前作、『【増補決定版】「自己決定権」という罠:ナチスから新型コロナ感染症まで』が出版されるまえに期待していたのは、小松美彦がNHKのノンフィクション「彼女は安楽死を選んだ」を批判してくれるのではないか、ということだった。というのも、小松の著作を追ってきた身にしてみれば、ひとりの女性が安楽死する場面まで画面に映し出した同ノンフィクションはあたかも製作者が小松の著書を読んで、小松に対して真っ向から戦いを挑んだかのようにみえる番組構成だったからだ。そしてついに、満を持して、小松が戦いに応じたのが本書である――そのように読めた。
本書では小松の目を通して、もう一度、「彼女は安楽死を選んだ」を見ることにより、読者にあの番組の欺瞞を知らせる手引きがなされる。小松に指摘されるまでまったく気づかなかったことが、あの番組を構成するうえで重要なキーワードであったはずの「尊厳(死の)」という用語は、主人公たる小島ミナの口からは一度も出ず、ナレーション部分で(つまり番組構成者側からのみ)発せられる、ということだった。これにはうなった。日頃から「尊厳」という言葉に敏感だった小松ならではの鋭い切り込みといえるだろう。
わたしは本書の内容が小島ミナの契約書へのサインへの疑問(これにはぞっとした)を経て、ナチスの安楽死キャンペーン映画「わたしは訴える」との酷似などに至るころには、あのノンフィクション作品に対して「確信犯」との感想しか抱けなくなった。「彼女は安楽死を選んだ」を見て涙した人こそ、手にとって欲しいのが本書である。
かつて安楽死を扱った番組で松本人志が「その人の選択に任せて」というような物分かりのいい一言を発してたいがいの人々がそれに同意していたが、小松美彦は死にゆく人に物分かりのいい顔なんてしない。それどころか、演劇家の芥正彦の「自殺とは、己の精神・思想が己の肉体を殺すことだ」との言葉を引き、その精神とは優生思想であることを指摘し、批判の対象とするのである。
正論を述べるのに勇気のいる時代だ。
正論を述べるのが反骨の人である時代だ。
そして小松美彦とそれに賛同する学者たちは、讃えられるべき反骨の人である。
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〈反延命〉主義の時代:安楽死・透析中止・トリアージ 単行本 – 2021/7/26
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近年の日本では、「延命」という言葉が否定的な意味で使われることが多くなった。「延命」はもとより医学の当為であるが、それに異を唱える潮流が〈反延命〉主義として現れ、勢いを増している。社会保障の財源や医療資源の不足、日本人の死生観などを根拠に、「生産性」のない生の価値を否定し、改善の見込みのない苦痛を長く味わわせることの非倫理性を説くなど、その事象はさまざまだ。本書では、以上のような〈反延命〉主義を多角的に精察すべく、11 名の著者が各々の視座から論じた。
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社現代書館
- 発売日2021/7/26
- 寸法12.9 x 1.9 x 18.8 cm
- ISBN-104768435882
- ISBN-13978-4768435885
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商品の説明
著者について
小松美彦(こまつ・よしひこ)
東京大学大学院総合文化研究科客員教授。一九五五年、東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科・科学史科学基礎論博士課程単位取得退学。博士(学術)。東京大学大学院人文社会系研究科教授などを経て現職。専攻は、科学史・科学論、生命倫理学。著書に、『死は共鳴する』(勁草書房)、『脳死・臓器移植の本当の話』(PHP新書)、『生権力の歴史』(青土社)、『【増補決定版】「自己決定権」という罠』(現代書館)、共訳書に、グザヴィエ・ビシャ『生と死の生理学研究』(中川久定・村上陽一郎責任編集『十八世紀叢書VII 生と死』国書刊行会)など。
市野川容孝(いちのかわ・やすたか)
東京大学大学院総合文化研究科教授。一九六四年、東京都生まれ。東京大学大学院社会学研究科単位取得満期退学。修士(社会学)。専攻は、社会学(医療の歴史社会学)。著書に、『身体/生命』(岩波書店)、『優生学と人間社会』(共著、講談社現代新書)、『生命倫理』(編著、平凡社)、『社会』(岩波書店)、『人権の再問』(編著、 法律文化社)、『対話 共生』(共著、慶應義塾大学出版会)など。
堀江宗正(ほりえ・のりちか)
