Click here to see in English.

創造的進化 (岩波文庫 青 645-1)
  

創造的進化 (岩波文庫 青 645-1) (文庫)

アンリ・ベルクソン (著), 真方敬道 (翻訳)
5つ星のうち 5.0  レビューをすべて見る (1 カスタマーレビュー)

出品者からお求めいただけます。


中古商品9点¥ 1,387より コレクター商品2点¥ 12,600より

商品プロモーションおよび特別キャンペーン


この商品を買った人はこんな商品も買っています

精神のエネルギー (レグルス文庫)

精神のエネルギー (レグルス文庫)

アンリ ベルクソン
5つ星のうち 5.0 (2)  ¥ 840
物質と記憶 (ちくま学芸文庫)

物質と記憶 (ちくま学芸文庫)

アンリ ベルクソン
5つ星のうち 5.0 (1)  ¥ 1,365
思想と動くもの (岩波文庫)

思想と動くもの (岩波文庫)

ベルクソン
5つ星のうち 5.0 (2)  ¥ 987
道徳と宗教の二源泉 (岩波文庫)

道徳と宗教の二源泉 (岩波文庫)

ベルグソン
5つ星のうち 4.5 (2)  ¥ 903
時間と自由 (岩波文庫)

時間と自由 (岩波文庫)

ベルクソン
¥ 798
関連商品を見る

登録情報


この商品を見た後に買っているのは?

思想と動くもの (岩波文庫)
24%のカスタマーが
思想と動くもの (岩波文庫)を購入しています 5つ星のうち 5.0 (2)
¥ 987
時間と自由 (岩波文庫)
23%のカスタマーが
時間と自由 (岩波文庫)を購入しています
¥ 798
精神のエネルギー (レグルス文庫)
22%のカスタマーが
精神のエネルギー (レグルス文庫)を購入しています 5つ星のうち 5.0 (2)
¥ 840
物質と記憶 (ちくま学芸文庫)
20%のカスタマーが
物質と記憶 (ちくま学芸文庫)を購入しています 5つ星のうち 5.0 (1)
¥ 1,365

類似した商品から提示されたタグ

 (詳細)
関連タグ(この商品に近い関連キーワード)を追加する++最初のタグになります
 

 

 

カスタマーレビュー

1レビュー
星5つ:
 (1)
星4つ:    (0)
星3つ:    (0)
星2つ:    (0)
星1つ:    (0)
 
 
 
 
 
おすすめ度
5つ星のうち 5.0 (1 カスタマーレビュー)
 
 
 
 
あなたの意見や感想を教えてください:
最も参考になったカスタマーレビュー

 
8 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 時代との壮大な知的格闘の成果, 2008/9/19
科学の限界を画しようとする試み、あるいはそもそも科学的結果のなかで哲学しようとする試みは評価が難しい。その後の科学の進展によってあっけなく反駁される可能性がいつも付きまとう。未来にまだそのような試みが問いを提示しているとすれば、なぜにしてその著者はそのような見解へと導かれたのか、という問いがその一つだろう。この本もまたそのような運命にあったと言ってよい。

この本を上の観点から読むとき、まず気づく大きな点は、ベルクソンには確率に関する考察がないことである。あるいはあったとしても、ある事象が確率的であるとはその事象が単に偶然に生起することと考えられていることである。ベルクソンには機械論的な(あるいは目的論な)決定論と、予見できない創造の二つしか存在していないかのようだ。現在の進化論は、進化は基本的に確率的事象であると考える。したがってベルクソンの進化論批判は重要な点をまったく扱っていないことになる。

確率に関する考察が無いことはなにより、ベルクソン自身のl'elan vitalの存在論証にかかわっている。なぜなら、この論証の主要部分は、異なる進化の系列において、極めて似通った機構をもつ器官が発生するということは機械論的には説明不可能であるとするところにあるからである(p.296)。しかし確率的であることは「単純ないたずら」では決してない。

だがこの批判はフェアではない。確率に関する考察の欠如は、ベルクソンのが見落としよりは、時代的制約によるものが大きい。原著は1907年の刊行である。その時代、確率に関する哲学的考察はまだ初期の段階である。確率が科学に全面的に登場し始めたばかりである。確率を用いる進化論や、統計力学、量子力学などはまだ黎明期か、まったく存在していないかだ。

