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とおのとほさんが書き込んだレビュー (山形県)

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週刊 絵巻で楽しむ源氏物語 2012年 8/26号 [分冊百科]
週刊 絵巻で楽しむ源氏物語 2012年 8/26号 [分冊百科]

5つ星のうち 5.0 大きな物語の終わりと始まり, 2013/5/24
本シリーズを紐解いたのち、同じところを与謝野晶子訳で読み返すという手順を途中から始めているが、今回は本書「35」を読んでからにしようと思っている。
神無月。紫の上が嵯峨野の御堂で光源氏のために供養をしてくれるところから始まる。荘厳な場面が描写されている。しかし、わたしのような者には退屈だ。10数年前、円地訳で読んだ時は延々と続く羅列の描写のページは早めくりしたものだ。高価な調度品が並べられても、垂涎の溜息など出せない。映画にすれば豪華絢爛、眩しく輝く場面になることだろう、本書の絵巻にもその場面はない。高級貴族たちのあでやかな衣装、螺鈿の倚子、御衣の机、挿頭の台、屏風絵、舞台上演・・・どんなに羅列されても「はいはい、スゴイですねえ」としか思えない自分が悲しい。
ところで、小嶋先生が「どうしてこの賀宴は二条院なのだ」と質問を投げつける。まったくだ。豪華な場面はすっ飛ばすは、作者からのメッセージには鈍感でいるはで、わが身が情けない。
なぜ六条院でしなかったのか。できなかったのだという。もはや六条院は紫の上の仕切るところではなくなったのだ。女三の宮様をさしおいて六条院の女王ヅラはできなくなったのだ。明石の君の身分の低さが頭から離れない紫の上は、己の身分の低さによって女三の宮に頭が上がらなくなったのだろう。
明石の女御が男皇子を出産。久々に明石の入道が亡霊のように登場し、本当の亡霊になって舞台から消えていく。研究者先生方の中に、この場面から物語は遡及して構想されたのではないか、との声がある。明石の入道の一族は大願成就し、一つの、しかし大きな物語が終わる。それは若くて奔放だった光源氏の青春の終わりでもあるようだ。
そして新たな世代によって事件が引き起こされ新たな物語のうねりが始まりそうなのだ。
中学の時、遅刻しそうになって薄暗い裏道を急いでいた時、ふだん見かけない、上品そうな高校生くらいの女性とすれ違った。なんで制服を着ていないのだろう、といぶかしく思いながら学校を目指したのだが、半世紀近く経つ今、それが思い出される。「垣間見る」とはそのような魔法が働くのだろう。柏木も女三の宮に惚れたのではなく、垣間見たという特別な時間に魔法をかけられたのではないだろうか。まさか、あの唐猫が魔法使いの弟子だったりして・・・。

週刊 絵巻で楽しむ源氏物語 2012年 8/12号 [分冊百科]
週刊 絵巻で楽しむ源氏物語 2012年 8/12号 [分冊百科]

5つ星のうち 5.0 住吉具慶には完全に参りました・・・カワイイー!, 2013/5/22
みごとだ。表紙を開くと折り込まれているグラビアページ(全ページグラビアだけど)はこれまで以上にすばらしく見える。江戸後期のものだから傷んでいないということかもしれないが、精緻な描きぶりも迫力を与えてくれている。狩野養信(かのうおきのぶ)だそうだ。
いよいよ長編に突入。朱雀院から娘の三の宮を押し付けられるようにして結婚した光源氏。藤壺の入道の血筋だからひょっとして・・・と下心もあったようだが、ハズレだった。そうして、源氏物語の世界を覆っていたプレートが軋んで少しずつ嵌め直されていく。
光源氏の女たちの中では最高位で揺るぎない地位を占めていたと思っていた紫の上の立場がズレはじめたのだ。現役の上皇の娘となると位置は光源氏の直近ということになる。自然、押しやられる紫の上。紫の上の疎外感はいかばかりか。
たとえ三の宮がのどかにできているお方だとしても、それを取り囲み仕切る女房軍団が最高品質の者たちだろうから、もはや紫の上とてかしずくしかない。これまで最強と思われた明石の君をもしのいできたが、もう、若くもなし、三の宮のおままごとにもつきあえない。小嶋先生ご指摘の「孤絶の悲しみ」を克服するには・・・。
今帖の「原文を習ふ」の解説がいつもと違ってなんだか情念が籠っている。アレ? と思い、名を見ると高木和子先生だ。現代語訳のダイジェストとは違って、原文の解釈となるとやはり重々しい趣がある。紫の上の新たな大人の物語を刻む始まりという。
そういえば「平安の大事典」でも情念の込められた解説文となっている。
「『若菜上下』巻の世界は、暗く重い。・・・・参賀は、行き続けることの苦しさを照射している。」執筆者は藤井由紀子先生。源氏物語の女性研究者の文体というものがあるのだろうか?
辛酸なめ子先生「紫の上は、苦悩を抱え込んで初めて存在感が出てきたような気がします。」
さあ、劇中劇のような長編「若菜」が始まります。

