☆ポイントその<1>:「ロックを変えた3大出来事」
昼の部をアコースティックでやりすごしたディランが、夜の部ではポール・バターフィールド・ブルース・バンドを従えると、アコースティックをエレキに持ち替え、突如ロックを演奏!結果として、若者が捉える音楽の潮流は「フォーク」から「ロック」へ劇的にシフトしていく…。
この歴史的ターニング・ポイントを映像で確認できる本作は、ボブ・ディラン・フリークにとって極めて価値あるものである。
☆ポイントその<2>:「BOB DYLANのニュー・リリース」
9月に全米で発売となったDVD「No Direction Home」は、本作からの「1965年7月25日 エレクトリック化」の瞬間」を肝トピックのひとつとして収録した、いわば姉妹作ともいえる映像作品。日本では11月23日にNHK/Hi-Visionが初回放送し年末には劇場公開も決定、翌年にはDVD化が予定されている。収録アーチストの半数以上がディランにちなんだ面々(JOAN BAEZ、PP&M、DONOVAN、PAUL BUTTERFIELD BLUES BAND)も多く参加で構成
☆ポイントその<3>: 「フォーク名演集」
・フォーク時代の“ウッドストック”とも例えられる歴史的「ニューポート・フォーク・フェスティヴァル」られたから選りすぐりの名演の数々。ボブ・ディラン、P・P&M、ジョーン・バエズ、ジュディ・コリンズ、ザ・ステイプル・シンガーズ、ポール・バタフィールドらが次々に名演を披露し、フォーク・ミュージックの持つバイタリティと、現在においても色あせない普遍性を証明する究極のライヴ映像作品!
☆ポイントその<4>:長編ドキュメンタリー映画の巨匠、マレー・ラナーが監督
バイオリン奏者Isaac Sternのドキュメンタリーでアカデミー賞を授賞。他、コマーシャル、商業映画、テレビ映画など多岐に活躍する映画監督の巨匠マレー・ラナーが、1967年に初めて音楽祭やコンサートを題材にしたライヴ・ドキュメンタリー作品。ベネチア国際映画祭サン・ジョルジオ賞、アカデミー賞ノミネートを始め、マンハイム映画祭、サン・フランシスコ映画祭など主な国際映画祭の賞を総なめにしている!昨年VAMより発売したマイルス・デイビス・ドキュメンタリーなども監修。
【収録曲/アーティスト】
01)イフ・アイ・ハッド・ア・ハンマー/ピーター、ポール&マリー
02)メアリー・ハミルトン/ジョーン・バエズ
03)オール・アイ・リアリー・ウォント・トゥ・ドゥ/ボブ・ディラン
04)ブローイン・イン・ザ・ウィンド/ピーター、ポール&マリー
05)アンド・ザ・ウォー・ドラッグクス・オン/ドノヴァン
06)ターン・ターン・ターン/ジュディ・コリンズ
07)ジャスト・キャント・キープ・フロム・クライン/オデッタ
08)キーズ・トゥ・ザ・ハイウェイ/ブラウン・マギー&ソニー・テリー
09)キャンディ・マン/ミシシッピー・ジョン・ハート
10)マギーズ・ファーム/ボブ・ディラン
11)ヘルプ・ミー・ジーザス/ステイプル・シンガーズ
12)アイ・ワズ・ボーン・イン・シカゴ/ポール・バターフィールド・ブルーズ・バンド
13)サン・ハウス・ブルース/サン・ハウス
14)ユー・ヒア・マイ・ハウリング・アーリー・イン・ザ・モーニング/ハウリング・
ウルフ
15)アイ・ウォーク・ザ・ライン/ジョニー・キャッシュ
16)フェアウェル・アンジェリーナ/ジョーン・バエズ
17)ミスター・タンブリン・マン/ボブ・ディラン
麻田 浩(トムズ・キャンビン代表) レコメンド・コメント
