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内田裕介さんが書き込んだレビュー (千葉県)
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「経絡リンパマッサージ」からだリセットBOOK
「経絡リンパマッサージ」からだリセットBOOK
渡辺 佳子著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,365

5つ星のうち 3.0 全身マッサージでもものの10分。このお手軽さがとてもいい。, 2013/5/12
経絡への施術としてのマッサージ法を調べていて、手にとった。
著者の渡辺佳子氏はリンパマッサージ法の草分けの一人で、鍼灸、整体などの資格を持ち、著作も50冊以上ある著名人らしい。寡聞にして初めて知った。
首、鎖骨、腋下、鼠蹊部の主要なリンパ節とそこへリンパ液を戻していくマッサージ法を解説している。施術は単純で、体表面をリンパ節に向かって(逆流しないように)手のひらで撫でつつ、リンパ系付近のツボを押すだけ。施術箇所もとても少ないので、ものの10分から20分もあれば全身できてしまう。簡便なのが本書の方法のもっとも良い点だ。
ただ、経絡の機能とリンパ系の機能との関連についてはほとんど書かれておらず、マッサージ理論としてはもの足りない。他に50冊以上あるというから、もう何冊かあたってみたい。
なお、巻頭の経絡とリンパ系の全身図はわかりやすくて参考になるが、膀胱系の攅竹が胆系にプロットされているなど、校正ミスがいくつか目についたので、リファレンスとして使う場合は注意が必要。

女整体師が教える 快感のスイッチ (メディアファクトリー新書)
女整体師が教える 快感のスイッチ (メディアファクトリー新書)
価格: ¥ 619

1 人中、0人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0 疲れていてはセックスどころじゃない, 2013/5/12
経絡への施術としてのマッサージ法を調べているが、普通の本にはセックスにまつわる記述がまったくないので、性感マッサージ系の本を4、5冊適当にピックアップしてみた。そのなかのひとつ。
著者は経験10年の女性整体師。
タイトルにある「快感のスイッチ」とは身体のマッサージポイントだけではなく、優しい言葉がけや、普段からの気遣いなど、心身を癒す様々な働きかけのこと。
要するに「疲れていてはセックスどころじゃない」。これが本書のすべてである。
マッサージ法としては、トリガーポイント(=そこを押すと関連する筋肉を次々に緩めることができる魔法のような場所)を23点紹介していて、足の太陽膀胱系とほぼ重なっている。これを背中、足、腰の順に押していく。だけ、である。
施術としては普通の骨格筋へのマッサージで、特にこれといってセックスに関する特別な知見やマッサージ理論があるわけではない。
その意味では、目的には合わなかった。が、「疲れていてはセックスどころじゃない」というのはまことにその通りで、あたりまえのことなのだが、とくに目がギラついてるときはそこまで思いが至らない。至言だと思う。

医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法
医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法
近藤 誠著
エディション: 新書
価格: ¥ 1,155

10 人中、8人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0 ほっときゃ治る(p198)、とはいうものの・・・, 2013/5/10
がんもどき理論で著名な近藤氏の最新刊と聞いて、手に取ってみた。
内容は、薬や手術に過度に依存した日本の医療への警鐘である。

これまでの代表的な著作とは違い、データを駆使した「標準的医療」への批判的検証ではない。
近藤氏の医療や健康についての考え方を総括した、いわば「近藤流養生の思想」だ。

 薬は飲まずに、歩くなり、早寝早起きするなり、声を出して泣くなり笑うなり、
 正しく生きるのが健康の秘訣。
 なおる病気は、ほっときゃ治る。
 それでも治らない病気は、あきらめなさい。

要するにそういうことである。
かといって、医療の努力を全く否定しているわけではない。
老化やある種の遺伝も含め、人としての「当たり前の死」に対する「無駄な抵抗」あるいは「無闇な生への執着」を否定しているのである。

医療の過剰は医者や病院や製薬会社の商業主義のせいだけではない。
人の「死への恐怖」と「生への欲求」が、その根本にある。
そしてどこまでも高度化するテクノロジが、人の欲望を際限なくドライブする。
患者が過剰な医療で苦しむのは、結局、自分自身の欲望に苦しめられているにすぎない、という図式になる。

