|
|
|
|
|
|
|
1 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
「シンキング」と言った途端にラテラルじゃなくなる, 2012/1/11
読み終えるのに一時間もかからないので、ちょっとした暇つぶしにいいと思う。 本書が述べる「ラテラル・シンキング」は耳慣れない横文字だし色々と解説はあるが、要するに「ユニークな問題解決」を総称した言葉だと考えればよくて、そこに体系だった方法論があるわけではない。(一応体系的な書き方をしようとはしているが、様々なおもしろアイディアをタイプ別に分類したにすぎない) 本書は、普通とは違うアプローチで問題解決した事例を集めたアイディア集だが、そのアイディアはどうしても「ひらめき」の要素が強いので、自分もそのようなラテラル・シンキングをするためには、結局「センスを磨く」「感性を研ぎ澄ます」しかない。 だから役に立たないかといえばそうでもなく、こういう本は堅苦しい方法論や思考法の解説よりも、具体的なエピソードの量と質、それが自分に刺激を与えるかどうか、という点が最も重要で、これはと思えるアイディアに一つでも出会えれば、十分じゃないだろうか。 こういうアイディア集であれば、ポール・アーデンや「指南役」の本は、それこそもっと良質なラテラル・シンキングの事例集と言える。 でも「ラテラル・シンキング」と、まるで思考法のように名付けた瞬間、それこそラテラルではないお硬い話になってしまって、「アイディア」からどんどん離れていくので、とにかくラテラルという馴染みのない横文字と、本書の解説部分は置いておいて、いろんなアイディアに多く触れてみよう。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
5つ星のうち 5.0
千年残る仕事。, 2012/1/10
「都築響一豪華ベスト盤」。 これで2600円はお買い得だ。 著者を知らない人も入門編として楽しめるし、これまで著者の活動を見てきた人でも、こうやって著者の仕事をまとめて見ると、その仕事の首尾一貫ぶりに驚かされるはずで、その意味で買って損はない。 「「リアル」はストリートにある」。 ただそれだけのことを、著者は繰り返し伝えているにすぎない。 みんなのすぐ近くにあるのに、メディアは決して取り上げない。知っているけど触れようとしない。 そのことに著者は苛立ち、義憤にかられて取材し、撮影し、出版する。その集大成がこの展示であり本書だ。 安藤忠雄設計の建物で泊まったことがなくても、みんなラブホテルに行ったことはある。オシャレなカフェやワインバーがない地方の寂れた街でも、スナックだけはある。どの街にも、風変わりな自分の世界をつくっている変わった老人がいる。雑誌に出るような部屋じゃなくて、みんなモノがあふれた狭い部屋に住んでる。どれも、日本の本当の姿だ。ほかにコスプレイヤー、ファッションヴィクティム、イメクラ、秘宝館、デコトラやヤン車。 日本中にあふれるほどあるのに、真っ当とされる批評家やメディアは取り上げない。外国人はそこに日本のリアルを見出してくれるのに。 「珍日本」でも「サブカルチャー」でも「アンダーグラウンド」でもなく、リアル。ここに日本人は生きている。 1000年後の研究者が当時の日本を振り返るとき必ず感謝する文献になるだろう。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
人の姿を与える人, 2012/1/6
知的な印象のその人を見かけ、昔から知っているような気がして話しかけてみると、はたして知らない人だった。それどころか、なかなか心を開いてくれず、近づけない。ただ少し時間が経つと、その人がぽつりぽつりと話す言葉がすっと飲み込めるようになる。昔からその人を知っていたのではなく、その人が自分のことをずっと見ていたのだ。 舟越桂のつくる人に、いたるところで出会う。出会うたびにそんな印象を持つ。 本書に、手書きの断片が多くおさめられている。 「私は知性に姿を与えたいのか?(四捨五入のような言い方だが)05,7/5」 「人間の存在の解釈を加え、その解釈に姿を与えたという事だろうか?「異形」について、06,11/6」 素材に何かを見出し人の姿を与えている彫刻家が、そもそも自分が何に姿を与えているのか自分に問いかける。おそらく創作はそのような順番でしかなされえないのだ。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
5 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
救いがたいリーダーシップの欠如, 2012/1/3