このフェスティバルというDVD(当初これはドキュメンタリー映画として公開された)には僕にとっていくつかの懐かしい思い出がある。あれはたしか67年だったと思うが、僕はこのフェスティバルという映画が公開された時にニューヨークのグリニッチヴィレッジの小さな映画館で観た。今で言う単館での上映でヒットになる事も無く、終わった様な気がするが、僕個人としてはずっと観たかった動くミシシッピー・ジョンハートを観れただけでも嬉しかった事を覚えている。僕はその当時西海岸からの旅行を終えて7月に行われたあこがれのニューポート・フォーク・フェスティバルを観て、ニューヨークでの生活を始めた頃だった。アメリカ旅行の第一の目的であった67年のニューポートのフォーク・フェスティバルはこのDVDで観れる66年までとほぼ同じで、ディランこそ出演しなかったが、アーロ・ガスリー、ジョニ・ミッチェル、レナード・コーエン等の新人が出演して、例年のごとく多くの観客を集め大盛会だった。僕は一時期この映画を日本で上映しようと走り回ったのだが、アメリカでの権利を誰が持っているか分からず諦めた事がある。その後たしかNHKで上映された事がある様に記憶しているが、こうした形で再び見れるというのは嬉しい事だ。特に興味を引くのが、ピーター.ポール&マリーのピーターがスタッフとして大活躍をしている所や、ディランがマイク・ブルームフィールド等のバターフィールド・ブルース・バンドのメンバーをバックに演奏する65年のディラン.エレクトリックバンドの演奏、ジム・クウェスキン・ジャグ・バンドの若い姿、また観客の中に居るエリック・フォン・シュミットなど、興味深い映像が沢山観れる。折からのフォークブームも手伝ってニューポート・フォーク・フェスバルは60年代半ばから70年にかけてそのピークを迎える。そしてこのDVDでも観れる65年のディランのエレクトリックバンドでの演奏、ビートルスやバーズの出現でフォークロックという言葉が生まれニューポート・フォーク・フェスティバルはその規模を縮小していく。しかしこのDVDで観る事の出来る映像はアメリカの音楽史の中での貴重な一時代という事が出来る。新しいフォークの世代が育ってきている今、そういう若い人達には是非観てもらいたいDVDだ。
オリジナル・ライナーノーツ
成功するドキュメンタリー作家には3種類に分類できる。まず、驚異的なアーティストや歴史の激動期に遭遇した作家。次に卓越した映像言語を駆使できる作家。そして、運に大きく左右されるが、執念と文化に対する直観、またはそれらの要素の組み合わせに恵まれた作家。こうした作家たちが賞賛に値する、歴史的にインパクトのあるドキュメンタリーを生み出す。マーレイ・ラーナーはそんな映像作家の1人だ。彼がいた場所、彼がいた時代、彼に備わった映像表現能力は絶妙で、さらに激変する社会を映像に捉える適切な感覚も備えていた。
ニューポート・フォーク・フェスティバルは1959年にジョージ・ウィーン(Wein)が始めた。ウィーンは1954年にニューポート・ジャズ・フェスティバルを開いており、音楽の生演奏を野外に持ち出す事に、すでに成功していた。50年代末、フォーク・ミュージックは大流行しており、ラジオに代わり音楽祭を開くのも自然の流れだった。戦後が穏やかに過ぎ、全米に豊かさが行き渡った。ロックンロールの第一波は、純粋な音楽ファンには意味を成さなくなっていた。1958年の秋、キングストン・トリオの<トム・ドゥーリー>がナンバー1になり、フォークは絶好調だった。
ウィーンとフォーク・マネージャーのアルバート・グロスマンが始めたニューポート・フォーク・フェスティバルは、フォーク・ブーム(デイヴ・ヴァン・ロンクは『フォーク・スケア(フォークの脅威)』とも言った)の商業化を狙ったものだった。最初のフェスティバルには28人が出演し、ジョーン・バエズをスターにした。2回目はさらに多くの観客を集め、出演者も増えたが赤字だった。ピート・シーガーとセオドア・バイケル(Theodore Bikel)の提案で、ウィーンとグロスマンはフェスティバルを非営利の祭典にした。出演者には一律50ドルの出演料と必要経費を支払う。そこで出た利益はフォーク・ミュージックのレコーディングと伝統の保存のために使われる。1963年には100人以上が出演、4万5千人を動員し、一大文化イベントとなった。その頃、マーレイ・ラーナーが登場する。