東京大学大学院人文社会系研究科教授。一九六九年、茨城県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科単位取得満期退学。博士(文学)。聖心女子大学文学部准教授を経て現職。死生学、宗教学、スピリチュアリティ研究。著書に、『歴史のなかの宗教心理学』、『スピリチュアリティのゆくえ』、『ポップ・スピリチュアリティ』、編著に、『現代日本の宗教事情』(以上、岩波書店)、『宗教と社会の戦後史』(東京大学出版会)など。
東京大学大学院総合文化研究科客員教授。一九五五年、東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科・科学史科学基礎論博士課程単位取得退学。博士(学術)。東京大学大学院人文社会系研究科教授などを経て現職。専攻は、科学史・科学論、生命倫理学。著書に、『死は共鳴する』(勁草書房)、『脳死・臓器移植の本当の話』(PHP新書)、『生権力の歴史』(青土社)、『【増補決定版】「自己決定権」という罠』(現代書館)、共訳書に、グザヴィエ・ビシャ『生と死の生理学研究』(中川久定・村上陽一郎責任編集『十八世紀叢書VII 生と死』国書刊行会)など。
市野川容孝(いちのかわ・やすたか)
東京大学大学院総合文化研究科教授。一九六四年、東京都生まれ。東京大学大学院社会学研究科単位取得満期退学。修士(社会学)。専攻は、社会学(医療の歴史社会学)。著書に、『身体/生命』(岩波書店)、『優生学と人間社会』(共著、講談社現代新書)、『生命倫理』(編著、平凡社)、『社会』(岩波書店)、『人権の再問』(編著、 法律文化社)、『対話 共生』(共著、慶應義塾大学出版会)など。
堀江宗正(ほりえ・のりちか)
東京大学大学院人文社会系研究科教授。一九六九年、茨城県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科単位取得満期退学。博士(文学)。聖心女子大学文学部准教授を経て現職。死生学、宗教学、スピリチュアリティ研究。著書に、『歴史のなかの宗教心理学』、『スピリチュアリティのゆくえ』、『ポップ・スピリチュアリティ』、編著に、『現代日本の宗教事情』(以上、岩波書店)、『宗教と社会の戦後史』(東京大学出版会)など。
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登録情報
- 出版社 : 現代書館 (2021/7/26)
- 発売日 : 2021/7/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 304ページ
- ISBN-10 : 4768435882
- ISBN-13 : 978-4768435885
- 寸法 : 12.9 x 1.9 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 299,094位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 416位死生観
- - 42,792位暮らし・健康・子育て (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年8月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
医療関係者です。臨床倫理の勉強にと思って書いましたが、延命しないことをひたすら批判してるばかりで、末期癌の痛みに苦しむ人の立場に立った意見が一言もなかったです。
2021年9月21日に日本でレビュー済み
何か残念な文章。結局相手のアラを探すだけ(という印象)
どちらの立場の主張でも良いが、国内の法制に反対という立場(A)なのでしょうから、「海外での不完全な手続き」(B)を強調するのは…。意図していないとは言え、その選択肢(A)が結果として、”荒療法的結果”(B)を生じさせるのは素人ながら容易に想像できる。また筆者(編者)が問題点と指摘する【言語違いによる意思疎通の問題】【時期の問題】も「国内ならば、かなりの部分解決できるよね?」と思いますが…。更に、海外にまで行った人をここまで貶すかという表現。右に行ってもダメ、左に行ってもダメと言っているだけの印象。
また、編者担当箇所は、"亡くなった人”への最低限の敬意も読み取れない。NHKの番組の流れと「韓国語通訳者なのに、つたない英語を使う人」「(英語で書かれた)同意書の内容を理解できない人」という《形容》がほぼ。結論はどちらでも良いですが、経緯(※病気の症状でどれくらい苦しんだのか、何に悩んだかetc)はほぼなく、上記記述。自己の主張を述べるために、人をここまで下げるとは…。こんな人が物事を論じて良いのだろうか?と思う。表現にも”節度”ちゅうもんがあろうに…死人に口なしとは誠に残念。
また、自分の主張を補強したいからと、社会的・個人の主体・医学的にもある程度「容認」されている事柄と、社会的・個人も容認していない事柄とをごちゃ混ぜにして、関連付けて論じる必要があるのだろうか(全く関係がないとは言わないが)…。
