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パパぱふぅさんが書き込んだレビュー (東京)

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強い力と弱い力 ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く (幻冬舎新書)
強い力と弱い力 ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く (幻冬舎新書)
大栗 博司著
エディション: 新書
価格: ¥ 924

1 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 すぐに役に立たないところに価値がある, 2013/5/25
Amazon.co.jpで購入済み(詳細)
本書はヒッグス粒子発見の意義を説明するために、「質量とは何か」とか「力とは何か」といった物理学の基礎のところから説き起こし、数多くの物理学者が何世代もかけて築き上げた素粒子の標準模型の全貌を解説している。

ヒッグス粒子発見の方にワクワクした理系人間がいる一方で、400億円の巨費を投じたLHCに眉をひそめる文系人間もいるかもしれない。
著者は、「ヒッグス粒子の発見も、人々の生活にどう役に立つのかはすぐにはわかりません」(286ページ)とことわったうえで、「19世紀に電子が発見されたときも、『こんな発見は何の役にも立たない』と言われたものです。にもかかわらず、現在の私たちの生活は、電子を使った技術を抜きに考えられないものになりました。もし、19世紀の科学者たちが『すぐに役に立つ研究』だけに取り組んでいたら、ほとんどの研究者が蒸気機関の改良などに集中してしまい、電磁気の研究は進まなかったでしょう」と説明する。
理系人間も文系人間も、歴史に学ぶ姿勢は崩してはならない。

1番がいいとか、2番じゃダメなのかという議論ではない。
私たちは最近、すぐに役立つノウハウ、目先の利益を追い求めすぎていないだろうか。それが、わが国の逼塞した経済状況を作り出しているように感じる。
芸術や文学と同様、自然科学に惜しみない投資をできることが、ヒトがヒトたる由縁ではないか。

海底資源大国ニッポン (アスキー新書)
海底資源大国ニッポン (アスキー新書)
価格: ¥ 741

5つ星のうち 3.0 デフレ脱却の鍵は海洋立国にあり, 2013/5/25
Amazon.co.jpで購入済み(詳細)
わが国は、世界第62位の広さの国土に、世界第10位の人口がひしめいている。しかし、「内閣官房総合海洋政策本部によれば、日本の国土の最北端は択捉島カモイワッカ岬、最南端は沖ノ鳥島、最東端は南鳥島、最西端は与那国島西崎」(20ページ)とのこと。このような海に囲まれ島嶼が多いため、排他的経済水域(EEZ)の面積は世界第6位。国土の12倍の海を有する海洋大国である。
著者は、「都市に生活している人は、普段、海の豊かさを実感することはほとんどないかもしれない。だが、海に関するデータを知れば知るほど、日本が本当に豊かな海に固まれていることに気づくのではないだろうか」(21ページ)と記しているが、まさにその通りである。

海洋に眠るエネルギーとしては、メタンハイドレート、石油・天然ガス、鉱物資源としては、海底熱水鉱床、マンガン団塊、コバルト・リッチ・クラスト、レアアース資源泥などがある。
陸上のレアアース鉱床にはウランやトリウムなどの放射性物質が混在しているが、南太平洋上で発見された「レアアース資源泥には、放射性物質がほとんど含まれていない」(151ページ)という。「経済性や安全性の意味でも、開発しやすい資源といえる」。残念ながら公海上での発見であるが、「レアアース資源泥は日本のEEZ内で発見できる可能性もあるという」(107ページ)。

エネルギーと鉱物資源とでは、海底における埋蔵場所が異なる。
「石油・天然ガスが存在しているのは、海底面下2000m以上という深い地面の底であるケースが多い」(140ページ)が、「鉱物資源は、それほど深い土の中に埋まっているわけではない。深くても、せいぜい海底面下100m程度。中にはマンガン団塊のように、海底面に半埋没した状態でごろごろ転がっている場合もある」という。「ただし水深は比較的深めだ。海底熱水鉱床は水深700〜2000m、コバルト・リッチ・クラストは水深800〜2400m、マンガン団塊に至つては水深4000〜6000m付近に存在している」という。

