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不肖TAKさんが書き込んだレビュー (東京都)

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ガンジス河でバタフライ (幻冬舎文庫)
ガンジス河でバタフライ (幻冬舎文庫)
たかの てるこ著
エディション: 文庫
価格: ¥ 680

4 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 インドとはいかような国なのか, 2012/8/10
一週間後のインド旅行を控えて、読んでみた。
何とまあ、愉快な旅内容が満載だこと。
多少、話を盛ったにしても「インド」という国への興味が益々湧いてくる。

著者はしきりに小心者を自称しているけれど、全然そんなことない。
旅に出てみたいという悶々とした気持ちが若い頃からずっとあって、
ひとたび箍(たが)が外れてからの彼女の行動はまさに破天荒(無謀?)と言って良い。

飽きることないエピソードはもちろんだけれど、
所々で洩らす彼女の正直で感受性豊かな言葉に共感した。
「たぶん私は『自分が今、生きている』という実感が欲しかったんだと思う」(21ページ)とか、
「私は旅をしながら、自分とは『違う』何かに惹かれながらも、
結局、自分と『同じ』だと思えるものを探しているのかもしれない」(59ページ)などなど。

しかし、一番心に響いたのは、「おわりに」の文章だった。
それまで、「今を生きている」インド人が強調され、所詮、非日常の中にしか魅力を見出せないことを言いたがると思いきや、
著者の主張はそうではなかった。
別に旅人にならなくても、日本にいても、日常の中に十分魅力的な要素があるではないか、と。
つまりは、そう言いたいのだと思う。
そこが、本書が並の旅エッセイとは違う点だろう。

果たしてインドは「肉体の締め切り」(283ページ)を感じられる国なのかどうか。
未知の文化に触れる(心の)事前準備にはかなり役に立った。

かもめ食堂 [DVD]
かもめ食堂 [DVD]
DVD ~ 小林聡美
価格: ¥ 3,672

7 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 計算し尽くされた「和み」, 2012/6/3
レビュー対象商品: かもめ食堂 [DVD] (DVD)
同監督(荻上直子)の『めがね』を観た時もそうだったのだけれど、
この『かもめ食堂』は、妙にあとを引く映画だ。

身構えて鑑賞するのではなく、暇をつぶす感覚で観た。
やがてエンドロールとなり、この監督の映画って何か好きだなあと思いつつ、
やっぱり気になってもう一度観返してしまった。『めがね』の時と同じだ。

この映画は、とてもゆったりとした雰囲気の中で物語が進んでいく。
派手な展開はないし、鑑賞者の感情を煽るような音楽もない。
だから、人によってはこの淡々としたペースに退屈するかもしれない。

けれども、ポツリポツリと交わされるシンプルな会話の中に、
大切な事を教えてくれる深いセリフが沢山あることに気付く。
物語の舞台に「フィンランド」という、わざわざ日本人に馴染みのない国を選んだ理由も分かってきた。
なかなか、よく出来た映画である。

一番気に入ったのは以下のセリフ。
「どこにいたって悲しい人は悲しいし、寂しい人は寂しいんじゃないですか?」

よく「自分探し」と称して長い一人旅に出る人がいるけれど、
「自分見つかりました」と、帰ってきた人っているだろうか。とりあえず、私は一人として聞いた事がない。

つまり、自分を受け入れられない環境に不満を持つのではなく、まずはじっくり周りから受け入れてみる。
私は結構、飽きっぽい性格だから、色々と教えられた気がした。

「世の中には、知ってるようで知らない事って案外多いんですよね」。
これもいい。知ったかぶって偉そうな口をきく輩(やから)に言ってやりたい。

ともすれば、聞き流してしまいそうな言葉なんだけれど、
その意味をじっくり考えてみると非情に深いのである。

さらに、終わり方が最高!
「いらっしゃいませ」の言い方をめぐって、女三人が揉めるシーン。
途中でお客のトンミ・ヒルトネン(豚身昼斗念)がやって来て、会話が途切れてしまうのかと思いきや、
きっちりサチエ(小林聡美)の挨拶で幕が閉じる。
オツですなあ。。。

