第1は「日本だけは特別な国である」とする皇国史観である。これに異を唱えると非国民扱いにされた。敗戦でこのタブーはなくなったが、その反動として唯物史観が登場した。これも一種の神がかりだ。すべての制約がとれてやっとフリーハンドに研究ができるようになった。
第2が考古学の発達(特に同位元素からの年代推定)により、古墳発掘が古代史の有力な支援となるようになった。宮内庁の皇陵発掘に対するかたくななまでの反対は古代史研究の障害といってよい。
第3は近隣、東アジア諸国の歴史との関連において地域として日本古代史がとらえられるようになってきた。島国といっても隔離されていたわけではなく想像以上に交流は頻繁であった。
史家の見るところ、7世紀と8世紀の間に大きな断層がある。政治的にみれば日本(倭、大和)列島の統一政権成立であり、これを権威づけるために日本書紀、古事記が編さんされた。この7世紀以前が古代であるが、記・紀はあまりにも神話的であった。コロモをはがしてみるとおどろくべき多数の異民族との交流であった。本書の中からこれは初耳と言いたくなる指摘を挙げると。
s卑弥呼ひみこは江南の巫術者ふじゅつしゃ・許氏。
s神武天皇は248年9月に安芸あき(広島)で死去。
s応神天皇は五胡十六国の中の秦の一族、苻洛ふらくだった。
s仁徳天皇は高句麗こうくりの英主、広開土王こうかいどおうだった。
s聖徳太子は中央アジアの遊牧民、西突厥とっけつの達頭可汗たるどうかかんであった。
s大化の改新の主役、中大兄なかのおおえは百済くだら王子、翹岐ぎょうき、大海人おおあまとは高句麗将、蓋蘇文がいそぶん、藤原鎌足は百済高官、智積ちしゃくだった。
挙げてゆけばキリがないが古代アジアにおいては中国を別格として国境、民族はあってなきにひとしく、特に日本列島・朝鮮半島(高句麗・新羅・百済)は一衣帯水ほとんど同族にひとしかったことがわかる。ただ地縁はおそろしい。8世紀以後、韓国は中国の忠実な衛星国になっていったのに対し日本は都合のよい文物のみ中国から吸収するという対照的な態度をとったことが大きく両国の歴史を変えた。
古代史は面白い。ただし推理小説をよむようにモザイクの破片を組み立てねばならない。たとえば聖徳太子が中央アジアの達頭可汗であったなど度肝を抜かれる。コトバはすぐ通じたのか、ナゾは多いがこれはこれからの研究課題だ。
(東洋信託銀行顧問 神崎 倫一)
(日経ビジネス1999/3/1号 Copyright©日経BP社.All rights reserved.)
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