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5つ星のうち 5.0
17年経過して何か変わったか, 2013/5/6
朝日新聞は一体どこからおかしくなったんだろうか、というのがこの本を買った動機なのだが、読み進めるうち、最初からおかしかったという、笑い話のような落ちに落ち着く。話の大半はあとがきで著者が示した、日本の新聞記者が持つ二つの顔、企業に忠実な会社員の顔とジャーナリストの顔の葛藤である。そして結局朝日の論調は社内の権力構造によって決まるという、はなはだジャーナリストらしくない理由で決まってしまうのだ。 著者は文庫版へのあとがきで、朝日新聞の姿を浮かび上がらせる。戦前・戦中の政府による言論統制についてはかまびすしく論じたて、あたかも日本のマスコミが政府や軍部に強制されて戦争に協力したかのように被害者になりすまし、時局便乗・迎合があったことは過小評価、その一方で敗戦後の占領軍による巧妙な言論弾圧・統制については沈黙してきた。 また、いわゆる東京裁判史観にどっぷり浸かり、中国・韓国などの視点を「アジアの視点」といい、日本の「侵略戦争の責任」を今なお執拗に言い立て「戦後補償」の必要を繰り返し示唆、一応反権力・反体制のポーズだけは取り、「人権」が三度のメシより好きで、エリート意識から来る一種独特の傲慢さを有する。そして「平和念仏主義」と「平和憲法」のおかげで日本の平和と安全が保障されているとする「一国平和主義」の信奉。96年に書かれたものだが、17年を経過して何か変わったか。
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5つ星のうち 4.0
真紀子もついに落選, 2013/5/1
田中真紀子が衆議院議員選挙に落選したのは昨年の12月だった。この本が出版されてから実に11年以上の歳月が過ぎていた。その間には、小泉政権での外務大臣就任と更迭、自民党から民主党への鞍替え、民主党野田政権での文部科学大臣就任と大学認可騒動などがあったが、新潟5区の有権者が愛想を尽かすまでにはこれほどまでの年月が必要だった。 実際、真紀子自身のカリスマ的魅力もあったが、角栄以来の秘書で「国家老」と呼ばれた本間幸一氏の存在が大きく、2011年に本間氏が死去すると、それまでは真紀子に反旗を翻すことに後ろ髪を引かれた人々も次々と袂を分けていった。新潟5区の有権者の政治意識が低いという指摘が本の中でされていたが、田中角栄の威光がいかに巨大であったかという証左でもある。
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5つ星のうち 5.0
カーチス・エマーソン・ルメイの名前は覚えておこう, 2013/4/18
B29による日本本土への攻撃は、昭和19年6月15日、北九州の八幡製鉄所に対する空襲で始まった。当時私の母は女学生で若松に住んでいて、この夜間の空襲を経験している。この空襲は中国の成都から飛び立った爆撃機で行なわれたが、マリアナ諸島のサイパン、テニアン、グアム島が陥落してからは、日本空襲の基地を中国からマリアナ諸島に移して本格的な都市空襲を開始した。この昭和19年11月末から20年8月15日までの9ヶ月間に、日本が被った人的被害は死傷者約80万6千人で、このうち33万人は死者である。この死傷者は、いわゆる太平洋戦争全期間における軍人の戦闘損害78万人を上回っている。 日本本土への空襲は広島・長崎への原爆投下の影響からか、あまりまともに採り上げてこなかった。被爆したそれぞれの都市は被害状況をまとめていても、日本全国となると意外とまとまった本がなかった。現在私が住む新潟県長岡市は昭和20年8月1日深夜に空襲を受け、そのときの戦没者追悼の意味をこめて毎年8月2、3日に花火を打ち上げているが、実は同じ深夜に水戸、富山、八王子にもB29が来襲し、多大な死傷者を出していた(長岡:1490名、水戸:1535名、富山:5936名、八王子:2900名)。このことはこの本で初めて知った。 日本全国を焼夷弾で火の海にしたのがカーチス・エマーソン・ルメイ少将であったことがこの本の中でも示されているが、日本が佐藤栄作内閣のときに彼に勲一等旭日大綬章を授与したことは書かれていないので補足しておこう。なお、昭和天皇はルメイへの親授を拒否された。
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5つ星のうち 3.0
特攻隊兵士のような正行, 2013/4/7
この巻では「瓜生野・天王寺合戦」から四条畷合戦直前までが描かれている。正行は自らが死ぬことで敵をおびき寄せて南朝を勝たせようとするが、それはまさに大東亜戦争末期にお国のために散っていった若き特攻隊兵士たちを想起させる。著者の意図もそこにあるのだろう。