陽水の「クレイジーラブ」をチョイスした所もセンス抜群。
しばらく、ヘビロテになりそうな予感がする。

吾輩は猫である (角川文庫)
吾輩は猫である (角川文庫)
夏目 漱石著
エディション: 文庫
価格: ¥ 620

3 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 どこから読んでも面白い!, 2012/5/6
Amazon.co.jpで購入済み(詳細)
「吾輩は猫である。名前はまだない」
みんな知ってる夏目漱石。でも、実は読んだことない夏目漱石。
いやいや、『こころ』は昔、教科書で読みましたけど。。。
なんて反論が飛んできそうであるが、私に言わせれば、
この『吾輩は猫である』(以下、『猫』)こそ漱石の最高傑作である。

「純」がつく文学って大抵、暗くてエグイのがお決まりなパターンであろう。
ところがしかし、『猫』は何というか、カラッとしててスキッとする珍しい明治文学である。
多少、文語調かもしれないけれど、読んでいて気分爽快。笑える。

描かれた時代背景としては日露戦争の辺りか。富国強兵の真っ只中である。
文明開化して新たな価値観が流れ込み、人々はそれに順応したかのように見えた。

そんな中、「ちょっと、勘弁してよ」というのが漱石先生のお考えなのでして。
そこで、猫の目と耳を拝借して、文句たらたら書き吐き出したのがこの小説なのである。

もっとも面白いのは、以下のくだり(390ページ〜)。
「ことによると社会はみんな気狂の寄り合いかもしれない」。
でも、それが「団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかも知れない」。
そして、極め付きは「何が何だか分からなくなった」(391ページ)。

激動の時代にあって、常識を疑い続けた漱石。
一人冷めた目線で社会を眺められた漱石はカッコいい!
当時はやりの「大和魂」すら小馬鹿にしてしまうのだ(255ページ)。
漱石は常に、社会における「個人」のあり方を考えていたのである。
(この指摘については、阿部勤也『「世間」とは何か』[講談社]を参照されたし。)

あと、春の縁側で繰り広げられる、くだらない夫婦喧嘩(150ページ〜)。
嫁のハゲと旦那の鼻毛から発展する言い争いが可笑しくてたまらない。
他にも、心持ちの養生の仕方とか、なかなか勉強になる内容満載である(343ページ〜)。

とどの詰まり、100年前も今も大して変わらないということである。
現在が、価値観の過渡期にあるとすれば、変わらないどころかよく似ている。

多様な情報が錯乱する中で、他者に惑わされず、自分を貫くことができるか。
「猫」の目を持って、世界はおろか、自分自身をも客観視することができるか。
その意味で『猫』は、今こそ読むべき本のような気がする。
同『坊ちゃん』もお薦めである。

夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)
夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)
大澤 真幸著
エディション: 新書
価格: ¥ 861

31 人中、13人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 自己欺瞞を超えて「夢よりも深い覚醒へ」, 2012/3/26
『夢よりも深い覚醒へ』とは、絶妙なタイトルだと思う。

本書は、フロイトの夢分析から始まる。
息子を失った父親は、遺体が安置された隣室で、現実に耐えきれず眠りに落ちる。
そして、今度は夢が示唆する真実から逃避するため、その途中で目を覚ました。

父親は、悪夢を解釈しようとする。
しかし、それは凡庸な「通常の覚醒」である。
著者曰く、「凡庸な解釈は、むしろ、真実を隠蔽する」(8ページ)。
真実を覚知するためには「夢の奥に内在し、夢そのものの暗示を超える覚醒、
夢よりもいっそう深い覚醒でなくてはならない」のだ(9ページ)。

そうした視点で3.11後を哲学したのが本書である。
つまり、原発の存否(あるいは、今後の社会全体のあり方)を選択する理路を支える前提を再考してみようというわけである。

3.11を経験した我々は、日頃当たり前としてきた座標軸を失ってしまった。
破局を前にした時、我々を支えてきた倫理は、それが虚構に基づいていた錯覚であったことを知らせる。
「神」や「世間」というような「第三者の審級」が撤退した社会の到来である。
著者はそれを「リスク社会」と呼ぶ(44ページ)。

30代の私は全然知らなかったのだが、日本ではかつて原発が「神」的存在であったらしい。
終戦直後の「理想の時代」(80ページ)では、アメリカに対する憧憬の念も手伝って、
原子力が救世主のように扱われていた。
原子力爆弾の恐怖を知って間もないはずの日本人は、にもかかわらず、
否ーむしろ、だからこそ原子力に魅了され、失われた自尊心を取り戻そうとしたのであった(84ページ)。

