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洛観櫓呂さんが書き込んだレビュー

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落語の国の精神分析
落語の国の精神分析
藤山 直樹著
エディション: 単行本
価格: ¥ 2,730

5 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 ブレイクスルーが起きている言葉。粋と純粋。, 2013/2/26
レビュー対象商品: 落語の国の精神分析 (単行本)
著者の臨床や理論に対する姿勢をより深く知りたくなって、ついに購入した本書。

「精神分析という営み」や「集中講義・精神分析」で、真剣に精神分析の「まっとうさ」に近づく姿勢に敬意を覚えていた。
しかし、やや精神病理学よりの見方をすると、著者のいう「生きた空間」感覚を、プライヴェートプラクティスを持てない読者に向けて、論じるにはどのような道筋があるのか?と考えていた。さらに、それが「決定的に違う何かがある」と本質的に訴求することができる言語の構成はどうあるべきなのか?、精神分析が、週5回を基準になりたつという「時間」は哲学的、論理的な参照枠が、「精神分析学」に加えて必要なのではないのではないか?、などと、未経験者が抱きそうな疑問を抱いてた。
 つまるところ、精神分析学が自立した学問体系を広げるためには、もう少し精神病理学、言語学、哲学と積極的に意見交換、胸襟を開いた議論を必要としているのではないか、などと・・・。たぶんフロイトがショーペンハウワーやニーチェを意識したように、IPAよりの精神分析学の日本の現在も、レヴィナスやデリダ・・・に言及しまくる在り方も時に必要なのではないか・・(評者が圧倒的に無知なだけかもしれません。クラインーラカンダイアローグよりも生産的なやり方を模索する時期にあるのではないか?と)

しかし、この「落語の国の精神分析」から透けて見える著者の姿勢は、ある種の博愛であったり、人間の愚かさに対する敬意だったりして、やはり、精神分析が人間の作り出した近代の学問の中で、どうしても譲れない砦のような部分を担っていると理解できた。

うろ覚えであるが、日経の書評ではやや手厳しかったp66「若旦那の悲喜劇ーよかちょろー」の分析についても、私にとっては、著者のなみなみならぬ人間の言語や情緒に対する信頼や希望を感じた。

例えば『・・・そういうことを考えると、私は自分が「食いっぱぐれ」ることを恐れることができたことが、ある意味幸福であったことを実感する。普通の庶民が「よかちょろ」を喜ぶことには、どこかで、「食いっぱぐれ」を心配せず父親の死後を考えないままに「身の程知らず」であり続ける若旦那への憐憫を楽しんでいる部分があるのかもしれない。』

この文章に、本質的な変化、transformationの空間を通り抜けてしまった精神分析家だけが持つ「言葉」のエッジを感じる。

読了して1週間ほどして、なぜかこの本に「欲望を持ち続けること」と「希望」の関係について教えられている気がした。
たぶん著者は精神分析と落語に通底する人間の闇の中に、「笑い」以上の粋な「希望」を見てしまったのだろうか。もしくは潜伏期の少年が抱くかもしれない「純粋な希望」。

糞肛門-ケニア・トゥルカナの社会変動と病気
糞肛門-ケニア・トゥルカナの社会変動と病気
作道信介著
エディション: 単行本(ソフトカバー)
価格: ¥ 2,940

2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 「病気」の成り立ちについて考えさせられる優れたフィールドワーク, 2012/6/25
ケニアのトゥルカナで1980年代の干ばつ以降に増えた、下痢、便秘、嚥下困難、痛みなどの症状を呈する一群は、「糞肛門」という新しい病名で総称された。
その経緯、コミュニティでの受け止め方、治療過程であるマッサーやとスープ飲用などについて、丹念に描きだした。

干ばつ、飢え、身体の不調の苦しみを、なんとか乗り越えようとする、必死の思いが集団の中で少しずつ共有されている感覚が伝わってくる。
コミュニティに溶け込まないと撮影できないであろう多数の写真も興味深い。

現代の医療の無機質で非情緒的な空間に、どっぷりつかっている身としては、「人間は『病』と共同体の想像力を出し切りながら、向き合ってきたんだ…」と気づかされ、放りだされるような読後感。
著者が、根気強く、押しつけがましくなく、意味を考え続けることのできる、立ち位置、視点を確保していることは、自分の医療への向き合い方を考え直す、良いきっかけとなった。

