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11 人中、9人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
心とは、病とは、そして仕事とは何か?編み込まれた巧妙な脚本に心打たれる, 2008/3/3
武家での出世を目指しながらも心に傷を持つ若い医師・保本が、赤ひげの養生所にやってくる。そこは武士の住む世界とはかけ離れた、貧しい庶民のための診療所だ。最初は憤りを感じながらも、患者や赤ひげから多くを学び自分の未熟さに気づき、ついには最も大切な何かを得る。 3時間を超える大作も、まったく長さを感じなかった。保本は短い間に怪我を負い、熱病にうなされ、心に傷を負ったままで医師としての挫折を味わう。患者の立場で自身の仕事を見つめ、自身の苦痛が庶民の悩みの縮図であることに気づいていく脚本が意図的に仕組まれたものであることは、赤ひげの台詞に随所に現れている。つまり、本作品の脚本はきわめて複雑な展開を巧妙に編み込まれているのだ。漫然と観ていると、人間模様を綴った患者のエピソードをオムニバスのように連ねているだけと思う方もいるようだがそれは大間違いで、よく見ていると、それぞれのエピソードは他のエピソードに昇華される伏線が張ってあり、さらにそれらはすべて主人公の保本に収束していくことに気づく。また、政府の無策を赤ひげが罪を負うことで緩衝する姿勢などは、相対的な悪とは何かという問いかけに感じるし、死の直前まで仕事に執着する患者たちの意図は、ひとは何のために仕事をするのかといった問いを保本に投げかけるように、すべてが時代を超えた社会への問いかけとなっている。つまりこれは医師の倫理のみを問う作品ではない。これほど複雑に多くのメッセージを織り込まれた作品は他に記憶がない。火傷のようにただれた心の少女から、人として大切なものを学ぶことで、保本自身への治療は完結する。同時に、保本と心を同化させられている観客は、自身のこととして強く心を打たれるのだ。 つきない感動に加え、すがすがしいラストも黒澤作品らしい。今は亡き共演陣は後の日本映画で主役を張る名優ばかりだ。これまでにみた500本以上の中でも最も好きな作品で、星5つ以外の評価は考えられない黒澤映画の集大成だと確信する。
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5つ星のうち 4.0
主観を抑えた説得力あるデータ提示、教育関係者は必読, 2008/3/2
1989年と2001年に行われた学力試験のデータを比較検討し、ゆとりを求める学習指導要領の変化によって、小中学生の学力にどのような変化が起こったか、また同じ時期の学童においても、学校の指導方針や通塾の有無といった背景因子の差による学力の差についても検討をおこない紹介した書。約70ページであり、数時間あれば誰でも読破可能。 『教育』をテーマにした書は無数に存在し、多くの著者が持論を展開しているが、主観に基づいた夢とそれを正当化する論理を後付けしているだけの書が氾濫していると思う。それらにおいてはデータの一部分だけをもちだして根拠としているものも多く、そういった所謂識者には政府の諮問委員会に属している者も存在する。結果的に、現在においてもゆとり教育の失敗を認めない者さえいる。これに対して本書では、多くの調査結果に基づいて、可能な範囲で客観的解釈を行い、それらを簡潔に述べている点で評価されるべき内容と思う。大まかな要旨としては、基礎学力は低下していること、家庭環境や通塾などの背景因子によって学力が階層化されていること、ただしこれについては学校の対応によって改善が可能であることなどが挙げられている。本書の主張で目を惹くのは、『学力の結果は本人の自己責任というのであれば、責任を担えるだけの教育は担保すべき』という点である。 本書の問題点としては、調査を行った時期における学習要領などの背景因子をもう少し比較検討しやすいように紹介し、因果関係を踏み込んで検証してもいいと思ったこと、複数のデータをもとに解釈したい場合に表などの構成がやや見づらい点。 全体的には良書で、教育者や政策立案にかかわる者は全員が理解していなければならないと思う。マスコミでの討論を見ていても、本書のような基本的なデータを知らないと思われる政治家なども存在すること自体が問題で、レベルの低い政治家をみても根本的な初等教育がいかに重要かを再認識させられる。あくまで調査報告であることが明記されていて、主観的判断は省略したいという意図がよくわかるが、このような書こそさらに踏み込んで、もっと強い主張を提示してもよいと感じた。それらについては本書の著者が他の著作で述べられているが、本書自体は星4つの評価。
