内容(「CDジャーナル」データベースより)
2年ぶりのニュー・アルバムは2枚半組の大作。ますます骨太に磨きがかかるサウンドと,いっそうの切なさ世界へと突き進むメランコリックなメロディと歌詞。音へのあくなきこだわりと追求はマキシとの違いにも顕著。哀愁漂うvoに心がむせび泣く。
内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
エル・マロというバンドの特異性は、全然ロックじゃない地点からスタートして、結果としてロックの本質に肉薄していることだ。最初は全然定型的じゃない、ヒップホップやレゲエやサンプリング・ミュージックが合体した奇妙な音楽をやり始め、どんどん道なき道に外れていくのかと思いきや、あえて制度的なロック/ポップ・ソングという場に身を投じて、その中でさまざまな実験や冒険を試みる。それはもちろん商業的な要請ではなく、あえて制約を設けることで表現の緊張度と純度を高めているのだ。その最新のサンプルが、2年ぶりにあたる本作である。CD2枚組というヴォリュームは、もちろんそのまま彼らの創作意欲の高まりに正比例しているわけだ。
ここでのエル・マロはまさにロックである。ロックの雑多で猥雑で混沌とした可能性がそのまま詰まっている。もちろん2枚組24曲も入っていればいろんなことをやっている。並外れたレコード・マニアでもある彼らの音楽的語彙の豊富さは、そこらのミュージシャンなど足元にも及ばない。だがその楽曲の大半が、ポップ・ソングとしての定型を逸脱しない。最終的に必ず親しみやすい歌メロという地点に着地している。それでいて少しもありきたりな感じがしないのは、彼らがロック/ボップの定型に対して、本気な情熱と闇雲なプライドと尽きぬことのないエネルギーと子供のような新鮮な好奇心をもって挑みかかっていることが、よく分かるからだ。いまやロックはすっかり型の決まった音楽である。ミュージシャンの側も、聴き手の側も、流されていこうと思えばこれほどラクな音楽はない。だがそうして音楽は現在進行形の表現としての生命を終えていく。それを終わらせないためには、死にかけたロックを蘇らせるためには、そこに注ぎ込まれるエネルギーど情熱の質量を際限なく膨張させていくしかない。エル・マロがこのアルバムでやろうとしてるのは、まさにそういうことなのである。 (小野島大) --- 1997年08月号