出版社/著者からの内容紹介
「感動をありがとう!」「勇気をもらいました!」って気持ち悪いと思いませんか?
オリンピック、サッカーW杯、小泉劇場、韓流・セカチュー……
簡単に熱狂するカラッポ人間は、いつ、そしてなぜ生まれたのでしょうか??
2006年はオリンピックにサッカーW杯と、大きな「祭り」が続きます。アナウンサーは「感動をありがとう!」と絶叫し、テレビ・雑誌はお涙頂戴物語にあふれ、街頭でマイクを向けられた人びとは屈託なく「勇気をもらいました!」と語ることでしょう。
……本来、「感動」や「勇気」は与えられるものではなく、自らの内から自然に湧き出るものだったはず。だからこそ、価値があったはずなのに!!
一体、いつから「涙」は軽くなり、「感動」はお安いものになってしまったのでしょうか?内実なき熱狂を買い求めるカラッポ人間が、なぜ多数派を占めるようになってしまったのでしょうか?
「消費」をキーワードにニッポン社会の変遷から解き明かし、いまどきニッポンを社会哲学で鋭く考察します。
内容(「BOOK」データベースより)
「感動をありがとう!」「勇気をもらいました!」。そう言って涙を流すのが正常だといわんばかりに、屈託なく語る人びと…元々「感動」や「勇気」は与えられるものではなく、内発的に抱くものではなかったのか?だからこそ価値があったのではないか?一体、いつから「涙」は軽くなり、「感動」はお安いものになってしまったのだろうか?内実なき熱狂を買い求めるカラッポ人間が、なぜ多数派を占めるようになってしまったのか。「消費」をキーワードにニッポン社会の変遷から解き明かし、いまどきニッポンを社会哲学で鋭く考察する。