ただし、それは大いなる矛盾を抱えた自己欺瞞に他ならない。
「原子力の平和利用」という標語がまさに象徴している(言い出しっぺは、アイゼンハウアーだという)。
平和憲法を隠れ蓑に「核」と「原子力」を巧みに使い分けることによって、原発開発を押し進めることができたのだ。

著者は宗教社会学者らしい観点で、宗教的枠組みに当てはめながら分析する。
3.11は一つの破局であり、キリスト教でいうところの終末思想である。
この悲劇は、ゆえに、神の不在というよりはむしろ、その現実性を西洋社会に見せつけた。
ヨーロッパ諸国の対応が日本よりも迅速だった根源的理由はそこにある(129ページ)。
「神の国はあなたたちの中にある」というキリスト的福音が、原発事故が意味するメッセージなのである(174ページ)。

そこまで言っていいのかはともかく、最終的に著者が言いたいのは、
「神義論」は神の無能に堕し、原子力の信頼は崩れ、最悪の廃棄物であることが判明した、ということ。

そこで案出するのが、時空を超えた人間の総意を摘出する方法である。
…のだが、それが観念的過ぎて分かりづらい。
3章末(148〜149ページ)で仄めかしといて、5章末(244〜245ページ)で決着する流れになっているが、
それでもよく分からなかった。

内容としては随所で少々難解な部分あり(内田樹『寝ながら学べる構造主義』を読んでおくといいだろう)。
でも、構成がとても上手く、最終章でまとめてくれているから親切である。
「原子力は神であった」(75ページ)なんて、いかにも西洋を知悉した方の偏った意見だと思ったけれども、
日本人にも一神教的考え方があるんだなと思い直した次第である。

しかし、原発をノンアルコール・ビールに例えたのは間違いだと思う。
ノンアルコール・ビールは、いわば「偽」のアルコール飲料のはずである。
だから、アルコールを抜いた以上、その危険性は無くなり、残るのは雰囲気だけである。
「原子力爆弾と同じもの」(164ページ)ではないだろう。
私の誤読だろうか???

なぜ、脳は神を創ったのか? (フォレスト2545新書)
なぜ、脳は神を創ったのか? (フォレスト2545新書)
苫米地英人著
エディション: 新書
価格: ¥ 945

2 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 「信仰」から脱皮せよ!, 2012/3/20
本書には、人類の「宗教的な退化のプロセス」(29ページ)が書いてある。
つまり、「神」の存在追究についての変遷、といえようか。
『なぜ、脳は神を創ったのか?』とのタイトル通り、
「神」は「脳」が創り出したものであって、実在するモノではなかった。
「すべて最後は、脳のなかの脳が創った情報」(41ページ)と言うに尽きる。

それでは、どうして人間は「神」を必要としてしまうのか?
それは、我々が自分自身を「不完全な情報システム」であることを自覚しているからで、
絶対神を創造した思想のきっかけは、「完全情報に対する憧憬や畏怖の念」に由来する(43〜45ページ)。

こうして誕生した「信仰心」が、神と接するための社会システムへと発展した。
信仰心が機能すると社会秩序が生まれ、やがて「国家」が成立する。
政治、経済など、社会システムのすべては、人間の信仰心が大前提となって構築されてきたものである(55ページ)。

ところがしかし、「神」は死んだ。
人間が躍起になって追い求めてきた「完全な存在」は残念ながら存在しないのであった。
資本主義もマルクス主義も所詮、宗教現象に過ぎなかった。
これまでのあらゆる戦争でさえ本質的には宗教戦争であって、
自分たちが信仰する「完全な存在」で世界を純粋化しようとする挑戦であった(90ページ)。

どうやら「脳」は、「いい加減な情報処理器官」であるらしい(112ページ)。
よく聞く神秘体験は、「脳が情報処理を誤」った結果である(139ページ)。
「神の学問」とされた数学はおろか、近年発達した認知科学や量子力学によっても、
この世に絶対的なモノサシがあり得ない事が証明された。
それらを発見した(してしまった?)ゲーデル、チャイティンの最期を知ると、
いかに人間が不完全な世界に対して怖れを成していることか、思い知るだろう。

