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とおのとほさんが書き込んだレビュー (山形県南陽市)

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ブッダ 14 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
ブッダ 14 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
手塚 治虫著
エディション: コミック
価格: ¥ 504

5つ星のうち 5.0 登場人物たちの多くが死んで物語は終わるけれど・・・, 2014/11/22
第6部(3)
第12章 シャカ族の滅亡
第7部 
第1章 悲報
第2章 ダイバダッタ
第3章 アジャセ王の微笑
第4章 旅の終り

前巻の続きとして、ブッダを色情狂の殺人鬼にしたてた根元を断つというところまではいかないまま、これは砂漠に水を撒いたように雲散霧消した。物語の進展はそれどころではなく、大団円に向かって激しく展開したからだ。とはいえ、ブッダに帰依したルリ王子の信頼は揺るがず、犯人逮捕に向かったのだ。しかし、それが大きな悲しい出来事のきっかけとなる。
ルリ王子が王となるべく、バセーナディ王は幽閉されるが、ブッダの「雑草を友とせよ」との導きによって癒しを得られるものの、目覚めるところまでは行かなかった。ブッダの孝行の勧めに応じてルリ王子は父王バセーナディを解放するが、バセーナディは復讐心に囚われてマガダ国のビンビサーラ王に会いに行くが、門前で死ぬ。

愛弟子タッタも結局は復讐心を克服できなかった。カピラバストゥの騎士ベーランダと結託してコーサラ国に暴動を起こし自滅する。

ブッダ自身へこの出来事は跳ね返ってくる。自分の教えはなんの力にもなからなかったのか、と。大昔から現在までこの疑問はたくさんの人に湧いてくる。空疎な言葉で人を惑わす信用のおけないものとして。そんな妄想や観念に囚われず、現実の解決を求めようと。しかし、そうやって人々は倒れていった。
そんな落ち込んでいたブッダをなんと屈折の人アナンダが救う。己に生まれつき取り憑いていたマーラに克って、師に差し伸べる手ができたのだ。私はこのシーンで泣いた。

異父兄弟でアナンダ以上に深く暗い淵にいるダイバダッタは、イエスを陥れたユダのように、ブッダを帰依する相手ではなく利用する対象としてしか見てとれない。自己の夢実現のために教団乗っ取りを図り、あろうことかブッダ暗殺を画策する。人間の歴史ではこうやって罰も受けることなく子々孫々まで繁栄していることの方が多いかもしれない。仏教説話として、あるいは手塚マンガではこれは許されない。ユダがイエスをユダヤ神官たちに売り飛ばした後、首を吊ったように、ダイバダッタも自滅していった。

父王ビンビサーラを幽閉し死なせたアジャセ王子だが、脳腫で苦しみ出す。ビンビサーラ王は息子アジャセに殺されるという予言に苦しんできた生涯だったが、そんな妄言は吹き飛ばされることなく成就してしまったのは、深みを増すための苦味だろうか。
そのアジャセもまた脳腫になった。彼を救ったのがまたブッダであった。布教の手段に病気治しを使うのは卑怯と思われるが、ブッダはそんなまやかし教団の教祖ではない。自分の命を惜しまず捧げたものだ。三年もの年月をかけて脳腫を治癒した。ミゲーラの皮膚病による膿を自分の口で吸い出すという行為を思い出す。あれは身近な人を助けたい一心だった。自分の命を削ってでも助けなければならないことだったのだ。そこには、手段としてではない、純粋理性としての行為だけがある。これこそ「人間の中に神がおられる」という悟りに通じることなのだろう。

霊鷲山(りょうじゅせん)での最後の教えは大乗仏教の始まりのように見えた。最初の巻にあったエピソード、ウサギが人を救うために自分の命を捧げたことが1場面も省略されウことなく再度掲載されている。この巻でマンガ「ブッダ」は終わるが、読者諸氏の始まることを願ってのことだろう。

デーバがみんなに代わってブッダに尋ねる。「死ぬのが怖い。死んだらどうなるのか」
肉体という殻から離れて空(くう)に帰る。「くう」といっても空虚の空ではない。大空(宙)の「くう」なのだ。

