4 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0
楽しまなきゃという強迫観念からクソおちゃらけ主人公に必死に迎合していた自分に、ブチキレさせられながら気づかされた作品。, 2013/4/16
02年夏、生まれて初めて買った18禁美少女ゲームの一つ。もう今はネットにも慣れて、当時を落ち着いて振り返って書けるので、今更だが書いておこうと思う。つとめて当時の気持ちを素直に。自分がAmazonでレビュー始めた08年ごろは、レビューは800文字までだったから、こんな超長文レビューは書きたくても書けなかったので。
確か同じ発売日だったlightの「Slutan(スルタン)」とStudio.e・go!の「エーベンブルグの風」と3本買いました。全部、ヒロインの絵柄が好みだったからです。ゲームシステムを調べて選んだわけじゃありません。
というのも、PCを初めて買うまで、18禁PCゲームからドリームキャストに移植されるギャルゲーを結構買っていて、すでに気づいていたんです。「ギャルゲー=恋愛シミュレーション」の時代から「ギャルゲー=読み進めるだけのビジュアルノベルゲー」の時代になっていきつつあるのを。「ときメモ3」の不評とか見るとなおさらね…(案の定、その後コナミも男性向けの恋愛シミュレーション市場に見切りをつけ、女性向けのガールズサイドばっか作るようになったし)。
でもどこかで期待してる部分はあった。そんなもん、ギャルゲーなんて「プレイヤー自身が主人公になりきって」楽しめたほうがいいに決まってると思ってたし、そのためのゲームシステムが整備されてたほうが(多少攻略作業は面倒になっても)万人に望まれるはずと信じていた。だから、家庭用ゲーム機に移植されるタイトルがノベルゲーばっかになったのは単にブームで、パソコン買って18禁ゲームを始めれば、まだまだelfの「同級生2」のような素晴らしいゲーム性の作品はたくさんあると思ってたし、「同級生2」ほどでなくとも、選択肢が頻繁に出て「好感度上げ」を楽しめるシステムは基本であろうと信じていた。いや、そう信じたかった。
この作品も、西又葵女史の描く、タレ目のキュートなヒロインたちの絵に惚れ、この子達との恋愛、そして18禁なわけですから「エッチ」を、「自分が主人公になった気分で」堪能できることを期待して買ったわけだ。だがやはりやってみたら、ドリームキャストでウンザリさせられてきたノベルゲーと同じ。
主人公のセリフとモノローグ(感情語り)を常時読まされ、それをすべて受け入れてテンションを合わせていかない限り「主人公になりきる」ことは不可能。
それでも頻繁に選択肢が出て、「主人公を操作」させてくれれば違うのだが、選択肢も好感度上げのためと言うより、ルート分岐を決定するためのフラグ立て作業に過ぎない。だから、純粋に「ヒロインとのコミュニケーションを楽しむための選択肢」が少ない。「〜へ行く」とか、そんな作業的な選択肢、「お目当てのヒロインルートへ行けるんだろうか?バッドエンドにならないだろうか?」といった不安感しかなく、「主人公を操作して一体になれる楽しさ」とはかけ離れている。
こういうフラグ立て作業用の選択肢…特に主人公の移動先を選ぶ選択肢なんて、選んでみなきゃ結果が分からない。こんな選択肢はつまらない。ギャルゲーにおいて「選択肢を選ぶこと」が何故楽しかったかと言うと、「ヒロインとのコミュニケーションに介入できる」ことと、この選択肢を選んだらヒロインは喜ぶだろうな、恥ずかしがるだろうなと、ある程度結果を予想した上で、自分の望む結果を狙って選択し、望みどおりになったら嬉しいという、そういう楽しさがあったのだ。
主人公のモノローグを常時読まされるノベル形式もウザイけど、こういう「選択肢の選ぶ楽しさ」からして、全く自分が望むものとは大きくかけ離れていた。