途中、退屈な話が続き、冗長に感じる事もあったが(著者は「釈迦」の教えをかなり推している)、
「絶対的な唯一の価値が存在するという幻想を否定する世界の到来」(195ページ)を目指すべきだ、
というのが本書の主張となろうか。

「なるほどな」と思ったのは、「国家」に関するくだり(215ページ)。
怪しげな煽動家たちは「国家が崩壊してしまう!」などと事あるごとに囃(はや)し立てるけれども、
そういえば大昔は「国家」なんて無かった。
無くても人間は暮らせていたわけで。
これも一つの「国家信仰」という「信仰心」に他ならない。

苫米地氏の著作は『洗脳支配』(2008)以来であったが、
相変わらず、本質を突いた事をズバズバ言ってくる。
内容としては大雑把だけれど、不思議とズッシリとした読後感があった。

ただ思うのは、本書を読んでいると「洗脳」という現象がいかにも恐ろしい事のように聞こえてしまうけれども、
人はある程度、何らかの形で「洗脳」されていないと、生きていけないのではないか。
「この世のすべては幻想なのだ」と説く事でさえ、一つの洗脳行為になり得るのだから。
著者はアートマン(自我)が「空」であるという釈迦的考えの持ち主である。
ならば問いたいが、自我を「空」にしたまま、何を規範にして行動すれば良いのか?

ひとまず、次は『お釈迦様の脳科学』(小学館)を読んでみたい。

思考脳力のつくり方  仕事と人生を革新する四つの思考法 (角川oneテーマ21)
思考脳力のつくり方 仕事と人生を革新する四つの思考法 (角川oneテーマ21)
前野 隆司著
エディション: 新書
価格: ¥ 760

1 人中、0人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 「システム・デザイン&マネジメント」のすすめ, 2012/3/16
前野氏のいう思考脳力は、確かに現代の日常生活に応用し得る。
自分自身の人生を含め、世の中の全てを「システム」として捉えることで、
それを「デザイン」し、「マネジメント」していこうという考え方である。

アメリカでは「システムズエンジニア(SE)」が最も良職とされているらしい。
SEと聞くと、IT系の職業だと思い、自分とは縁遠い存在だと勘違いしがちになるが、
「システム思考」という考え方が重要なのであって、かなり応用可能な思考法である。

著者はまず、「システム論」を重視する(第1、2章)。
この辺りを読んでいて、内田樹氏の『日本辺境論』(2009)を想起した。
物事を「大きな物語」として捉える考え方が相似的であるからだ。
内田書では、日本人は「辺境性メンタリティー」によってナショナル・アイデンティティが規定されており、
その自主性の発揮にはあらかじめ限界があると、いささか投げやり気味に指摘されていたのだが。

前野氏は、その点をわきまえつつ、「思想を時代に接地」(31ページ)しようと試みる。
「理念ー戦略ー戦術がシステムとしてすべてつながる必要がある」(同)。
つまり、「木を見て森『も』見よう」というわけである。

学者のように「要素還元思考」に突っ走るだけでなく、
視野を広げて「システム思考」(ツリー型・マトリックス型・ネットワーク型)へ発展させる。
主観も客観も取り入れ、多視点から物事をモデル化する。
(ただし、その「モデル化」は、抽象化の作業であることを「自覚した上で」使う[89ページ]。)

第3章からは、3.「ポスト・システム思考」の説明。
1.「要素還元思考」→2.「システム思考」だけでは問題の解決にはならない。
あらゆる物事は「複雑系」である。
「科学」は所詮、「仮定」のもとでの仮説検証に過ぎないし(131ページ〜)、
論理を追究した「哲学」でさえ、「ニヒリズム」に収斂してしまった。
ゆえに、「アコモデーション」を優先する「利他的思考」が必要となる。

最終的に行き着くのは、4.「システム思想」である。
著者曰く、それは「ものごとをシステムとして考え抜いた挙げ句に到達する思想」(165ページ)らしい。
正直、この辺から理解度が薄くなってきてしまうのだが、
かつて河合隼雄が指摘した(同『母性社会日本の病理』)、西洋と東洋の間に介在する
根本的な思想対立の問題を解決できそうな思考方法が説法的?に述べられている。