もちろん本書に述べられているように、不備や雰囲気に流される事に注意しなければいけないだろう。ただ、本書は基準みたいものが示されておらず、読後は【どの状況】においても【身体・細胞寿命の最長化】しか答えがないとは…。統合化するのは良いが、個別具体の質的違いがまったく配慮されておらず、『愛と平和が問題を解決する』的なものが答えのようで…(著者は別書で相対主義者を好意的に自称されているのだが、一体他の価値を(※まともな態度・扱い方で←編者頁はまったく感じない)どこで述べているのか…と素人ながら思う。
・安楽死推進派の言葉の使用が、学者様の「私」から見れば間違っていると細かく指摘→時に曖昧な一般的な言葉の使用に対し、専門的な視点から定義を講釈するが、その文脈において定義の誤用が結論の違いを生み出すものではなく、ただ学問的見地から否定したいだけの印象。(好きな『果物』の話もできなさそう)
・海外に行って亡くなった方は本来その意思がなかった、と記述。筆者が述べれているように、そのプロセスに不十分なものはあるのかもしれないが、「(意思)あるように見えていたもの」が「なかった」と言い切れるほどの根拠は筆者が書いている本書からも読みとれない。スゴイ理解力。
・PCR検査の限界を指摘する専門家には、「右翼」というラベリング(共著者記述箇所)しているわりに、その後色々な意見が言えない空気は、危ないと述べられており…?となる。
・安楽死(的)の考え方はナチスの優生思想と相似と。←ナチス以前からあったと思うけど。
一読する価値はあるのだろうが、何か無理やり感(結論への飛躍・根拠のこじつけ)を強く感じ、元々の読者の思想信条が本書と同じであれば共鳴する、異なれば理解できないとなるだけの本、という印象。キョウヨウとは欠点を指摘するためだけのものか、と感じる。
どちらの立場の主張でも良いが、国内の法制に反対という立場(A)なのでしょうから、「海外での不完全な手続き」(B)を強調するのは…。意図していないとは言え、その選択肢(A)が結果として、”荒療法的結果”(B)を生じさせるのは素人ながら容易に想像できる。また筆者(編者)が問題点と指摘する【言語違いによる意思疎通の問題】【時期の問題】も「国内ならば、かなりの部分解決できるよね?」と思いますが…。更に、海外にまで行った人をここまで貶すかという表現。右に行ってもダメ、左に行ってもダメと言っているだけの印象。
また、編者担当箇所は、"亡くなった人”への最低限の敬意も読み取れない。NHKの番組の流れと「韓国語通訳者なのに、つたない英語を使う人」「(英語で書かれた)同意書の内容を理解できない人」という《形容》がほぼ。結論はどちらでも良いですが、経緯(※病気の症状でどれくらい苦しんだのか、何に悩んだかetc)はほぼなく、上記記述。自己の主張を述べるために、人をここまで下げるとは…。こんな人が物事を論じて良いのだろうか?と思う。表現にも”節度”ちゅうもんがあろうに…死人に口なしとは誠に残念。
また、自分の主張を補強したいからと、社会的・個人の主体・医学的にもある程度「容認」されている事柄と、社会的・個人も容認していない事柄とをごちゃ混ぜにして、関連付けて論じる必要があるのだろうか(全く関係がないとは言わないが)…。
もちろん本書に述べられているように、不備や雰囲気に流される事に注意しなければいけないだろう。ただ、本書は基準みたいものが示されておらず、読後は【どの状況】においても【身体・細胞寿命の最長化】しか答えがないとは…。統合化するのは良いが、個別具体の質的違いがまったく配慮されておらず、『愛と平和が問題を解決する』的なものが答えのようで…(著者は別書で相対主義者を好意的に自称されているのだが、一体他の価値を(※まともな態度・扱い方で←編者頁はまったく感じない)どこで述べているのか…と素人ながら思う。
・安楽死推進派の言葉の使用が、学者様の「私」から見れば間違っていると細かく指摘→時に曖昧な一般的な言葉の使用に対し、専門的な視点から定義を講釈するが、その文脈において定義の誤用が結論の違いを生み出すものではなく、ただ学問的見地から否定したいだけの印象。(好きな『果物』の話もできなさそう)
・海外に行って亡くなった方は本来その意思がなかった、と記述。筆者が述べれているように、そのプロセスに不十分なものはあるのかもしれないが、「(意思)あるように見えていたもの」が「なかった」と言い切れるほどの根拠は筆者が書いている本書からも読みとれない。スゴイ理解力。
・PCR検査の限界を指摘する専門家には、「右翼」というラベリング(共著者記述箇所)しているわりに、その後色々な意見が言えない空気は、危ないと述べられており…?となる。
・安楽死(的)の考え方はナチスの優生思想と相似と。←ナチス以前からあったと思うけど。