誰だって死ぬのは怖い。
仮に自分の死の恐怖を克服できたとしても、「大切な誰か」の死はもっと怖い。これを克服するのは容易ではない。
しかし「大切な誰か」がある日突然、この世でもっとも憎い誰かになったり、関心のない誰かになったりすることもよくある。
してみれば「大切な誰か」も変わらぬ真実ではなく、つかのまの「気のせい」に過ぎない。

諸行無常。人は死ぬから苦しいのではない。いつまでも生きられる、いつまでも変わらないという妄想が人を苦めるのである。
大切な誰か、は決して妄想ではない。いま、この瞬間だけは真実だ。逆にいえば、瞬間のなかにしか真実はない。
一生はいまこの瞬間のなかにある。この一秒のなかにしかない。刹那こそが一生なのだ。
そのことを腑に落とさなければ、近藤流養生の実践は、容易ではない。

最後の近藤氏自身のリビングウィルは参考になる。
とりあえずこのままコピーして、署名だけでもしておこう。

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
坂口 恭平著
エディション: 新書
価格: ¥ 798

5つ星のうち 4.0 ひとつの理想郷としての「ゼロ円社会」, 2013/4/26
2013年の新書大賞受賞作をまとめて読んでいる。
本書は第6位。

タイトルからは「国家についての思考実験」のようなものかと想像していた。が、違った。
3.11震災のとき、日本政府は国民の命を守ろうとしなかった。「ならば国民の生きる権利を大切にする国家を自分で作ろう」と著者は思い立った。
本書は、おおまじめに日本の中に「独立国家」を作ろうとしている、その著者の活動の軌跡を綴ったものである。

著者の坂口恭平氏は寡聞にして初めて知った。
大学時代の卒業研究(ホームレスが作った手作りの家の写真集=ゼロ円ハウス)が国内外で評価され、建築、美術など多方面で活躍中の若手芸術家とのこと。NHKでドキュメンタリーが放送されたり、堤幸彦監督が原作小説の映画をとったりもしているそうだ。

本書のキーワードのひとつは「ゼロ円」である。

ゼロ円でも人間は生きていけるのだ、お金がないと生きていけないと思うのは貨幣経済の便利さにまどわされた幻想に過ぎない、というのが坂口氏の主張である。
貨幣経済は、貨幣のもつ本来の機能=運搬や保存の利便性を超えて、現代社会であらゆる価値をはかる尺度そのものになっている。
しかし、TVコマーシャルの文句ではないが、よくよくみれば「プライスレス」なモノ・コトは実は身の回りにたくさんある。
たとえば、ホテルでボーイのアルバイトをして、給料で貰う25万円と、チップで貰う25万円とどちらがより価値があるのか、というエピソードが紹介されている。むろん、坂口氏にとっては感謝のしるしとしてフェイス・トゥ・フェイスで手渡されるチップのほうが価値がある。
この理屈を敷衍していくと「給料はいらない、ゼロ円でいい。代わりに自分が社会や人に向き合う「態度」をみてください」ということになって、貨幣の代わりに、「態度」が交換される価値になる。坂口氏が態度経済というのは、いってみれば、相互ボランティア、無償の助け合いでなりたっている社会、ということだ。荒唐無稽のようだが、昨今の社会保障費の激増問題を振り返るに、かなり気になるアイディアではある。

もうひとつ、坂口氏の主張で大事なのは、使命感を持って生きろ、ということである。
お金のためではなく、自分のためでもなく、社会のため、人のために仕事をする。お金はいらない。なくても生きてはいける。
坂口氏のいう「ゼロ円」とはつまり、自分の価値はお金の多寡ではなく自分の生き方=態度で決めよう、貨幣経済が勝手に根付けをした価値基準に自分を合わせて生きるのをやめよう、ということだ。

文章は思考を加工せずにそのままぶちまけている感じで、はじめはたいへん読みづらかった。
が、読み進むうちに、著者の言わんとしていることがなんとなくわかってきた。
今年の大賞受賞作には、個人と社会の関わりをテーマにしたものが多い。
著者の方法は、かなりぶっとんではいる。がしかし、これまでとは違う、社会との新しい関わり方を提示していて、たいへんに興味深かった。