さて、それでも頑張ってノベルゲーに慣れようとしました。ドリームキャストのノベルゲーのころから、主人公を自由に操作できず主人公の勝手な言動や感情語りばっかウダウダ読まされ続けるノベルゲーには慣れなくて、「これはもしかして自分がオカシイのか?」と思うこともあったので、ノベルゲーというものを頑張って好きになろうとしました。これから18禁PCゲームを楽しんでいくわけだし、これから(当時02年から)ノベルゲーばかりの時代になるなら(事実そうなった)、ノベルゲーを楽しめるようにならないと損だと思ったから。
実際、個性的でおちゃらけた主人公には、ずいぶん爆笑させてもらった。ドリームキャストのノベルゲーの主人公の無個性さにはウンザリしていたから。無個性ってのは、ある程度プレイヤーが操作できるからこそ活きる。ろくに選択肢も出ずに読み進めるだけのノベルゲーでは、無個性主人公なんて魅力なし主人公にしか感じなかった。
だから、この「桜井舞人」という主人公は一発で好きになった(と思った)。今思い出すと哀れなものだが、ゲームはまだ序盤なのにアンケート葉書を取り出し、「主人公が最高!」とか書いたものだった。なぜそんなことをしたのか、その心理解析は後述する。
確かに「他人」としてなら好きだった。同時購入した「エーベンブルグの風」のように、主人公にちゃんと「目」があってフルボイスだったら、全然受け入れられた。あくまで「主人公≠自分」として、漫画やアニメを楽しむときと同じ感覚で主人公を「客観視」できたならの話だ。
しかしである。ギャルゲーの主人公には大抵「目」と「声」がない。この桜井舞人もしかりである。これはどう考えたって、「プレイヤーが主人公になった気分で楽しんでね」という制作側からのメッセージだと思った。96年に「ときメモ」「サクラ大戦」からいろんなギャルゲーをやってきて、大抵は主人公は「目なし声なし」だったが、それは「主人公=プレイヤー」を実現するための措置の一つだったのだ。実際「プレイヤーは主人公○○となって〜」という記述はマニュアルやパッケージ裏に普通に見られた。
でもこの「それは舞い散る桜のように」は、パッケージ裏にもマニュアルにも、「主人公=プレイヤー」を示す記述はないが、「目なし声なし」にする以上は、制作側が「主人公=プレイヤー」を実現しようとしてるんだと嫌がおうにも思ってしまった。だから、桜井舞人を完全に他人と思って楽しむことなんて出来なかった。何とか同調して、自分の分身として思おうとした。そうでなければ、いずれ来るHシーンでも、「自分が主人公になってHを味わう」という、18禁PCゲームを始めた動機でもある欲望を満たすことなど出来ないと思ったからだ。
だから半ば自分を欺いてまで、主人公を好きになろうとした。本当はこんなやたらテンション高くてフザけた野郎は、「自分の分身」としては大っ嫌いだったのだ(漫画やアニメの主人公とか、他人としては好きだが)。「好感度上げ」が基本のギャルゲーばっかやってきた自分は、「女の子に優しくする(たいていの場合そうしないと好感度は上がらないから)」ことに慣れてしまった。(選択肢で)優しくして、女の子が頬を赤らめたり喜んだりする反応を見るのが好きだった。
だがこの主人公は、優しくするどころか悪ふざけでヒドイことばかりする。特に年下ヒロインの「雪村小町」に対してヒドイ(後述)。高校生にもなって「恋愛したい」「彼女を作りたい」という気持ちすら出さない鈍感野郎。プレイヤーは西又ヒロインとイチャラブしたくて買ってんのにな。
