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「最近の日本語は乱れている」は大間違い, 2009/11/9
本書は、しばしば最近の日本語の乱れのひとつとして指摘される「ら抜きことば」つまり、助動詞「レル/ラレル」に対象を限定して、その形成から現在までにいたる変化を詳細にたどり、これらの変化がその時点における日本語というシステムの伝達効率を向上させるためだったことを説明していく。
国語学と言語学が乖離している歴史的理由、原日本語は北方系と南方系とのクレオール言語等々、言語学的視点からの小ネタも、著者の冷静沈着な文体とあいまってたいへん説得力があった。
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日本独自の漢字は日本人庶民が使って広めたもの, 2009/11/6
本書を読むことによって「国」「広」「円」などの日本独自の略字体の由来がわかる。これらの漢字が戦後いきなり国語審議会の指示で決められたものでなく、以前から『康煕字典』以外の書体で一般に広く使われていた文字を採用したということがわかる。以前テレビで、航空写真で撮った日銀本店の建物が「円」の形をしているのを、ミステリーだと言っていたが、本書を読んでその謎がとけた。
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日本語の変化を言語学的に説明する, 2009/11/6
最近の日本語の変化について、乱れている日本語を正すべきという意見が数多く見受けられるなか、著者はそんなものは素人論議で、言葉が変化するのには、それなりの理由があると断言する。
例えば五段活用動詞の音便形が何故生じたかについて、その時点では非音便形と音便形が共存していて、それぞれがフォーマルさ、インフォーマルさを示す文体指標として機能していたとの説明には納得させられた。
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文化・社会的視点で視るクールな日本, 2009/10/26
著者は私大社会学部の教授で、本書は日本製アニメ・マンガを社会学・文化人類学的視点で眺めたものだが、内容はそれほど専門的ではない。台湾のオタク事情など、東アジアでの日本のアニメやマンガの流通事情が詳しく書かれている箇所や、旧来の「モノづくり社会」を引きずったままのIT革命という掛け声への批判(日本の携帯電話会社が独自規格にこだわっている点等)は面白かったが、アニミズムなどの日本旧来の文化と結びつけて「モノ語りづくり社会」を目指せという文化論の部分には、説得力があまり感じられなかった。
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現代仮名遣いと常用漢字の欠陥がわかる, 2009/10/26
私は、学校で現代かなづかいと当用漢字を学んだ世代なので、現在、世間にあふれている日本語について何も不都合は感じていなかった。しかし本書を読んでみると、例えば「ぢ」と「じ」の使い分けルールのあいまいさ、旧字体の「犬」を「大」に変えたり、同じ発音の他の漢字で代用している熟語が多い等、多くの欠陥があることを教えてもらった。
私としては、著者が願うように学校教育で、表記と発音の違いが大きい歴史的仮名遣いや、煩雑な旧漢字を用いるべきだとまでは思わないが、歴史的仮名遣いや旧漢字についての知識なしでは日本語を完璧に使いこなすことが出来ないという主張には確かにそうだなあと納得させられた。
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イスラム諸国の若者たちが近未来の世界を動かす, 2009/10/26
本書は人口学の視点から、世界史を動かす根本的要因としてイデオロギーや宗教ではなくユース・バルジ(過剰なまでに多い若者世代)の存在をあげ、様々な歴史的出来事や統計によってそれを裏付けていく。
その主旨は単純で、若者世代(特に男性)が急増して、父親世代から彼らの能力に見合った職業や社会的地位を引き継げない者の割合が増えると、限られた地位を奪い合ったり移民として経済先進国へ向かうということだ。そしてこの動きがより急激になれば、一国内の社会不安に留まらず、民族間の対立や地下資源へのアクセス権、移民への待遇等をめぐり国境を越えた侵略・戦争やジェノサイドが多発すると警告する。