フォーク好きのマーレイは、当初、フォークの伝統を録音する手助けをするためにフェスティバルに参加していた。「比較的地味な音楽形態が一般に広まり、商売にもなるというレベルにまで成長する過程を見られた。このフェスティバルは音楽だけでなく、表現方法を広げ、若者の文化を広げる事になった。そこで私が考えたのも、音楽の祭典以上のものだった。新しい文化を捉えた映画を作りたいと思ったんだ。」
マーレイは曲や詩のような映画を目指した。その結果、運命のいたずらにより、彼が4万5千人の観客に初めてカメラのレンズを向けた時には予想もできなかった哀歌が生まれた。
最近はフォーク・ミュージック復活への熱意を無視する風潮が強い。当時のフェスティバルを見れば違いが分かる。マーレイの映画は生命力に満ちている。時代の過渡期を捉えた、特筆すべき映像だ。アメリカの伝統的音楽を、ここまでまとめて聴けるのは、これが最後だっただろう。パフォーマーは多様で、驚嘆に値する。
野外やヴァージニアの丘の山小屋の庭先のポーチで音楽を身につけたホートン・バーカーやコジン・エミーのようなアマチュア・シンガーも出演した。オデッタ(Odetta)やリリー・ブラザーズ、ジミー・マーティンといったプロのパフォーマーも出演した。スワン・シルヴァートーンズやステイプルズといったゴスペル・シンガーも。そしてピーター・ポール&マリーやジョーン・バエズ、ジュディ・コリンズなど、ラジオでフォークのヒット曲を生んだモダン・フォークのスターも登場した。ミシシッピ・ジョン・ハートやハウリン・ウルフはブルース。ピート・シーガーやジム・クウェスキン・ジャグ・バンドといったフォークへの転向組。そしてウディ・ガスリーの系譜を継ぎながら独自の曲を歌う少数――その中で最も議論の的になったのがボブ・ディランだった。
出演者たちは2つの会場を移動した。日中は“ワークショップ”が開かれ、夕方以降はメジャー・スター達がコンサートを行なった。1日の間に100年近いアメリカの音楽文化を吸収する事も可能だったのだ。
このフェスティバルは、その後の多くの音楽の記録映画によって確立した撮影手法が生まれる前のものだ。当時、新しかったシネマ・ヴェリテ(自由な撮影手法)のドキュメンタリー・スタイルではなく、ニュース取材で使われていた重いカメラが使われた。マーレイはミュージシャンをじっくり長回しで捉え、ゆっくり寄っていく。カメラマンの思い入れがシンガーのそれとマッチする。
フェスティバルはストーリーを語るより、テーマを提起した。そして若者の文化、順応性、プロテスト・ソング(抵抗の歌)、スターダム、ブルースのルーツ、そしてポップ・カルチャーを検証する。その過程に強烈な音楽の力が挿入される。ステイプル・シンガーズが神聖な魂を会場に広げ、夕暮れ時のステージを霧が流れる中、ジョーン・バエズが<オール・マイ・トライアルズ>を歌う。1語1語に命を懸けるピーター・ポール&マリーが<時代は変わる>を歌い、ブルースマン、サン・ハウスは有名なスティール・ギターでミシシッピ・デルタの夕暮れの疲労感を漂わせる。フィナーレを飾るオデッタは両手を大きく広げ、鳥肌が立つほどの自信と威厳で<ウィ・シャル・オーヴァーカム>を歌う。これらは永遠にフィルムに残される、このフェスティバルの輝かしい瞬間の一部にすぎない。
マーレイは1963年から66年までの4年間、ニューポートを撮影した。65年が最大規模だったが、それは終焉の始まりでもあった。この年、社会性の高い曲の代表格だったボブ・ディランが<マギーズ・ファーム>の熱演で分かるように、エレクトリック音楽へ移った。会場は動揺するかと思われたが、結果はフォーク・スタイルの音楽を捨てた彼の方向性に、多くが従う予兆となった。さらにビートルズやストーンズの登場によって、ロックンロールが復活し、新しい若者の運動のBGMになっていったのだ。
フェスティバルの動員数は減少し始め、1971年を最後に15年間開催されなかった。しかし当時の記録映画は残った。音楽が希望を運ぶ空気を持った時代、ロード・アイランドの芝生に座って、アメリカ音楽の過去と現在を聴ける素晴らしい瞬間の哀歌として。
2005年、ニューヨーク州タリータウンにて ジェフ・ローゼン 対訳:落合寿和(HEATHER)