9.11から3.11への10年。 安全保障の世界地図が大きく変化した。 まず9.11以降、アルカイダ討伐、フセイン政権打倒のため中東へ軸足を置いたアメリカが、もう一方の火薬庫である東アジアでリーダーシップを失った。そのことはオバマが09年東京で「この地域において、リーダーシップを取り戻す」と異例の発言をした事実にも現れる。 アメリカは極東戦略における同盟国日本に期待したいが、民主党政権は普天間基地問題、尖閣での中国漁船衝突事件、東日本大震災と福島原発問題等あらゆる場面で外交の失策を重ねた。 とりわけ鳩山総理の普天間海外移設案は過去の日米交渉を無視した選挙用の思いつきに過ぎず、事態の収拾にリーダーシップを発揮しない鳩山に米国は深く失望した。そして日米間のゆらぎの隙間を突く中国とロシア。中国は尖閣諸島問題で民主党政権を挑発し、ロシアもメドベージェフの北方領土電撃訪問で民主党政権を驚かせる。北朝鮮も民主党政権を手玉に取ろうと交渉を開始している。 いずれにせよインテリジェンス戦略なき日本の、国際政治におけるプレゼンス低下に歯止めがかからない。 9.11以降、アメリカは国際社会の非難を受けつつもグアンタナモ収容所での過酷なアルカイダへの取調べを通じてビンラディンの居場所を突き止める。そのプロセスを著者はスパイ小説を思わせる躍動感のある筆致で描く。そこで浮き彫りにするのは、各国首脳のインテリジェンス戦争に対峙する厳しい覚悟と決断し責任を取るリーダーシップ、そしてそれを毛ほども持ち合わせていない日本の首脳との埋めがたい差である。 本書が暗示する日本の近未来は、果てしなく暗い。だがそれも、私たちが民主的手続きの中で政権を選んだ果ての未来に他ならない。 ※書き下ろしのハードカバーになぜ解説がついているのだろう。そして少しも読者の役に立つ解説ではない。明らかに蛇足。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
役者は誰もでいいし、ヤクザも誰でもいい。個性を排した暴力ゲーム。, 2011/12/26
個人的にはとっても好きな北野映画。 特にカメラワークと、鈴木慶一の音楽(久石譲よりもたぶんよかった)。 俳優陣を見るといい役者を揃えているけれど、迫真の演技というほどの役者はいない。 それなりに淡々と演じているが、北野映画は演技をさせないのだからそれでいい。 撮りたいのは芝居ではなく暴力と死の無意味さ、ヤクザ組織における個性の不毛さに他ならないから。 その証拠に、この作品の俳優達が、誰の役を演じても、同じような映画になったはずだ。 例えば石橋蓮司と北村総一朗、椎名桔平と杉本哲太、加瀬亮と塚本高史が入れ替わっても、何の違和感もない。 この役はこの人でなければ、という演出を極力排し、役者をここまで信用していない映画も爽快だ。 そして役者の存在の希薄さが、同時に劇中のヤクザの存在の希薄さ、 言うならばいつでも取り換え可能な組織の部品としてのヤクザの存在を際立たせている。 ならば余計な個性も余計な芝居も、ヤクザ映画の義理も人情も不要だ。暴力だけが実在している。 日本の新しい叙情を世界に伝えてきたキタノが、ようやく本来の暴力の世界に戻ってきたことを歓迎したい。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
歌からはじまる, 2011/12/26
「言葉の起源」について、両者がっちり噛み合った対話というわけではない。 時に脱線し、小川の小説論になったり、雑談になったり。 だが、読後感は爽やかだ。 それは言語の起源を歌に求める岡ノ谷の仮説の壮大さに、読者がぎゅっと心を掴まれるからに他ならない。 ある種の動物は求愛のために歌う。そして人も歌っているうちに、歌のパターンが言語の構造をもちはじめた。 だがサルも、賢いチンパンジーも言語を持たない。人だけが言語をもつ。 だから言語能力の獲得において、サルから人への進化で大きな断絶がある。 その断絶を埋めるものが何なのかまだ定説はないようだが、求愛の歌が(そしてその歌は幼児の泣き声/鳴き声を擬態している)言語に発展したという仮説は、たとえ奇抜な仮説であったとしても、読者は十分に魅了されるだろう。 鳥の歌、クジラの歌、ネズミの歌、虫の歌。 歌をうたうという点で、彼らは人の親戚なのだ。そう考えると生き物の世界が益々面白い。 人類が有史以来問い続けた「われわれ人間とは何なのか」という壮大で迂遠な問いに一歩でも近づきたいと思うなら、 文科系の読者であっても、音楽と数学と言語という、ヒトにそなわった特殊な能力のルーツを辿る本書は一読の価値が十分にある。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
5 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
被災地の前でギャグマンガを描くのは野蛮か, 2011/12/20
新聞四コマと前衛漫画を両方描くのは、よく考えればすごいことで、 しりあがり寿はその困難を軽々と乗り越える稀有な存在だ。 その才能が、震災と復興にどう向き合ったのか、作風の違ういくつかの作品を通じて知ることができる貴重な一冊。 同胞の死を前に、多くのエンターテインメントは自粛を余儀なくされた。 その中でギャグマンガは可能か?という問いに、彼は一つの解を示している。 「地球防衛家のヒトビト」という、震災や復興に近い存在だからこそとても難しいテーマのギャグマンガは、驚くほど清々しく、可笑しい。 真摯に震災を向きあい生まれた四コマは、「自粛」でもなく「経済を回せ」でもない、しりあがり寿の敬虔な祈りのあり方なのだと思う。 この一冊に感謝するとともに、復興を祈る。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
