僕は元オウムだ。オウム事件によって被害にあわれた方々、またその関係者の方々には申し訳なく思う。僕自身は事件に関わることはなかったけれど、教団を支えていたという意味で道義的な責任はあると思う。昨年の7月に教祖麻原と事件に関与した死刑囚たちの刑が執行された。その時から改めてオウム事件に関わる書籍のレビューを続けている。
オウム問題はもはや総括を終え、どのように教訓を残していくかという段階にある。教祖の死刑執行から一周忌を過ぎたのちは報道の機会は極端に減ってしまうだろう。僕自身、自分の書いたレビューへの反応を継続的に見ているが、中川と井上についての書籍が出たころをピークとしてその一か月半後あたりから反応は減り続けている。特にこの数か月間で事件は急速に忘れられようとしている。
その現状で一歩前に歩み出しているのが江川紹子氏だと言えるだろう。これからの社会を作っていく若者たちに向けて、その教訓を残そうというのが本書の趣旨である。僕はこの本が速やかに電子書籍化され、学校の夏休みの読書感想文の課題図書に選定されることを望みたい。
本書を読み始めたとき、目次を見て最後の方にカルトについての説明があることに気付き「カルトはすぐ隣に」という書名であるからには、いきなりオウム事件に入るよりも最初に説明があったほうが良いのではないかと思った。しかし実際に読み終わってみると、充実した読後感がありこれが正解だったと感じることができた。
本書の序盤にオウムが登場した当時の社会について語られている。ベストセラーになり、続編が続いた「ノストラダムスの大予言」や「日本沈没」など、70年代は高度成長期には似合わず悲観論の文化だったと言えるように思う。80年代の予言書ブームのころ、僕の高校時代の友人の中には20世紀末に核戦争が起きる前提で自分の将来を考えている者もいた。急速な工業化のため、公害などの環境問題が噴出した。冷戦期の小国同士の紛争は、常に同盟を結んでいた大国同士の代理戦争として解釈され核戦争を連想させた。オウムが登場する以前に、すでに大量消費社会・資本主義への懸念と核戦争の脅威が日本を覆っていたのだ。その世相を麻原はよく分かっていて教団の拡大に効果的に利用した。僕はヒトラーの登場もそうだが強力な求心力を持って世に不幸をもたらすような人物の登場には、それ以前に社会に大きな偏りか、問題を抱えているものだと思っている。それはその人物が人々の不安の受け皿となり「自分は正義である」という大義名分を掲げることを可能にしてしまうからだ。
杉本繁郎受刑囚の手記が良かった。オウム事件を扱った書籍には、それぞれ著者が最も強調するキーワードとなるものがあると感じているが、本書の場合は「自分のアタマで考える」ではないかと思う。この言葉は僕自身、広瀬健一元死刑囚による「悔悟 オウム真理教元信徒・広瀬健一の手記」のレビューでも書いている。杉本の手記を読んだのは今回が初めてだったので、同じように表現していることに驚くとともに共感を覚えた。
漢字で書ける言葉をわざわざ片仮名で記すということは、「アタマ」という言葉には通常と違うニュアンスが含まれているということである。それは単純に知識や考えだけに頼るのではなく、端本元死刑囚の言葉にあるように、自分のもともと持っている「感性」を信じて考えるということだ。というのは、カルト集団の中ではリーダーや一部の幹部にとって都合の良い考え方が身に付いてしまうので、その知識・考え方で普通に考えたのではいくら考えても、カルト集団に取り込まれていくことにしかならないからである。カルト集団が閉鎖的であるのはそのためで、広く世界の考え方を知ることで、その知識・考え方を比較したり、相対化することで疑念を持たれることを防ごうとしているのだ。ただし構成員たちは悪意があってそのようにしているのではなく、本当に世間の考え方に問題があると信じている。それが厄介なところで、見る角度によっては正しい一面があったり、部分的に正しかったりもする。その一面や一部をことさらに強調し、その部分については通る理屈を教義としている。オウムの場合はカルマ論だった。オウムの教義からカルマ論を抜き取ったら、すべてがバラバラになってしまう。しかし僕たちを支配しているという「カルマ」自体あるかどうか分からない。カルマの理論は大衆にとって信じたい教えである。今が辛くても自分たちの将来に希望が持て、いま威張っている「勝ち組」は将来転落の運命にあると思えるからだ。そして世界はいつでも圧倒的な大衆によって支えられている。だからカルマの理論がこの世から消えることはないはずだ。そのカルマを善と悪の二つにだけ分類し、その善の極みにグル麻原を置いたのがオウムのヴァジラヤーナの教えだった。直接的にそう説いたわけではないが、価値観を整理するとそういうことになる。この教えの危険さは人をどれだけ善かの悪かの程度だけで見ることで、それらの人々の個性や人格・特徴といった本当の価値と意義を見る目を失い、危害を加えることに抵抗感を感じにくくなることと、善悪の基準が一般論のそれと違って麻原とどれだけ近いか遠いかで決められてしまうことだ。実際麻原の一番弟子は彼の愛人でもあったから最も近い関係と言えるし、最も関係の遠かった敵対者には殺害の指示が出されていた。著者の江川紹子氏も毒ガス・ホスゲンで狙われた過去がある。当時教団にいたものとしては、まことに心苦しい思いである。カルトの特徴はこのような分かりやすさにあると言えるかもしれない。