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5つ星のうち 5.0
魂が刻むひとつひとつの言葉の重さに絶句。生きるとは何なのか?, 2008/3/1
43才で脳幹出血を発症し、心は全く正常のまま、左目以外のすべてを動かすことができなくなった、雑誌ELLEの編集長によるエッセイ集を邦訳した書。エッセイは病気発症後、左眼瞼の動きによってアルファベットを指定して綴った言葉による。 まず、数時間あれば誰もが読破可能な量のエッセイであるが、12月から翌年の8月までの間に、途方もない苦痛を振り払わなければ不可能な作業によって創られた作品であることに驚かされる。著者の苦痛は、潜水服に閉じこめられて海に沈められたかのようだと表現しているようだと述べており、これが表題となっている。たとえ閉じこめられても、蝶のように自由に舞うことを夢見て、希望を捨てずに最期まで生き抜いた人間の記録である。特に、著者は富の象徴であるファッション界の頂点から、まばたき以外なにもできない境遇に陥ってしまったにもかかわらず、精神的に異常をきたさないどころか、ユーモアあふれる、かつ詩のような美しい文章を遺した。エッセイには日々の不満や過去の出来事が述べられているが、家族への想いや未来への希望が彼を支えたことが伝わってくる。また、彼のメッセージを通訳した言語治療士や古い同僚によって与えられた生きる希望についても見逃せない。本書から、周囲の献身的な協力と、人の心の強さによって、生きる意味とは、希望とは何なのかという鮮烈なメッセージが読み取れる。ひとつひとつの言葉が刻まれる重さは、書を読んでいる間中途切れることはない。 著者は発病から1年4ヶ月、本書の出版された数日後に死亡した。本書をもとにして制作された映画も観たが、それゆえにこのエッセイの重みが響いた。星5つの評価は映画を観た上でのもの。
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65 人中、54人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
ひとは辛いことから逃げなければ、周囲の人とのつながりに支えられ成長する, 2008/3/1
大ヒットしたALWAYS三丁目の夕日の続編。昭和30年代の東京、3丁目に住む主人公の茶川竜之介が、新しい家族(淳之介、ヒロミ)との絆を求めて一念発起、芥川賞を目指す。向かいの鈴木オートでは失業した親戚の娘をあずかることに。周囲に見守られる中、茶川が芥川賞をとれればすべてうまくいくはずが。 通常、ヒット作の続編はうまくいかないことが多い。特に前作は一話完結の予定で作成されていたはず。しかし、本作の脚本のよさによって前作が引き立てられ、うまく二話完結に作り替えることができていると思う。それぞれのキャラクターは健在で、前作のファンであればより楽しめるが、本作のみをみても十分面白い。エピソードどうしが関連しあい、笑いと涙で2時間半近い長さも全く気にならなかった。戦後復興がようやく終わり高度成長期にさしかかった頃、決して楽ではなかった時代に、人がどう生きて成長してきたが伝わってくるし、現代の裕福な時代が忘れかかっていたものを改めて呼び覚まし、生きるとは何かが伝わる作品。ひとは誰もが辛さや悲しみ、弱さをもって生きている。日々の出来事に一喜一憂しながらも、笑顔を忘れずに前向きに生きていこうというメッセージがよく伝わってくる。また、それを支えるのが周囲の人とのつながりであることも忘れてはならない。だらしのない主人公を周囲が励ましている姿に、つい自分も同じ気持ちになって応援したくなってくる不思議な作品であった。 狸を呼ぶ宅間医師や、戦死したと思っていた友がメッセージを遺して去るエピソードなどは、前作同様に原作漫画に敬意を示し、その作風が十分に意識されている証だ。このように多くのこだわりが余すところなく込められているし、エピソードそのものも心を打つ。 前作で曖昧にされた部分にも今回はきっちり決着をつけたようなすっきりした終幕で、おそらくもう続きはない(というより必要ない)。多くの日本人に勧めたい作品で、星5つ。
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5つ星のうち 3.0
(ダヴィンチコード+インディジョーンズ+007)÷4くらい, 2008/3/1