臨終間際、スパッダという訪問者への教えとして「仏・法・僧を信じよ」。僧とは僧侶だけのことではなかった。「正しい人々の集い」。大教団は維持する過程で教えが歪む。けれど、小さい集いは励みになり、実践の活力になる、ということだと思われる。ちなみに「仏」は「天の教え」、「法」は「真理の教え」だという。


ブッダ 13 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
ブッダ 13 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
手塚 治虫著
エディション: コミック
価格: ¥ 504

5つ星のうち 5.0 王子たちはみな、ブッダ同様、父王を乗り越える, 2014/11/21
第6部(2)第6章 意志と意志
     第7章 解放の日
     第8章 ダイバダッタの陰謀
     第9章 ナラダッタ
     第10章 祇園精舎
     第11章 陥穽

儒教の教えの強い日本ではどうかな、と思われる場面があった。シッダルタが出家するに当たり、妻子を棄てたことが気がかりだった。それが今巻に来て、再会する。妻ヤショダラと息子ラーフラはどんな思いで夫であり、父を迎えたことだろう。しかも、かたや聖者として今をときめく大教団のリーダー。かたや奴隷の身として日々を命を削る暮らし。その差が大きすぎる。ブッダは「目覚めた人」とされているが、けっして完成した人とは描かれていない。まだまだ人間臭いところを残している。特別な解決策を持っているというわけではない。奴隷の身となっている他のシャカ族の人々を含めて、その一同を前にして仏陀は何を語ることができようか。極めて難しい立場である。思い出すに2011.3.11の被災者たちの前で「がんばってください」などと安易にいわないようにしよう、という言葉が出回ったが、その言葉もまた耳にすれば、気をつかっていただいてありがとうであり、どうでもいいよ、という思いも錯綜したのではないかと思う。安易な慰めの言葉は受け入れられないという状況の中で、生き方を語るのは難しい。そんな状況が13巻に設定され、ブッダも作者もかなり葛藤したことだろう。
ブッダの言葉は「いまこそ、正しい心で正しい行いをせよ」ということだった。慰めではなく、激励であり、戒めであった。もちろん、一般人は被災者に向かってこのような、追い討ちをかけるような言葉はいえない。修行を積んできたブッダだからこそいえるのである。そして、わたしには身にしみる言葉であった。
ルリ王子の底知れない暗い悩みはブッダによってようやく解決されたようだ。
ルリ王子の悩みは、自分に奴隷の血が流れていることだ。じつは人間にはみな暗い血が流れている。何をしても洗い流せない暗い血が自分の身体を流れている。ルリ王子は懊悩しているだけ、救われる機会がある人だった。そんなルリ王子に「黒いゾウも白いゾウもゾウはゾウだ」といった。いまの自分を受け入れる覚悟を持て、といったのだと受取った。ルリ王子の青春の葛藤はようやく治まる。
そういえば今巻には青年が3人登場している。シッタルダの息子ラーフラ(王子)、コーサラ国のルリ王子、そしてマガダ国のアジャセ王子。アジャセ王子もルリ王子と同様、父王との戦いがある。
アジャセ王子の場合は、ブッダが寄り添う代わりに屈折した心の持ち主であるダイバダッタによる唆しがあって、アジャセもダイバダッタもまだまだ苦難の道が続くようだ。
儒教的な親への忠心を王子たちは仏教によって乗り越えようとする。今巻は短いエピソードがたくさんあるがみな重い。

獣に落ちる修行をしていたナラダッタ聖人は死を迎える。狂人に思われがちだった苦行者の最後はブッダに看取られることによって成就するというのは、苦行は否定しないが、苦行そのものでは完結できない、という仏教の厳しい断定がある。

ルリ王子の息子ジェータ王子はスダッタ長者の強い奇岩を受け入れて自分の美しい庭園を与える。それがあの有名な「祇園精舎」だった。「祇」はジェータの「ジ」、ジェータの園ということらしい。シャカ族を憎み、虐げたコーサラ国に教団の活動拠点を置けることになるとはものすごいドラマではないか!