禅の思想辞典
禅の思想辞典
田上 太秀著
エディション: 単行本
価格: ¥ 12,600

2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 禅語、禅思想の分かり易く、生き生きとした辞典, 2012/2/22
レビュー対象商品: 禅の思想辞典 (単行本)
禅の言葉には心躍るリズムや静かに鎮めるリズムがある。

この源泉をたどりたくて、禅について勉強しようとするとき、最も明快かつ、初学者が厚みをもって使える辞典だと感じた。

「はしがき」では最初にインドのヨーガから禅が派生したことを述べ、禅を広くとらえているという方針が明示された。
次の「総説 禅思想の流れ」(p11〜89)では、インドの禅、チベットの禅、中国の禅、朝鮮の禅、日本の禅と歴史的な流れが俯瞰され、さらに「禅の研究史」という項目まで、
網羅されている。この短い章は禅の導入の参考書として最適である。

辞典の本体も、東京書籍の編集がシャープな印象を与え、読みやすくまとめていく。

例えば、
「以心伝心: 法は師から弟子へと文字や経論によって伝わるのではなく、心から心へ伝わること。「禅源諸詮集都序」以降、「以心伝心、不立文字」と成句で使用することも多い。…(20行)」

簡潔に意味の本質から書いていくような記載は随所にふり仮名や記号などで工夫されている。

評者は精神分析に興味のある精神科医であるが、この辞書に親しむうちに、思わず日常会話にも禅語が出てくるようになってしまった・・・。とくに飲み会などで。

「一口説示」。

(よく振り返れば、飲み会で意味不明の禅語を呟く「前後」不覚な「単なるうざいおじさん」になっているだけ・・・罪性不可得)

不在論: 根源的苦痛の精神分析
不在論: 根源的苦痛の精神分析
松木 邦裕著
エディション: 単行本
価格: ¥ 2,730

18 人中、8人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 ビオンに基づき、さらに洗練され、日本語で深められる理論, 2011/12/12
Wilfred R.Bionの「transformation 」を読むと、Non‐existent object,No-breast,No-thingなどの用語に困惑を覚えたり、唐突な印象を抱いたことがあった。

本著作は、このNo、Nonの語感を「不在」という日本語に置き換えて、クラインからビオンの流れを反映させつつ、丁寧に解説している。

著者は精神分析理論を分かり易く、しかも臨床の現場の「息吹」を同時に閉じ込める文体にかけては、本邦有数の才能を持つと言われているが、
今回の著書はそれがさらに洗練されて、精神分析の「奥義」の巻のような印象を受けた。

「不在」という漢語をあえて使うことで、より精神分析以外に開かれる可能性をもっているが、あくまでも精神分析に忠実に、しかも適度なオリジナリティーを含めた言葉、リズムで描いた点に価値がある。
例えば、
p66「不在であることについてのこころの新たな体験様式が、ここにある。“ 対象の不在”は対象を失っているという認知に変形された。これを〈対象喪失〉と呼ぶ。“対象の不在”はその性質を変えたのである。“対象の不在”は発見され、認知され、それは私たちの「こころの内なる世界」をそれとして確かなものと認識させてくれた。そして、そのこころの世界での“対象の不在”は、内界の現実としての〈対象喪失〉の発見となった。」

この文章において、「不在」が中立的な現実的な語感から、こころの痛みを伴う対象喪失につながる文脈で、両方の意味を担える用語として、うまく機能していく。
哲学用語の印象の強い、「不在」、「(ただ)ないこと」を臨床の場と精神分析理論の枠組みで考え抜いたことを感じさせる。

あとがきに著者は、「本書は薄い著作ながら、内容的に重複した記載が少なくない。それは、“不在”についてのより確実な理解を読者にもたらしたい、と私が望んだ結果である。」
と書いている。

その意図は成功している。

繰り返しの中で生まれてくる「不在」のイメージは読むたびに変わった。言葉にならない「不在」という概念の輪郭を丁寧に形作るという作業は、読む側の「不在」に対する変形transformationの役目を果たしているようであった。

祖父江典人著者の「ビオンと不在の乳房」(誠信書房 2010)がビオンの人生史を投影し、正攻法で「不在」を扱った、ある種の「戦略書」だとしたら、本著作はその作戦に参加する全ての人を想定して記載した「心得」のようなものかもしれない。 その「心得」は、現在の日本の空気が程良く織り込まれている。
もしかすると、ビオンが日本流に変形され、新たな流派を創発している途上なのかもしれない。