現実の社会を見ても生態系を見ても、あらゆるものは一面では善だが別の面では悪であり、一面悪に見えても善の部分がある。箸にも棒にも掛からないものもある。善悪では測れない存在の多様性、役割の多様性によって支えられている。だから一面だけの善悪で語るのはこの世の真理からかけ離れている。一面だけの善悪を徹底すれば、社会と生態系のバランスは崩壊し、死滅に向かうだろう。NHKスペシャルで取り上げられていたヴァジラヤーナに至る初期の説法で、麻原は遠藤に「オウム以外生き残れないと考えている」と言っているが、一つのカルト集団だけが存在する世界など実際にはあり得ない。
話を元に戻そう。人間がもともと持っている感性は、少し知識を与えられたくらいでは失われはしない。だからそれを無視せず、違和感や疑念が生じたとき、考えるよりも先にまずはそれらの組織から距離をおくべきである。
いま「距離」という言葉が出たので、もう一つ精神的な距離感について記したいと思う。端本は武道の腕を買われ、出家後まもなく坂本弁護士一家殺害事件に参加させられてしまう。その後道場の前で被害者の会に加入していた両親に出会い、オウムを辞めて帰ってくるように説得されても、また自ら疑念を抱き自宅の前まで帰った時も、結局は教団を去ることは出来なかった。それはかつての自分と現在の自分、あるいは自分と家族との距離感がそれだけ遠く感じられてしまっているからだと思う。もし彼が坂本弁護士事件に参加させられていなければ、楽にしきいを跨ぐことが出来ただろう。林郁夫は麻原から人を殺害するためにサリンを使用していることを聞かされたあと、様々な違法行為に参加させられている。杉本は麻原の言動に疑念を抱き、一度実家に帰ったあと復帰してから同じように殺人事件に関与させられている。麻原が弟子を還俗させないために、意図して事件に巻き込んでいたことは明らかだ。
よくドラマや映画などで主人公が大きな事件を起こしたあとで「ここまで来たら、もう引き返せない」などと言うが、この「ここまで来たら」の「ここ」は物理的な座標を表してはいない。物事の段階や精神的な位置、どのような立場に置かれているかを示している。何を言いたいかというと、カルトに取り込まれてしまってすぐの内は、まだ簡単に離れることができるが、そこで熱心に活動したり、何らかの利益を享受してしまうと、その分だけ精神的な距離はカルト側に近づいてしまい、離れることが難しくなってしまうということである。だから本書の最後にある秋川君の例のように出来るだけ早く離れること、また興味があって入会してしまったとしても性急に活動に参加したりせず、矛盾点がないか教祖にとって都合の良いように教えが変化していないかなど、できるだけ時間を取って「自分のアタマで考える」べきなのである。
「カルト」はすぐ隣に: オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書) (日本語) 新書 – 2019/6/21
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
無料アプリを入手するには、Eメールアドレスを入力してください。

Kindle化リクエスト
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
Cyber Monday (サイバーマンデー)
今年最後のビッグセール、サイバーマンデー開催中。12月9日(月)まで。
今すぐチェック。
今すぐチェック。
商品の説明
内容紹介
家族や友人とのつながりを捨てて、「オウム」に入信し、陰惨な事件にかかわっていった若者たち。一連の事件がなぜ起きたのか。凶悪な犯罪を起こした彼らは、特別な人間だったのか。長年、事件を取材してきた著者が、カルト集団の特徴や構造を浮き彫りにし、集団や教義を優先するカルトに人生を奪われない生き方を説く。
内容(「BOOK」データベースより)
家族や友人とのつながりを捨てて、「オウム」に入信し、陰惨な事件にかかわっていった若者たち。一連の事件がなぜ起きたのか。凶悪な犯罪を起こした彼らは、特別な人間だったのか。長年、事件を取材してきた著者が、カルト集団の特徴や構造を浮き彫りにし、集団や教義を優先するカルトに人生を奪われない生き方を説く。
商品の説明をすべて表示する
登録情報
|