まあだけど頑張ってこの主人公を好きになろうとした。生意気でフザケた言動や振る舞いに対して「こんな主人公、俺じゃねえよ!」って怒りが沸いてきたが、その怒りよりも、ところどころで爆笑させてもらったほどの主人公の面白さに対する好感がわずかに勝った。でもそれはまだ物語も序盤で、ドタバタコメディが許容できたからだ。ゲームを一時中断してアンケート葉書を出して「主人公が最高!」などと書いてしまったのも、この先いつこのフザケた主人公にブチキレさせられるだろうと不安だったから、「自分はこの主人公が大好きなんだ!」と思い込むことで自分を偽って、本当は溜め込まされ続けているイライラ(桜井舞人に対する怒り)をエンディングまで押さえ込もうとしただけだったのだ。是が非でも、この生まれて初めてのエロゲーを、パッケージのヒロインに一目ぼれして買ったエロゲーを、「主人公=自分」の感覚で楽しみきらなければならなかったから。そうでなければ、この先エロゲーがまともに楽しめなくなると思ったから。
だが、その結果は燦々たる物だった。とりあえず、声(九条信乃さん)が一番好きだった雪村小町ちゃんルートに行った。この子は、小さい頃にいじめっ子から主人公に助けられて、進学校である主人公の高校に主人公を慕って入ってきたというけなげな子。個人的にはもうこの時点で抱きしめて恋人にしてあげちゃいたいくらい。もちろんそれでは物語にならんわけで、案の定の鈍感クソ主人公が小町ちゃんの気持ちも知らずに、まるで漫才の師弟関係みたいに接して、ドタバタコメディを繰り返していくわけだ。
既述のように、序盤こそ優しくしたくてもしてあげられないイライラを我慢しつつ、コメディを楽しむことは出来たが、中盤から主人公の小町ちゃんへの悪ふざけや悪態はエスカレートするばかり。小町ちゃんのパスタにタバスコをドバドバと入れたり、勝手に酒を強引して倒れたのは主人公のアホさ加減なのに、本気で心配してお見舞いに来てくれた小町ちゃんに冷たく当たったり叱り付けたり。
最初にキレそうになったのは、傷心の小町ちゃんが髪を短く切ったシーン。主人公に「似合ってますか?」って訊いて、主人公は案の定そっけない反応をし、小町ちゃんは「期待してませんでした」と笑顔で返す。この時点で、「似合ってるよ」と優しくしてあげたかった俺としては、すさまじく切ないしイライラするし、ここですら選択肢で介入できない無力感に、やり場のない怒りを溜め込むしかなかった。その後主人公が1人になって、モノローグで一言。
「俺だって、本当は優しくしてやりたいんだからな・・・。」
ハア!?だったら優しくしてやれや!!こちとら、序盤で出会ったときから優しくしてやりたかったんだ!それを、仕方なくお前みたいな鈍感悪ふざけ野郎の小町ちゃんに対する悪態に付き合ってきたのに、今ごろなんだ!!!
それに、選択肢くらい入れろ!女の子が髪型や服を新しくして感想を訊いてきたら「似合ってるよ」「そうでもないかな」の2択選択肢くらい出すのはギャルゲーの基本だろ!!!出たら当然「似合ってるよ」と言ってやって、「優しくしてあげたい」。それを、主人公が勝手にそっけなくした挙句、それに対し主人公が後悔しないならまだしも、思いっきり後悔して「俺だって、本当は優しくしてやりたいんだからな・・・。」。
こんなシーン見せられてどうしろってんだ!?「素直になれない主人公の青春の一幕」として、いいシーンとして受け入れなければならないのか!?そりゃ書いてるシナリオライターからすれば、会心の「切ない、いいシーン」だったろうよ!だが俺からすれば、主人公の気持ちに自分を同調させていくことに心が折れる寸前だった。いつまでたっても小町ちゃんに優しく出来る選択肢が出ず、わずかに残っていた「プレイヤーが主人公になって恋愛を体験できる」という期待も踏みにじられ、挙句踏みにじった張本人の主人公が独りよがりに「素直になれない青春」を展開し出す・・・。到底ついていけんわ。
でも必死で耐えた。で、最初のHシーンまで行った。もうすでに俺の脳みそはストレスホルモンで満たされてたし、セガサターンの18歳以上推奨ギャルゲーで味わった、Hシーンに入るときの幸福感もドキドキ感も一切無かった。ただ大好きなヒロインの肉体を、クソ気に食わない主人公がむさぼるのを見せ付けられる屈辱感しかなかった。なんでこんな、小町ちゃんに対し鈍感や悪態の限りを尽くした野郎が、小町ちゃんと結ばれるんだと思った。小町ちゃんがそれを望んでいたとしても、俺は祝福できなかった。こんな主人公の興奮ぶりなんて読みたくもなかったし、普段はあんなハイテンションなくせしてHシーンになるとやたら大人しくなる主人公の態度が余計腹たった。