一読する価値はあるのだろうが、何か無理やり感(結論への飛躍・根拠のこじつけ)を強く感じ、元々の読者の思想信条が本書と同じであれば共鳴する、異なれば理解できないとなるだけの本、という印象。キョウヨウとは欠点を指摘するためだけのものか、と感じる。
2021年10月20日に日本でレビュー済み
「近年の日本では、「延命」という言葉が否定的な意味で使われることが多くなった」と宣伝文に書かれていますが,医師や看護師をはじめとする医療者はすべて言葉そのものの意味としての「延命」を目指すものです。問題となるのは「不要な延命」,もしくは「価値のない延命」です。
「延命」という言葉に勝手な意味づけをして,それについて論じるというのはどうかと思います。
「延命」という言葉に勝手な意味づけをして,それについて論じるというのはどうかと思います。
2021年8月16日に日本でレビュー済み
コロナの中症者は自宅待機せよという、政府・都の人命軽視の方針は、高齢者の延命をあさましい執着と見てきたツケが若年層にもまわってきた証拠である。この反延命の刃が外国人に向けられると、ウィシュマさんの悲劇を生んだのである。
生活保護を受ける人間やホームレスへの蔑視が公然とSNSで語られている。障碍者・病者・貧困層・外国人移民へ憎悪と切り捨てが当然のように行われているのだ。こうした非人間的な事態に人間的に抗うことが、必要な時代だと、序章で堀江宗正さんは説いている。本書の題名になっている「反延命主義の時代」の所以である。
多くの論客に様々なテーマを語らせ、この時宜に適した良著を生んだ編集代表の小松美彦さんの功を称えたい。「死なせる医療」から「生き延びる医療」へと各論者のいっそうの奮闘をのぞみたい。
生活保護を受ける人間やホームレスへの蔑視が公然とSNSで語られている。障碍者・病者・貧困層・外国人移民へ憎悪と切り捨てが当然のように行われているのだ。こうした非人間的な事態に人間的に抗うことが、必要な時代だと、序章で堀江宗正さんは説いている。本書の題名になっている「反延命主義の時代」の所以である。
多くの論客に様々なテーマを語らせ、この時宜に適した良著を生んだ編集代表の小松美彦さんの功を称えたい。「死なせる医療」から「生き延びる医療」へと各論者のいっそうの奮闘をのぞみたい。
2021年10月28日に日本でレビュー済み
バス停で、サウナで、ファミレスで、ヤフコメで。このように「延命」を嫌う世間話を耳にすることがある。比較的高齢と思しき方々の会話に多い気がするから、自虐というか、自分のこととして話しているのだと思う。
でも、思慮深い人はわかっている。そういう会話のとき、曖昧に聞き流して決して同意はしない人。その人は、将来の自分を生かさなくてよい、「延命」しなくてよい、ということは、その将来の自分のように今生きている人のことを貶めることになると知っているのだろう。あるいは、無理やり「延命」させられるなんてもはや幻想にすぎず、ことさらはっきりと意思表示しなければ「延命」が叶わない時代に入っているということを知っているのかもしれない。年を重ねることは知ることでもあるから、高齢化によって無思慮に「延命」なんて言葉を使う人が減ると良いのだけれど。
そう願ってはいるが、そう簡単にはいかないみたいだ。
「延命」という言葉には、人が死ぬべきときに死ねない、という否定的なニュアンスがやはりある。しかし、その言葉の浅はかさについてはこれまで満足に語られてこなかったように思う。だから、たとえば、反出生主義について議論するときに「反出生主義」という言葉が必要なように、「延命」の浅はかな用法を捉え直すためには「反延命主義」という言葉が必要なのだろうから、本書はその先駆けということになるのかもしれないが、「反出生主義」や「反延命主義」がさかんに議論されるようなそんな世の中は、嫌だな。
でも、思慮深い人はわかっている。そういう会話のとき、曖昧に聞き流して決して同意はしない人。その人は、将来の自分を生かさなくてよい、「延命」しなくてよい、ということは、その将来の自分のように今生きている人のことを貶めることになると知っているのだろう。あるいは、無理やり「延命」させられるなんてもはや幻想にすぎず、ことさらはっきりと意思表示しなければ「延命」が叶わない時代に入っているということを知っているのかもしれない。年を重ねることは知ることでもあるから、高齢化によって無思慮に「延命」なんて言葉を使う人が減ると良いのだけれど。
そう願ってはいるが、そう簡単にはいかないみたいだ。
「延命」という言葉には、人が死ぬべきときに死ねない、という否定的なニュアンスがやはりある。しかし、その言葉の浅はかさについてはこれまで満足に語られてこなかったように思う。だから、たとえば、反出生主義について議論するときに「反出生主義」という言葉が必要なように、「延命」の浅はかな用法を捉え直すためには「反延命主義」という言葉が必要なのだろうから、本書はその先駆けということになるのかもしれないが、「反出生主義」や「反延命主義」がさかんに議論されるようなそんな世の中は、嫌だな。








