とはいえ、おそらく、大半の学校・教員は旧態依然としたままだろう。
理由は、学校教員の多くが日和見主義者であるということ、
教育(学習)に関して大学で何も専門的な知見を身につけていないことである。
まず、教員が変わらなくても、毎年、一定数の児童生徒が入ってきて、
ちゃんと給料がもらえる安定した地位にいれば、必然的に守りに入るもの。
本書で挙げられたような、授業や学校改革をしなくても、
食いっぱぐれがない人たちが、そう劇的に変わると思えない。
ちょっと意識が高い系の教員ですら、
○○メソッドや○○モデルに飛びついて、
「方法のパッチワーク」で終わってしまうのが現状である。
現在、流行っているユニバーサルデザインも、
小手先の指導のマニュアル化にすぎず、
教育の本質を理解しているとはとうてい思えない。
折角の改革も、
校長が替わったり、中心的な教員が異動したら、
元に戻るという学校は珍しくない。
そうなってしまう根本的な原因は、教員養成課程にある。
今でこそ、現職上がりの実務家教員が大学教員のポストに就いて大学は増えてきたが、
それでも、熊本大学や上越教育大学など、
極限られた大学や大学院でしか、
教授法や学級経営の専門的な教育が受けられない。
これでは、教員免許が教員の専門性を担保する時代はまだまだ先であろう。
「学校」をつくり直すことは確かに大切だが、
まずは、教員を育てる大学の教職課程をつくり直すべきではないだろうか。
「学校」をつくり直す (河出新書) (日本語) 単行本 – 2019/3/19
苫野一徳
(著)
-
本の長さ256ページ
-
言語日本語
-
出版社河出書房新社
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発売日2019/3/19
-
ISBN-104309631053
-
ISBN-13978-4309631059
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
小1プロブレム、学級崩壊、いじめ、学力テスト重視…「なんだかおかしい」。けれども、学校のシステムはどうせ変わらない、とあきらめていないだろうか。「みんな同じ時間割」「みんな同じ教材」「みんな同じテスト」は、「当たり前」ではない。未来の社会をつくる子どもを育てる学校が変わるために、私たちには何ができるだろうか。
著者について
1980年生まれ。専門は哲学、教育学。熊本大学教育学部准教授。著書に『教育の力』(講談社現代新書)『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)『勉強するのは何のため?』(日本評論社)他多数。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
苫野/一徳
1980年生まれ。専門は哲学、教育学。熊本大学教育学部准教授。博士(教育学)。全国の多くの自治体や学校等でアドバイザーも務める。現在、共同発起人として、幼小中学校が一体となった軽井沢風越学園の設立を準備中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1980年生まれ。専門は哲学、教育学。熊本大学教育学部准教授。博士(教育学)。全国の多くの自治体や学校等でアドバイザーも務める。現在、共同発起人として、幼小中学校が一体となった軽井沢風越学園の設立を準備中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2019/3/19)
- 発売日 : 2019/3/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4309631053
- ISBN-13 : 978-4309631059
- Amazon 売れ筋ランキング: - 63,545位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
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2019年3月24日に日本でレビュー済み
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教育心理学、教育社会学、教育経済学等、教育に関する学問は色々あるが、著者が専門とするのは哲学と教育学である。
「哲学は科学の母であり、また同時に科学とは質の異なる問いを問うものとして発展してきた。すなわち、科学が『事実』のメカニズムを仮説的に明らかにするのに対して、哲学は『意味』や『価値』の本質を洞察するものである」。このように、哲学という視座から教育のあり方を根本から問い直す本書には学ぶところが多い。
哲学というと、ひたすら頭だけで思索する学問と思いがちだが、著者は「毎月、全国の小中高校などをたくさん回り、多くの先生や子供たちや教育行政関係の方々などと交流したり、一緒に仕事をしたり」している。これにより、地に足のついた教育論を説くことができているように思う。
本書の中で、特に頭に残しておきたいと思ったのは下記である。
・教育に関するあらゆる諸問題は、「みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に勉強させる」という150年来続いてきたシステムに概ね起因しており、そのシステム自体を変えない限り教育はよくならない。
・教育は、すべての子どもに「自由の相互承認」の感度を育むことを土台に、すべての子どもが「自由」に生きられるための“力”を育むためにある。
・現代において「自由」に生きるための“力”とは、「自分なりの問いを立て、自分なりの仕方で、自分なりの答えにたどり着く、探求する力」である。
・人は多くの場合“エロス”で動くと思う。“エロス”とは、哲学用語でワクワク感とか喜びとかいった意味の言葉。AIがどうとか、経済がどうとか言うより、「こんな教育が実現したら、子どもも親も先生も、もっとワクワクする未来を作ることができるはず」と、私たちはもっと言っていくべきなのではないか。
これらの知見は、小学生の保護者として家庭教育を行う際の大きな指針となる。哲学をベースとした根本的な指針なので、広範囲に応用も利く。「自由の相互承認」や「エロス」という概念は、自分自身が生きる指針としても参考にしたい。
さきほど、4月から小学3年生になる息子(長男)にインタビューを試みた。
Q 小学校は楽しい?