明治天皇と日露大戦争 [DVD]
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DVD ~ 嵐寛寿郎
出品者:玉光堂
価格: ¥ 3,767

5つ星のうち 5.0 どうなってるんだ? すばらしすぎる, 2013/5/20
レビュー対象商品: 明治天皇と日露大戦争 [DVD] (DVD)
全編、無駄なく引き締まって力強い。古い映画だから割り引いてみようと思っていた覚悟など必要なかった。クサイあほらしい場面はまったくなかった。
ロシア軍の描写も、見られて恥ずかしくない公平な、敗軍の尊厳を守った武士道に満ち満ちた画面だった。和歌の朗詠や詩吟の挿入は古臭いと感じる人もいることだろう。わたしは詩吟は一時、習っていたことがあり、かえって楽しめた。明治神宮で坊城家の独特の朗詠を間近で聴けたことがあったが、朗詠ともどももっと普及しないかと願っている。

バルチック艦隊は太平洋を回って進むのか、対馬海峡を真っすぐ進行してウラジオストクに向かうのか、白熱する論議の場面もよく描かれていた。
海戦の場面も力強く、これほど力強い場面は見たことがないほどで、戦艦どうしの砲撃合戦は軍艦冥利に尽きるだろう。太平洋戦争では航空機が相手となり、無念の運命となった大和が悲しい。

軍の最高指揮者である明治天皇はもっとも見識の高い指揮者として描かれ、子どもを戦いで亡くした父親の潔い気持ちが描かれ、一糸乱れぬピラミッドになっているところが清々しいのだと思われる。
天皇批判や反戦や若者の恋愛は余計だったのだ。思わず「この映画作られたの、戦後だよね」と思ってしまった。戦意高揚の政策映画かと思ってしまうくらいだからだ。
しかし、このストレートさがいい。尾ひれを着けないと底が浅いといわれそうだが、そんなことはなかった。
世論を気にして(「戦争映画は良くない」とかいう声)アイドルを入れたり、反戦を挿入したりしてアチコチに気兼ねするのは雑味が出てよくないとわたしには分かった。ファン向けアイドルの魅力紹介、反戦の主張(もちろん、わたしは反戦に賛成したい)などは別の映画として作ればいい。

週刊 絵巻で楽しむ源氏物語 2012年 8/5号 [分冊百科]
週刊 絵巻で楽しむ源氏物語 2012年 8/5号 [分冊百科]

5つ星のうち 5.0 紫の上さえも嫉妬してしまう、男が惹かれる理想の女「明石の君」の落ち着くところ, 2013/5/18
ということで、本章に来てようやく、源氏物語の推移を季節で整理して見たらと気づくようになった。今章のタイトルは「藤裏葉」。4月の話だ。
そうか、4月になったんだ、と思った。藤は4月かと。それなら3月は桜だな。なら梅は2月だろうな。すると「梅が枝」は2月の話かと帖を戻ってみると、やはり2月であった。これは自分だけの発見であり、他の方々には周知のことなのだ。

藤という植物は知っている。近くの公園に藤の棚がある。それは中高生のどこかの段階で見たことがあって、その垂れ下がっている紫の花が「藤」であることを、誰かがいったのだと思うが、以来、藤は知っている。富士山の「富士」と藤の関連はまだ知らない。「裏葉」とは表裏のことではなく「若葉」のことだとはこのたび知った。