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5つ星のうち 4.0
ちと読みにくい, 2013/3/30
昔読んだ創元推理文庫の厚木淳訳では、もっと容易に心に入ってきた印象があるのだが、今回は読み進めるのに難儀した。内容は第一部と第二部に分かれているが、紙数の半分以上が第二部「ザ・ミュール」に費やされており、実際、第二部のほうが面白い。 「今や、かれはファウンデーションの原子力技術を手中に収め、事実上、銀河系の支配者になっている」 この本が書かれた当時、原子力技術に無限の可能性を見ていたのだろうが、現在の福島原発の姿を知ると、現実は決してバラ色ではないことも今読めばわかる。
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5つ星のうち 5.0
緻密な分析に敬意を表する, 2013/3/15
この本は、当時隔週刊誌だった「日経ビジネス」の1985年8月19日号から86年10月27日号に連載された第10章までと 「別冊文藝春秋」に所載した第11章から成り立っている。 内容は 1 維新の誤算 西郷隆盛の影 2 「王」たちの誤算 ヒトラー支援 3 アメリカン・デモクラシーの誤算 ルーズベルトの理想 4 「平和国家」の誤算 フランスの“栄光” 5 『菊と刀』の誤算 日米関係の起点 6 靴と刀の誤算 日本的戦術思想の固定 7 陸海軍並立の誤算 国防力の分裂 8 暗号と情報の誤算 戦略の屈折 9 諜報の誤算 政略の弱化 10 「組織と人」の誤算 個人の否認 11 「政治と軍事」の誤算 パットン将軍の死 となっていて、500頁を超える大著である。 内容は西郷隆盛からパットン将軍まで多彩だが、第1章を除けばほとんど第二次大戦とその前後の話に終始している。 特に第4章のフランスに関することはよく調べられており、著者も他章より多い80頁を費やしている。これを読むと アメリカ国民の多くが欧州への介入を嫌がったのもわかる。 日本に関することでは、陸海軍が最後まで別行動のままだった事情や海軍内部の固定観念の根深さ、欠陥兵器でも そこにあるものを使う「便宜主義」、兵器の性能不足を人間でカバーするという思考形式などが興味深かった。 また、ビルマの独立を工作した「南機関」が、南方総軍に「ビルマ独立義勇軍」を編成して独立政権の樹立の了承を 求めたところ、傀儡政権しか認めず、結局軍政を敷いて、ビルマのみならずインドの独立運動にも疑念をあたえた。 このような現地人の神経を逆なでするような一方的利己行為が目立ったことにも考察を加えている。
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5つ星のうち 4.0
TPP参加を迫られている今だからこそ読むべき, 2013/3/11
このII巻では国際経済を理解するために、まず「比較優位説」を説明する。比較優位説は国際分業の理論で、双方の国のいずれも、自国が比較優位である財だけを生産するように特化し、他財はすべて輸入する。これが双方の国にとってベストであると説く。そしてこの比較優位説を飛躍的に発展させたのがヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理で、自由貿易が行なわれれば、どの国の賃金率、地代、利子率も等しくなることを示した。さらに国際収支表の読み方を簡単に説明する。 イギリスはこの比較優位説をイギリス帝国主義のイデオロギーとして利用し、外国を自由貿易に踏み切らせ、経済的に破壊していった。アメリカは国内的には自由貿易を推進し、海外的には保護貿易を実施したので驚異の成長をとげた。それというのも、比較優位説はある特定の条件の下でしか成立しないからだ。大量生産の利点を享受する国が存在する場合、自由貿易はその国だけを利して、他国の利益を徹底的に害するのである。著者は「その国とは、まさに日本ではないか」と書いているが、本が出版された20年前ならそうだったかもしれないが、現在は逆にTPP参加を迫られて困っているのは日本のほうである。 I巻の最後でも脱線気味の著者だったが、この巻でも日本がロシアを手に入れて、最後はアメリカも経済的に併合するというオチで終わっているが、20年前は何と勇ましく、景気のよかったことか。理路整然と書かれた本ではなく、話題が各方面に飛ぶので理解しにくいところもあるが、自由競争が独占を生み、アメリカがなぜこれほどまでに独占禁止に血道を上げるのかはよくわかった。
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5つ星のうち 5.0
ルソン島での放浪生活を一報道班員として描く, 2013/3/4