行動がなければ結果もなし。出でよ、平成の志士たち―現代版私塾「フォーラム二一・梅下村塾」と共に二四年
行動がなければ結果もなし。出でよ、平成の志士たち―現代版私塾「フォーラム二一・梅下村塾」と共に二四年
梅津 昇一著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,575

5つ星のうち 3.0 現代の「坂本竜馬」はどこにいるのか, 2013/4/25
 著者は「梅下村塾」を主宰する電電公社OB。4半世紀に渡って財界、官界の若手リーダを対象に異業種勉強会を運営し、その功績で2010年に勲章を受章したそうだ。
 こういう世界には縁がないので背景事情はよくわからないが、卒業生も800人を超え、それなりに影響力を持った組織らしい。吉田松陰の松下村塾をもじった「梅下村塾」は、自ら「国家百年の計」を想い、そして口先ではなく汗をかき行動することができるリーダを育てるのが目的とのこと。たとえば、坂本竜馬や後藤新平のような人材育成を目指している。本書の内容は、その「梅下村塾」にかける著者の熱い思いを綴ったものだ。

 自衛隊への入隊義務、国旗国歌の奨励、教育勅語の勧め、外国人参政権の否定など、著者の思想を一言でいえば、右寄り、ということになる。そこは別にいいのだが、どうも全体に議論が浅い気がする。

 たとえば、祝日の国旗の掲揚。ぼくが子どもの頃はどの家も当たり前のように軒先に飾っていたが、いつのまにか、その習慣がなくなってしまった。この30年くらいの出来事だ。国家と国民の関係はあきらかに変わってきている。国家という言葉にリアリティを感じなくなってきている、といってもいい。
 さらに言えば、国民という言葉にもどこか空疎なニュアンスがつきまとう。かろうじて「国民」にリアルを感じるのは、ワールドカップかオリンピックくらいしかなくなった。年末の紅白も、ちまたのヒット曲も、国民全体が共有するものがなくなっている。これは尋常ではない。しかし、そのことについての根本的な考察はほとんどない。

 小熊英二氏は「社会を変えるには (講談社現代新書)」でデモの歴史を紐解いて、日比谷焼き討ちのような明治期のデモと、昨年の総理官邸への反原発デモが本質的に性質の異なるものであることを明らかにした。個人と社会との関わり方はおおきく変化している。国民と国家の関係もおおきく変わってきている。そこへ持ってきて、坂本竜馬、である。

 著者の主張にいちいち反対するものではないが、現代に坂本竜馬をよみがえらせよう、というだけでいいのか、と思う。もっといえば、坂本竜馬はエリートではない。松下村塾の伊藤博文も山形有朋もエリートではない。だが「梅下村塾」の塾生はエリート中のエリートだ。エリートが坂本竜馬になれるのだろうか、とも思う。

 明日はホームレス、を公言している「独立国家のつくりかた (講談社現代新書)」の坂口恭平氏のほうが、思想も行動も生活も、坂本竜馬のありように近い。坂口氏を好きなわけでも応援するわけでもないが、次世代のリーダは、やっぱり雑草の中から頭角を現すような気がした。

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
平田 オリザ著
エディション: 新書
価格: ¥ 777

3 人中、0人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0 演劇の方法をもちいたコミュニケーション教育は、ほんとうに可能なのか?, 2013/4/24
2013年の新書大賞受賞作をあたっている。
本書は第4位。

著者は著名な劇作家で、演劇の方法をコミュニケーション教育に応用する試みを10年前から行っているそうだ。大阪大学の大学院で専門の講座も持っているとのこと。
学問としては、コミュニケーション・デザインという分野にあたるらしいが、本書は雑誌記事からの転載なので、学問としての体系はわからない。たとえば「コミュニケーション」の定義ひとつとっても、本書では明確にはされていないし、コミュニケーション・デザインの研究課題と、他の学問(心理学、言語学、教育学、哲学など)の先行研究との関連についても明示されていない(参考文献の提示がない)。つまり、演劇の方法を使ってコミュニケーション教育ができるのだ、という、そのいちばん肝心な点についての説明が不足している。

「私たち演劇人は、ごく短い時間の中で、表面的ではあるかもしれないが、他者とコンテクストをすり合わせ、イメージを共有することができる。そこに演劇の本質がある。」P200