「説法的」であると書いたのは、「すべての総和はゼロになる」(171ページ)とか、
「無」、「空」、「悟り」、「幻想」とかいう極めて不透明な言葉が続くからである。

言っていることは分かる。ただし、感覚的なものだ。
私は一応、人間が常に幻想の世界を生きていることも理解しているつもりなのだが、
しかし、私のような人生経験の足りない若輩者には、ややレベルが高すぎた。

ともあれ、以上の4段階をクリアできた時、本書の本当の価値を知るのだろう。
最終章には、具体例からの思考方法が書かれているから親切である。
結局の所、「気の持ちよう」(234ページ)が大切ってことまでしか、今の私には理解できなかった。
数年後に読み返して、自分の成長度合いを確かめてみようと思う。

おじさん図鑑
おじさん図鑑
なかむら るみ著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,050

28 人中、23人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 ちょ〜、ウケる(笑), 2012/3/11
レビュー対象商品: おじさん図鑑 (単行本)
私が『おじさん図鑑』と出会ったのは、お茶ノ水の三省堂である。
入店してすぐ、大笑いしている女子高生を見つけたのだけれど、
彼女たちが読んでいたのが本書であった。

実際、面白い。ちょ〜、ウケる(笑)。
まず、イラストがリアルに上手い。確かにいる、こんなおじさん。
「図鑑」を名乗るだけあって、種類別にあらゆるおじさんが網羅されている。
生態に関する説明書きもある。

また、自分がどの「おじさん」に該当するのかが分かる。
私は30男なので、一応おじさんの部類に属するものと考えていたのだが、
まだまだ序の口であることを思い知らされた。
そして、お蔭で近い将来、目標とするおじさん像を思い描くことができた。

特に勉強になったのは、「NIKEキャップのおじさん」(96ページ)で、
ナイキ(黒色)のキャップが、まさかこんなにも「おじさん界」で普及しているとは知らなかった。
あと、「使えるモノは何でも使う」119ページのおじさんに思わず脱帽。

著者は「おじさん」が大好きなのだろう。
「オッサン」ではなく「おじさん」と書くところが、なんか優しくていい。
本書を読めば、普段、街中でうっとうしく感じているオッサンたちに対する眼差しがきっと変わるだろう。

本屋で大笑いするのが恥ずかしいので、買ってウチでゆっくり楽しんでます。
上梓からたった3ヶ月で、すでに第5刷。
出版不況もなんのその。
どれだけ売れているんだろう。。。

もう、国には頼らない。経営力が社会を変える! (NB online book)
もう、国には頼らない。経営力が社会を変える! (NB online book)
渡邉 美樹著
エディション: 単行本(ソフトカバー)
価格: ¥ 1,365

5つ星のうち 5.0 キーワードは理念に基づく「経営力」!, 2012/3/3
Amazon.co.jpで購入済み(詳細)
村上龍『希望の国のエクソダス』を読んで、本書を読もうと思った。
国の教育制度に対する疑問と不満を持つ中学生が、独自に突破口を切り拓いていく。
そんな物語に共感し、そういえばワタミのトップが「もう、国には頼らない。」なんてことを言っていたなあ、と。
思い返せば、村上書の登場人物たちの魅力は「経営力」であった。

世界の市場経済をみても分かるように、すでに国民国家体制は揺らぎ始めている。
「国家」対「国家」なんて構図は今後、廃れていく一方である。
そうした時代に求められているもの。
それは、「経営力」を持った人材であろう。

渡邉美樹氏はその筆頭である。
先の東京都知事選では、彼に見向きもしていなかった私なのであるが、
古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』を読んだりしているうち、
グローバル化が個人レベルにおいても相当に進んでいることを感じた。
いっそのこと、国の経営を民間に委ねてみてはどうか。
個人の思想や嗜好によって「国」?(というより所属地域)を選択する時代がいずれ訪れるかもしれない。
ひと昔前であれば、「無政府主義」とも言われかねなかった概念は今、
―積極的な意味での―新しい政治思想になりかかっている。

渡邉氏の経営力は、多岐の分野で成功を収めている。
教育、医療、介護、農業、環境と、将来避けて通れない分野にもう手を付け始めていた。
単に美辞麗句を並べ立てているだけなら信用できないのだろうけれど、
氏の場合、一つひとつの文句を実践しているだけに説得性がある。