次巻に繋ぐドラマとして、コーサラ国の地元の教団による仏教を排除するための陰謀が始まる。
指導者ボッカラサティに取り込まれている女スンダリーが色気と我が命でブッダを罠にかける。聖者を色欲によって貶めることは常套手段のようだ。それはインドばかりでなく世界中にあるのだろう。禁制のゆるい日本でもあることなのだろうか。親鸞聖人は妻帯者だったことから、日本ではインドで起きるようなことはなさそうだ。ただ、かつて、女性問題で首相の座を短期で滑り落ちた方がいたことは記憶にある。

さあ、いよいよ次巻は最終巻である。手塚治虫はどんな結末を用意してくれているのだろうか、期待を持って14巻を手にしたいと思う。


ブッダ 12 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
ブッダ 12 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
手塚 治虫著
エディション: コミック
価格: ¥ 504

5つ星のうち 5.0 教団の維持か、思想の深化か、ブッダは最後の旅に出る, 2014/11/19
第6部(1)
第1章 サーリプッタとモッガラーナ
第2章 避難する群れ
第3章 死の沼地
第4章 狂女ヴィサーカー
第5章 ルリ王子と再会

教団が大きくなると戒律ができるだけでない。いろんな派閥が生まれることだろう。古参の弟子たちは新参の弟子に差をつけたいだろう。能力のある弟子ならば野望を持ちたいだろう。リーダーが言ったからといって納得できないこともある。
そして教団の維持は教えと矛盾するようになっていく。教えを守るか、教団を維持するか。もっとも教えを守れない教団など虚しい限りだろう。
ブッダは最後の旅に出たのだろうか。今巻では、既成の教団は棄てたように見受けられた。
芭蕉のことだが、芭蕉は常に句境の前進を模索し続ける。すると弟子たちは着いていけず、ようやく習得した師の教えを盾にして師に従わない。だから、芭蕉は聞く耳を持った弟子たちを求めて旅に出た。旅の途上で、旅を肥やしにして新しい句境を開拓し、現地で世話する弟子たちを相手にして興行を打つ際に新しい句境の句をお披露目する。

ブッダもまた教団経営に倦み、境地を深化させるために旅に出たのだろう。その旅は苦境に満ちていた。
旅のお供をするのはアナンダ。そして、めぐり遭ったのが最悪のルリ王子だ。ブッダの身内たちが奴隷となって苦悩しているコーサラ国にたどり着き、どんな説法をブッダはするのか、次巻に期待しよう。

人は死ぬとどうなるのか。自然の精気に散らばっていく。空(くう)に人は帰るのだ。


わかる「板書」 伝わる「話し方」
わかる「板書」 伝わる「話し方」
栗田 正行著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,836

5つ星のうち 3.0 家庭内板書をしてみたくなった, 2014/11/17
Amazonで購入(詳細)
本書を読んで、またサークル活動がしたくなった。少人数でミーティングをする際、板書しながらやったことが思い出される。20年も前のこと、箇条書きに書き連ねるだけだったが、それでも頼りになった。サークルでの板書は、話が外れていかないための重要なアイテムだ。

茶の間にも小型のホワイトボードを置いてみたら楽しいものになるのではないか、と思われた。わが家はあまりミーティングしない。同じ屋根の下で飯を食ったり寝起きしているだけだ。
家庭での黒板的な存在は掲示板ということになるが、掲示板では連絡事項ぐらいしか記入しないものだ。茶の間にボードを立てて好きなように書き込んでもらう、ということをしてみたらどうなるか、やってみたくなった。

本書は小学生くらいが対象で、塾講師経験が基になっているようだ。著者は数学の先生。わたしが求めているのは文章の場合である。いかにまとめ、周知し共有し、深めていくか、そのための板書の仕方(まとめ方、進め方)だが、本書には漠然とした心得は書いてあったが、国語の場合の具体的な板書の仕方はあったかもしれないが、印象に残るものはなかった。

自分の側に本書から受取れる力がなかった、という感じがする。
国語の先生の手になるものが欲しいな。


Tao Zen(タオ&禅)瞑想エクササイズ
Tao Zen(タオ&禅)瞑想エクササイズ
大内 雅弘著
エディション: 単行本(ソフトカバー)