A どちらかといえばつまらない。しつこく絡んでくる同級生と毎日顔を合わせなければならないし、つまらない授業ばかり。特に国語と算数は板書の書き写しばかりで疲れる。ただし、図工、体育、プログラミングは主体的に動けるので楽しい。
いままで、なんとなくつまらなそうにしているなと思っていたが、いざ訊いてみると思ったとおりの回答であった。
次男と三男も、じきに小学生になる。一刻も早く今の義務教育制度が変わってほしいと切に願う。
著者は言う。「『まずは知ること』。当たり前のことだが、これがとにもかくにも第一歩である」と。
ぜひ多くの方に本書を手にとっていただきたい。
「哲学は科学の母であり、また同時に科学とは質の異なる問いを問うものとして発展してきた。すなわち、科学が『事実』のメカニズムを仮説的に明らかにするのに対して、哲学は『意味』や『価値』の本質を洞察するものである」。このように、哲学という視座から教育のあり方を根本から問い直す本書には学ぶところが多い。
哲学というと、ひたすら頭だけで思索する学問と思いがちだが、著者は「毎月、全国の小中高校などをたくさん回り、多くの先生や子供たちや教育行政関係の方々などと交流したり、一緒に仕事をしたり」している。これにより、地に足のついた教育論を説くことができているように思う。
本書の中で、特に頭に残しておきたいと思ったのは下記である。
・教育に関するあらゆる諸問題は、「みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に勉強させる」という150年来続いてきたシステムに概ね起因しており、そのシステム自体を変えない限り教育はよくならない。
・教育は、すべての子どもに「自由の相互承認」の感度を育むことを土台に、すべての子どもが「自由」に生きられるための“力”を育むためにある。
・現代において「自由」に生きるための“力”とは、「自分なりの問いを立て、自分なりの仕方で、自分なりの答えにたどり着く、探求する力」である。
・人は多くの場合“エロス”で動くと思う。“エロス”とは、哲学用語でワクワク感とか喜びとかいった意味の言葉。AIがどうとか、経済がどうとか言うより、「こんな教育が実現したら、子どもも親も先生も、もっとワクワクする未来を作ることができるはず」と、私たちはもっと言っていくべきなのではないか。
これらの知見は、小学生の保護者として家庭教育を行う際の大きな指針となる。哲学をベースとした根本的な指針なので、広範囲に応用も利く。「自由の相互承認」や「エロス」という概念は、自分自身が生きる指針としても参考にしたい。
さきほど、4月から小学3年生になる息子(長男)にインタビューを試みた。
Q 小学校は楽しい?