本書は最後に、わが国が閉塞した経済状態から脱するために、「海洋立国」を目指すべきだと語る。「わが国が未来を託して開発すべきニューフロンティアは海洋だ」(185ページ)と結ぶ。

誰がJ-POPを救えるか?マスコミが語れない業界盛衰記
誰がJ-POPを救えるか?マスコミが語れない業界盛衰記
価格: ¥ 1,050

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5つ星のうち 4.0 平成10年代生まれがJ-POPを救う, 2013/5/25
Amazon.co.jpで購入済み(詳細)
著者は、東大文学部在学中から、森進一、小柳ルミ子、野口五郎、小林幸子、TM NETWORKなどに作品を提供してきた作詞家で、エンタテイメントジャーナリストに転身した麻生香太郎さん。
本書は、架空の音楽業界人ワカマツ氏を通じてみた、日本音楽会の今昔の物語という構成をとっている。

私は、オリコンがなかった時代から「ヒット曲」を聞くのが好きだった。しかしオリコンにK-POPが目立つようになってから、上位曲は聴くに堪えないものばかりになった。最近ではAKBとジャニーズばかりで、2番手がいないことを心配している。

麻生さんは、冒頭、「今、真剣に手を打たないと、家電業界がアッという聞に韓国、中国勢に追いぬかれたように、音楽業界も外資(ワーナーやユニバーサルなど)に見限られシンガポールや上海に日本本社を移転されてしまうだろう」(5ページ)と警鐘を鳴らす。同感である。
さらに「さらばソニーの次は、さらばドコモになるのだろうか。日本を代表する名門メーカーが、揃いも揃って『どれだけお客様に喜んでもらえるか』より『どれだけ儲けられるか』に力点を置く。いまの日本の産業構造とモラルはいったいどうなっているのか。
まさに沈みゆく日本そのものではないか」(155ページ)と追い打ちをかける。

麻生さんは、「コドモたち、若者たちは、マスコミを見放した」(232ページ)と指摘する。
「人間には、その単調な日々の繰り返しだけでは、満足できない部分があり、非日常的な「感動」というファクターが必要になる。ここが、動物との、いちばんの違いだ」(228ページ)としたうえで、その感動を提供するのがJ-POPであり、本や映画であるというのだ。こうした感動を提供することをしなかったマスコミは、淘汰されていくという。
いまの若者のマスコミ離れには幾つかの要因があるのだろうが、これもそのひとつなのだろう。

ただ、暗い話題ばかりではない。
クリプトンのボカロには将来性がある。これは知らなかったのだが、私も学生時代に傾倒したシンセサイザーの先駆者、冨田勲が、東京オペラシティで初演したビルボードクラシックスの「イーハトーヴ交響曲」には、初音ミクを招聘したという(184ページ)。さすがは世界のトミタである。
ネット配信も元気だ。麻生さんは配信がネイティブである世代を評して、「やがて来る平成10年代生まれが社会人になる頃には、J-POPも新しくよみがえる予感がする」(251ページ)と語る。

そして最後に、「福島原発の後始末、来るだろうといわれている大地震、心配の種を挙げると確かにキリがないが、高度成長とバブル期を知らない、いわゆる『ミュージックビデオの原点、マイケル・ジャクソンを知らない世代』が、音楽マーケットの作り手になったとき、何かが根本から変わる予感がする」(258ページ)と締めくくる。

ここまで読んで分かったのだが、麻生さんはJ-POPや日本のエンタメ業界のことを心配しているのではなく、わが国を心底愛しているのだ。
平成10年代生まれといえば、私の子どもの世代だ。昭和の時代の元気な歌謡曲を子どもに歌って聞かせ、夢や冒険に満ちた非日常を楽しむことを伝えていきたい。

スピーチの奥義 (光文社新書)
スピーチの奥義 (光文社新書)
寺澤芳男著
エディション: 新書
価格: ¥ 777

5つ星のうち 3.0 ウケなくてもいいじゃなイカ, 2013/5/17
Amazon.co.jpで購入済み(詳細)
著者の寺澤芳男さんは、野村証券副社長、MIGA初代長官を経て、日本新党の細川護煕代表の要請により参議院に立候補、当選。以降、経済企画庁長官、参議院外務委員長、東京スター銀行会長などを歴任した人物だ。

