出版社/著者からの内容紹介
日本のブログブームの始まりは二〇〇三年の秋ごろからといわれる。それ以前にも米国製のブログ作成ソフトを使ってブログをやっている人たちはいたが、一般ユーザーにまで普及し始めたのは大手プロバイダーなどが無料のブログ作成・ホスティングサービスを始めてからである。私は専門がIT分野ということもあり、以前からブログのことは記事の中で何度も取り上げていた。ここまで多く記事にするのだから、自分でも試しにブログとやらを始めようと思ったのが、〇三年一二月。プロバイダーのニフティがブログサービスを開始したときだった。
記者が実名でブログを書いていいのか。記者であることを明かすべきなのか。所属する組織の許可を得るべきなのか。そうしたコンセンサスがまったく確立していないにもかかわらず、とりあえずこの新しいツールを使って情報発信を始めることにしたのだ。
われわれプロの記者を迎えたネットの住民たちの態度は、必ずしも友好的ではなかった。ネット上に鬱積していたマスコミに対する不満、不信感といった感情が、記者運営のブログのコメント欄に雪崩のごとく押し寄せることがしばしばあった。マスコミはこれまで読者、視聴者との双方向の対話をほとんど行ってこなかったのかもしれない。それでまるでわれわれ記者ブロガーのブログが、かすかに開いたマスコミの代表窓口であるかのごとく、不満、不平がわれわれのところに集中したのだ。
私を含む多くの記者ブロガーは、そうした読者、視聴者の感情にどう対応していいのか分からず途方に暮れた。議論のマナーやエチケットに欠くコメントも多く、中には名誉毀損と思われるコメントもある。感情的なコメントについつい感情的に反応してしまう。しかしそうすることで、騒ぎはさらに拡大し、批判的なコメントが殺到する。いわゆる「ブログの炎上」である。
しかし、私は、ネットという言論空間がわれわれ記者ブロガーを必ずしも排除しようとしているのではないと思う。そう確信したのは、神奈川新聞が〇五年二月に神奈川新聞のサイトをブログ化したときだった。日本の新聞社として初めて、サイトのあらゆる部分にコメント欄を設け、ブロガーからのリンクやトラックバック(逆リンク)の受け付けを可能な形にしたのだ。このニュースはネット上を駆け巡り、多くの絶賛のコメントが同サイトの編集部のブログに寄せられた。私はこれまで、これほど多くの暖かい激励のコメントが新聞というメディアに向けられたのを見たことがない。やはり読者は新聞との対話を望んでいるのだ。ネットを使ったこれからのジャーナリズムは、「対話」がベースになる。こうした思いがますます強まった。
対話をベースにした新しいジャーナリズムは、残念ながらまだその全容をわれわれに見せてくれてはいない。全容は見えないが、ぼんやりとした輪郭は見え始めている気がする。
そうした思いを、この本の対談で互いにぶつけることができた。第一部は、新聞記者ブロガー三人の対談である。北海道新聞の高田昌幸氏はブログが現状のジャーナリズムの問題を解決する糸口になるのではないかと期待し、私は新聞の将来への危機感からブログに期待を寄せている。高田氏は、将来は分からないが現状ではブログの影響力は大きくないと判断し、藤代氏は現状の影響力のなさを認めながらもブログの将来に期待している。こうした三人の認識の微妙な違いを通じて、読者のみなさん一人ひとりの結論を導いていただければと思う。
第二部は、記者ブログを周りから眺めている有力ブロガーたちの対談である。変化の渦中にいる人物より、その周辺にいる人物のほうが状況を正確に把握できることがある。そういう意味で、貴重な対談になっている。
第三部は、高田氏のブログからの主な記事の転載である。われわれを代表して、高田氏がどのようなブログジャーナリズムを実践しているのかを見ていただければと思う。
(はじめに 湯川鶴章)
内容(「MARC」データベースより)
このままの勢いでブログが増加すれば、既存の新聞やテレビは存在価値を失ってしまうのだろうか。それとも一時のブームで終わってしまうのか…。新聞記者であり、個々のブログも持つ3人が、メディアやブログについて対談する。