344916678
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
なぜ私は私なのか。誰しもが一度ならず、このようなことを考えたことがあるだろう。この形而上学的問いは、「“私”の問題」、「意識の超難問」など、様々な呼ばれ方をしている。本書は問題の答えが記載された問題集ではない。この問題に挑んだ様々な哲学者たちの考えを噛み砕いて説明しながら、答えのない問題の“歩き方”を教えてくれる指南書である。
著者について
■ 鈴木 敏昭/スズキ トシアキ
四国大学(徳島市)教授。
1950年東京生まれ。
1985年京都大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。
2018年現在四国大学全学共通教育センター教授。
専門は心理学自己意識。
著書
『自己心理学概説』北樹出版(2004)
『自己成立の発達心理学』西日本法規出版現ふくろう出版自己成立の発達心理学(2004)
『思い込みの心理学』ナカニシヤ出版思い込みの心理学(2009)
『心理学なるほど案内』ふくろう出版(2011)
『面白心理テスト―パーソナリティ心理学入門―』日本図書刊行会(2014)
『人生の99%は思い込み』ダイヤモンド社(2015)
『心理分析法中級シリーズ全8巻』(電子書籍版)』相対舎(2017)
四国大学(徳島市)教授。
1950年東京生まれ。
1985年京都大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。
2018年現在四国大学全学共通教育センター教授。
専門は心理学自己意識。
著書
『自己心理学概説』北樹出版(2004)
『自己成立の発達心理学』西日本法規出版現ふくろう出版自己成立の発達心理学(2004)
『思い込みの心理学』ナカニシヤ出版思い込みの心理学(2009)
『心理学なるほど案内』ふくろう出版(2011)
『面白心理テスト―パーソナリティ心理学入門―』日本図書刊行会(2014)
『人生の99%は思い込み』ダイヤモンド社(2015)
『心理分析法中級シリーズ全8巻』(電子書籍版)』相対舎(2017)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
鈴木/敏昭
1950年東京生まれ。77年横浜国立大学教育学部卒業後、80年に京都大学大学院教育学研究科(修士課程)修了。85年に京都大学大学院教育学研究科(博士課程)単位取得満期退学。その後、四国女子大学家政学部助教授などを経て、96年より四国大学生活科学部教授。専門分野は心理学。日本心理学会、日本発達心理学会、教育心理学会、日本社会心理学会所属(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1950年東京生まれ。77年横浜国立大学教育学部卒業後、80年に京都大学大学院教育学研究科(修士課程)修了。85年に京都大学大学院教育学研究科(博士課程)単位取得満期退学。その後、四国女子大学家政学部助教授などを経て、96年より四国大学生活科学部教授。専門分野は心理学。日本心理学会、日本発達心理学会、教育心理学会、日本社会心理学会所属(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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