生まれて初めてのエロゲーの初Hシーンが、ヌクどころか勃起すらしないという事態になってしまった。このシーンを「主人公になった気分で体験」するためにエロゲー始めたのに。この悔しさったらない。この「桜井舞人」を自分の分身と思い切れなかった自分が悪いのか?否。自分は良く頑張って主人公に迎合して読んできた。でもやっぱり同調することは無理だった。
もうすでにイライラを抑え込みすぎて脱力状態だったが、それでもここまで来たんだからエンディングまで読んでみようと思った。
なんかハンバーガーのファーストフードショップで待ち合わせて初デートということになった。ここでも主人公は悪ふざけぶりを発揮し、小町ちゃんの分のポテトを勝手に食べてしまう。そして、あろうことか遅れてきた小町ちゃんに対し「遅い!」と怒鳴り、おめかししてきた洋服にペッペッと食べかすを吐きつけたのである。それも突発的にではなく、小町ちゃんを待ってる段階で思いついた計画的に!!!
これはもう悪ふざけとか、ドタバタコメディとかの域を超えている。大好きな彼氏との初デートで張り切ってオシャレしてきた(遅れたのもおそらくそのためだった)女の子の洋服に、遅いと怒ってポテトの食べカスを吐き付ける男。非常識にもほどがある。これはもう事件のレベルだ!
だから、これがまた物語がシリアスになる事件のシーンなら許せた。小町ちゃんがいい加減ショックで泣いて帰ってしまうなど。だから、「頼む小町ちゃん、ここは怒ってくれ…」と祈るような気持ちだった。
ところがだ。小町ちゃんは「あ〜あ、せっかくオシャレしてきた服が汚れちゃった。」と怒る様子もなく、主人公も謝る様子もなく、すぐにイチャラブな空気に戻っていく…。
この瞬間キレた。「なんだそりゃあっ!!」と叫んでマウスを壁に投げつけて粉砕した(買ったばかりのハイスペックノートPCに投げつけるわけにもいかず)。今まで、初めてのエロゲーだから楽しまなきゃ、ノベルゲーに慣れて楽しめるようにならなきゃと、必死に主人公に迎合して同調しようと無理をしてきたストレスが、一気に爆発した。
何だこの完璧なまでのすさまじい置いてけぼり感は!?
プレイヤーにとって許しがたい行為を主人公がヒロインに対ししているのに、当の二人は意にも介さず二人の世界…。
1人でイライラしている俺がバカみたいじゃないか!?
かといって、あんな行為に走る主人公に気持ちを同調させることはできない。小町ちゃんの反応も理解できない。「この二人はこういう仲だ」と言われればそれまでかもしれないが、当時の俺としては到底受け入れられるものではなかった。
この瞬間悟ったのは、「ノベルゲーのシナリオライターにとっては、自分が書きたいことを書くことが第一で、プレイヤー(読み手)がどう感じるかなんてどうでもいいんだ。書きながら自分が楽しめればいいんだ。」ということだった。
この作品でトラウマができてしまった。主人公に好感持てても、それが本心なのか、無理して迎合しているのか分からなくなってしまった。ノベルゲーが苦痛になり、ほとんどはHシーンだけ回収して鑑賞するだけになってしまった。
小町ちゃんルートを書いたのが「あごバリア」か「王雀孫」か知らんが、こいつらがNavelに移籍してからもずいぶん憎むようになった。自己満足な執筆しか出来ず、エロゲーに手を出すような男性の願望(主人公になりきってイチャラブしたい)を叶えようともせず、人気原画家のキャラクターとエロ(Hシーン)によって支えられて一流青春物語作家を気取っている。そんな風にしか感じなかった。