5つ星のうち 4.0 寄せては返す波のイメージで呼吸してみる, 2014/11/16
いろんな瞑想エクササイズが提案されている。エクササイズというと、例えば腕立て伏せは日常よくやるフィジカルエクササイズだが、どうせやるなら、元気のポンプを押しているつもりでやったり、仕事がはかどるようになるというイメージでやったほうが断然、楽しい。そのためのイメージが添えてあるので、イメージ力に自信のない人は本書を手元において、エクササイズを始める前に読んでおくといいだろう。

珍しいのを二つレビューしておく。

〈サードアイからのエネルギー交換法〉
1.額から力を抜く
2.気持ちを集める
3.サードアイで微笑する
4.エネルギーを大切な人のところまで放出させる
5.愛が流入してくる
6.内面と外側が調和したら、エネルギーを丹田に集める
7.丹田は温まる

〈舌のエクササイズ〉
心臓・ハートと舌は連動している。舌を口から出してダンスをさせる。
蛙や蛇、アリクイではないので舌はそんなに動かないが、鼻の頭、アゴ、左右の頬を舐めるように動かし、心臓を安定させる。


ブッダ 11 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
ブッダ 11 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
手塚 治虫著
エディション: コミック
価格: ¥ 504

5つ星のうち 5.0 なによりも、呪いの予言で蝕まれているビンビサーラ王とアジャセ王子父子はいかにして和解できるのか、ブッダの働きが気になるところだ, 2014/11/16
第5部(3)第8章 ワニの河(2)
     第9章 象頭山ゾウズセンの教え
     第10章 竹林精舎
     第11章 幽閉の王子

獰猛なワニへの説教。動物たちへの説教は一見マンガチックだ。実際、本書はマンガなのだが、言葉の通じないものたちへの説教は大切な修行ではないだろうか。動物の種類だけそれぞれの持つオーラと共通する人間たちがいる。人間のたとえでなくてもいい。それぞれ特徴のある生き物たちへ語ることは自分の思想の反省になる。
わたしたちも自宅の庭先へ舞い降りる小鳥たちへ、あるいは庭を横切る近所の猫へ、あるいは空に浮かぶ雲や軒下から垂れ落ちる雨だれ、窓から吹き込む風、花壇の花、道端の雑草、生まれたての赤ん坊・・・それらに語りかけることはかなり大切なことだと思われた。もっとも、その姿を誰かに見られないように気をつけないとマズイけれど。

象頭山(ゾウの頭のような形をした山)での説教は、イエスの山上の説教を髣髴させる。ブッダはいう。「欲を出さなければ生き長らえる」マーラはいう。「悪しき環境を脱しなければ生きられない」
ブッダはいう。「水売り屋の家族は水によって煩悩の火を消している。だから平穏に生きていられる」マーラはいう。「風邪を引いてしまわないか。暖かい衣と温かい食事は必要でないか」
ブッダはいう。「欲を出して生きることとよい生き方は紛らわしいものだ」

今巻では、賢王ビンビサーラより献納された竹林精舎により教団の修行生活が始まる。そのため戒律も制定される。そうした中で、アジャセ王子はブッダ暗殺を試み、罰として幽閉される。ブッダに帰依しながらもビンビサーラとアジャセ親子のままならない意思疎通の苦悶は相当なものである。父子を蝕む不吉な予言をいかにして克服できるのか。
アジャセ王子は救いとして天使のような金髪の少女ユーデリカに恋をする。その少女を父ビンビサーラは処刑してしまうのだ。もはや、この父子に救いはないのだろうか?
アヒンサーはまだ目が覚めない。アジャセ王子と共に今後気になるところだ。


ブッダ 10 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
ブッダ 10 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
手塚 治虫著
エディション: コミック
価格: ¥ 504

5つ星のうち 5.0 アクションを楽しんでください 作者も少しリラックスしたのかも, 2014/11/15
第5部(2)第2章 パンパス刑事
     第3章 リータ
     第4章 アングリマーラ
     第5章 拝火殿
     第6章 カッサパの帰依
     第7章 ワニの河

