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5つ星のうち 5.0
買ったんで。, 2013/5/4
本作を見たのは本作の主人公ルシアンとほぼ同じ年齢の頃(いや、そしれよりももう少し下だった。ルシアンは17歳という設定。小子は1960年生まれなので、1975年にロードショー公開され、同年に都内の名画座で見たのだから15歳だった、ということになる。日付ノートより1975年11月8日東急名画座とある。正確に言えば、小子は12月生まれなので14歳のとき、ということになる)。
本作はそれぐらいの年齢のときにこそ鑑賞して、若いときにしか得ることができない本当に優れた映画によってこそもたらされるべき「衝撃的映画体験」を是非、若いうちに受けておくべき優れた作品である、とまず断じる。
いい大人になって達観した上から目線で本作を眺めてみても、「ああ良くできた映画だな」というレベルの感想は得られるだろううが、それは衝撃の体験とはほど遠い、ということに留意しなくてはならない。だからできることならホラーやアクションなどの下らない映画からではなく、是非、こうした優れた映画で若いうちうは映画体験を積むほうがいい。
(まあ「みでじゃのような大人にはなりたくない」なんてこと書かれているぐらいだから、あまり薦めても意味ないのだろうが。でもリアルの世界ではそんなでもないんだぜ。「委員」という肩書き2つと「特別顧問」という肩書き1つを持っているぐらいの社会的責務のある大人にはこの年になればなれるぐらいの大人にはなれるから、まあ君たちもがんばりなさい)
1960年代末から1970年代前半ぐらいまでにかけて生み出された米国のニューシネマ・ムーブメントに呼応して全世界で生み出された小品的・非商業的な優れた映画には、ある共通した雰囲気がある。その雰囲気というのは、たぶんに時代的・感覚的なものなので、言葉で現すのは非常に難しいのだが、あえて言えばそれは「時代と社会と人間を見つめる、真摯で透徹した視点を持っている」ということではないかと思う。従って、内容的には当然ながらペシミスティックな作品が多くなる。そういう意味で本作は、正にフランスから生み出された「アメリカン・ニューシネマ」とでも言うべき雰囲気を持った作品であった、という印象を当時、強く受けた。
もとを正せば、本作監督のルイ・マルはフランス・ヌーベルバーグの旗手と言われた人。ヌーベルバーグが拠り所とした映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』はハリウッド映画研究を盛んに行っていたし、ヌーベルバーグの作家にはフランスの伝統的なスタジオに依らずにそうしたハリウッド映画ファンが映画作家にそのまま移行していったケースが多かった。マルの長編出世作『死刑台のエレベーター』には、ハリウッドでも起用されたことがなかった米国のモダン・ジャズの巨匠マイルス・デイビスを映画音楽家として初めて起用したりしたのも、米国発の当時のとんがった文化に対して彼らがいかに敏感であったのかを示している。実は、アメリカン・ニューシネマというのはそうした先鋭的文化が仏ヌーベルバーグを経て米国へ先祖返りをしたもの、というのが小子の個人的な分析なのだが、長くなるのでその論についてはまた別の機会に譲るが、従って、本作はその先祖返りした米ニューシネマの雰囲気をまたキャッチボールのようにフランスから返してきた映画ということが言えるのである。
だから本作は開巻、不世出のジプシー(ロマ族)ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトを要したフランス・ホットクラブ5重奏団の演奏が映画が被さるのである。本作で描かれる時代の当時の音楽として使用されているのは同グループの活動時期としては正しい使用ではあるが、バイオリニスト、ステファン・グラッペリ率いる同グループは、米国発のスイング全盛期にスモール・コンボによるスイングを欧州大陸で演奏して回った希有なバンドで、そのユニークな響きは一部に同グループこそモダン・ジャズの走り、と評する人もいるぐらいなのだ。蛇足だが、ウディ・アレンの『ギター弾きの恋』でショーン・ペンが演奏するスタイルがラインハルト流のスタイルである。
いずれにしても、このように、フランスとアメリカの両文化のとんがった部分がキャッチボールの果てに奇妙な融合を果たした結果生まれたということが、本作のフランス発「アメリカン・ニューシネマ」たるゆえんでもあるのだ。
レビューで作品の筋には立ち入らなかったのは、できるだけ先入観なしに本作を見て欲しいため。自分もそうだったから。是非みなさんもそうして下さい。