確かにこの作品の主人公「桜井舞人」は、雑誌のレビューでも拒否反応を示す記者がいたなど、ユーザーからの不評も多かっただろう。だからといって、「SHUFFLE!」の主人公とかのように無難にまとめればいいという問題ではない。
こんな古い作品の商品ページにピンポイントでアクセスする人はそういないだろうから、このレビューをここまで読んでくれた方は多分、俺のプロフィール画面からレビュー一覧を見てのことだろう。どういう気持ちで俺のプロフィール画面を覗いたのか、共感なのか嫌悪なのか。こういうノベルゲーの酷評レビューからプロフィール画面に来たなら、まあおそらくは嫌悪だとは思うが、この作品の評価を☆一つとしたのは、この作品が俺に与えたノベルゲー嫌悪の感情がハンパなかったからだ。ノベルゲーなんて所詮ラノベと同じ。シナリオライターが楽しみながら書いた文章描写・物語が肌に合うか合わないかであって、この作品を☆5つとする人を否定するわけではない。
問題は確かに俺に合った。ときメモやみつめてナイトやサクラ大戦、同級生や下級生、グローランサー、菅野ひろゆき作品などで味わってきた「主人公=自分」の感覚、その感覚で恋愛やエッチを楽しめる充実感や幸福感が、当たり前にあるものとしてエロゲーを始めてしまった。エロゲーに過度な期待をしすぎたわけだ。
だがそんな俺だって、ちゃんと主人公に「目」や「声」がついていれば、過度な期待は捨てられた。「ああ、これは漫画やアニメのように、客観的に物語を追っていく娯楽なんだな」と。
それが、あんな恋愛シミュレーションと同じように「主人公目なし声なし」にされては、02年当時ノベル形式のギャルゲーが激増していたもののまだ恋愛シミュレーションブームの名残があったことを考えれば、俺のように「主人公が目なし声なしにされてるくらいなんだから、ちゃんとプレイヤーが主人公になりきって(気持ちを一体化させて)楽しめるように作られてるはずだ」と安易に期待してしまうのも無理はなかったように思う。
ところが蓋を開けてみれば、「目なし声なし」にしたから「プレイヤーが主人公になれる(気持ちを一体化できる)ように作る」のではなく、「目なし声なし」にしときさえすればシナリオライターがどれだけ好きなように主人公を描写しても「プレイヤーが主人公になりきってくれる(気持ちを一体化してくれる)」と勝手に楽観しているだけのような状態だった。
「主人公目なし声なし」を安易に利用しすぎている。これは10年以上経った13年現在も大して変わらない。
90年代の名作ギャルゲーたちも、「主人公目なし声なし」が「主人公=プレイヤー」を実現していたわけではないのだ。主人公をいろいろ操作でき、主人公の感情がノベルゲーのように常時事細かに語られず、プレイヤー自身に委ねてくれていたから「主人公=プレイヤー」が実現できたのだ。「主人公目なし声なし」は、あくまで補助的な役割に過ぎない。
だから、こんな主人公をほとんど何も操作できず、シナリオライターが使命感すら持って書きまくった主人公の感情を常時読まされるノベルゲーで、いくら「主人公目なし声なし」にしたところで「主人公=プレイヤー」など不可能なのだ。
無論、制作側もそれは分かってるから、誰も「主人公=プレイヤー」だとは言及しない。なぜ「主人公のみ目と声がないのか」をハッキリ示しもしない。こういう、あえて言及を避けていこうとするナアナア主義に対してすごく嫌悪と憎悪を感じる。
この作品だって、DVD-ROMだから、ソフトのインストール容量は1GBちょっとでDVDは片面1層でも4.3GBだから、容量的にも余裕で主人公フルボイスにできたのだ。主人公フルボイスで、同時に買った「スルタン」や「エーベンブルグの風」のようにメッセージウィンドウ左に主人公の「目」付きのフェイスイラストが常時出たなら、俺だって主人公を自分の分身として同調しようと無理してイライラムカムカすることもなかった。もっと客観的に、「恋愛やエッチ自体」ではなく「物語」を楽しもうと出来ただろう。それこそ漫画やアニメのように。