アナンダが前半の主役。悪いことをやりまくって反撃も食らっているというのに不死身の男といわれる。パンパス刑事(ヒゲ親父)が犬をけしかけるが、恐れを抱く。それというのも悪魔がアナンダにとり憑いていたからだ。ブッダ攻撃の道具として幼少のころからアナンダの心を育てていたのだ。
それでもアナンダは根っからのワルではなかった。奴隷のリータを愛するようになる。もう、この時点で悪魔の敗北を見てとってもよかったかもしれない。ブッダとの戦いによってアナンダにとり憑いていた悪魔は撤退する。
アナンダは登場時は、かなりひねくれた悪人かとの予感がしたが、この巻でそんなに根深い悪人でなかったことが分かる。ダイバダッタとは異父兄弟だが、ダイバダッタほどネクラではなかった。

アヒンサー(アングリマーラ)はアナンダの力を知って共謀して襲う相手は拝火教の行者ウルヴェーラ・カッサパ。大教団の教祖にして科学を駆使して人を惑わす。二人は拝火殿に閉じ込められ火によって瀕死の状態に陥った。ブッダは二人を、とくにアナンダを死の淵から救い出した。

死の淵まで下りてあの世の近くでさ迷っている者を救うというのは、宗教人の使命であり、カウンセラーの務めである。
カウンセラーはクライアントと同じ地獄まで降りて行き、クライアントに手を差し伸べて、共にこの世に浮上する。できないカウンセラーはクライアント共に地獄をさ迷うことになる。カウンセラーには、捨て身でクライアントの遭遇している地獄を経験するのでなければ救出できないし、帰ってくる力が必要だ。師といわれるような宗教人ならやはりカウンセラー以上の力が必要だろう。悪魔を退散させる神通力も持ち合わせているに違いない。
アヒンサーはここでは命は助けられたが魂は救出されなかったようだ。ウルヴェーラの弟たちナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパにまた新たな火種を持ち込む。
しかし、アヒンサーはきっと近い将来、ブッダに帰依するに違いない。アナンダと力比べの格闘をしたとき、右腕を負傷していたアナンダに合わせてアヒンサーもまた右腕を使わないで勝負した男だからだ。

5.6人の弟子(当初は仲間だった)だけであったのが、ウルヴェーラを弟子にすることで一挙に教団化した。もはやこの巻ではシッダルタではなくブッダが呼称になった。
教えよりも神通力を発揮したアクションに満ちた巻であった。

ところで、今巻には、ナレーションとセリフの他に、注釈があった。この注釈のなんと白戸三平風であることか!! ブッダが念力で薪を割ったことの説明だが、なんで書き込んだのか私にはわからない。手塚治虫にして白戸三平の影響を受けたのか、あるいは手塚一流のパロディなのか?


「脳番地」を強くする
「脳番地」を強くする
加藤 俊徳著
エディション: 単行本(ソフトカバー)
価格: ¥ 1,512

5つ星のうち 5.0 けっきょくは昔からの方法を医学的に証明しようとしてみせたということではある, 2014/11/15
まず「脳番地」という言葉の意味がよくは分からなかったのだが、ボケ対策にいいことかもしれないと思い手に取ることにした。ところが、なんだか文章がおもしろくない。入り込めない。それでペンを取り、紙の真ん中に「脳番地を強くするには」と書いて○で囲み、上に触角を伸ばし「脳番地とは何か」と書き込んだ。目次で見当をつけてみたところを探してみた。そして自分なりにまとめて次のように書きつけた。
「役割分担の違った神経細胞が集まったところ」
なんだ、脳は場所によって働きが違うという従来の説明と変わりないじゃないか。ただ、本書はその機能場所を細かく分けて数字を割り付けたのか、と自分なりに理解した。あとは、集中が進んだ。いくつか触角を伸ばしてみた。書き込みは最後までどんどん進んだ。マインド・マップみたいにきちんと書き込まなくても、集中を得るのに、紙の真ん中にテーマを書く、手を動かす、というのはとても有効だ。

最初に「身体の隅々まで意のままに動かす」ことが脳機能活性化の基礎という。それで思ったのだが、自律訓練法や気功にも繋がるのでは、またダンスの振り付け、太極拳の型を覚えるのもふだん使っていない不随意性脳の随意化になるのではないだろうか。

