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ほっときゃ治る(p198)、とはいうものの・・・, 2013/5/10
がんもどき理論で著名な近藤氏の最新刊と聞いて、手に取ってみた。
内容は、薬や手術に過度に依存した日本の医療への警鐘である。
これまでの代表的な著作とは違い、データを駆使した「標準的医療」への批判的検証ではない。
近藤氏の医療や健康についての考え方を総括した、いわば「近藤流養生の思想」だ。
薬は飲まずに、歩くなり、早寝早起きするなり、声を出して泣くなり笑うなり、
正しく生きるのが健康の秘訣。
なおる病気は、ほっときゃ治る。
それでも治らない病気は、あきらめなさい。
要するにそういうことである。
かといって、医療の努力を全く否定しているわけではない。
老化やある種の遺伝も含め、人としての「当たり前の死」に対する「無駄な抵抗」あるいは「無闇な生への執着」を否定しているのである。
医療の過剰は医者や病院や製薬会社の商業主義のせいだけではない。
人の「死への恐怖」と「生への欲求」が、その根本にある。
そしてどこまでも高度化するテクノロジが、人の欲望を際限なくドライブする。
患者が過剰な医療で苦しむのは、結局、自分自身の欲望に苦しめられているにすぎない、という図式になる。
誰だって死ぬのは怖い。
仮に自分の死の恐怖を克服できたとしても、「大切な誰か」の死はもっと怖い。これを克服するのは容易ではない。
しかし「大切な誰か」がある日突然、この世でもっとも憎い誰かになったり、関心のない誰かになったりすることもよくある。
してみれば「大切な誰か」も変わらぬ真実ではなく、つかのまの「気のせい」に過ぎない。
諸行無常。人は死ぬから苦しいのではない。いつまでも生きられる、いつまでも変わらないという妄想が人を苦めるのである。
大切な誰か、は決して妄想ではない。いま、この瞬間だけは真実だ。逆にいえば、瞬間のなかにしか真実はない。
一生はいまこの瞬間のなかにある。この一秒のなかにしかない。刹那こそが一生なのだ。
そのことを腑に落とさなければ、近藤流養生の実践は、容易ではない。
最後の近藤氏自身のリビングウィルは参考になる。
とりあえずこのままコピーして、署名だけでもしておこう。