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5つ星のうち 5.0
アヴァンギャルド・ミュージックトしてのアコースティック・ミュージック, 2002/11/25
When I was young the radio played just for me, it saved me Now I don`t want anyone who wants me,baby Tuning out the darkness Turning on the dawn If life was like the songs,I`d surf into the waves and in a flash of silver She`d be gone. 僕が若かった頃、ラジオは僕だけの為に歌ってくれて、 そして僕を救ってくれた でも、僕はもう、僕を必要としてくれる誰かを求めようとは思わない 暗闇から周波数を変えて 夜明けの光へと合わせてみる もし、この人生が歌だったなら、 僕は、彼女の消えた小波の銀色の輝きの中へ 泳いで行けるのに (アルバム・タイトル曲「Surf」より抜粋。拙訳。) アルバム・タイトル曲であるのこのサビのフレーズに、恐らくこのアルバムの「在り方」の全てが 集約されている様に思われる。このアルバムで表現され、かつ歌われるテーマのことごとくが、 「かつてそこにあった物、もう失われてしまった物への希求と悼み」なのである。 ある意味では、この「Surf」と言うアルバムは、アズテック・カメラ時代から常に「前」だけに 向かい合い、一貫して前進のみを続ける事でそのアーティストとしてのアイデンティティを 保持して来たロディ・フレイムが、初めて「過去」に向かい合ったアルバムだと言えるかも知れない。 だが、ここでこの作品を、所謂、「熟年の域に達しつつあるアーティストの原点回帰作品」 と捉えるのはあまりにも早計であろう。 ほぼ全曲アコースティック・ギター1本(多くて2本重ねてるだけ)の弾き語りのみで綴られる (驚いた事に、このアルバムの中からは、ドラム・パーカッション等のリズム系の音はおろか、 ピアノ・オルガン等の最低限のメロディ楽器すら一切排除されていて、正しく、 「ギターとロディの肉声」以外には何一つ存在していないのだ)このアルバムを、 単なる「アコースティック・アルバム」と表する事に、どうしてもある種のためらいを 感じてしまうのは、きっと私だけでは無い事だろうと思う。 寧ろこれは、「肉声とギター一本だけでどれだけの表現がなし得るか」との、逆説的ではあるが ある種アヴァンギャルドな実験的作品なのでは無いだろうか?そして彼はそれを、 今までの作品以上に最高に美しいアルバムとして結実させようとしたのでは・・・? その為に彼は、その表現を成立させる為のモチーフとして、 「今はもう失われてしまった何かを想う時に、万人の胸に生じる痛み」を、敢えて選び取ったと 言う事なのでは無いだろうか? もしそうであるとするならば、最早これ以上の俗人の邪推は不要であろう。古の賢人たちの言葉を 紐解くまでも無く、「失われてしまった物は何時でも美しい」のだし、それを人が歌にする時、 その言葉は常に「普遍的表現を獲得する為の限りない情熱」に支えられているのだから。 そしてその気の遠くなる程の様々な営為の果てにこそ、ブリティッシュ・フォークの輝かしい伝統は 築かれて来たのだ。 かつてネオ・アコースティック・ムーブメントの牽引者として、その余りにも甘美な音とは裏腹に、 世人をして瞠目させずには置かぬ比類無きアヴァンギャルドな存在として我々の前に姿を現した ロディ・フレイムは、この2000年代に置いて、ブリティッシュ・フォークの現代的新形体を 提示して見せる事によって、図らずしも更なるアヴァンギャルドな表現者として我々の前に再度姿を現す 事となった。しかもかつてよりもより甘美で繊細な、精緻な硝子細工の如き言葉とメロディーで武装して。 故に、こう結論付ける事もあながち私一人の妄想とばかりも言えまい。 ロディ・フレイムのニュー・アルバム、「Surf」は、限りなく美しく、かつ現代的でアヴァンギャルドな「武装音楽祭」である。 世人の全てに告ぐ。必ず入手したまえ。青春の、そしてより良き人生の為の責務である。 その何よりの証拠に、このアルバムの楽曲群に耳を傾け、かつその詩に胸を撃ち抜かれた時に流される 貴君達の涙は、今正に、「人生において最も普遍的な何か」に限りなく近づこうとしているでは無いか。 そして、人をしてそれを「真実」とも呼ぶ。
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