A どちらかといえばつまらない。しつこく絡んでくる同級生と毎日顔を合わせなければならないし、つまらない授業ばかり。特に国語と算数は板書の書き写しばかりで疲れる。ただし、図工、体育、プログラミングは主体的に動けるので楽しい。
いままで、なんとなくつまらなそうにしているなと思っていたが、いざ訊いてみると思ったとおりの回答であった。
次男と三男も、じきに小学生になる。一刻も早く今の義務教育制度が変わってほしいと切に願う。
著者は言う。「『まずは知ること』。当たり前のことだが、これがとにもかくにも第一歩である」と。
ぜひ多くの方に本書を手にとっていただきたい。
ベスト500レビュアー
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著者によれば、学校教育は、(a)「みなが同じことを、同じペースで、同じようなやりかたで学ぶ」ことから、(b)「学びの個別化・共同化・プロジェクト化」へ、変わらねばならない。教育は、「すべての子どもに<自由の相互承認>の感度を育むことを土台に、すべての子どもが<自由>に生きられるための<力>を育むためにある」(p86)。そして、「自由に生きられるための力」とは「探究の力」であると言う。これを実現するために、(a)から(b)に変らなければならないのだ。農耕社会や工業化社会で必要とされた知と、現代に必要とされる知は違う。ものを生み出す知ではなく、現代に要求される知は、人間関係を含む何らかの<良さ>を、つまり価値を生み出すことのできる知である。このような知は、正解が決まっている知ではなく、何が問題であり課題であるのかを発見し、それを解決することで<良さ>をもたらす知である。そして、芸術が美という<良さ>を創り出すように、価値を創り出す知は、一種の「アート」ともいえる。アートの能力は、実践を通じてしか身に付けることができない。このような知は、(a)の一斉授業のような仕方では学ぶことができず、探究型の授業、つまり問いを自分で立てながら、それを解くことを学ぶしかない。それは、個人ごとに異なるカリキュラムと時間割、学年を超えたクラス編成、授業の中でつねに生徒同士の対話と討論が行われる授業である。そして、これらを通じて生徒たちは「自由の相互承認」を学んでゆく。それは認識こそが、よりよい行為の選択を可能にするのだから、他者を知らなければ、他者に対するよりよい行為の選択はできないからだ。これが「倫理」ということであり、それには、他者が何を感じ、何を欲望し、何を考えているかを、敏感に感じ取れる感性が磨かれなければならない。これが「自由の相互承認」の感性を育むことであり、民主主義社会を支える市民性を涵養することは、教育のもっとも大きな目的である。明治初頭の学制発布以来、日本の教育は(a)の仕方で成功してきた。しかし、必要とされる知が人間関係を創ることを含む「アートしての知」に変った以上、教育も変らなければならない。本書は小学校を例にとっているが、実は、大学も含めて、教育は変らなければならない。「みなが同じことを、同じペースで、同じやりかたで行う」センター入試を、大学教員として30年以上担当した評者も、心からそう思う。そして本書は、山口周『世界のエリートたちはなぜ美意識を鍛えるのか ― 経営におけるアートとサイエンス』とも呼応するところがある。
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読了後の追記をお許しください。 ★3→4にいたします。 3章後半から4章にかけて賛同したい部分がいくつかあったためです。 まず、「評定」はそろそろやめましょうよ、とのくだりに賛成します。 「評価」は学習状況の見取り。 これは必要です。 しかし「評価」という成績づけ(小学生1~3、中学生1~5)は序列という意味での合理性はあったとしても、弊害の方が大きすぎると思っていました。 著者が述べておられるとおり、評価する側の恣意性を煽り、評価される側のモチベーションに寄与するとは思えません。 そもそも能力は測定不能です。 定量化できない能力を見つけ伸ばす営みは教育の根幹だと思います。 もうひとつ。 著者の主張する、教育への「探究プロジェクト」の導入は、がんばって4割程度ってことなんですね。 P157までは、学校のカリキュラム全部を”そうしてしまおう”としているのかと強引な印象をうけましたが、P158からそのあたりの”現実性”が語られていました。 現行の学習要領的にも教科の精選で「探究」を相応に導入することに正当性がある、というわけです。 教科の精選はすべきだと思っていました。 長くなるので少しだけ述べるなら、英語です。 そんなに頑張って導入しなくていいのでは? 