トレジャーハンターであるベン・ゲイツはリンカーン暗殺事件を知る男の末裔であった。事件の鍵を握るメモが、犯人とされた男の末裔によってもたらされるが、それは事件の背後にある財宝を探すための罠であった、という設定。実在の歴史的建造物などを謎解きに結びつけ、世界中を舞台に財宝と、大統領暗殺の謎を解明する。今回は現大統領を誘拐する。スパイものや財宝探検ものなど多くの要素が盛り込まれている娯楽作品。 実在の事件、人物や史跡を用いた構成は、陰謀論好きの米国人にはうけると思う。また、展開がはやいので飽きずに見ていられたが、逆に言えばあまりにあっさりと謎が解けてしまったり、困難なミッションがあっさり達成できてしまう感は物足りない。なんで宿敵に居場所がばれてるのがわからないの?とか、なんで大統領のレセプション会場を直前に予約するの?とか、なんでワシントンDCの真ん中で何十台ものFBI車両を振り切れるの?ヘリで追跡しないの?とかツッコみどころが満載なのは、遊園地のアトラクションとわりきってみればいいのだが、クライマックスの、主人公がそんなせこい助かり方でいいの?という展開はいただけなかった。見所は、ベイツ家の状況が明らかになった点で、『クイーン』で主演したヘレン・ミレンと、ジョン・ボイトの名優どうしのやりとりは面白い。 ニコラス・ケイジの演技力と身体能力からすると、これが限界かなとも思える頑張りは評価したいが、前作の方が面白かったように感じ、積極的に勧められるかというとそうでもないと思った。星3つまでの評価ながら、小学生の子供と見るにはいい作品という気もする。
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5つ星のうち 2.0
期待したが、単なるゾンビ映画のリメイクだった。CG技術がよくなっても。, 2008/3/1
癌を治療するために開発された人工ウイルスによる副作用で、ほとんどの人類は死滅する。ウイルスに対する免疫を持つ科学者がマンハッタンで生き残り、他の生存者を待ちながら孤独な研究を続ける近未来SF。次第に明らかになる副作用とは、人間をゾンビ化させ、正常な人間を喰うことであった。生き残った科学者は精神的に追いつめられながらも人類を救うことができるか、他に生存者はいるのか、という作品。 予告編では内容の多くが謎になっており、廃墟となったニューヨークのCG映像が強調されているので期待して見にいったが、本音から述べると非常に期待はずれであった。設定やストーリーの展開は、直前に公開されたインベージョン(旧ボディースナッチャー)などに類似して目新しい点はほとんどない。内容だけ見ると単なるゾンビ映画の、原因と結末が多少違うもの程度であった。展開や結末などは他の作品でみたものばかりという印象だと思ったら、『地球最後の男』『オメガマン』のリメイクであった。ただしオメガマンとは別作品であると言い切っていいほど内容は違うし,オメガマン自体相当レベルが低い作品である。原作では一応バンパイアとなっていて、ニンニクを嫌うものの、本作では明らかに吸血鬼というよりゾンビである。いくら映像技術が進歩してCGのみが素晴らしくなっても脚本が悪ければ、結果的にB級映画からの脱却はできない。本作はSFホラーとしての怖さもいまいちでアクションとしても中途半端で見所は少ない。また、設定を現代風にリアルにしようとしすぎているせいで、科学的にはかえってツッコみどころが満載のままになってしまっている。単なるフィクションとわりきって、科学を無視した単純な構成にした方がまだましのように思う。リメイクするならば脚本がすばらしい名作で、映像技術を駆使することでリアリティーが増し完成度が上がるような作品を題材にすべきと思う。 期待しすぎていたせいもあるかもしれないが、お勧め度は低い。見せ場の映像はほぼすべてTVの予告編で出尽くしている。DVDには本来予定していたエンディングが収録されているとのことで、それによって多少評価は変わるかもしれないが、現時点では星2つとした。
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9 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0
期待したが、単なるゾンビ映画のリメイクだった。CG技術がよくなっても, 2008/3/1
