宣長さん

"hoelderlin on sirius"
(トップ50レビュアー)
Norinaga San
ベストレビュワーランキング: 48
レビューについて、参考になったとの票を受け取りました: 89% (参考になった数:7,783(投票総数:8,784))
住所: 香川県観音寺市
記念日: 3/25
自己紹介:
「宣長さん」(年長)は特に文学関係の調査・研究に志しております。 「hoelderlin on sirius」(年少)は、本プロフィールのID所持者であり購買主体です。

興味があるもの
「宣長さん」は、特に俳諧の祖と云われる山崎宗鑑の遺墨、万葉集、西行、平家物語、日本文学の古典全般に関心があります。 「hoelderlin on sirius」は、意識に直接働きかける人格的言語的存在を前提に、その解明と抑制、さらに歴史・政治・数理表現等、あらゆる知識を総体として見直すことを目指しています。
 

投稿


ベストレビュワーランキング: 48 - 参考になった投票の総数:8784中7783
時間のない宇宙―ゲーデルとアインシュタイン 最後の思索 パレ ユアグロー
 日本の憲法の矛盾を指摘したのは三島由紀夫だが、米国の憲法を指摘したのはゲーデルである。一方はボディビル、他方は菜食主義で晩年は拒食症で亡くなった。
 数学で論理を追究することは果てしもない話で、古代の無理数や近代の無限小、そして現代の無限大の探究以上のものがある。
 しかし、それを解明したゲーデルが、晩年アインシュタインと討議を続け、相対論から宇宙の論理、と言うか本質的に宇宙の構造と言い直していいようなものとして解明しようとしていたものがある、それは時間を完全に幾何学化してしまった果てに視る世界であるというのが本書の主題である。アーベルやガロア、リーマンのような夭折した天才数学者以上にこれは身に詰まされるような哀しいエピソードを含んでいる。
 日本で思想や哲学の分野でゲーデル問題として扱われたのもあくまで不完全性定理の方で、ゲーデルの宇宙論は知られていなかったし、未だに知られていない。

 ゲーデルの理論でタイムマシンが可能になるとは思えないものの、ゲーデルが宇宙論に科学革命を迫っているのは意識を論じた現象学を通じてであったというのは何とも示唆的であろうし、それ以上に無意識の構造を超えたところに意識現象を仮に精緻なトポロジー幾何学ででも解明できるものがあるとしたら、宇宙を知性の一部として相対化し知性こそが一般理論として統一論となり得るという事をまで想定し展望して、ゲーデルを哲学者以上に幾何学者、知性工学者としてこそ考えられるかもしれない。
脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫) 前野 隆司
2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
 著者は「心の原理を理解した」、「すべてわかった」という。
 一般向けに噛み砕いているだけで理論的でもあり、AI論をベースに脳理論を組み立て直すことで自己もクオリアも高次機能も幻想、錯覚として説明できるとするこの議論は、案外に不毛な議論を抑制できるほどには有効だろうものの、それでも、多分大言壮語、大見得を切っているようなものに属することになろう。

 まず、神経論が免疫論を明らかに忘れているのは前々から云われている事で、そもそも自然、宇宙の中で開かれた系として人体が流体、軟体であることがAI論には解っていない。内分泌系を全て模倣してから、内臓を全て一から組み立て直せることができると考えて初めてそれは許容できようものの、そんなことはDNA以外にはできていないし、その起源は生物学者が今後解明するであろう。
 さらに、神経システム自体が量子作用を含むとしたら、著者はペンローズの議論を簡単に退けている、と言うか避けてみているものの、量子論のまだ入っていない今のマシン論から説明できた、全て解ったというのが如何にも時期尚早であることは自明だ。
 最後に、今は亡き脳科学者の松本元が最期まで最後に最も解明しなければならないものが宗教であり、宗教意識であるとした事とは全く反対にその当のものをも幻想、幻聴等々として他の科学者と同様に扱わなくていい、寧ろこれでそれらの非実在性も証明できたかのように過ごしてしまっている事だ。… 続きを見る
ほそ道密命行 田牧大和
ほそ道密命行 田牧大和
1 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
 時は元禄。黄門様と犬公方の時代である。
 芭蕉が奥の細道の旅に出たのは没後五百年に西行を慕ってという事になっている。歌道の研究と俳道の確立に一身に精進してきた俳聖、畢生の旅の始まりである。

 それにしては、母方を宇和島伊達藩に、父方をその宇和島藩の前任藤堂家に関係する家系の次男である芭蕉は、必然的に郷里からは解放されていた。そもそも家を継ぐ必要はなかった事は、放浪を肯定的なものとする必要条件だったと言えるかもしれない。他方で、そうした以上は、西行の足跡を辿る事は最初から全体を構想するとしたら必然的に東北と四国を旅する事になる。芭蕉は、奥の細道へ出立する前から、四国・西国までの道程を思い描いていたのではないか。
 それにしてもそれにしてもである。本州を屈曲したものとせず一本の屋台骨とする徳川政権、幕府の体制の閉鎖性、封鎖性は東北・四国・九州を異国以上の騒動や謀反を起こす諸起点として危険極まりない土地にしてもいたろう。もし、そうした時代に一念発起でそこに自由に旅したら、それ自体が無上の開放された感覚に襲われるような、ちょうど海外旅行をして浮ついた気分になるのと同じような事だったかもしれない。芭蕉はそれでも、その高揚した気分を世界随一の紀行文に昇華するだけの精神的安定の持ち主だったというわけだが、それで力尽きる、それが事果ててしまうほどのものだったというのは何とも計算間違いのような尻切れトンボのようなものになるものでもあった。… 続きを見る

公開している最近の購入履歴


詳細を表示する