著者は、自分には軽度の読字障害の素因があるとカミングアウトしている。それが仕事を通して行う作業によって、つまり患部の画像を分析して、分かりやすく患者に説明する行為によってかなり改善されたと思うと述べている。それが40歳ぐらいには自覚できるほどになったという。かつて小田晋先生も臨床経験的に30歳ぐらいまでかかるというのと符合していると思った(犯罪を犯す少年の中には脳の障害があってそれが改善されるのに30歳ぐらいまでかかる)。

改善の訳は、脳の或る箇所(つまり脳番地)がうまく働かない場合、他の箇所が補完するようになったからという。自閉症にして文筆家の東田直樹くんの脳をMRIで画像を撮ったところ、右脳のある箇所がはなはだしく活性していることが判明し、補完現象ではないかと推測されたことが連想された。

苦手なことを懸命に鍛錬していると、脳の他の箇所が代役を務めるようになるというのは、ある意味、救いだが、そのために費やされる甚だしい労力を思うと、もっと別の進路があるのではないかとも思えた。でも、障害克服には朗報である。

短冊を使って考える、というのは梅棹忠夫の「知的生産の技術」中、京大型カードによる方法となんら変わりはないが、新しいテイストでの説明と受け留められた。

本書を読みながらA4の紙2枚にまとめてみたが、とても具体的な提案で、実践に務めたいと思った。


ブッダ 9 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
ブッダ 9 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
手塚 治虫著
エディション: コミック
価格: ¥ 504

5つ星のうち 5.0 動物も(虫も魚介類も)植物も人間と等しく生き物だ, 2014/11/13
第4部(2)第4章 危難
     第5章 鹿野苑(ミガダーヤ)
     第6章 牡牛セブーの物語
     第7章 愚者が行く
第5部(1)第1章 アナンダ登場

ダイバダッタ・・・武術家バンダカの忘れ形見バンダカは、どうしようもない暗い心を胸の奥底に宿している。
陰謀を悪いこととも思っていない男。しかし、タッタと似ているところがある。タッタはシッダルタの力をよく知り得ていない。コーサラ国やルリ王子に復讐することを夢見て、シッダルタをリーダーに祀り上げようとの思いがある。ダイバダッタはシッダルタの超越した能力を知り、巨大宗教組織を作ろうとの思いを抱く。シッダルタをリーダー(教祖)に祀り上げようとの思いではタッタと同じだ。ダイバダッタは純情な心と目的のためには手段を選ばない暗い心を併せ持っている。いつ、どのようにシッダルタとぶつかるのか。
登場する動物たちはみな人間の象徴のようだ。さしづめ、シッダルタに帰依する鹿たちは勤勉な人間たちか? 象徴ではなく、動物そのものでもいいかもしれない。彼には、人間も動物も、ひょっとして植物も同じこの世に生きるものたちとして等しく接したようだ。
シッダルタは鹿に洪水から救われ、また行く先を案内される。それを見かけたアージーヴィカ教の僧ウパカはバカにしていう。「ブッダなら衆生を導くものだろう。それなのに衆生に導かれるとは笑止!」
さらに「悟りとは自分自身で気づくもの。おまえはどうやって衆生を悟らせようとするのか、笑止!」
聴く耳を持たない者の話しを誰が聴こうか、拝聴者たちの待つ場に案内される謙虚さになんの問題があろうか。
悟りは自分自身で気づくものではある。悟りの機会やヒントを与えるのが説法というものだろう。

「鹿野苑」人間はお腹がすいていなくても生き物を殺す。それは文化と表裏一体だ。狩りはゲームであり、喜びである。人間は実用の範囲を超えて、心の充実のために行動する。芸術も科学研究も狩猟等のスポーツもエゴの充実のために止められない行為だ。
それは自然を犠牲にするばかりでなく、人間たち自身さえも犠牲にしてもとどめられない衝動だ。とどめようとするのではなく、最小限に抑制することが、だから大切なこととなる。理性はそこに働く。

「牡牛セブー」八正道を説く。「正しく見、正しく思い、正しく話し、正しい仕事をし、正しく暮らし、正しく勤め、正しく祈り、正しい生涯を送ること」
これは悪いことをするなというネガティブな戒めとして語っているのではない。苦行など遊びと同じだからそんなことをしないで、悩みを抱かない充実した楽しい人生を送るためのポジティブな方法として説かれている。