5つ星のうち 5.0
役者が誰でもいいように、ヤクザも誰でもいい。個性を排した暴力ゲーム。, 2011/12/13
個人的にはとっても好きな北野映画。 特にカメラワークと、鈴木慶一の音楽(久石譲よりもたぶんよかった)。 俳優陣を見るといい役者を揃えているけれど、迫真の演技というほどの役者はいない。 それなりに淡々と演じているが、北野映画は演技をさせないのだからそれでいい。 撮りたいのは芝居ではなく暴力と死の無意味さ、ヤクザ組織における個性の不毛さに他ならないから。 その証拠に、この作品の俳優達が、誰の役を演じても、同じような映画になったはずだ。 例えば石橋蓮司と北村総一朗、椎名桔平と杉本哲太、加瀬亮と塚本高史が入れ替わっても、何の違和感もない。 この役はこの人でなければ、という演出を極力排し、役者をここまで信用していない映画も爽快だ。 そして役者の存在の希薄さが、同時に劇中のヤクザの存在の希薄さ、 言うならばいつでも取り換え可能な組織の部品としてのヤクザの存在を際立たせている。 ならば余計な個性も余計な芝居も、ヤクザ映画の義理も人情も不要だ。暴力だけが実在している。 日本の新しい叙情を世界に伝えてきたキタノが、ようやく本来の暴力の世界に戻ってきたことを歓迎したい。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
7 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
徹底的に虚無であること, 2011/12/6
師匠も持たず、今後の展望もなく、演じてみたい役もない。 常に空っぽの容器のような状態で、仕事のたびにそこに中身を注ぎ、全く新しい人間になる。 祖父は棺桶屋、中学二年で下田の女郎を買い、中退しては銭湯の釜炊き、十四歳で青島に密航しダンスホールの店員、次は釜山で弁当売り、日本に戻っても兵役を逃れるために唐津に逃げた。大陸に渡る直前憲兵に捕まり中国戦線に配属される。仮病を使い続け、前線から逃げて終戦後捕虜になる。連隊で帰還したのは一割にもいなかった。 俳優になってからの女性遍歴、家族との確執、息子浩市との関係。 若い世代は、好々爺とした三國しか知らないだろうが、圧倒的な虚無感に支えられた役者人生の業の深さを、著者は憧れを持って聞き続ける。最近の著者は取材対象への思い入れが強すぎてドキュメンタリーよりも情緒が全面に出てしまい興醒めすることもしばしばあるが、本書は著者が三国の話を聞く喜びを、一映画ファンとして素直に表した姿勢が好感を持てる。 三國に「なんで『釣りバカ』にお出になるんですか」と問いかけた緒形拳もすごい役者だ。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
5 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
深淵を少しだけ覗く, 2011/11/25
本書の推理がどこまで真実に近いのか検証する術を、私たちほとんどの一般人は持っていないので、どれだけ真相を明らかにしたかという点で本書を評価することは困難だろう。だからどれだけ納得できる方法で、公開情報のなかの不自然な点と点を結びつけていくのか、背後に広がる大きな闇をどれだけ固有名詞とともに明らかにできるのか、読者は著者の組み立てた仮説をただ追いかけることしかできないが、その推理に一定の合理性があるからこそ、著者は読者を獲得しているのだろう。 本書の中でも、ライブドア事件の渦中、懐刀の野口(エイチ・エス証券副社長)が沖縄で不自然な自殺を遂げた(’06)のは記憶に新しいだろう。 当時のライブドアは大規模株式分割やMSCB発行など、新しい手法を駆使した資金調達で市場を賑わせていた。が、ある日特捜による捜査がはじまり、一気に堀江はじめ幹部が逮捕され、ライブドアという会社の成長も止まる。堀江の実刑は確定したものの、結果的に粉飾決算の規模としては日興証券やオリンパスに比べて小さく、いろんな意味でライブドアという企業の栄枯盛衰が市民にとっては理解を超えていた。 本書の言うように、株式市場が堅調であった当時、市場という賭場で裏社会のシノギが活況だったと捉えるのが合理的だろう。そのシノギの窓口がライブドアという企業であり、その取りまとめ役が野口であった。野口が裏社会の逆鱗に触れたか不要になったかして、沖縄で消されたと考えるべきだろう。妻が絶対に主人の持ち物ではないという服が落ちていたり(それを家族以外の誰かが警察に取りに来たり)、非常ベルが二度なったり、ためらい傷らしきものが利き腕の手首にあったりと、不自然極まりない状況を「自殺」と早々に判断した警察にも疑問が残るが、ライブドア周辺の紳士たちをみると、消されるべくして消されたという状況には納得がいく。
|
|