癌を治療するために開発された人工ウイルスによる副作用で、ほとんどの人類は死滅する。ウイルスに対する免疫を持つ科学者がマンハッタンで生き残り、他の生存者を待ちながら孤独な研究を続ける近未来SF。次第に明らかになる副作用とは、人間をゾンビ化させ、正常な人間を喰うことであった。生き残った科学者は精神的に追いつめられながらも人類を救うことができるか、他に生存者はいるのか、という作品。 予告編では内容の多くが謎になっており、廃墟となったニューヨークのCG映像が強調されているので期待して見にいったが、本音から述べると非常に期待はずれであった。設定やストーリーの展開は、直前に公開されたインベージョン(旧ボディースナッチャー)などに類似して目新しい点はほとんどない。内容だけ見ると単なるゾンビ映画の、原因と結末が多少違うもの程度であった。展開や結末などは他の作品でみたものばかりという印象だと思ったら、『地球最後の男』『オメガマン』のリメイクであった。ただしオメガマンとは別作品であると言い切っていいほど内容は違うし,オメガマン自体相当レベルが低い作品である。原作では一応バンパイアとなっていて、ニンニクを嫌うものの、本作では明らかに吸血鬼というよりゾンビである。いくら映像技術が進歩してCGのみが素晴らしくなっても脚本が悪ければ、結果的にB級映画からの脱却はできない。本作はSFホラーとしての怖さもいまいちでアクションとしても中途半端で見所は少ない。また、設定を現代風にリアルにしようとしすぎているせいで、科学的にはかえってツッコみどころが満載のままになってしまっている。単なるフィクションとわりきって、科学を無視した単純な構成にした方がまだましのように思う。リメイクするならば脚本がすばらしい名作で、映像技術を駆使することでリアリティーが増し完成度が上がるような作品を題材にすべきと思う。 期待しすぎていたせいもあるかもしれないが、お勧め度は低い。見せ場の映像はほぼすべてTVの予告編で出尽くしている。以上より評価は星2つとした。
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13 人中、12人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
最新の脳機能研究は面白い、しかし前著の続編としてはやや肩すかしな面も, 2008/2/29
脳神経学者であるラマチャンドラン氏の著作を邦訳した書。脳のはらたきは部位によって決定されるため、その部分に限定した障害を持つ患者を調べることで、本来の機能が推測できる。また、たった一箇所の部位に障害が起こるだけで奇妙な症状を見せることがわかってきた。本書では、多くの患者を詳細に調べた結果、わかってきた脳のしくみや、心とは何かという人類不偏の疑問についての現代の解釈を、一般人への講演会に用いられた原稿に加筆修正した内容を収載している。前著『脳のなかの幽霊』とは異なり、難解な文章は少なく、広い読者層を対象にしていて、(知識に応じて)数時間から数日あれば読破可能。 内容はきわめて面白い。たとえば、腕が動かなくなった患者が、『自分の腕は動いている』と言い張る脳のしくみや、数字に色が付いて見えるという症状の原因などが示されており、これらは最終的に、心とは何かという疑問や芸術に心を惹かれる理由にもつながるとしている。 本書の難点は、前著と比較して情報量が激減していることと前著との重複が多すぎることである。そもそも、原題は"The emerging mind(現れ来る心、または心の起源)"であり、『脳のなかの幽霊』とは独立した書として制作している。内容も、前述の如く、一般人への啓蒙を目的としているのだが、やや日本人にはわかりづらい訳(メタファーやマッピングなど)も見られる。図の頻度はややふえたものの、たとえば紡錘状回を説明すべき図中に、紡錘状回がどこを示すのかが記載されていなかったり、患者の脳機能を調べた検査写真で基準とすべき健常人の結果が示されていないなど、やや不適切な提示がされている。さらに最終章は哲学的な考察に踏み込みすぎて、それまでと比較して難解な文章も多く、当初の目的である一般人への啓蒙には沿っていないようにも感じる。 論拠となる論文が巻末に提示され客観性は担保されていることと、専門用語についての注釈が記載されているので、教養書としても読み物としても十分面白いが、書のタイトルから前著の続編として購入したならば、少し肩すかしのようにも感じる。二匹目のドジョウをねらわずに、原題に忠実に出版してほしかった。上記理由により星4つとした。
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139 人中、115人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0
この議論レベルでは単なる水掛け論にしか, 2008/2/27