精神分析 (思考のフロンティア)
精神分析 (思考のフロンティア)
十川 幸司著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,365

2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 臨床から立ち上がってくる理論, 2011/11/23
この本が発売された数年後に通読した時に、著者の真摯な思考の過程が表れており、感銘を受けたが、
私のラカンとビオンの咀嚼が十分でなかったため中途半端な理解にとどまっていた箇所がいくつもあった。

約6年後、臨床漬けの日々を過ごして、クライアントとの膠着状態でぐったりと疲れた夕方、本棚の片隅のこの本を再び通読した。
眼から鱗が落ちる箇所が何か所もあった。

「フロイト以降の分析家に欠けていたのは何よりも勇気ではなかっただろうか。精神分析の歴史において、「ペスト」という未知の転覆的要素が執拗に避けられてきたのも、そこから全く予想不可能なものが出てくることを分析家は何よりも恐れたからである。」p10

「精神病の構造を去勢の排除にあるとし、治療によってこの基本構造を変えることができないと考えることは、精神病に対する治療的なニヒリズムを招く可能性もある。」p23

この言葉が、一般には「机上の空論」に終始する理論家が多いラカンを学んだ分析家から出ることは勇気づけられるし、丁寧で地道な臨床活動が日常にあることを感じさせる。

特定の精神分析理論漬け、臨床漬けの日々で、漬物のように発酵が進んでいる時期に、新たな息吹を送り込んでくれる第2章「認識論的展開」は、ブランクを経ても新鮮味を失っていなかった。

「精神分析は芸術を必要とする。それは一つにには、治療が習慣化した平板なものにならないように、分析家は感覚のカイロを日々新たにしておく必要があるからである。また分析家は芸術経験を経ることによって、患者の感覚や情動の回路を把握する感性が鋭敏になる。」p107

精神分析の本は著者の臨床経験の裏打ちが、じわじわと言葉に滲み出す側面がある。
知性化や教条主義と格闘しながら地に足をつけて考え続ける姿勢、オリジナルの思考を模索する文章は、精神分析、精神病理学、哲学をつなげる「稀有な」臨床活動であろう。

選択の科学
選択の科学
シーナ・アイエンガー著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,700

69 人中、61人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 選択に伴う「痛み」について, 2011/11/14
レビュー対象商品: 選択の科学 (単行本)
「白熱教室」という名のつく、大学の講義についての本はサンデル教授以来、増えてきたと思う。

しかし二番煎じ、三番煎じを狙っているのではないかという思い込みは打ち砕かれ、非常に面白かったし、講義の厚みを感じ、勉強になった。

「選択」という行動を、ビジネスや日常生活の事例にあてはめながら心理学的、科学的な考察を加えていた。
この心理学的な考察の部分において、断定しないことで読者に考える余地を与えていた。
政治的なバランス、生物学的な本能、文化的な文脈と異なる次元の「選択」」を「判断、選択せざる得ない状況」のイメージを思い浮かばせながら、議論していく。

著者の繊細な心理やバランス感覚は盲目の中で研究を立て、視覚優位文化との共存を図ってきた中で培われたのであろう。
情緒的な要素を抑制して「選択」について語ることで、逆に、著者自身の人生のおける痛みを伴いながらも生きることへの「選択」が、透けて感じられた。
人格的にもできた人なのだろうと思う。

良い講義とは演者の人となりが伝わってくるものなのだなあ、と実感した1冊。

坊主失格
坊主失格
小池 龍之介著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,365

10 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 仏教に基づく自己分析の名著なのかも。, 2011/10/31
レビュー対象商品: 坊主失格 (単行本)
著者の鋭い自己分析は、常人なら冷や汗や赤面してしまうようなエピソードを安定した筆致で書き進めていた。

最後の方で書かれる、油断すると、さびしさが来てしまう、修行を続けなければ、というような考え方は
正直に何かの道を究めている人からはよく聴くセリフのようでもあるが、
誰にでも、わかりやすく書く、権威や恰好にこだわらず、自分の言葉で書くという点で
著者は優れた才能を持っているのだろうと思った。

もし、仏教に興味のある学生さんがいたら、紹介してみたい本である。

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