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5つ星のうち 5.0
入信を前にしてのためらい, 2008/10/6
トルストイの作品の中では3大長編や民話などに隠れて、
小品扱いされるこの作品ですが、
その価値は決してそれらに劣るものではありません
(トルストイの厳しい審美眼からすれば、
これほどの出来でも公表できないと判断したようですが)。
トルストイは信仰を前にした人間のためらいを描くのが実に上手い。
「もう自分はこんな生き方はやめる、キリスト者として生きるのだ」と
決意を固めて家を飛び出しては、説得されて思い留まる主人公。
発心しかけると決まって現れて、彼を説き伏せる老人の論理が
実に鮮やかなのです。コリント人への第一の手紙11:14には、
「サタンは自分を光の使いに偽装している」とあります。
この老人こそは、文学にこれまで描かれた中で、
もっとも穏健な表情をした悪魔と言うことができるかもしれません。
それをようやく振り切って、信仰を選んだ主人公に長老がかけた言葉は…。
これはもう、トルストイにしか書けない完璧なセリフです。
この作品には、冒頭に「閑人たちの会話」という題の短篇が
置かれています。登場人物の誰もが信仰に生きることの意義を
認めているにもかかわらず、
なんだかんだと言い訳をしては、結局思い留まるのです。
これは、イエスの盛大な宴会の譬え話(ルカ14:16〜23)
にも比肩する見事な寓話と言えるでしょう。
一見、信仰について真剣に語り合っているかのような人々を、
「閑人(ひま人)」と呼んでいるところに、
私はトルストイのまことに辛辣な揶揄を感じます。
この物語をただ一編の優れた物語として味わった私をも、
トルストイは閑人と呼ぶでしょうか?
トルストイに「自分は説得されるのではないか」と恐れている方、
ご安心ください。
私もまだ、こうして俗世間にとどまっているのですから。
しかし、今トルストイが生きていたら、私は会ってみたかったです。