寺澤さんは「実はスピーチをする人よりも、スピーチを聞く人のほうが緊張しているのだ」(14ページ)という。なるほど、あらたまった場でオーディエンスとしてフロアにいる自分は、たしかに緊張している。

寺澤さんは豊富な経験から、「『自分の話など、ウケなくてもともと』と開き直ると自然と肩の力が抜ける」「ぼくの経験ではウケを狙った作為的なスピーチは十中八九、失敗する」(16ページ)など、とても分かりやすいノウハウを挙げてくれる。
また、「自分の『口』よりも、相手の『耳』を意識する。それがスピーチをはじめとするコミュニケーションの鉄則」(45ページ)だという。多くのスピーカーが同じ事を言っている。話し上手は聞き上手だということだろう。

外国人との会話についても触れている。「とくに外国人相手にビジネスをする場合、日本の歴史や文化、慣習などを語れる能力が求められる」(111ページ)という。

最後に寺澤さんは、「夫婦関係がうまくいくコツは、相手が気に食わないことをしても、互いに「見て見ぬフリ」をすることではないだろうか」(198ページ)とアドバイスする。人生の先輩の言葉には重みがある(笑)。

つなげる広告 共感、ソーシャル、ゲームで築く顧客との新しい関係性 (アスキー新書)
つなげる広告 共感、ソーシャル、ゲームで築く顧客との新しい関係性 (アスキー新書)
京井良彦著
エディション: 新書
価格: ¥ 780

5つ星のうち 3.0 ソーシャルメディア。共感。ゲーム。, 2013/5/17
Amazon.co.jpで購入済み(詳細)
著者の京井良彦さんは電通に勤務し、民間、官公庁、グローバルと多岐にわたるクライアントを担当する一方で、来るべきソーシャルメディア時代の新・生活者消費行動モデル概念 『SIPS』 開発メンバーのメンバーでもある。

冒頭で京井さんは、行動履歴分析に基づくレコメンド広告が気味悪がられる点を挙げ、「それが伝わらないのであれば、広告として追求する意味があまりなくなってしまいます」(30ページ)と指摘する。そこで、つながりを重視するソーシャルメディアに視点を移す。
たしかに、Googleで検索をしているとき、自分が住んでいる近くの不動産物件の広告が出るのは余計なお世話である。そんなことをやるリソースがあるのなら、もっと検索精度を上げていただきたい。

京井さんは、現代社会が「人間関係が自由になっている」とした上で、それは「裏を返せば、『自分は何者なのか』ということをコミュニティの中で規定していかなければならない」(77ページ)と指摘する。そのためにソーシャルメディアが大きな役割を果たしているという。
実際、私がTwitterでフォローしている多くの若者は独身で、その場でリアルに繋がっている他人がいないようです。そういう人は呟く回数がとても多い。
さらに京井さんは、「ソーシャルメディア時代の人々のマインドを読み解く際に、ローカルの尊重ということも重要になっていくでしょう」(94ページ)と指摘する。
これは、超大国による冷戦終結から民族主義へ移行しつつある現代社会を映しているかのようだ。

ソーシャルメディアはファンを集める。そして「ファンは共感することによって、自らの推薦をつけてブランドを広げてくれたり、自覚せずともその拡散に貢献してくれたりします」(116ページ)という。その結果、広告という「コンテンツは自走する」ことになる。
京井さんは「お客様は神様です」は古い考え方であり、ソーシャルメディア時代は禅で用いられる「主客一体」(135ページ)であるという。

京井さんは「ソーシャルメディアの浸透による情報の透明化が進み、企業活動とブランドは360度生活者の視点にさらされるようになりました」(153ページ)と書いている。
これは事実だろうが、等身大の姿をさらすということは、良いことばかりではない。光があれば必ず影がある。影が炎上をもたらすこともあるのだ。
ただ、人が影のある人間に魅力を感じるように、影のあるブランドが嫌われるとは限らない。残念ながら、本書はブランドの「影」の部分については触れていない。