父の内大臣の許しが出て、ようやく二人の仲は成就する。そのときの小道具が藤の花である。文学の難しさは、このような小道具の役割りの解釈である。そもそも働きなど気づかないことが多い。
直接的には「藤の花」は雲居の雁の象徴だと竹内先生によって教わった。物語の藤の花の働きを見ると、そのようだと気づく。父の内大臣は後選和歌集「藤の裏葉の」を朗詠する。息子の柏木は藤の枝を、夕霧の持っている盃の脇にかざす。差し出すお酒とともに藤を受け入れて欲しいということだろう。ゆえに藤が雲居の雁を暗示しているということだ。
こういう一連の象徴的な行為を理解できないことには、王朝生活および王朝文学においては朴念仁ということになってしまう。

息子の結婚の他に明石の姫君の入内もある。実母の明石の君が後見役として、ともに宮中に入る。あれ? 明石の姫君の女房になるのだったら、こんな屈辱的なことはないのでは? しかし、長く娘のそばにいてお世話できるのだから満足しなければと、わたくしはしみじみと感慨にふけようとしたのだが、別の角度から見れば、東宮女房のナンバーワンになるのだから、それはそれで権力を得ることになるのだ、なんだかなー・・・。

「平安の大事典」は【信仰と神道】がテーマ。物語に登場する神社が紹介されているが、私が行ったことのある神社は伊勢神宮のみ。上下賀茂神社、岩清水八幡宮、住吉大社、春日大社は、仁和寺の法師ではないがいつかは行ってみなければ。

そうそう、忘れるところだったが、紫の上と明石の君の身分の違いが、上品ながら根深くあって、しかも、それを超えてある明石の君の美への嫉妬、というものがあるらしく、それが文学の深みになっていうのだろうなあ。

女性読者の中では明石の女君が、玉鬘の人気''に次ぐ人気があるようだが、近現代の物語のヒロインの多くが持っている謙虚さを美質とともに備えているからだろうか。

週刊 絵巻で楽しむ源氏物語 2012年 7/29号 [分冊百科]
週刊 絵巻で楽しむ源氏物語 2012年 7/29号 [分冊百科]

5つ星のうち 4.0 日本画ってマンガの元祖だったの 住吉具慶 如慶の画はそろってかわいいんですけど, 2013/5/13
六条院は明石の姫君の裳着の準備で忙しいというより賑わっています。薫物合せというイベントが企画されました。女君たちが一斉に香木をブレンドし始めました。そんな中、朝顔の姫君から花のない梅の枝に結ばれた手紙が届きます。光源氏は自宅の花のついた梅の枝に返事を結んで返します。
このことを竹内先生は見事な解釈を紹介している。
花のない梅の枝は、朝顔の君自らのことを象徴している。「もう青春は過ぎました」と。なにをおっしゃいますかといいながら光源氏は自宅の花のついた梅の枝を送る。「まだまだいけるでしょう」といいながら同時に「わが家の成人の儀式をする姫君を立ててくださっているのですね」ということらしい。潔い、きっぷのいい女君であることよ。
今回は玉鬘にまつわることから離れる物語らしい。

ゲオルゲ詩集 (岩波文庫 赤 431-1)
ゲオルゲ詩集 (岩波文庫 赤 431-1)
ゲオルゲ著
エディション: 文庫
価格: ¥ 588

5つ星のうち 4.0 現代でも読みがいのある詩集である, 2013/5/13
手塚富雄は、小学校高学年のころ、両親の本棚から抜き出して読んでいた本の一冊に覚えがある。ゲーテやリルケの訳者の名前として。以来、彼の名はドイツ文学書の選択の条件になった。中公文庫の「ツァラトゥストラ」を手にした時も。それが2011年第7刷発行として再び彼の名を目にするとは。しかも高校生の手によって購入され、わたしに読まないかと手渡されたのだ。著者のゲオルゲを差し置いてわが読書人生を振り返えさせられた次第だ。恋愛ばかり歌っている文語詩だったら苦手だなあ、または、響きの悪い散文的な口語詩だったらおもしろくないなあ、と思ってページをめくり始めると、やはり手塚先生、そしてゲオルゲは、やはり恋愛詩から始まりはしたが、後半(「生の絨毯」から)はすっかり現代人の興味に叶う詩法とテーマになり、しっくりと読み味わえ、詩句の解釈に興味をそそられるようになった。ニーチェやワーグナーとも時代が重なり、ナチスに愛されたドイツの誇る詩人である。
  わたしは一者であり両者だ
  わたしは父であり母胎だ
  わたしは剣であり鞘だ
  わたしは犠牲であり刺殺者だ
  わたしは見られるものであり見る者だ
  ・・・・・・・                (「盟約の星」より)
この「わたし」とは何者だろう。禅問答のようでもあるが、世界の創造者、すなわ神である。そしてイエスでもある。イエスは、人であり、神であり、人の子であり、神の子である。そう思うと、
  虔しくわたしはこの謎の偉力の前に立つ、
  彼はわたしの子、わたしはわたしの子の子なのだ・・・・
  彼の法則は、土なる素材から
  高貴な者の生まれ出るということ、そして高貴な者は、行為によってそこなわれる以前に
  苦痛と微笑とともに帰路につくということだ・・・・