新しい世界に切り込み、自分の方針に従えない者たちをバッサリ切り捨てる非情さがスゴい。
いかなる分野であろうと、全ては市場原理(つまり、「民」の力」)でうまく回るというのが渡邉氏の信念で、
「官」の仕事は不正競争の監視と、セーフティネットの構築だけで結構という(8、52ページ)。
色々と批判も浴びているようだが、氏の実績をみる限り、納得せざるを得ない。

ただし、皆が皆、向上心を持って競争する活力を待ち合わせているわけではないだろう。
常に上を目指すことはアッパレだとは思うけれど、そればっかりでは正直しんどい。
その意味では、彼の理念に対する支持にも限界があるかもしれない。

渡邉氏〈主宰〉という形で、民間の「国家経営構想委員会」とか企画してみたら面白いと思うのだが。。。
(「国家」というのは便宜上用いた言葉です。)

※初版に校正ミス発見
・原子力発言所(61ページ)→発電所
・守旧派に組みして(93ページ)→与して

ローマ帝国 (岩波ジュニア新書)
ローマ帝国 (岩波ジュニア新書)
青柳 正規著
エディション: 新書
価格: ¥ 819

3 人中、0人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0 ジュニア向けではない。。。, 2012/2/27
Amazon.co.jpで購入済み(詳細)
遅塚忠躬『フランス革命』を読んで以来、ジュニア新書シリーズに味をしめた私は、
この度、青柳正規『ローマ帝国』に挑んだ。
が、今回はハズレだった。

そもそも、かの偉大なローマ帝国の歴史をジュニア向けに、
かつ新書サイズで描こうとすること自体、無謀な挑戦なのかもしれない。
語り口が優しいだけで、言ってることは平易でない。
レベル的には、一般の新書と同等である。

地図や写真がふんだんに掲載されていて、その辺りはさすがジュニア新書。
イメージを湧かせやすいように気を使ってくれている。

ところが、内容は中途半端。
著者は冒頭で、ローマ帝国が「古代という時代の総決算としての社会」であったとする。
そして、現代は「古代が終焉して以降にはじまる時代の延長」に過ぎないのだから、
ローマ帝国をモデルにするべきだ、と大いに読者を期待させる(まえがき)。

しかしながら、現代社会に対する展望は、最後のたった3行。
それも、どんなに「偉大」で「すぐれた組織」であっても、
時代とともに終わりをむかえる、といった実にありきたりな書き方(182ページ)。
ガッカリである。そんなこと、ジュニアでも知ってます。

話題も内政、外交、経済、人物相関が時代ごとにまばらで、つかみ所がない。
ローマ帝国が「できるまで」(1章)と、「成立」(2章)までで全体の三分の二を費やしたせいか、
肝心の繁栄の時代と帝国解体の説明を駆け足で終えてしまっている。
300年間続いたとされる平和の時代が、いかに機能していたのかがさっぱり分からなかった。

よく聞く「トロイの木馬」や、カエサルの「ルビコン」の逸話が登場する序盤は楽しめたのだが、
中盤以降は無味乾燥でつまらなかった。

一点興味を引いたのは、「食糧確保と海上輸送」について(120ページ〜)。
帝国が拡大するに連れて人口が増加し、食糧の確保が喫緊の課題となった。
不満分子を抱える都市部に小麦を充当するためには属州から運搬せねばならないわけで、
そこで発達したのが海上輸送であり、それに伴い港湾施設が整備された。当然、道路もである。

嗚呼、これが「ローマの道」なのか、と思った。
全ての道がローマに続いたのは、切実な問題が背景にあったからなのであって、
文化的要因は付随物に過ぎない。ロマンチックな幻想が吹っ飛んだ。

驚きなのは、本書で展開されている話のほとんどが紀元前であること。
この時代すでに、地中海地域では貨幣や税を含めた政治制度がかなり発達していた。
(そして、そんな昔の文字史料が「記録」として残っているのが羨ましい。
 日本[倭国?]の古代人にも見倣うよう言ってやりたかった。)