京井さんは最後に、企業とファンの関係を維持継続する方法としてゲーミフィケーションを挙げている。
「ゲーミフィケーションの真髄は、報酬などの外発的な動機によって行動を始めたらいつの間にか課題が自分の目標に転換され、それをクリアし続けたいという内発的な動機が働き始める」(201ページ)というものだ。

「つながる広告」の反例を見聞することは多い。
たとえば最近、Panasonicが、旧三洋電機の充電池「eneloop」のブランドロゴを小さくするという出来事があった。私を含め、eneloopには多くのファンがいた。こうしたファンの気持ちを踏みにじる企業のエゴとして、ソーシャルメディアで話題になった。
「つながる広告」の時代、ブランドは企業だけの独占物ではなくなった。社会貢献をうたうなら、企業法人は一人の社会人として社会生活を営むという意識を持つべきだと感じた。

テレビ局削減論 (新潮新書)
テレビ局削減論 (新潮新書)
石光 勝著
エディション: 単行本
価格: ¥ 735

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5つ星のうち 4.0 テレビ東京には生き残ってほしい, 2013/5/16
Amazon.co.jpで購入済み(詳細)
著者は、東京12チャンネル常務を経て通販会社プロントの社長となった石光勝さん。『テレビ番外地―東京12チャンネルの奇跡 (新潮新書)』は既読である。

本書冒頭で「テレビ離れ」が深刻化していることに触れられているが、深刻どころではない。私たち夫婦はテレビっ子世代であるにもかかわらず、地デジ化を境に自宅にテレビがなくなった。
家族で番組を見ながら夕食を共にする生活スタイルは変わらないが、ディスプレイが液晶パソコンになり、コンテンツはレンタルDVDになった。夕飯時の地上波で、家族で楽しんで見ることができる番組が無いのである。
石光さんが指摘しているように、現在、夕飯時はバラエティ番組しか放映されていない。しかも、どの局も似たり寄ったりのキャスティング。若手芸人は一発屋として消えてゆく。
消費者としては色々なジャンルの番組を見たいのである。それこをがテレビの面白みではなかったか。

バラエティ番組にしても、かつての「8時だョ!全員集合」は生放送であるにもかかわらず、緻密な企画と猛烈なリハーサルに裏打ちされていたから、内容が濃かった。PTAが眉をひそめようが、俗悪番組のレッテルを貼られようが、子どもは毎週「8時だョ!全員集合」を楽しみにしていた。
そして、ザ・ドリフターズに会えるのは土曜日の45分だけだった。今時の芸人がいくら才能があったとしても、1週間に4時間も5時間も番組に出ていたのでは、面白さ密度は薄くなってしまう。

だが私は、テレビ放送全体を見渡せば面白い番組は山ほどあると思っている。我が家では夕飯時、ニコニコ動画やバンダイチャンネルを使って地上波の深夜アニメを見るようになった。
本書の後半では、そんなネットとテレビの関係を論じている。
「ネット上の情報が氾濫すればするほど、公正・中立を目指すテレビの報道は、ネット情報の真偽と価値を判断する指針としての役割を増すことになる」(152ページ)と指摘するが、「発掘!あるある大辞典II」のデータ捏造事件や、「真相報道バンキシャ!」の誤報を取り上げ、「なんともお寒い限りである」(158ページ)と嘆息する。

石光さんは最後に、「来たるべきテレビ業界の再生は、『民放3NHK1』の4大ネットワークをスタートラインとすべきであって、すべてはここから始まる」(195ページ)と提言する。広告の奪い合いを避け、放送の品質を維持するためだ。
私も、民放はドラマに強い局、バラエティに強い局、アニメに強い局の3つあれば十分だと思う。そして、「アニメに強い局」はテレビ東京に担ってほしい(笑)。

ビジネスは「非言語」で動く 合理主義思考が見落としたもの (アスキー新書)
ビジネスは「非言語」で動く 合理主義思考が見落としたもの (アスキー新書)
博報堂ブランドデザイン著
エディション: 新書
価格: ¥ 780

5つ星のうち 5.0 論理だけでは賢くなれない, 2013/5/10
Amazon.co.jpで購入済み(詳細)
著者の山形健さんは、博報堂で企業や商品のプランディングを中心としながら、デジタルテクノロジおよび無意識・非言語領域を活用したマーケティングプランディング、商品開発、研究開発の業務に携わっている。