「わたし」とは誰か、「彼」とは誰か。「わたし」とは、大工のヨセフであり、ゲオルゲ自身であり、人間たちだ。すると「彼」は磔刑のイエスであり、土から人間を造ったという創造主でもある。
・・・このように、解釈するに手応えのある現代的な詩法やテーマを持っている詩集になっている。

日本の領土問題を考える (シリーズ領土を考える)
日本の領土問題を考える (シリーズ領土を考える)
松竹 伸幸著
エディション: 大型本
価格: ¥ 2,940

5つ星のうち 5.0 竹島、尖閣諸島、北方領土の問題には、むしろ打って出るべきでは? 本書を読み終わって思うこと, 2013/5/12
国際交流の近代化がなされる前の東アジア諸国は国境をきちんと定める方策に甘かったのだ。
竹島は、お互い納得のいかない歴史的な文書を根拠にした、際限のないバトルに拘泥することなく、1998年の日韓漁業協定を尊重して継続していくのが現実的だ。

相手が自分にとって異質だから排除する、ということは避けるべきだ。お互い異なる歴史を通して形成してきた性向の違いの解決は心理療法の分野に任せるべきだ。

ただ、過去に日本がどんなに朝鮮半島で悪さをしたとしても、反省するからといって日本国の一部である竹島まで差し出すことはできない。

日本は「悪法も法」といって毒を飲む刑罰に従ったソクラテスに見習う法治国家である。対馬のお寺から盗んだ仏像を、何百年も前に倭寇によって盗まれたものだから返さなくていい、という司法判断をした韓国人の物の考え方は受け入れられない。

もはや空気を読んだ政治的な判断によるしかない。最良の選択は1998年の協定の遵守だ。
尖閣諸島は、1895年、国際法に則って日本の領土に組み入れた、と本書に述べてあるが、それ以上のことは本書には記されていないのだが、国際的に認知された手続きであったのなら問題はない。
中国が先進国だけで取り決めたいっさいの国際的な協定を受け入れないとし、この手続きも認めないというのであれば、最低限のレジスタンスをするしかない。経済的にもエコ的にもそれがいい。領海に日々押し寄せ圧力をかけてくる中国には、従来どおり海上巡視船による警告行動をとる。圧力の質が変わったらそれに対する最低限のレジスタンスを取る・・・を続ける。

中国は大陸棚領土説を取っている。沖縄は大陸棚の外、沖縄トラフまでが大陸棚、ゆえに尖閣諸島は中国の領土になる、ということらしい。日本側は大陸棚は沖縄の外、琉球海溝までが大陸棚なので、海岸からの中間線を主張。ということで、歩み寄ることがなければ、採るべき道は実効支配。ということで中国の公、民の船は毎日押し寄せ、圧力をかけてきている。これを跳ね除けるには、中国が南沙諸島で、韓国が竹島でしたように、それが東アジアの常識的手段だというのであれば、日本もまた尖閣諸島に島管理の基地を建設したい気分ではある。キューバにソ連がミサイル基地を建設しようとしてケネディ=アメリカが艦隊を繰り出して阻止したように、中国もまたできたての艦船を繰り出し阻止を図るのであろうか。
中国国内の日本企業の封鎖、排除にならない程度の大人の対応をまずは模索するしかないだろう。それが領海侵犯船に対する警告というレジスタンスだ。つまり、現状の施策をがんばってやっていて欲しい、というものだ。

