内容(「CDジャーナル」データベースより)
スタジオ録音としては実に6年ぶり。スティーヴィー・ワンダー,ヨーヨー・マなど豪華ゲストの参加が話題だが,それ以上に印象的なのが彼自身の歌声の落ち着いた充実ぶり。葬儀の光景を織り込んだ2にさえ,諦念と同時に希望が感じられる。近年の代表作。
内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
誰に話しかけるにもまず笑顔を向けることから始める人なのだが、その笑顔ははじけるようなものではない。満面の笑みではない。はにかみがちに、でも好みの娘にはそれとなくウィンクをしてみせたりもする。ほのぼのさせられるだけではなく、俺も「こんにちは」や「ありがとう」はきちんとしたいものだと、大人のオトナには馬鹿らしすぎて話にならない至極当然すぎることを、JTの歌は再び決意させたりする。リラックスできるだけならこんな心に舟は浮かばない。JTの歌は月夜の湖に漕ぎ出したくさせる。フォークでもロックでもジャズでもR&Bでもブルースでもゴスペルでもアイリッシュ・トラッドでも、JTのこのアルバムの中には見つけることができる。アメリカン・ポップスの滋養はスタイルの別にかかわらず、転々と多様な発見ができるところにある。それを教示してもいるのだが、わざわざ注釈などないから、これみよがしでないと気がつけない青いケツどもには気持ちいいアルバム、というところでまとめられてしまうだろう。これこそがフュージョンだと言いたいわけだが「昔からこうじゃねえか」と問いわれれば「そのとおり」と言ってしまいもするのだ。そこがJTの凄さなのだあまりのさりげなさゆえに。ヨーヨー・マのチェロの響きにJTの歌はなおさら多情になりつつクールに聴こえさせもする技(天然)にはやれるもんならやってみろモジュール使って、と思う。ゲストはゲスト。達者なのは当然だろう。なによりJTがJTとしてのゆるやかでリキミのない肩で、暗闇から朝、真昼の闇から月の出をも、歌っていることに感動する。20数年前に毎日JTを聴いていた日々を次から次へと思い出しもしてしまうほどだ。スタジオ録音アルバムとしては6年ぶり。自分の弱さをなめてごまかさず、地球そのものの平安を思いもする。本作は祈りである。陽気な再生の中にある痛みを、どうしてもはにかまずにはほかの人に伝えられぬ人々のための。 (湯浅学) --- 1997年08月号