1億2千万以上の日本人のうち、何人がピザを英語で注文しましょうか? 仮にそういう”場”が不可避になったら(たとえば海外駐在など)、そのときに覚えればいいだけのことです。 極端にいうなら、やりたい人だけやる、とか、エリート教育(これは著者は否定的ですが)で必要な対象(どうしても外交官になる、っていう若者とか)に徹底するとか、効率的な配分で単純同質性の非効率は回避可能と思われます(あくまで、例えばのハナシですよ)。 もうひとつだけ。 テストによる序列化の必要性(のなさ)です。 フィルタリングとしての効率的合理性とか、闘争心の高揚として一定の合目的性は否定しませんが、けっして個々の能力を伸ばすことに貢献するメソドロジーとは言えません。
ただ、著者が繰り返す本書のポイントでもある「公教育の本質」(=子どもたちの「自由」と、社会における「自由の相互承認」の実質化)の「自由」の意味が読み取れない歯がゆさは払拭されず、次回への期待を含め、★ひとつスペースを空けた次第です。 2019年3月26日 追記。
================
こういった本へのレビューは「本の完成度」の高低ではなく、著者の主張にどれだけ賛同できるか否かによると思います。 まだ4章以降を読んでいない段階のレビューですので追って編集させていただく可能性もありますが、お叱り判承知で現時点の感想をアップしたく思います(遅読のうえ、複数並行読みしているので、というイイワケ…)。
小生にとっては、賛同3割、疑問7割ってところで、先に述べたとおりあくまで個人的な感想として★3つとさせていただきました。
著者は教育における同質性、画一性、UD(ユニバーサルデザイン)、スタンダード(学習規律標準)といった従来型の制度や仕組みに、批判も批難もしないと断りつつも、そこに哲学の不在を指摘し、否定的です。 公教育の本質とは「すべての子どもが『自由』に生きられるための力を育むこと」とし、そのために自由の「相互承認」を実質化させる「探究力重視」型の教育システムの重要性を説いています。 つまり子どもたち個々の、ひいては教育への多様性を尊重すべき、というわけです。 そのとおりですね。
しかし、「同質性やUDなどの一般化」姿勢と「多様性」を2項対立的にとらえているがために、せっかくの「多様性」重視がむしろ「多様でない偏った思考」に陥ってしまっているように見受け、そのリスクへの客観性が感じられません。 「同質性という学校の構造上の問題に、どれだけ多くの子どもたちが苦しめられてきたか」と述べておられますが、「それによってどれだけ多くの子どもたちが救われてきたか、力を発揮してきたか」、について示さないまま不利益面だけを強調する論理的誤謬を禁じ得ません。
「相互承認」とか「探究力」の意味は相応に理解できますし、これも著者がみずから述べておられるとおり、その重要性は昔から言われていました。 小生は1950年代生まれですが、小学生の後半は完全に探究型の授業でした。 その時代からすでに知識重視型、同質性、探究型が混在しており、とくに社会科は完全に探究型でした。 みずから問いを見つけ、みんなで話し合い、正解のないまま今日の疑問を放置せず、また明日の議論に備えて参考書にあたる毎日でした。 それから50年以上たち、その効果はどうだったか、、、わ・か・り・ま・せ・ん。 ただし、ひとついえることは、それは高校以降でよかったように思います。 知識も語彙力も拙いままでは、正解がないのはいいとしてもハナシの脱線が多かったし、その軌道修正を教師もやりきれていなかったと記憶します。
話が逸れましたが、著者の主張がどうも理解しにくのは、「自由に生きるための」の「自由」って何なのか、それが3章まで読んだ限り不明だからです(4章以降で説明があるかも??しかし、この時点で重要なキーワードの意味が不明ではちょっと困る)。 かつて王様の権力や奴隷の身分から人権を取りもどすために読み書きを習得し、自らの意見を政治に反映させる知恵をつけていったことを世間では「自由」といっていることが少なくありませんが、著者のいう「自由」とはまた別もののようです。 自分の意思にもとづき自分らしく生きるコトを自由というのでは当たり前すぎますし、、、。 生きるためのを相互承認とか探究力が重要なのはそのとおりでしょう。 しかし、その目的の「自由」に対する著者の解釈が読者に明示されないままでは著者の主張の妥当性を判断しかね、169ページまで読み進めたものの、やや苦痛でした。 知識も同質性も探究力も多様性もレジリエンスも相互承認もすべて大切です。
可能な限り、個々の能力伸長を最適化するカスタマイズされた教育が望まれます。 それは分かっているのだけれども、学校も行政も親も教師も着地点が見つからずに混迷、迷走を続けている教育の現状は否めません。 学習指導要領の改訂も大学入試制度の改革もへんてこりんな方向へ走っているように思え、少なからず将来不安を感じます。