プーチン大統領閣下は北方領土問題について「引き分け」を模索している。閣下は人気にかげりが出てきたので、日本は欲張らず、引き延ばさず、プーチン氏在任中に解決を図るスタンスで二島をいただき、それらを含めて、プーチン氏を後押しするように「共同経済区域」としてロシアの資源開発を柱に日ロ産業開発の道すじをつけることが解決の糸口になると思う。

ちなみに、過去、日本軍の一部が朝鮮半島や中国で悪逆非業をした。兵士たちが民家に押し入り、めぼしいものを持ち出し、若い女性を兵舎に拉致し監禁し、隊長から順に性欲処理の対象にしていたことを自慢する愚者がいた。ロシア兵も北方領土に上陸し、日本人住居を襲い様々なものを強奪し、あるロ兵などは腕に日本製の腕時計を何個も通して喜んでいたという引揚者による呟きを聞いたことがある。また、ある女性は、息子が戦地に行く前にと見合い結婚をさせられ、わずか3日後に出兵し二度と帰らぬ人となり、戦後再婚することなくずっと一人で貞操を守ってきた女性がいる。沖縄ではいまだに屈辱の米軍支配が終わっていない。日本はそれを反省し永久平和を誓った(沖縄を犠牲にしながらだが)。それなのに隣国は軍事的挑発を繰り返す。日本人がまだやっていないこと、それはレジスタンスだ。かつて中国が抗日でプライドを守ったように、朝鮮半島の人々が3・1独立運動をしたように、尖閣諸島を日本人のアイデンティティとしてレジスタンスを展開しなければならない。

レジスタンスと同時に、発想を転換して、共同戦線のできる相棒を見出し相手の経済領域に友好的に貢献し両者ともに潤い、ひいては文化的にも新たな地平を築けるようにしなればいけない。アメリカのパワーの陰りとともに、日本の国境が騒がしくなったが、保守すると同時に、可能性あるところにはむしろ打って出る戦略をとるべきではないだろうか。毛沢東の名言「敵の敵は味方だ」を踏まえて、スターリン流の各個撃破をするべく経済的連帯を画策しなければならない。

本書は分かりやすく、以上のような考察をすることができた。感謝。

おいで、もんしろ蝶 (名作童話集)
おいで、もんしろ蝶 (名作童話集)
工藤 直子著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,575

5つ星のうち 5.0 彼女は独身者か, 2013/5/11
工藤直子の作品に初めて出会ったときは、そののびやかな世界描写にただただ驚くばかりだった。
10数年ぶりに工藤直子の著書の本書を紐解くと、こちらも大人になってきたためか、変なことに気づくようになった。「彼女は独身か」ということだ。
作品に登場する主人公の相手はつねに距離がある。相棒であり一身同体ではない。孤独な時の相手役だ。一人でいる自由さ、気楽さ。しかしそればかりだと孤独の寂しさがつのる。そんなときのよき相手、それが主人公の相手として描かれている。
女性の中には、男と一緒になって拘束されるのはまっぴらゴメン、という人がいる。男と違って女は自立しやすい。男なんかいなくてもいいし、家事はそれこそ男なんかいなくても間に合う。だから独身人生を通す人がいる。けれども、やはり、夜やどこかに出かけるときは寂しいときがある。そんなときの相棒には、クジラや樹木のような、心の広い、あるいはゆったりとした存在が打ってつけだ。なにより、受け止めてくれるけれど、こちらに寄りかかってきたりしないからだ。結婚するにしても、こんなタイプに惹かれる人もいる。自分にあまり執着しない人。愛だとかいって寄りかかってこない人。結婚していたとしても、同伴者はそんな人ではないか。少なくとも子どもはいないし、欲しくない。ふっとこんなことを感じた今回だった。実際は、何一つ、工藤直子のことを調べたりはしていない、憶測のことだけれど。

絵を担当した画伯の佐野洋子さんは谷川俊太郎のパートナーになっているけど、サルトルとボーボワールみたいに別居しているのだろうか。ときどき会う、これが一番いいかもね。子どもを求めないときは。これまた憶測だけで語ってしまいました。

探査機はやぶさ7年の全軌跡―世界初の快挙を成し遂げた研究者たちのドラマ (ニュートンムック Newton別冊)
探査機はやぶさ7年の全軌跡―世界初の快挙を成し遂げた研究者たちのドラマ (ニュートンムック Newton別冊)

