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生物的作業の根本原理を述べている(知覚と運動の一元化), 2010/10/25
レビュー対象商品: ゲシュタルトクライス――知覚と運動の人間学 (単行本)
知覚と運動は切っても切り離せない関係ににあり1元的に理解される。身体ないし身体の諸器官と環界(環境世界)の特定の諸部分との接触は、強力な阻碍によって関係が断ち切られない限り、いつも保たれている。この種の統合性を相即という。例えば、我々が蝶の飛んでいることを知覚するには自己運動をし、常に蝶が網膜の中心部分に来るようにしなければならない。即ち、見ることプラス動くことという事象の全体が一つの行為とみなされる。知覚行為という作業は、運動系の事象と知覚作業によって実現される対象現出とのからみあいを示す。私にとって或るものを現出させる行動それ自体は私にとって現出しておらず、私にとってあるものが現出することによって同時に行動している。運動と知覚のからみあいは、このことを必須の条件として含んでいる。生物的作業の認識にあっては知覚と運動の相互排除の関係が問題になる。この接合関係を回転扉の原理という。回転扉を通り抜けるとき入るとき家の中が見え、出るときには内部がもう見えないということに似ているでこういう。
ゲシュタルトとは客観化可能な「もの」的形態ではなく、そういった形態を形成する原理のようなものである。生命体が環境との接点で営み続けている生命現象のゲシュタルトは、外界の知覚と外界へ向かっての運動とが切り離しがたく絡み合った状態で円環(クライス)状の循環を形成している。心身両面の絡み合った病気というゲシュタルトの場合でも、心的あるいは身体的な<原因>と心的あるいは身体的<結果>を分けてこれを因果法則で結ぶのではなく、原因が結果であり結果が原因であるようなゲシュタルトクライスを考えなければならなかった。ゲシュタルトクライスを形成することによって、生命体は環境の不断の変化の中で同一性を維持し主体<Subjekt>であり続ける。主体を可能にしている<主体性>とは、生命体が<生命の根拠>に依拠して生き続けている<根拠関係>そのものである。根拠関係の中にある生命体は物的対象と違って単に<存在する>だけでなく自らの生存を<受け取る>という仕方で存在する。このあり方をヴァイツゼッカーは「パトス的」と呼んで物的対象の「存在的」なありかたから区別する。
蛇足であるが、知覚と運動の一元化は、西田幾多郎の「行為的直観」とも重なり合うと思います。行為=運動、直観=知覚と解釈すると。
ユクスキュルの機能環(Funktionscreis)とも関係している。(「生物から見た世界」ヤーコブ・フォン・ユクスキュル著)
1度サラッと読んだだけでは理解されえない。何度もよく繰り返し読むうちに翻訳文が頭に入るようになる。訳文は正確である。