そこから著者は、冷戦以降のイスラム勢力の勃興について、それは宗教的問題ではなく、何よりユース・バルジの問題として捉えるべきだという。例えば現在のアフガンやパレスチナ紛争の原因はユース・バルジの存在にあるとし、また2000年時点で中国やインドよりも大きな割合のユース・バルジを抱えているイスラム諸国で近未来に紛争が頻発するだろうとの警戒を促し、その意味でアメリカの対テロ戦争への支持を表明する。
本書の重点が人口学そのものよりも近未来の国際情勢にあるためか、対テロ戦争に関してイスラム諸国へのステレオタイプ的偏見が見られることや、経済発展による新たな雇用の創出が考慮されていない等の欠点もあるが、人間はその能力に見合った地位を求めるという本能に着目して、過去の世界史や近未来の国際情勢を考察する著者の姿勢は新鮮でとても面白かった。
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面白いエピソードで綴る異文化間コミュニケーション論, 2009/7/30
本書は、マレー人と結婚してシンガポールで長年働き、現在は別府にある立命館アジア太平洋大学にて外国人留学生を教えている著者が自らの体験をまじえて語る、読みやすくかつ説得力のある異文化間コミュニケーション論(ちなみにタイトルは「アジア人…」ですが、異文化を持った人との付き合い方を述べた本で、アジアに限るわけではありません)。
日本語の「友達」と韓国語の「チング」との意味の違いを明らかにしたり、フランスを例にとって、世界には水が貴重でトイレのない(なかった)文化もあると語ったり、外国人留学生から日本人の食事の速さに対する苦情が多いことを示したりして、外国人とは国籍や言葉が違うというだけでなく、違う文化を身に付けた存在であることを具体的に著し、さらには異文化への偏見や蔑視が生まれる仕組みをも教えてくれる。一般的な英語では外国人との結婚を、文化間結婚(Intercultural Marriage)と呼ぶことが多いそうだが、まさに「文化」とは、何をするにしても人を背後からコントロールする何者かなのだ。だからこそ、異文化は人の心をかき乱す存在でもあり、異文化間コミュニケーション(Intercultural Communication)を論ずることも必要になる。
最後に著者は、日本国内に在住する異文化を身につけた人びとが増加し、また世界的に見てマイノリティ政策が同化から多文化共生へと変りつつある現在、日本人の親の下で日本語・日本文化を身に付けた人びとのみを指す「日本人」という言葉でなく、日本国籍を持つ人の総称として「日本国人」という呼称を使ってはどうかと提言する。実際にはなかなかそうならないだろうが、少子高齢化のなか適切な経済規模を維持し、有能な外国人を呼び込むためにはこれくらいの頭の切替が必要だと思う。
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高度経済成長は「過ぎたるは及ばざるが如し」だったか?, 2009/7/7
本書は通史の中でも評価の難しい、今から少し前の時代が対象の最終巻。1955年から現在までの政治・経済的流れを一冊に詰め込んであり少々単調に感じる部分もあったが、統計数字を多用して無難にそつなくまとめている。著者はまず「1955年頃の日本人は何を選択したのか」と問いかけ、この昭和後期という時代は「経済成長」が国民統合の要になり、日本を大衆消費社会に変えた時代だとする。
政府・官僚主導による重化学工業の育成が、輸出産業の発展による経済振興策を軌道にのせた結果、社会の主流は第一次産業や中小企業に勤めて自営独立をめざす方向から、大企業に就職しサラリーマンとして生活を安定させる方向へ転換していく。農村から都市部への人口大移動に伴なって「ムラ」などの地域共同体の解体が進み、その替りに職場を精神的拠り所にする人びとが増え、長時間労働をいとわない「企業戦士」が大量に生まれる。著者は戦後日本の企業社会の特徴を、自由・平等だが規律化・標準化という強い圧力が個人に働らく柔軟な「統制」制度にあるとする。そしてその枠内で、個々の従業員間の競争を組織化することによって、高度成長期の日本企業の猛烈な成長を達成できたのだと述べる。