これが、唯一、その可能性に明確に言及している部分だが、現実の人間関係には、演劇のように「終わり」がない。これを認めるなら、演劇によるコミュニケーション教育を受けた人間は、死ぬまでずっと表面的にすり合わせたコンテクストの上で、自分ではない自分を演じつづける、そういうことになるのではないだろうか。あるいは、「コミュニケーション」の本質とは、本来、そのようなものである、ということなのだろうか。どちらにしても???な感じである。

ことしの新書大賞は、「社会と自分との関係性」をテーマにしたものが多い印象だ。その線で本書を見直してみれば、確かに、就職の際、企業が学生に求める能力のトップが9年連続でコミュニケーション能力 (p14)だとか、外国人従業員が増えて国内で普通に仕事をしていても異文化コミュニケーションが日常的に必要だといわれるように、社会がコミュニケーション能力を重視する傾向は強くなっているといっても間違いではない。しかし、

「わかりあう、察しあう古き良き日本社会が、中途半端に崩れていきつつある。
私たち日本人も、国際化された社会の中で生きざるを得ない。」P223

この程度の現代認識にはやはり満足できない。ほんとうに昔はよかったのか、昔の人はコミュニケーションに困らなかったのか。現代のコミュニケーション問題は単なる社会の周期的な流行現象なのか、あるいはなにか本質的な変化を伴った不可逆的現象なのか。なにもわからない。

「バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力」p207

とあって、これが著者のいう「コミュニケーション」の定義なのだろう。それはそうなのだろうが、なにか表面を撫でただけのようで、もうちょっと踏み込んだ考察があってもよいと思う。
テーマは違うがダニエル・ゴールマンの「EQ こころの知能指数」を思い出した。こちらの方がコミュニケーションの本質に迫っていてよいと思う。

ドイツ発「気と波動」健康法 バイオ レゾナンスが甦らせる“いのちの力"
ドイツ発「気と波動」健康法 バイオ レゾナンスが甦らせる“いのちの力"
ヴィンフリート・ジモン著
エディション: 単行本(ソフトカバー)
価格: ¥ 1,365

5つ星のうち 3.0 人間のカラダを相手にダウジング、というアイディア, 2013/4/22
経絡、気功に興味をもって調べていて、目にとまった。
ドイツ人の発明家、パウル・シュミット(1922-1994)が、プランクの量子論、ダウジング、東洋医学(経絡)から着想を得て創始したのがバイオレゾナンス、波動医学という分野だそうだ。
その理論によると、人間の身体には部位ごとに固有の振動数があって、その振動がなんらかの原因(=電磁波や地下水脈、大気汚染など)で乱れると、病気の原因になるという。振動の乱れは、波動センサー(蜂蜜掬いに似た30cmくらいの金属の棒)で調べる。正常だと、棒の先端が円を描いて周り、異常だと左右に振れる。乱れは波動送波器を使って、正しい周波数の波動を患部に送ることによって調整する。と、だいたいこんな感じだ。
手に持った金属の棒が勝手に回りだすところなど、ダウジングとそっくりだ。ダウジング自体は奇術ではなく、人によっては実際に地下の埋蔵物を探索することが可能だと聞くし、人間の身体にはわかっていないところが多いから、本書の内容をオカルトだと斬って捨てるつもりはない。しかし、本書の内容は、理論的背景も実験の手続きも説明不足で、少なくとも科学的、検証的な読み方はできない。
せっかくなので、このゴールデンウィークにでも波動センサーを自作して試すくらいはやってみようと思う。
が、以前試してみてダウジングの才能もなかったので、おそらくピクリとも動かないだろうが。

百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)
百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)
今野 真二著
エディション: 新書
価格: ¥ 735

2 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0 明治以降の百年で、日本語の歴史はそれ以前の1900年とおおきく変わった, 2013/3/23
2013年の新書大賞受賞作をあたっている。本書は第9位。

タイトルからは、日本語をめぐる歴史ロマン、のようなものを期待していた。
が、内容は重箱の隅をなめまわすような(著者は虫瞰という)微細な文献の用例観察である。
観察された内容をどんどん羅列していくだけで、とくに結論というものもないので、この分野に相当関心がある人ならともかく、普通の「知りたがり」が読みとおすのはかなり大変。
あえて結論めいたものを見出すとすれば、