著者は昭和19年12月末、報道班員としてフィリピンに到着したが、8日目にはマニラ撤退という憂き目に遭い、その後5ヶ月間山中を放浪する。なんとか台湾に渡り、内地へも無事たどり着くのだが、それは終戦の2ヶ月前のことだった。 どうやって内地まで帰れたのか、詳しく知ってしまうと興味が半減するので、ここでは明かさないが、フィリピンに来るときでさえ、旅客機の乗組員たちは露骨に反抗して飛ぶのを嫌がった。前便、前々便ことごとくマニラ到着前に敵機に喰われていたからだ。戦闘司令所ですったもんだの末、戦闘機4機の護衛をつけるからということで決着したが、東シナ海に出ると全く護衛機はいなくなってしまった。著者の乗ったダグラスの古旅客機は逃げるように海面すれすれに飛び、何とかマニラにたどり着く。 山中での毎日続く空襲、飢餓、熱帯潰瘍などと戦いながら、わずかな幸運から著者は命からがら台湾に戻る。在住新聞記者たちによる歓迎会が行なわれ、そこでフィリピンの実情を説明するが、記者たちは著者の話を素直に聞こうとはせず、むしろ卑怯な敗戦主義者だといわんばかりに難詰する。とうとう最後は取っ組み合いの喧嘩になってしまうのだが、結局、この現実を直視しない報道姿勢が著者の意味の無いフィリピン行きを決行させ、文庫版あとがきの、十五、六歳の少年航空兵による特攻隊出撃に象徴される犠牲を生んだのではないのか。軍部のみが戦争に引っ張っていったのではない。
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5つ星のうち 5.0
日本軍捕虜をとらない米、豪州軍, 2013/2/21
下巻ではまず1941年9月12日から1942年11月18日までのことが記されている。反戦活動に勤しんでいた著者だが、日本軍の真珠湾攻撃を受けてついに米国は参戦し、著者は祖国のために空軍への現役復帰を願い出るが、著者を根に持つルーズベルト政権はそれを認めない。ヘンリー・フォードと個人的に親しかったこともあって、当時軍用機の部品を作っていたフォード・モーター社に就職、助言を与えることに甘んずる。 日記は1年以上中断し、1943年12月から再開するが、この間、著者はフォード・モーター社での活動に加えて、ユナイテッド・エアクラフト社ともコンサルタントとしての関係を持つに至る。著者は1944年太平洋地域に出張するが、実戦下における戦闘機コルセアの研究と、次代戦闘機に望まれる飛行性能に関して実戦部隊の要員と討議するのが目的だった。 南太平洋地域からの帰国後、著者は激務に追われ、日記は再び中断(1944年9月17日)、再開されるのは1945年5月になってからである。著者はドイツ降伏直後、海軍技術調査団の一員として渡欧し、ドイツの戦時中における航空機、誘導兵器等の開発状況を視察する。そして6月11日の、まるで読者を意識したかのような長文の記述で終わっている。 この下巻での最大の読みどころは、米軍による日本軍捕虜虐殺の記述だろう。日本ではなぜか東条英機の戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」の項目を過大に評価して、米軍が日本軍捕虜に加えた残虐行為は全くといっていいほどマスコミでは採り上げず目をつむってきた。それどころか、アメリカのプロパガンダに積極的に加担し、昭和30年代に海外戦争ドラマ「コンバット」などを放映して、米軍がいかに捕虜の人権を守って人道的に戦ったかを描き、米軍に好印象を与えた。そして真実を伝える数少ない資料であるこの本の再版もままならない有様である。 日本軍捕虜惨殺、死体への虐待は、日記の中のほんの数行の記述かと最初思っていたが、意外と何度も書かれていて、著者は特別誇張することも無く、逆に感情をなるべく抑えて冷静に記録として書き残している。ひと言だけ引用すれば「わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない」ということだ。 ビアク島の戦闘における日本軍の戦い方に著者は畏敬と同情の念を抱く。そして、勇気、艱難、死、信念に殉ずる覚悟、卓越した訓練と装備にもかかわらず次々と殲滅されていく部隊等へ敬意を払わない味方に怒りを覚える。なお、著者は渡欧したドイツで、占領後フランス軍が略奪、強姦、殺戮をほしいままにしたことも書き残している。
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5つ星のうち 4.0
著者の生き方が好きです, 2013/2/18
結局、この本が出版されて半年後に食道がんで著者は亡くなったが、男性の平均寿命はわずかながら越えたのだから、満足はしてないだろうが、あきらめはついたんじゃないだろうか。 もちろん著者の十八番は官能小説なのだが、さすが純文学を志した筆致は残っていて、しっかりした、読ませるエッセイを書く。随所に貴重な写真が載せてあるが、実は表紙の写真が一番著者の雰囲気が出ていて好きだ。ただ、この写真の説明が載ってないのが困る。
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