内容(「CDジャーナル」データベースより)
前作より4年ぶり、15曲入りの97年のアルバム。恐ろしくタフなサウンド。傍若無人な爆発力はいくらなんでも若いバンドに適わないが、楽曲の良さ、自ら持てるエネルギーを完璧にコントロールしているバンドの結束力が素晴らしい。
内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
90年代のエアロスミスの密度は、単にエネルギーの濃縮という単純な方向性によるものではなく、年がいもない馬鹿力と年がいならではの多方向へ広げられた創造性の触手のたくみな蠕動をあくまでも派手に定着させた結果、生じたものである。『ゲット・ア・グリップ』の疾走感には目ん玉が数ミリ飛び出したほどだし、こいつらの頭の中がいかにスッキリしているか、その証しを感じ取りもしたものだった。しかし、それもまた過去のものとなったのは本作を聴くと当然という気がする。やかましいブルースを強引なメロディ運びでごわごわ聴かせる力技こそエアロの基本であることを、思い知らされる快感がたんまりあるだけではない。インド音楽を取り入れる、というのではなく、あえて28年前の香をこってり漂わせたエアロ流ラーガ・ロックを真正面からやってしまう根性は、さすが天晴れなロック馬鹿というしかない。ロックの根本は当てずっぽうの美学にあり、ということを骨身に染みているおやじの意地は、後追いで風味をかぎとってそれを再生している(そうするしかないわけだけど)若人たちには、さすがに持とうにも持てないし発揮のしようもないものだ。しかもその効力のにじませ方がにくたらしいほどであり、ツェッペリン仕込みともいえる欧州トラッドと中近東とインドをごちゃまぜにした音とフレーズをバラードに盛り込んだりするのだから恐しい。カントリー・ハード・ロックやら『オズの魔法使い』へのオマージュによる多次元宇宙大作、ジョーの歌もの(日本とヨーロッパ用ボーナス)さえある。エアロスミスという九尾の猫のツメは再び鋭く痛いものとなって我々を平然と襲いやがった。グレン・バラードとの共作もそれなりに興味深いものではあるが、なんだかんだ内・外野で意見など言ったって、だめなものはだめだよな猫もエアロも。放っとけばそのうちゴロニャンとおなか見せたり子連れで帰って来たりする。そういう生き物なんだから。 (湯浅学) --- 1997年04月号