 「(日本語の歴史は)言語の揺れを積極的に回避しようとしないかするか、という観点において、
  (明治以前の)1900年間と(明治以降の)100年間に分かれる」p192
 
という点だろう。また、

 「もっとも大きく変わったのは、日本語の語彙のなかに占める漢語の位置であった」p152

という点も重要だ。明治以前は漢語と和語を意識して使い分けていたが、明治以降はその区別がなくなっていったという。
松平定信の寛政の改革以降、武家の基本的な教養は朱子学(漢学)だったから、公的な文書には漢語が好んで使用された。しかし明治以降、武家階級とともに朱子学(漢学)の担い手が途絶えた。そのことが「漢語の消滅」に影響しているのかもしれない。

ともあれ「わかりやすい」本ではない。
著者は、わかりやすさがすべてではない、わかりやすさは自分で考える必要をうばう、という。
が、著者にとってこの百年の日本語の変化はどういう意味を持つのか、なぜ著者はこの百年の日本語の変化を課題としてとらえたのか、そこは説明してほしかったと思う。素人はほんとうに専門的なところまではわからない。鵜呑みにするしかない。が、課題を自分に引き寄せて理解することはできる。たいていの素人はそれだけでも世界が広がった気がするものだ。そこが提示されていないので、とっかかりすらない。それが不満というか不完全燃焼であった。

日本酒マリア―ジュ: お酒がもっと美味しくなる、日本酒×料理の組み合わせ術
日本酒マリア―ジュ: お酒がもっと美味しくなる、日本酒×料理の組み合わせ術
稲垣 知子著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,470

1 人中、0人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 香り高い日本酒の図鑑としても良, 2013/3/23
日本酒とチーズが意外にベストマッチなのを発見して、今年のマイブームである。
で、日本酒むけのチーズ料理のメニューがないかと手に取ってみた。

著者の稲垣氏は「酒肴家」、つまり酒のつまみの専門家とのこと。
その著者みずから蔵元を訪ね歩いて探し当てた日本酒と、それにあう料理2品の写真&レシピという体裁で、約20組の日本酒と料理を紹介している。
面白いのは、日本酒を「香り」で分類していること。

 「すこし固めの白桃やあんずを思わせる、みずみずしく、きれいでシャープな酸味」

などと、まるでワインのような扱いだ。

レシピも5,6品作ってみたが、簡単に作れて見栄えもよく、味もいい。
たいていの酒肴のレシピ本は一冊買ってもほんとに使えるのは一皿か二皿くらいしかないが、本書のレシピは、手早く少ない材料で作れてしかもそこそこ美味しい、という酒肴の条件にちゃんとかなっているメニューが多いように思う。和食系よりもイタリアン系が多いのも新しくていい。

紹介されているのはそのへんの酒屋やデパートではまずお目にかかれない銘柄ばかりなので、まだ実際に料理に組み合わせて食べたことはないが、入手先の酒屋リストもあるので、順番に試してみようと思う。
酒肴のレシピとして実用的なだけでなく、香りの良い日本酒の図鑑としても眺めるのも楽しい。これはいい本にあたった。

Joseph Joseph ロッカー 【ガーリッククラッシャー】 グリーン 200621
Joseph Joseph ロッカー 【ガーリッククラッシャー】 グリーン 200621
価格: ¥ 954

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5つ星のうち 1.0 人力で押しつぶすのは不可能, 2013/3/23
ニンニクのみじん切りがサクリと一瞬でできるのかと期待して使ってみた。
が、違った。
まず網目が刃状に鋭くなっているわけではないので、上からかなりの力で押しこんでもまったく切れない。
ただ、つぶれていくだけだ。
しかもひとかけですら最後まで押しつぶすのは人力では不可能。結局、薄切りにしないとつぶしきれないことがわかった。ニンニクは相当固い。
貝印 SELECT 100 ニンニクしぼり DH-3010などの普通のニンニクつぶし器より粗めに仕上がるのはみじん切り風でいいが、ともかく人力でつぶせないのでは仕方ない。包丁で切った方がよほど早い。なかなか、つごうのよい道具はないものだ。残念。

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