5つ星のうち 5.0 原子力発電にも起死回生のヒットを放ってもらいたい, 2013/5/11
なんで2013年5月になって「はやぶさ」なのか。2011.3.11を経験したために興味が出てきたのだ。
原子力発電は純粋国産ではなかったようだが、プラントとしては独自のものなのだろう。外国に売り込んでいるのだから。これまで原子力発電はたびたび怪しげな事故を繰り返してきた。3.11以後は、安全だったはずのことがまやかしであったと次々と白日のもとにさらけ出された。日本の技術は地に落ちた。けれども「はやぶさ」があったではないか、とプライドの再生のスイッチを入れるものとして脳裏に浮上したのかもしれない。
「はやぶさ」は日本の誇りだが、現場のエンジニア諸氏はけっして「お国のため」と肩肘張ったものではなかっただろう。自ら難問難題を提示しつつ、その解明解決に埋没していく、それは性分というものなのだろう。
映画を3本も見たためか、読みやすかった。ただ映画では短時間のことと思っていたが、最初のタッチダウンから二度目のタッチダウンまで6日間もかかっていた。
またイオンエンジンの非力ぶりは、映画では「鼻息よりも弱い」というセリフでイメージできたが、本書では「地球上で1円玉を持ち上げられるか」の程度だとの説明が有意義だった。宇宙ではこのくらいのパワーでも推進力になり得るのだ。

小学低学年のころから見ていた[子供の科学]という月刊誌で日本ロケットの取り組みが紹介されて、ずっと興味を持ってきていたものだったが、何度も打ち上げや種々の試みが失敗し「税金ドロボー」といわれるようになり、わたしも、もう国産にこだわらなくていいのではないか、とマスコミに唆されるようになってきていた。成功すると手のひらを返すように褒め称えるマスコミ。そしてマスコミに踊らされる愚かな私である。

週刊 絵巻で楽しむ源氏物語 2012年 7/22号 [分冊百科]
週刊 絵巻で楽しむ源氏物語 2012年 7/22号 [分冊百科]

5つ星のうち 5.0 語りとはサブリミナルに読者の脳髄を侵食するもののようだ, 2013/5/5
いきなり鬚黒右大将と結婚している玉鬘から始まる。
それでも宮中に出仕する。尚侍として。それで他の男たちの目に付くだろうと気をもむ鬚黒右大将。これは共稼ぎが描かれた最古の文学作品か? いや、いくらなんでも他にもあるだろうけれど。
玉鬘のところへ出かけようとする鬚黒に対し、けなげにも火取をしてくれている北の方が、抑えがたかったのか、火取の灰を鬚黒に浴びせるという、大事件が起きる。
雲居雁が夕霧の背後から忍び寄って手紙を奪うのと、私にはやんちゃ事件として双璧だと思える。
かわいそうなのは妻である。かわいそうな身になりたくないとがんばる女君たちもいるが、総じて男よりも弱い、それが悲しい。
鬚黒の北の方は物の怪にとり憑かれているといっても、それはヒステリーでしょう。なんてズルいいいかたなのだ。北の方の実家では不憫に思って引き取るのだが、こんな目にあわせた鬚黒といっしょになった玉鬘の行く末がまた案じられるというものだ。
それではなぜ、玉鬘を鬚黒右大将に作者紫式部は嫁がせることにしたのか。独身のまま出仕させれば帝から声をかけらそうだ。それは娘たちをすでに入内させている自分の二人の親を思えば倫理上ムリだ、鬚黒には不満があるがこれしかない、と、ゆかり先生はおっしゃっている。それと物語的にもおもしろいからかな。
さて、玉鬘は読者から好まれる女君ナンバー1といわれる。以前、わたしにはそのわけが分からないと述べたことがあったが、ここで少し分かるような気がしてきた。
彼女の後ろ盾は、政界ナンバー1と2なのだ。しかも尚侍は女性のキャリア最高峰。安心して存分に自分の能力を試せる環境にある。こんな環境が女性読者には魅力なのではないか。
光源氏の君を、一線をしっかり守って、しかし適度にいなす女ということが賢そうでステキなのだろうが。

今帖で「召人」という男主人の性欲処理の女性たちが取り上げられた。このような人たちの声も語りの背景に時折響いているそうだ。まるで、物語というものは、共同体の底辺に溜まっている軋轢がサブリミナルとして読者の脳髄を密かに寝食していくもののようだ。

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