でも恋愛シミュレーションばりに、主人公を「目なし声なし」にされて、客観的に物語を楽しめと言われても何か違う。
「主人公目なし声なし」について、いまだハッキリと理由を言及しないメーカーは卑怯。「ときメモ」のような楽しさ・幸福感をノベルゲーに求めてしまったのは俺に非があるとしても、「ときメモ」のような恋愛シミュレーションを真似るような主人公の措置(目なし声なし)をするだけしておいて、恋愛シミュレーションのように「主人公=プレイヤー」として楽しめるように何か工夫するわけでもなく、かといって主人公もフルボイスにして目もつけて「主人公≠プレイヤー」の感覚で割り切って楽しませてもくれない、いつまでも「主人公≒プレイヤー」という中途半端で気持ち悪い(ハッキリしなくて気持ち悪いと言うこと)楽しみ方しかさせてくれない。この「≒」の感覚こそが心地がいいという人が多いのかもしれないが、こんな「それは舞い散る桜のように」などといった、いかにも一流物語で魅せるために制作しました(恋愛やHを体験させるためではなく)的な詩人みたいに浸ったタイトルをつけたフィクション物語作品なら、俺はいいかげん、その「物語」の「主役キャラクター」である主人公こそフルボイスにしてもいいと思う。嫌な人は主人公のみオフにすればいい話だ。
この桜井舞人も、「他人」としてもみればオカシな魅力的な主人公だったし、例の食べカスを吐き付けるシーンでも嫌悪は感じたろうがキレるほどではなかった。
安易に「主人公目なし声なし」にして、ユーザーに「主人公になりきった気分で楽しめるかも」という期待を持たせるのは、無責任かつ残酷だ。これほどまでに主人公が1人の男性キャラ、それも主役キャラとして、言動も感情も小説形式で書きつくされ、主人公がヒロインに冷たく当たろうが食べカスを吐きつけようが見守るしかなく、プレイヤーが出来ることはヒロインルートを決めるためのフラグ立て作業程度だというなら、これはもう恋愛シミュレーションゲームとは全く違う、それこそ漫画やラノベやアニメと同じ「物語を客観的に鑑賞(読む・視聴する)だけ」の娯楽である。「作者の執筆した描写」をただ受け入れて楽しむしかない娯楽である。
だったら、漫画やアニメの主人公がちゃんと「顔(目)」や「声」があるように、完全に描くべきだ。都合のいいところ(主人公目なし声なし)だけ恋愛シミュレーションから盗み取って利用するのは、恋愛シミュレーションやそれを作ったスタッフさんに失礼だ。
最後に改めて、今でももっとも言いたいことを。
俺は別に「素直になれないハイテンション主人公の青春物語」が楽しみたくて買ったわけではない。
ただ純粋に、パッケージイラストの西又ヒロインと、「自分が主人公になった気分で」恋愛とHを堪能したかった。
ゲームならではの、主人公をいろいろ操作して一体になれる楽しさで。
純粋に「青春物語」を読んで楽しむことを動機とできなかった俺が悪いと言われれば、それは酷な話だ。
そんな清廉潔白な動機でギャルゲーやエロゲーを始める人が果たしてどれだけいるだろうか?
それが全体ではなくとも、多くは「モテない男」で、せめてゲームの世界で主役になってかわいい女の子と恋愛したい、18禁ならエッチもしたい、根も葉もないい方をすれば「欲望を満たしたい」・・・それが本音ではなかろうか?本質的な願望ではなかろうか?そうでなければ、いまだなお暗黙の了解で主人公が「目なし声なし」にされる必要があるのか?
そして、それをギャルゲーやエロゲーに期待し、要求するのは、そんなに罪なことなのか?的外れなことなのか?
「コミュニケーションを楽しむための選択肢」「Hシーン中の選択肢」などをアンケート葉書で要望しても徹底して無視され続けて、シナリオライターの執筆文章を突きつけられるだけの、ゲームならではの楽しさの追求がほとんど失われたこのエロゲー業界を見ていると、つくづくそう思う。