「アナンダ」ダイバダッタの弟。しかし、母は同じだが父が違う。ダイバダッタと同様に相当に心は暗い。今巻は登場したばかり。やがてダイバダッタとの違いが描かれていくことになるだろう。仏典に登場する英才「アーナンダ」と同一人物なのかどうかは、いまのところわたしには分からない。


ブッダ 8 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
ブッダ 8 新装版 (Kibo comics) (希望コミックス)
手塚 治虫著
エディション: コミック
価格: ¥ 504

5つ星のうち 5.0 シッダルタが「ブッダ」であることをミッションとすべきことをブラフマンから宣告される, 2014/11/11
第3部(4)第13章 ヤタラの物語(2)
第4部(1)第1章 剣士と風来坊
      第2章 決闘者
      第3章 対決

タッタが活躍した。魔ゾウであるナーラーギリと闘った。そして巨人ヤタラと対決。ヤタラは陰謀によって倒れる。

シッダルタはこの巻で二度目の「ブッダ」を宣告される。導きの人ブラフマンによって額に聖なる印を刻印され、人を導くように諭されるのだ。
そのひとりがヤタラだったのだが、もともとシッダルタの人柄や力に期待していたタッタと対決することになる。共にシッダルタに縁のある間柄。正々堂々と戦いたかったのに、ダイバダッタの謀にヤタラは倒されるのだ。

このダイバダッタは極めて注目すべきキャラクタ-になる予感を漂わせている。狼に育てられている時から、弱虫の中に凶暴が隠されていたのだ。
この巻ではマガダ国の賢いアジャセ王子が彼に引き込まれそうなところである。アジャセ王子も癖がありそうだ。とても賢そうなのだが、父王ビンビサーラ(最初の「ブッダ」宣告者)に殺されそうな目に何度かあっているのだ。ビンビサーラもまた賢王であるのに、予言に惑わされているのだ。
ダイバダッタとアジャセ王子の組み合わせは、とても危ないキナ臭さが漂っているといえる。

さて、ヤタラへのシッダルタの導きの言葉。
「人間もこの自然の中にあるからには、ちゃんと意味があって生きてるのだ。あらゆるものとつながりをもって・・・。そのつながりの中でおまえはだいじな役目をしているのだよ」
「もしおまえがこの世にいないならば、何かが狂ってしまうだろう」

人間だけでもこの地上に何兆もの数が誕生してきた。しかしそれでも、あなたにとって替わる存在はいない。あなたがいなければこの世界はバランスを崩してしまうのだ。
わたしもつくづくこのように思う。けれど自分も含めて人を説得させるには、そのわけをいえなければならない。

あるべきところが欠如すると、たとえゴマ粒のような存在でしかなく、すぐにはアンバランスの影響は出ないかもしれないが、ちょうどドミノ倒しのように連鎖が次第に大きくなって、やがて世界の調和を崩すのだ。

そしてあなたはゴマ粒より大きい存在なのだ。家族からすればとてつもなく大きい存在だ。そのあなたがいなくなれば、家族の痛手は大きい。家族が世の中に出れば、痛手が他者に影響を与える。他者の気分を変調させたり、ひょっとすると交通事故を起こして、まったく関係ない他者が傷つくこともあるだろう。その傷ついた者が新薬開発のリーダーであるなら、開発の遅れによって助かるはずの大勢の難病の人々が間に合わず倒れてしまうことになる・・・。

それでは、あなたが乱暴ものだったらどうか。あなたが難病のものだったらどうか。こんな自分がいないほうがよほど世の中は平穏になるだろう。傷つく人もいなくなる。迷惑をこうむる人もいなくなる。
けれど、そんなあなたでもこの世から消えてしまえば、家族は大きなダメージを受けるだろうことには変わらない。

あなたを生み、あなたを育て、あなたと共に育ち、あなたと共に暮らした人々があなたが消えるとダメージを受けるのだ。

あなたはこの世にいなくてはならない人なのだ。だからあなたは自分を大切にしなければならないのだ。

あなたは愛によってあなたであり、あなたの愛によってあなたなのだ。


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