山形さんは、「近年のビジネスの停滞の根底には、この非言語領域への軽視が少なからず影を落としている」と指摘し、「理由は簡単だ。非言語領域を軽視することは、人間という存在のうちの、相当大きな割合から目を背けることだからだ」(56ページ)と説明する。
私はSEであるが、要求分析や要件定義など、顧客の求める“モノ”を“言語化”する作業に腐心している。山形さんが指摘しているように、「生活者は自分の思いを伝える専門家ではない。彼らに非言語的に感じていることについて的確に説明してくれと望むのは、どうしても無理がある」(51ページ)。だから、SEはプロフェッショナルとして、非言語を言語化する能力が求められる。顧客がSEに求めているのは、システムに関する技術力ではなく、非言語を言語化する能力だと思う。

コミュニケーションでも非言語は避けて通れない。
山形さんは、ビジネスでは場合に応じてメールでなく電話や相対での会話をとることを勧める。同感である。
私は定期的に客先へ出かけて、実際に稼働しているシステムを見て、顧客と話をし、担当技術者と情報交換するように心がけている。正直、面倒な作業である。出張経費もかかる。
だがなぜ面倒なのかといえば、メールなら社交辞令で済ませられる作業を、わざわざ非言語処理が伴う業務にしているからだ。だが、手間暇をかけ経費をかけた分、確実に効果はあがる。
理由を明文化しないで出張に出る私の行動を許してくれる経営陣も、非言語の重要性を承知されているのだと思う。むやみにルールを作るのではなく、こうした会社の風土を受け継いでいきたい。

山形さんは、ワークショップの場では「どちらかというと、世話役やサボーターといった補助的なポジションを占める」(170ページ)ファシリテーターが重要だと説く。そして、「ワークショップの結論を導くにあたって基準とすべきは、『同意』ではなく『合意』」(179ページ)であるという。
非言語的に同じ感覚を持っていたが、そのためにファシリテーターが必要だということは参考になる。ワークショップの場でぜひ実行してみたい。

IT業界に身を置く者としては、30年前にアルビン・トフラーが『第三の波』で予言したテレビ会議や在宅ワークが普及しないことを不満に感じていた。しかし経験を重ねるうちに、現場での顧客との打ち合わせ、事務所に集まってのメンバー会議の重要性を感じるようになった。
それが費言語コミュニケーションである。
経費削減を命じられても、今後も私は現場に足を運び、事務所にメンバーを集めて会議を開催していきたい。

「IT断食」のすすめ (日経プレミアシリーズ)
「IT断食」のすすめ (日経プレミアシリーズ)
遠藤 功著
エディション: 新書
価格: ¥ 893

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5つ星のうち 5.0 「バカのロングテール」に陥っていないか?, 2012/6/23
著者は、Intel出身でドリーム・アーツを設立したITプロフェッショナルの山本孝昭さんと、コンサルタントの遠藤功さん。「ITによって結果的に生み出される不利益が利点ををかき消すほどになっているのに、ITへの過度な依存を改めることができず、無自覚に被害を拡大している現状に危機感を抱いたから」(4ページ)本書を著したという。

山本さんと遠藤さんは、ITが生産性を大幅に下げている現象をICFとBLTと名付ける。ICFはInformation and Communication Flood(情報とコミュニケーションの洪水)――文字通り、CCで送られてくる大量のメールと、コピペで作成された大量の資料を指す。そして、BCTとは「バカのロングテール」――どうてもいい些末な情報を、さも大事であるかのように報告する動きを指す。このネーミングは面白い。
ICFやBLTにより、「事実を知ったと錯覚し、実際には与えられた事実の断片的情報を、現場感なしに鵜呑みにするだけとなってしまう」(68ページ)と警鐘を鳴らす。
これには同感だ。とくに、現実の社会経験がとぼしい子どもたちが中心の教育現場では、できればITは使わないほうが良い。生の体験を多く積ませるべきだ。その意味では、日本企業が大切にしてきた「三現主義」(現場・現物・現実)は、教育現場でも重要視すべきだ。