もしかしたら、そんな疑問が読了後すこしは癒されるかもしれませんね。 そのとき追記編集するかもしれませんが、ご容赦願いたく思います。
ただ、著者が繰り返す本書のポイントでもある「公教育の本質」(=子どもたちの「自由」と、社会における「自由の相互承認」の実質化)の「自由」の意味が読み取れない歯がゆさは払拭されず、次回への期待を含め、★ひとつスペースを空けた次第です。 2019年3月26日 追記。
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こういった本へのレビューは「本の完成度」の高低ではなく、著者の主張にどれだけ賛同できるか否かによると思います。 まだ4章以降を読んでいない段階のレビューですので追って編集させていただく可能性もありますが、お叱り判承知で現時点の感想をアップしたく思います(遅読のうえ、複数並行読みしているので、というイイワケ…)。
小生にとっては、賛同3割、疑問7割ってところで、先に述べたとおりあくまで個人的な感想として★3つとさせていただきました。
著者は教育における同質性、画一性、UD(ユニバーサルデザイン)、スタンダード(学習規律標準)といった従来型の制度や仕組みに、批判も批難もしないと断りつつも、そこに哲学の不在を指摘し、否定的です。 公教育の本質とは「すべての子どもが『自由』に生きられるための力を育むこと」とし、そのために自由の「相互承認」を実質化させる「探究力重視」型の教育システムの重要性を説いています。 つまり子どもたち個々の、ひいては教育への多様性を尊重すべき、というわけです。 そのとおりですね。
しかし、「同質性やUDなどの一般化」姿勢と「多様性」を2項対立的にとらえているがために、せっかくの「多様性」重視がむしろ「多様でない偏った思考」に陥ってしまっているように見受け、そのリスクへの客観性が感じられません。 「同質性という学校の構造上の問題に、どれだけ多くの子どもたちが苦しめられてきたか」と述べておられますが、「それによってどれだけ多くの子どもたちが救われてきたか、力を発揮してきたか」、について示さないまま不利益面だけを強調する論理的誤謬を禁じ得ません。
「相互承認」とか「探究力」の意味は相応に理解できますし、これも著者がみずから述べておられるとおり、その重要性は昔から言われていました。 小生は1950年代生まれですが、小学生の後半は完全に探究型の授業でした。 その時代からすでに知識重視型、同質性、探究型が混在しており、とくに社会科は完全に探究型でした。 みずから問いを見つけ、みんなで話し合い、正解のないまま今日の疑問を放置せず、また明日の議論に備えて参考書にあたる毎日でした。 それから50年以上たち、その効果はどうだったか、、、わ・か・り・ま・せ・ん。 ただし、ひとついえることは、それは高校以降でよかったように思います。 知識も語彙力も拙いままでは、正解がないのはいいとしてもハナシの脱線が多かったし、その軌道修正を教師もやりきれていなかったと記憶します。
話が逸れましたが、著者の主張がどうも理解しにくのは、「自由に生きるための」の「自由」って何なのか、それが3章まで読んだ限り不明だからです(4章以降で説明があるかも??しかし、この時点で重要なキーワードの意味が不明ではちょっと困る)。 かつて王様の権力や奴隷の身分から人権を取りもどすために読み書きを習得し、自らの意見を政治に反映させる知恵をつけていったことを世間では「自由」といっていることが少なくありませんが、著者のいう「自由」とはまた別もののようです。 自分の意思にもとづき自分らしく生きるコトを自由というのでは当たり前すぎますし、、、。 生きるためのを相互承認とか探究力が重要なのはそのとおりでしょう。 しかし、その目的の「自由」に対する著者の解釈が読者に明示されないままでは著者の主張の妥当性を判断しかね、169ページまで読み進めたものの、やや苦痛でした。 知識も同質性も探究力も多様性もレジリエンスも相互承認もすべて大切です。
可能な限り、個々の能力伸長を最適化するカスタマイズされた教育が望まれます。 それは分かっているのだけれども、学校も行政も親も教師も着地点が見つからずに混迷、迷走を続けている教育の現状は否めません。 学習指導要領の改訂も大学入試制度の改革もへんてこりんな方向へ走っているように思え、少なからず将来不安を感じます。
もしかしたら、そんな疑問が読了後すこしは癒されるかもしれませんね。 そのとき追記編集するかもしれませんが、ご容赦願いたく思います。