にもかかわらず、おそらく時代的制約以上のものがあるだろう。それはベルクソンの物質概念に見られる。その物質概念は、おそらく「意識」や生命に対比する目的によって(p.158)、あまりに狭いものである。ベルクソンの捉える物質は不動であり、外力が無ければ変化せず、創造もない。知性による科学が扱う物質をそのような狭い概念における物質に限定した上で、その不十分性を説こうとするのは不当ではないか。時代錯誤であるが、そのような物質概念は現在ではもはや科学の扱うようなものではない。量子力学以降に提示される物質概念はそのような不動なものではない。ベルクソンが批判したい知性の営みとして、幾何が象徴的に挙げられている。しかし、物質の配置としての幾何学という見方はおそらくこの本の書かれた時代でさえ、幾何学に対する偏狭な見方であろう。

とはいえ、このような狭い物質概念は途中で破棄される。『物質と記憶』でそうであったように、物質概念はやがて持続という概念によって、生命や意識の観点から統一的に語られるようになる。そのようにして初めて物質概念はその狭い捉え方から解放される。だが、最初に提示され、それに基づいて知性の限界が指摘される物質概念はあまりに狭すぎるのではないか。

このような物質の捉え方は、現代でも日常物理学の中にある。したがって、今なお科学に対してそのような捉えかたをするとすれば、それは日常物理学と物理学の混同であると言えるかもしれない。もちろん、ベルクソンに対してそのような謗りが可能であるかは分からない。しかし、ベルクソンには日常物理学と物理学を同じとみる傾向がある。科学は日常の延長である(p.392)。ベルクソンにとって科学は、物質を支配するための方法でしかない。科学を支配するのは有用性であり、真理は科学のために取っておかれていない。

そして我々はここでおそらくもっとも根本的な思考の動向に出会う。科学に真理の主張が認められないのはなぜか。もちろんのこと、真理は哲学に取っておかれているからである。つまり、哲学は科学から(その扱う対象において、あるいは方法論に)独立したものであり、かつ、哲学は科学の覆い隠す「真理」を発見するのであるという、学問観がここにある。これはおそらく、19世紀後半に生まれたローカルな学問観ではないだろうか。(そしてこれを逆さまにしたのが自然主義である。)

私には、科学とまったく峻別される哲学という見解によって、科学がなしうること(知性がなしうること)が不当に狭く見積もられているように見える。おそらくベルクソンの時代でもその捉え方は狭いだろう。現在の発展を見れば言うまでもない。哲学は独自の真理を捉え(p.236)、科学とはまったく対立するものである(p.402)−−ベルクソンを終始導いているのは、そのような哲学観である。

以上すべてのことは、ベルクソン側からすれば単純な点によって反論できるかもしれない。すなわち、科学はその方法による限界につきあたり、持続(物質は緩んだ持続であるということ)をいくばくか取り込んだのだと。現代の科学の展開は、まさにベルクソンがこの点で正しいことを示しているのだと。そのような主張がどこまで妥当なものであるかどうかは、私には分からない。
コメント コメント | ブックマーク | このレビューは参考になりましたか? はい いいえ (報告する)


あなたの意見や感想を教えてください: 自分のレビューを作成する
 
 
 
この商品のカスタマーレビューだけを検索する



クチコミ

商品やカテゴリー、トピックについて他のカスタマーと語り合う場です。お買いものに役立つ情報交換ができます。
この商品のクチコミ一覧
内容・タイトル 返答 最新の投稿
まだクチコミはありません

語りたいこと、聞きたいことはありませんか? 意見や質問を書いて情報交換しましょう。
新しいクチコミを作成する
タイトル:
最初の投稿:
サインインが必要です
 

   


リストマニア

リストを作成

関連商品を探す


同じキーワードの商品を探す




この本は、それぞれの上記のテーマに含まれています。

フィードバック



チェックした商品の履歴

 (詳細はこちら)

製品詳細ページやサーチ結果を表示した後、興味のあるページに戻る簡単な方法についてはここを参照してください。