著者たちはまた、ITがツールであると主張する。したがって、「ITを主役の座に押し上げるCIOなどというポストは不要」(117ページ)と断じる。
私もIT業界に25年ほどいるが、先輩から「ITは魔法の杖ではない」と戒められたことがある。この言葉の意味は、ITを導入すれば何でもできるというというのは幻想だということ。もうひとつの意味は、ITプロフェッショナルは魔法使いのような超人的能力を持っているわけではないということ。
ITは所詮はツールに過ぎない。それを使う人次第だということだ。

後半では、職場でメールやPCを使わない「IT断食」の処方箋を示している。
ただ、これは、少なくとも私の職場ではやらない方がいいと思った。営業や技術担当者が全国各地に散らばっているし、そもそもシステム製品を導入する立場にある人間が、IT断食をしたのでは仕事にならないからだ。
Excelは資料作成の頼もしい味方だし、洪水のように押し寄せるCCメールはフィルタリングでかわしていける。
ただ、本書を読む前から、スケジュールは手帳に、会議時のメモ取りはB5ノートにしている。リアルな人と会う約束や会話は、アナログで記録した方が、自分としては整理しやすいと感じているからだ。
「枚数ばかりが多い資料は、作成に手間がかかるうえ、プリントアウト代もばかにならない」(186ページ)と述べられているが、たしかにシステム屋が作る資料はページ数が多くなりがちだ。5年前の私も、PowerPointで膨大なプレゼン資料を作っていた。だが、あるとき、ITコンサルタントが行ったプレゼンに負けた。相手はA3用紙1枚の資料で臨んできた。その資料はプロのデザイナーに作成させたものだったのだ。以来、私はプレゼン資料のページ数減らすことを心に誓った。

最後に、ダイキン工業の取締役副社長である川村群太郎氏の言葉として、「ITは、手段として手助けにはなりますが、重要なのはそこではありません。結局、人は強い思いがあるからこそつながり、力になるんです。その思いが人を成長させ、組織を成長させるのだと思います」(210ページ)と結んでいる。

さよなら!僕らのソニー (文春新書)
さよなら!僕らのソニー (文春新書)
立石 泰則著
エディション: 単行本
価格: ¥ 872

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5つ星のうち 3.0 アップルとは正反対, 2012/6/10
著者は、ノンフィクション作家でジャーナリストの立石泰則さん。高校3年生の時、音がきれいと評判のFMラジオを買うためにソニーショップへ出かけたのが、ソニーとの出会いだったという。
立石さんのように、私より一回り以上上の世代にとってのソニー・ブランドは絶対的だ。なぜ、そこまで信奉されているのか。
そのひとつの背景として、立石さんは、ソニーがニューヨークのショールームに日章旗を掲げたことを挙げている。
「ショールームの支配人は当初、日章旗を掲げたら何らかの敵意ある反応が返ってくるのではないかとたいへん危惧したという。そのような危惧に対し、盛田氏はこう言って反論した。『ここは、日本の会社だよ。オレも君たちも日本の代表なんだ。われわれは、日の丸に恥じないことをやるために、国旗を出す(掲揚する)んだよ』」(18ページ)という。
立石さんは、「ソニーが創業者のものではなく一企業の利益のためにでもなく、まさに日本という国、あるいは日本国民のために存在していると盛田氏は言っているのだ」(28ページ)と強調する。「日本のソニー、日本国民のためのソニー、つまり『僕らのソニー』なのである」。
そのソニーが、なぜiPadを創れなかったのか。盛田・井深の創業者から大賀・出井・ストリンガーと続いた経営者の誰が、戦略を誤ったのか。トリニトロン、ウォークマンといった懐かしの成功物語から一転して凋落してしまったソニーの奇跡を、歴代経営者の肉声を交えて辿る企業ルポルタージュが本書だ。

