Amazon.co.jp
哲学博士である中島義道は、話題を呼んだ『うるさい日本の私』の著者でもある。本書はあまりに高名な18世紀ドイツの哲学者カントの人生と、その人生観に焦点を定めた入門書。読者は「エゴイズムについて」「容貌について」といった問いかけや、カントの生涯と人生観を通して、人間性というものをとらえなおしていくことになる。なお、ここで語られるカントは、既存のイメージのような崇高かつ高潔な哲人ではない。したたかで、時には友人を遠ざけてしまうほどに、人間に対する意地悪と言っていいほどの厳しい視点を持った人間である。
そのせいか著者もカントの意向に沿うかのように、「虚栄心について」の章では、だれもが自分には無いと信じたい「嫉妬」という感情に焦点を当てる。大学教授とその同僚のたとえ話により、羨望と嫉妬の違いや虚栄心の働きを嫌になるほどわかりやすく説明した部分には、苦笑しつつもなずくしかない。このように本書では、いわゆる「親切」や「友情」の欺瞞性や「男性にとっての(自らの)容貌」といった、普段は暗黙の了解のうちに語らずに済ませているテーマに、光を当ててしまう場面が頻繁に見られ、いっそ痛快ですらある。
著者はカントへの共感を決して全面には出さず、冷静に筆を進めている。しかし読んでいくうちに、他者との関係性を時には冷酷に突き詰めたカントと、後に自分と周囲の環境との軋轢を露悪的なまでに大胆に描写することとなる著者の姿とが、重なって見えてくる。その意味で、本書は新観点からのカント論というだけではなく、著者の一連の評論やエッセイの原点とも言えよう。(工藤 渉)
出版社/著者からの内容紹介
エゴイズム、親切、友情、虚栄心……人間の「姿」はいかなるものか。複雑で矛盾に満ちた存在を描き出すカントの眼差しに拠り、人間の有り様の不思議を考える。
無邪気は道徳的ではない――3歳の子供はカントの目からすれば断じて道徳的ではない。それは積極的に悪をなさないが、善をもなさないのである。まったく同じ理由により、性器を切除したために性欲に支配されなくなった男は、性欲を克服したのではない。修道院内に軟禁されている少女たちは、男遊びや飲酒や喫煙に対する欲望を克服したのではない。外形的、物理的にさまざまな欲望を除去あるいは遠ざけあるいは消去することは、いわば幼児の状態を再現することであり、決して真の意味での欲望の克服ではなく、よってこうした状況のもとにおける行為は断じて道徳的ではないのである。道徳的善は、結局自愛に行き着くさまざまな感情の傾きを物理的に抹殺ないし隔離してではなく、こうした多様な感情の傾きを徹底的にくぐり抜けて達成される。――本書より
商品の説明をすべて表示する