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お作法も人間と自然の大きな差、という主張だが議論は整理が弱く中身が薄い。,
2009/8/21
レビュー対象商品: 食卓作法の起源 (神話論理 3) (単行本)
神話論理の第三巻。いずれの巻もものすごい厚さなのでビビるのが人情だが、実はほとんどは細かい神話の細部をあれこれ追っているだけなので、アメリカ先住民神話によほど関心がなければ細かく読むだけ無駄。そしてその細かい分析は、著者のテーゼ理解にほとんど役に立たない。
本シリーズの結論は、もう第一巻で出ている。人は自然の一部でありながら、自然とは一線を画す存在だ。それを区別するのが文化だ。料理は自然を人間化する文化的行為なので、神話において非常に重要な役割を果たす。だから神話の中で生のもの、火を通したもの、腐ったものという対比が随所に登場し、食物の中身が変わってもそうした関係が(構造的に)維持される。それが第一巻。
さて第三巻では、この関係を拡大しようとするんだが、生のモノは串焼きに近く、火にかけたものは燻製に近く、腐ったモノは煮たものに近い……でもそれは、あらゆるレベルでこのモデルにしたがうわけではなくて一例にすぎず云々となると、そこで言われている構造って何?
本巻の主眼は、喰うときのお作法だ。カエルを嫁にしたが、人間みたいに音をたてて礼儀正しく喰えませんでした、といった神話がたくさんある。そういうお作法を守るのも、人間と自然とを分ける重要なポイントだからだ。そしてそれは、モノを作る/作らないという区別にもつながる。が、その細かい論証は、きわめて不自然。p.379-397では神話の数字へのこだわりを述べ、いろんなところで5や10が重要な数になっていると述べてそれをあれこれ文化的に理屈付けしてみせる。でもそれって、単に指の数の反映じゃないの? でも著者はそういう当然の発想をせずにあーだこーだ。
そして裏表紙などで仰々しく言われている「結びの章のペシミスティックな言明」とは、昔の人たちはタブーを犯すと世界が乱れると言ってそれを戒めたから世界への配慮があったけれど、現代世界は世界が自分を乱すことばかり心配していて、自分を世界より先に考えてけしからん、というだけの話。それはそういう文化的なテツガクよりも、文化の背景にある技術能力の差ではないの? しかも、それは本書のそれまでの議論とはあまり関係ない思いつきのような付け足し。
ホント、最初と最後を読んで、途中は各章の冒頭の神話だけ流し読みしておけばいいのでは? それすらする価値があるかは不明だが。ちなみに、これが次の巻で一気にまとまって見事な世界が展開する……ようなことはまったくありません。次の巻はさらに混乱してひどくなります。
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