まず立石さんは、ブランドとは「クォリティ(品質)とメッセージで担保されるもの」(40ページ)と定義する。
ウォークマンと他社のヘッドホンステレオとの間で、技術的には大した違いはなかった。実際、私は高価なウォークマンではなく、より機能が豊富なAIWAのカセットボーイを愛用していた。だが、ウォークマンがブランドとして確固とした地位を築いた理由について、立石さんは、「盛田昭夫氏が考えたウォークマンの商品企画(プロダクト・ブラシニング)が明確で、かつ発売後もそのコンセプトが変わらず、ブレることがなかったからではないか」(54ページ)と説く。
iPodも同じことが言える。初代iPodの機能・性能は、お世辞にも高いとは言えなかった。にもかかわらず世界中に受け入れられるブランドとなったのは、「いつでも、どこでも、音楽を聴ける」という単純なメッセージが受け入れられたからではないか。当時のウォークマンは機能が豊富になりすぎたことや、音楽メディアがカセットなのかMDなのかCDなのかがわかりにくくなったため、iPodに敗北したように感じる。

そして2005年にCEOに就任したストリンガー氏は「『もの作り』そのものに関心がない」(129ページ)と指摘する。立石さんは皿に、「工場を持たないメーカー、 標準化された廉価商品を外部の製造会社に委託生産させる販売会社、例えばパソコンの『デル』や液晶テレビの『ビジオ』など水平分業の申し子たちが、ストリンガー氏が目指すソニーのエレキ事業の理想像なのかも知れない」と語る。
ここには書かれていないが、アップルも同じである。中国の工場にiPhoneなどを生産させている。アップルはウォークマンというブランドが弱くなったとき、それを真似て成功を収めた。しかし、アップルが全盛期にある時、そのビジネスモデルを真似しても成功しないというのは、経営者でない私にも分かる。
案の定、ソニーは長い低迷期から抜け出せないままだ。

最後に立石さんは、「ソニーは日本企業であり、エレクトロニクス・メーカーであり続けると信じて疑わない日本人とソニーファンにとって認めがたいことであろうが、グローバル企業になるということは、そういうことなのである」(191ページ)と諦めに似た口調で語る。
そして、「いまの私たちに出未ることは、未来への『希望』を与えてくれた『SONY』に感謝の言葉を捧げるとともに、こう言うだけである。『さよなら! 僕らのソニー』」と締めくくる。

明治百年―もうひとつの1968
明治百年―もうひとつの1968
小野 俊太郎著
エディション: 単行本
価格: ¥ 2,625

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5つ星のうち 3.0 44年前の宿題は片付いたか?, 2012/6/10
著者は文芸評論家の小野俊太郎さん。1961年に公開された映画を題材にした『モスラの精神史 (講談社現代新書)』、同じく1966年公開の『大魔神の精神史 (角川oneテーマ21)』を書いた延長線上に、1968年という年があったという。

明治元年からちょうど100年、1968年(昭和43年)には何があったか――「あしたのジョー」「タイガーマスク」連載開始、「巨人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」アニメ放映開始、東大闘争、新宿騒乱、三里塚闘争、霞が関ビル完成、ダイエー1号店開店、小笠原諸島の日本復帰、郵便番号制度、ポケベル、週刊少年ジャンプ創刊、日本初の心臓移植、人生ゲーム発売、国鉄の大規模ダイヤ改正と自動券売機導入、川端康成がノーベル文学賞受賞、三億円事件――今に続く日本の仕組みが出来た年と言える。
小野さんは、「現在につながる多くのシステムや考え方の始まりの年でもあったから」(248ページ)、「私たちの社会がたどったコースが、どんな利点をもち、どんな欠点をもつかを知るためにも、明治百年としての1968年をくわしく見直す意義はある」と語る。

ポケベルが1968年にサービス開始していることを考えると、ネットワーク社会ですら、1968年にスタートしていたと考えることができる。
一方で、東大闘争や新宿騒乱、三里塚闘争といった社会問題を、2012年時点の我々は総括しているか?
そのひとつが原発問題である。東海村で商業炉が稼動を始めたのは1966年であるが、「68年12月に発表された原子力産業実態調査報告では、原子力は実用段階に入っているとされた。つまり、68年は原子力発電の商業化へ大きく舵が切られた年でもある」(66ページ)のだ。当時の経緯は『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史 (新潮新書)』(有馬哲夫=著)に詳しく書かれているが、理路整然と商業化へ向かったわけではない。

1968年を記憶に残している我々の世代は、宿題を積み残したままにしているような気がしてならない。

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