脳機能学者や認知心理学者を名乗る苫米地英人氏の著作。最近の流行である霊能タレントを批判している。数時間あれば中学生でも読破可能。 本書の議論のレベルはきわめて表面的で主観的な記述であり、江原氏らを論破したとは言い難い。他者を糾弾する場合は、他者の論の矛盾を論理的に説明するか、自身の説が正しいことを証明するかのいずれかは必須であるのに、本著者は(学者でありながら)そのルールを理解していない。例えば、江原氏の説が複数の宗教の教義を併せたものだからウソだというのは、旧来の宗教が合理的であるという前提があるという立場によるが、もともと宗教自体には多くの不合理が存在しているし、不合理な事象の部分を抜き出して併せると合理的になることもあり得るため、何の説得力もない。また、著者の説である『催眠術中の変性意識状態』なるものが科学的にどのように証明され認知されているかを先に述べないかぎり、互いに根拠も述べず『自分が正しい』と言い張る水掛け論にしかならない。『自分はすべてわかっているんですよ』という文章ばかりで、なぜそうなのかという科学的根拠など、具体的な説明は皆無に等しい。この知性レベルは『私には全て見えています』と言う江原氏と全く同じである。本書では、根拠とする理由に有名人からの伝聞を用いている部分も多いが、これはname-droppingという、著者自身の論理性に自身がない場合に用いられる姑息的な手法である。江原氏の手口は著者の言うようなものではなく、単なるコールドリーディングとホットリーディング(石井裕之氏の著作を参照)を併せたものであるという認識で通っていると思うし、これはTVスタッフの告発からも整合性があると思う。他の情報も、安斎育郎氏や菊池聡氏の(安価な)著作のほうが圧倒的に厚く、そちらを読むことを推奨する。 科学者を名乗るために必須であって、第三者が公的に認める国際論文を検索しても、脳機能学や認知心理学分野に苫米地氏の名は皆無である。この事実は、本書に記載されているfMRIなどについての著者の知識のなさや議論のレベルをみると理解できる。本書のような書が出版された直後にはなぜか絶賛する書評が多数出現するが、明らかにそれらの書評は適切とは言い難い。本書に好意的な読者はまず『詭弁論理学(野崎昭弘著)』を読んでメディアリテラシーのもっとも基本的な知識を身につけ、本書が詭弁の典型例であることを理解するべきだ。小生は江原氏をまったく信じていないが、そのような立場から見ても本書はせいぜい星2つまでの評価で、値段分の価値はない。
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27 人中、12人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0
最強の生命体であるプレデリアンをどう倒すか期待したが..., 2008/2/27
宇宙で最強の生命体は何か、という興味によって制作されたSFホラーアクション映画の続編。前作で死亡したプレデターに潜んでいたエイリアンが宇宙船内で目覚め、船内でプレデターを殺害後に船ごと地球に落下して地方都市を恐怖に陥れる。事件を知った他のプレデターが飛来してエイリアン殲滅に乗り出す設定だが、エイリアンは宿主の性質を吸収するため、今回のエイリアンボスはプレデターの能力を併せ持つ。 結論から述べると、期待しすぎた分もあるかもしれないが、今作はメッセージが曖昧でコンセプトも中途半端だったと思う。前作では、猛獣であるエイリアンよりも知的生命体のプレデターの身体能力とテクノロジーが上回っていたのに対し、エイリアンクイーンはそれを上回る強さをみせたために、プレデターに人間が協力することで宇宙最強の生命体を倒すことができた、という異なる知性の協調がテーマになっていてメリハリがあった。今作では、知的生命体で身体能力の高いプレデターの性質を併せ持つプレデリアンの能力がどれほどすごいかというコンセプトの提示が曖昧で、どうみてもエイリアンクイーンより強くなったとは思えないし、胎児を含めあらゆる市民を無差別に殺戮する他のエイリアンを闇雲に倒していくという構成は、最後にボスキャラが登場するだけというRPGにもならないゲームのような展開で、見せ場らしい見せ場は皆無であった。結末の展開も『そうであればなぜプレデターがそうしないの?』という安易な終わり方で、たぶん続編が終わりなく続きそうな(悪い)予感もする。 賛否は分かれるかもしれないが、明らかに前作よりは下。特にエイリアンクイーンより強いエイリアンを期待した者は肩すかしであり、料金分の価値はないと思う。星2つとした。
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