それを知れただけで良しとするか。
やはり、イタリア史は文才のある塩野七生氏の著作に頼ろうと思う。

希望の国のエクソダス
希望の国のエクソダス
村上 龍著
エディション: 単行本

4 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 それから12年, 2012/2/23
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レビュー対象商品: 希望の国のエクソダス (単行本)
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。
 だが、希望だけがない」(309、419ページ)。
本書が話題となったのは2000年頃で、当時この言葉が大分流行っていたように記憶している。

それから12年たって読んでみた。
村上龍はこの物語を決して予言的小説として書いたわけではなかろうが、
ポンちゃんや中村君のような中学生はー私の知る限りーまだ出てきていない。
「失われた10年」は「20年」と言われるようになり、日本の内需停滞は相変わらずであるが、
私は今、実際的にはあの頃とほとんど変わらない生活を営んでいる。
とはいえ、著者の危機意識が的外れだったとは思わない。むしろ、逆である。

村上氏は「あとがき」で、早急な改革に「法律」がやっかいな存在であることを吐露しているのだが、
こうした素朴で大胆な着眼点から新しい発想は生まれるわけで、作家・村上龍の考える「エクソダス」が次々と提案される。
ポンちゃんを筆頭とする「ASUNARO」中学生を使って。

そもそもは、日本の学校教育に関する疑問から着想を得たようだ。
村上氏は、物質的には何不自由ない暮らしの中で、「希望だけがない、という国で、希望だけしかなかった頃と
ほとんど変わらない教育を受けているという事実をどう考えればいいのだろうか」(310ページ)と問いかける。
改革しようにも「法律」の改正(国会での長い手続き)という分厚い壁が立ちはだかっている。
だったら、外枠を無視して内側から「エクソダス」の方法を探すしかない。

そういえば、いつか東浩紀氏が言っていた。
政治を変えるために政治家を志そうとするほど今の若者たちは青くないのだ、と。
まるで、この小説のようだ。

村上龍は、エクソダスを中学生に演じさせた。
彼らは「普通」が何かを分かっていない(良い意味で)し、順応性に優れている。
また、「大人」が新しく手にした情報や知識が、既存のものとして受け入れられる点も強みであろう。
つまり、「日本的な共同体の価値観」(43ページ)とか「何か共通なイメージ」(118ページ)に囚われることもない。
「大人」が苦心して「先」を見ようとする中で、彼らが当たり前に見ているものは常に「先にあるモノ」なのだ。

経済(特に、市場=マーケット)がグローバル化していく中で、日本が出遅れていることに著者は気付いている。
だから、「法律」を否定しないまでも、まず疑ってかかるのである(96〜98ページ)。
そこで、「創造すればいいわけでしょう?」(152ページ)というセリフを象徴的に持ち出す。
そして、ポンちゃんは行動してみせた。

戸惑っている我々の心境を主人公と後藤に代弁させ、世界の経済事情を由美子に説明させ、
その対応策を「ASUNARO」に試演させることで物語は成り立っている。
もちろん、中出や山方の役回りも重要である。

個人的に、最も核心に迫る文章は、
「金融や経済の最終的なゴールは利益を生み出すことで、
 その利益が理想的な庇護を生み出すことができるのだとアメリカ人は信じている」(205ページ)、
「市場というのは、欲望をコミュニケートする場所で、(中略)それまでそこにあった共同体を壊してしま」い、
「モラルや規範を無意味なものにしてしまう」(359ページ)であった。
これから先、世界規準を先導する者たちの思考回路を理解しなければ、何事も後手に回ってしまうだろう。
この辺りを深く掘り下げて話を進めていたならば、もっと重厚な作品になっていたと思う。

一つ的中しているのは、リスクマネジメントに関する指摘(327ページ)。
「フクシマ」という難題を抱えてしまった我々にとって、大きく突き刺さる言葉である。
その意味では、出版当時より今の方がーその予言的筋書きがー現実性を帯びてきた、と言える。
主張としての新しさを失っていない(残念なことなのだけれど)。

さすが、村上龍。
総理大臣にしたい人ランキングで、毎回上位に食い込むだけある。
283ページのセリフなんて、まったく同感だ。

本書を読んで、
渡辺美樹『もう、国には頼らない』(日経BP)を読もうと思った。
こういう異端者が慎太郎を負かす日は来るのだろうか。

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