ただし、社会の急変に起因する様々なひずみが噴出している現在の時点から振り返れば、日本を経済大国にした高度経済成長も「過ぎたるは及ばざるが如し」だったなという感慨に読者の多くはとらわれると思う。さらに本書には、戦後長い間にわたって木賃アパートが中心という低いレベルに留まっていた住宅事情や、沖縄をめぐる日米間の複雑な交渉について詳しく書かれていてその点も興味深かった。これからの日本を考えようという人びとにはぜひ読んで欲しい一冊だ。
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顔の見える物語で知る戦争と戦後の時代, 2009/7/2
よりよい生活を求めて、日本・朝鮮・満州にまたがる日本の勢力範囲内を、ひんぱんに長距離移動するようになった昭和前期の人びと。本書は幾人かの典型的人物に注目し、その足跡を具体的に描きだすことによって、1930年から1955年までの戦争を通して変革の道を探る歩みだったとも言えるこの時代を、顔の見える感慨深い物語(これは"history"ではなく"story"だという者もいるかもしれないが)として提示する。
あるものは、経済的理由から自発的に、またあるものは、強制的に動員されて、そしてあるものは、メディアが報じる国策を、自己の果たすべき義務と信じて、遠い距離を移動していった。本書は、その理由が国家や個人の「生存」の仕組みが大きく変わり、「生存」が危機に瀕していた当時の時代背景にあることを、様々な人びとの「ライフ・ヒストリー」を通して明らかにしていく。
他にも、「大東亜共栄圏」だけでなく、現在しばしば語られるナショナリズムの超克をめざす「東亜共同体」という考え方が当時からあったこと。国民に参加・同調を求めた、政府の経済統制・国民総動員政策が、周囲に同調しやすい現代日本人の性格をより強くしたこと。同時にその国策を支えるために、国民健康保険等の福利厚生が整備されたこと。当時の工場では、職員と工員の間に大きな待遇格差があったこと。軍歌「歩兵の本領」がメーデーの歌と同じ曲ということ等々、興味深い事実を教えてもらった。
本書を読むことによって、国家総動員法による戦時動員(1938-45)とGHQによる占領改革(1945-51)という二重の衝撃が日本社会を激変させ、「イエ」制度の解体や終身雇用の普及を促し、結果として経済的・社会的平準化の進展をもたらしていく歴史の流れがよく理解できた。
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民主化は日比谷焼打ち事件・米騒動によって達成された, 2009/6/14
第2章「いのちとデモクラシー」が興味深い。近世以来、平常は為政者に従順な民衆も、ひとたび生存を脅かされたと感じた時には、一揆や打ちこわし等の暴力によってモラル・エコノミーを要求してきたが、その伝統は明治期にも秩父事件や足尾鉱毒反対運動等に受け継がれていた。そして明治末から大正期には、日清・日露戦争への参加等によって国民意識が強まったことや、マス・メディアの成立とデモクラシー(民本主義)概念の普及により、日比谷焼打ち事件から、米騒動、関東大震災における自警団の暴走まで、近世以来の作法を踏襲した暴力的示威行動がより大規模な形で現われる。
著者によれば、この時期の日本で都市型暴動が頻発したのは、民衆への民権意識の普及に反して普選要求が否定される等、政治的自由が大きく制限されていたからであって、いわば開発独裁体制をとる発展途上国で、しばしば民主化運動が発生した(している)のと同じ理由だという。確かに1925年になって普通選挙法が成立すると、民衆による暴力は労働争議等の社会運動へ収斂して行き目立たなくなっていく。半藤一利『歴史探偵団がゆく・日本史が楽しい』にも書いてあったが、日本人は暴力的示威行動、すなわち日比谷焼打ち事件によって政党政治、米騒動によって普通選挙と、西欧における市民革命と同じように、民衆の実力行使によって民主化を達成したといえる。
ただ著者が、日清戦争に動員された軍夫の死傷者が、公式統計に入っていないことや、将校と兵士間の待遇の違い、ハンセン病・被差別部落など様々なマイノリティーに対する差別をあげて、国家権力による「いのち」の序列化だと批判するのは、現在の多文化主義の視点を過去に投影して、かつての同化主義的政策を批判しているだけであまり説得力がない。思うに、当時の為政者には身分制社会のなごりが強く残っていて、国家への忠誠心の大小によって国民を序列化するのが当然というか自然な感覚だったのだろう。
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