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革命や戦争の惨禍(さんか)やスターリン体制の恐怖政治に生涯苦しんだ旧ソ連の大作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)の音楽は、屈折した表情を見せながらも、本質的にはやはり“社会が個人に及ぼす暴力”に対する、人間的な怒りのメッセージを含んでいるはずだ。
それが最も端的な形で表れているのが、1941年にナチス・ドイツに包囲されたレニングラードで書かれた第7交響曲「レニングラード」である。第1楽章には、かつてシュワルツェネッガーがスタミナドリンクか何かのCMでチチンプイプイと歌っていた、あの妙な躁状態のボレロ的リズムがひたひたと行進を始め、えんえんたる巨大なクレッシェンドを経て大爆発を起こす有名な箇所がある。同じような反復の巨大化であっても、ボレロに比べると、何と皮肉と恐怖に満ちた音楽なのだろう。そう、きっと本当の惨禍は躁状態に取りつかれて誇らしく、足取りも軽くやってくるに違いない。
「私たちは、ただ世界の平和を祈るのみです。この曲のテーマは巨大な悲劇ですが、そこには戦争の愚かさと、反戦の感情がこめられており、最後は大きな“生命”への期待が織り込まれて結ばれるのです」(ゲルギエフ)。
この演奏は、ゲルギエフの言葉を裏付けるように、単にダイナミズムの爆発を追うのではなく、むしろそれにも屈せず、荒涼とした焼け野原に再び咲く野の花を見つけて、はっとさせられるようなところがたくさんある。
もちろん、戦争の悲劇を表現している箇所は、あまりの阿鼻叫喚(あびきょうかん)ぶりにこちらがおびえてしまうほどの異様な迫力である。ただ、マッシヴでありながら、合同アンサンブルとは思えない、求心力のある響き、焦点のぴたっと合ったリズムの切れはさすが。だぶついた感じは皆無だ。
第4楽章の最後にやってくる絶頂の高揚感は凄絶(せいぜつ)で、天地が吼(ほ)え、うなり、荒れ狂う嵐のようにすさまじい。2つのオーケストラでなければ、こうした響きは決して出せないだろう。ゲルギエフが戦争交響曲群(第4番~第9番)に寄せる思いの強さは尋常ではない。(林田直樹)
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